犠牲と代償

 夢を見た。

 大地を埋め尽くす魔物の大群。それに立ち向かう、たった一人のみすぼらしい姿の少女。

 手に持つのは、刃こぼれしたナイフ一本のみ。

 痩せこけ、走ることさえままならない身体。

 少女は……シャロンは、そんな身ひとつで魔物に立ち向かい、世界を勝ち取った。



 また、夢を見た。

 無才の少女が、魔法の天才と剣の鬼に憧れ、そのどちらにも手を伸ばす。微笑ましくも残酷な、過酷な道を進む決定打となった始まりの景色。

 たどり着いたのは、魔剣。

 頂点とは言えなかった。満足なんてできるはずもなかった。だが、エルレンシアは確かに、世界の名を冠するに相応しい場所に辿り着いた。



 地獄を見た。

 天地を支配する竜の行軍。

 小世界を容易く滅ぼし、大世界の抵抗すら灰燼に帰す史上最悪の宴。

 数多の命が散った。無数の、名もなき魂たちが積み重なった。

 名を、意味を、世界を、生を、価値を——全てを捨てて、竜を殺した男がいた。

 名を捨てた男はただひとつ、竜殺しという事実だけを記録した。



 もう一つの地獄を見た。

 絶えず増え続ける生命の濁流。豊穣を喰らう繁殖の群れ。逃げ出したい——極寒、逃げ場などどこにもない。

 鬼人の男は、同胞を守るために戦い続けた。

 その先に待つのが敗北と死であることを予感しながら。自分の力が及ばないことを知りながら。それでもスイレンは、後世に〈鬼王〉と呼ばれるだけの武威を見せつけ、繁殖の竜と最期の一瞬まで戦い続けた。



 袋小路の世界があった。

 その世界は、詰んでいた。戦争には負ける。異界の暴走を止めることもできない。訪れる終末は、必然だった。

 少女は、皆を鼓舞した。明日を照らした。希望を灯した。

 それが偽りであると知りながら、自分の行為が、死出の道にランタンをかける行為であると理解しながら。

 ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンは、兵士の希望であり続けた。





「夢を使って急な呼び出しに全員集合って……だいぶ懐かしい手法だな」


 目を開けた時、俺は、ルーシェを含めた導線パスを繋いだ英雄たちの前に立っていた。

 代表するように、シャロンが口を開いた。


「最近ご無沙汰だったからね。あと、エール……かな? 七強世界との戦争。未だかつて、私たちの誰もが経験したことがない場所に挑む語り部への贈り物だよ」


 シャロンは中空に手を伸ばし、そこで、一枚のページを掴み取った。


「と言っても、私たちが用意したものじゃないんだけどね?」


 これは《英雄叙事オラトリオ》から君へ——そう言ったシャロンから手渡されたのは、たった一枚の白紙のページだった。

 見覚えがなく、しかし、これまでのどんなページよりもしっくりきた。


「これは……俺のページか?」


「——いかにも」


 そう答えたのはスイレン。

 鬼人の英雄は、真っ白なページを前に首を傾げる俺に説く。


「それは其方の……最も新しき紡ぎ手のページ。その、最初の一枚目である」


 それは、目の前の彼らに並び立つ権利の獲得に他ならず。俺は、喜びに左の拳を強く握った。だが……


「ってことは、繁殖の竜との戦いはボツだったのか」


 あれだけカッコつけて口上述べたのにな、と苦笑いする俺に、今度はシャロンが告げる。


「ボツっていうより、《英雄叙事オラトリオ》が余計だって判断したんだと思うよ」


「それがボツなのでは?」


「ちょっと違うんだよ。《英雄叙事オラトリオ》は、私たちの人生を記録する。でもそれは、0〜100まで全てを記すわけじゃないんだよね」


 正しく物語のように、読み手に不要な情報を省くように。《英雄叙事オラトリオ》は、物語の取捨選択をする。

 あたかも未来の読み手に向けたのように。


「エト、君が最初に《英雄叙事オラトリオ》を開いた時のこと、覚えてる?」


「……ああ、忘れるわけがない」


 呼吸が遠のくアルスの前で、シャロンの声を聞いた。

 頷いた俺の胸に、シャロンの人差し指が突き刺さる。


「そこが、《英雄叙事オラトリオ》と君の原点」


「ああ……こっからってことなのか」


 得心した俺の反応に英雄たちが……珍しく大人しい無銘までも頷いた。


「あんたは、あたいの故郷を……レゾナを救った」

「某の愛する豊穣の地も、その手で護った」


 ならば次は本懐を遂げろ——彼らは皆、そう言っていた。


「君の物語にとって、今までの全てが序章プロローグ。《英雄叙事オラトリオ》はそう言ってるんだと思う」


「それを聞いて、ルーシェに乗っ取られた場面が記録されてなくて心底安心したよ」


 みっともなく泣き喚く成人男性の図を客観視するのは辛すぎる。

 安堵する俺に、横からルーシェが不満を漏らす。


「えー! アレはエトが渋ったからじゃーん!」


「それでも強制奪取はダメだろ!? 不同意性転換はお前が初めてだからな!?」


 あんまりなパワーワードにシャロンたちが堪えきれず噴飯した。


「でもさー、お陰で海渡れたわけだし、そもそも元凶はあのピエロだよー!」


「ああその通りだよ畜生!」


 フェレス卿あの野郎、次会ったらぶん殴ってやる。

 怒りに燃える俺を放置して、シャロンは脱線した話を軌道に戻す。


「ともかく! 君が刻むべき物語が何か、もうわかるでしょ?」


「……ああ」


 初めて《英雄叙事オラトリオ》が応えた日。そして、魄導に至る道を切り拓いた原動力。

 改めて問われるまでもなく、それは俺の核。


「俺は、リステルを守り抜く」


 極星の庇護。七強世界の後ろ盾。それはとても強力で、俺たちが欲して止まなかった力。


 だが、それでも足りない。

 危機が迫ったその時に人任せでいられるほど、この星は甘くない。

 『構造世界』バンデスの滅亡は、俺にその事実を強く再認識させた。


 【救世の徒】、《終末挽歌ラメント》……守るためには、約束を果たすためには。

 進むごとに増え続けるこの手の中の大切な者たち。

 強欲にも、俺はