内在する力の行方

「ノアまではあと三日らしいぞ」


 ひと足先に朝食を食べていたラルフに合流直後に告げられる。


「実際にはあと二日で着くんだけど、ソロンさん曰く着港に丸一日かかるんだと」


 十個の回遊都市全てがノアに集結するのは有史以来初めてのことらしく、さしもの淵源城ノアも巨大な幻想生物の背に成立する都市全てと接続するのは不可能とのこと。

 ゆえに幾つかの都市は、「都市を挟んで」ノアと接続するらしく、その作業に大きく時間を取られる見込みだそうだ。


「下手すりゃ丸一日以上かかる可能性もあるらしいから、少しの間暇になるな」


 暇になる、その単語に“全店制覇”を掲げるイノリの目が輝いた。


「流石にやらんぞ。広すぎる」


「えっ……あいたっ!?」


 『湖畔世界』の時とはわけが違うのだ。

 この世の終わりに直面したような絶望を顔に貼り付けた我が相棒のおでこをデコピンでいなしながら席につく。


「ラルフ、ノアってどんなところなんだ?」


 俺の問いに、ラルフが一瞬だけ嫌そうな顔を浮かべ、すぐに引っ込める。


「源老の膝下だな。ぶっちゃけ、他の世界の主要な王都とそんな変わりはねえぞ? 淵源城って言っても、全部が全部源流血族の家ってわけじゃないからな」


「海に沈んでるわけではないんですか?」


「住んでる大半は人族だからな。そもそも、魚人族だってずっと海で活動できるわけじゃないし」


 衛兵のトイ曰く人族からの派生とされる魚人族。彼らは水中での活動に秀でているが、それは血統的に水に関わる魔法を上手く扱えるというだけのこと。

 見た目だって鱗や牙、その他細かな差異を除けば人族そのものだし、魚類カイルのように鰓呼吸ができたりはしない。


「ノアは……ぶっちゃけ見た方が早いぞ」


 説明が難しいんだよ、と投げやりに。

 ラルフはそのままソーセージに齧り付いた。


「そっか……暇になるのか」


 朝食を運んできてくれたウェイターに会釈をしながら考える。


「なら、久しぶりにがっつり鍛錬でもするかな」


 繁殖との戦いの後は、復興作業だったり突然の帰郷だったりで、中々プライベートな時間を取れなかった。

 日課の基礎鍛錬だけは確保してきたが、それ以上のことはできていないのが現状。戦争前に、一度自分にできることを再確認したいところだ。




◆◆◆




 ……というわけで。

 俺はソロン議長に事情を説明し、『海淵世界』の駐屯軍が利用する訓練施設を間借りさせてもらった。


 ちなみに他の面子はと言うと、イノリは魔眼の鍛錬と魔弾の射手フライクーゲルのメンテナンス。

 ラルフは先方の事情で後回しになっていた相手への挨拶回り。

 ストラも魔法鍛錬らしいので誘ったのだが、「あまり人目につく場所でやるわけにはいきません」ときっぱり断られてしまった。


 最終的に一人で鍛錬することになった俺は、長らく虚空ポケットの中で死蔵されていた“教科書”……『魔剣世界』レゾナで貰った“魔法理論基礎”を片手に、空いた右手で魄導をこねる。


「師匠曰く、使い方は魔力と同じって話だったけど……まっっったくわからねえ」


 魔法を発動する上で最も大切なものは何か——それは“魔法の公式”とも言われる“魔法陣”の形成である。

 魔力による投影、物質への筆記などやり方はなんでもいいが、この魔法陣を書き出すことが第一段階だ。


 俺は、その第一段階で盛大に躓いていた。


 何がダメって、そもそも魔法陣が書けない。

 いや、書けないというのは語弊がある。魔力……魄導による投影は当然不可能なんだが、紙に陣を書き出すことくらいはできる。

 だがどういうわけか、その魔法陣に魄導を流してもまるで魔法が発動しない。その兆候すらない。


「魄導使えるようになったから、もしかしたら魔法もって思ったんだけどなあ……」


 ものは試しと《英雄叙事オラトリオ》に接続。シャロンの記録を呼び出し、軽く、地面から数本の鎖を生成する。

 今回は滞りなく、そも、紙を使うまでもなく魔法陣を空間に投影できた。


「同じ感覚でやってるつもりなんだけどな……」


 ふと、脳内に声が響く。


『魄導を使えるって言っても、容量自体は今もカツカツだからねー』


 導線パスを通してシャロンが語りかけてきた。


『確かに前よりは可能性あると思うよ。でも、エトは生まれてこの方魔法に縁がなかったわけだしさ』


「お前の力を借りてる時はスムーズにいくんだけどなあ」


『うーん、その辺はほら、《英雄叙事オラトリオ》から力を使うか、エトの魂から力を使うかっていう差異があるから』


 側から見れば一人ぶつぶつと呟いているヤバい奴だが、幸いなことに訓練施設に人影はない。監視カメラ?……うん、知らなかったことにしておく。


 悩むような気配の後、シャロンが夢に誘う。


『ちょっと話したいから、中来れる?』


「わかった。……それじゃ、誰か来たら起こしてくれ」


 意思があることがもはや疑いようのない鎖に見張りを頼み、俺は今朝ぶりに意識を《英雄叙事オラトリオ》の中へと旅立たせた。




◆◆◆




「エトは今、二つの力の使い先を持ってるんだよね」


 早々に、シャロンは空中に二本の管を投影する。


「一つはエト自身の魂、もう一つは《英雄叙事オラトリオ》。……で、君が私たちと接続する時はこっち、《英雄叙事オラトリオ》の導線を使って魔法やらを使ってるの」


「それはなんとなくわかる」


「で、ここからが重要なんだけど……」


 管の下方に二つの大きな受け鉢が生成、大きな文字で“経験・才能”と書き出された。


「エトが魔法やら闘気を使う時は、いつもこの、《英雄叙事オラトリオ経験きろくを読み取ってるんだよ」


「ふむ……」


 俺は静かにシャロンの講義に聞き入る。

 いつの間にか導線パスを辿ってルーシェが生徒面して隣に座っていた……コイツ自由すぎないか?


「え、なんか増えてる」


「続けて続けてー!」


 シャロンも驚いて若干引いていた。


「まあいいや。で、魔法を使うにせよ、闘気を使うにせよ、そのとっかかりに器の才能が必要なのはもう知ってるよね?」


「ああ、くーちゃん……エステラの講義で履修済みだ」


「アレ、案の定化け物だったね……コホン。で、改めて突きつけるようで悪いけど、エトにはそっち方面の才能がからっきしなわけじゃん」


 悲しいことに。

 魔力と闘気を生み出す……どころか、どうやら俺には魔法に関わる才能すらすっぽりと抜け落ちてしまっているらしい。

 導線パスを繋いでいる以上思考が筒抜けゆえに、俺の悲しみを読み取ったシャロンが苦笑する。


「そんなエトが《英雄叙事オラトリオ》を通じて私やエルレンシア、ルーランシェの記録から魔法の経験を引っ張り出して魔法を使うとして。その感覚自体は感触として残るんだと思う。ただ……」


「持ち帰った先に、それを再現するための土台がない」


 先回りで答えを言った俺に、シャロンは笑顔で頷いた。


「そう! 私たちの知識上ではって前提がつくけど、今の君が魔法を使うのは正直至難の業だと思う。魔法陣を書いて魔力を流す——それだけでは魔法を使えないこと、君ならわかるでしょ?」


「なんとなく、だけどな」


 魔法陣は、言わば“繋ぎ”の役割だ。自分と世界を繋ぐのが魔法陣であり、俺たちはそこにを入れなくてはならない。


 だが、俺は電源の入れ方がまるでわからない。


 《英雄叙事オラトリオ》に接続している時は蓄積された記録によって無意識的にできていることなんだろうが……。


 問題点を正しく認識した俺に、シャロンが補足を入れる。


「まあ、私たちはみんな魄導についてはほとんど無知だし、将来的に君が魔法を使えるようになる可能性は十分あると思う。けど、一年やそこらで会得できるとは考えない方がいいと思う」


「要するに、手広くやるんじゃなくて今できることのクオリティを上げてけってことだな」


「その通り!」


 単純な真理に辿り着いた俺に、シャロンが大きく頷いた。


「と言っても、正直、今のエトが全力出そうと思えば訓練施設は手狭なんだよねー」


「強がりとか傲慢とか抜きで、本当に窮屈に感じる日が来るとはな……」


 かつて『悠久世界』で師匠と訓練した屋内施設。今あそこで師匠と手合わせをすれば、誇張なく吹き飛ばす確信がある。



 なんとも懐かしい、思い出されるのは王立学園時代。

 俺たちが三年に進級した頃のことだ。


 俺は、一度たりとも学園の訓練施設を使ったことのないアルスに理由を聞いてみた。

 ほんの興味本位の質問に、アルスは「あそこは狭すぎるからね。僕が本気に出したらあっと言う間に瓦礫の山だよ」と宣ったのである。


 ……これは完全な余談だが。

 アルスは在学中、施設に併設されたトレーニングルームを一度も使ったことがない。

 その理由は、「あそこは裸族の巣窟だから絶対に行きたくない!」という、非常に年頃の少女らしい恥じらいのあるものだったりする。


 これまた思い切り余談だが、デュナミスは俺の同期で唯一、会長室への出入りを会長時代のアルスの強権によって禁止された裸族だったりする。


 ……会長室に続いてシバリア家まで出禁にされたデュナミスだが、果たして次はどこを出禁になるのやら。


 だいぶ話が逸れた。


「まあ、ひとまずは魄導の循環に焦点当てとくかな」


「うん、それがいいと思うよ。本気については……ノアに着いてから考えればいいんじゃない?」


 お膝元であれば全力を出せる場所があるだろう——そんな楽観的なシャロンの姿勢に首を傾げる。


「なんか根拠でもあるのか?」


「んー、そうだね。だって七強世界ならいるでしょ、〈異界侵蝕〉」


「……なるほど」


 納得する。

 〈異界侵蝕〉。単独で穿孔度スケール7を踏破できるだけの怪物たち。

 人の形をしただけの理不尽、不条理。『悠久世界』が〈勇者〉アハトを擁するように、十中八九、『海淵世界』にも〈異界侵蝕〉がいるはずだ。


 シャロンは飼い殺しになんてするはずないと断言する。


「そんな化け物を錆び付かせるなんて愚行を七強がするとは思えないから。エトの実力にも十分耐えられるだけの敷地はあると思うよ、確実に」


「そこを使わせてもらえる許可が取れるかどうかは別だけどな」


 肩をすくめた俺に、シャロンは「それもそっか!」と無邪気に笑った。

 会話に飽きたのか、ルーシェはいつの間にかいなくなっていた。





 その夜、俺はふと湧いた疑問から眠れず、窓から見える深海を眺めていた。

 グロテスクな見た目の奇怪な、魔物のような魚たち。

 人口太陽が沈み、僅かな街あかりが深海を泳ぐ星のように輝いていた。


「……俺の中には、《英雄叙事オラトリオ》がある」


 記録の概念保有体。

 俺の器を占有する、魂の残痕を宿す本。


「《終末挽歌ラメント》、グレイギゼリア」


 《英雄叙事オラトリオ》と類似した、けれども決定的に違う力を持つもう一冊の本。

 俺は今まで、アイツのことをあまり考えてこなかった。だが、ふと、疑問が生まれた。


 グレイギゼリアとは何者なのか。

 《終末挽歌ラメント》を持つ人間か、それとも、《終末挽歌ラメントか。


 ——、という言葉が頭に引っかかっていた。

 そうだ。俺は今、二つの力を切り替えながら使っている。では、グレイギゼリアは?


 答えはわからない。でも、この疑問を、この視点を捨ててはいけない……そんな確信があった。

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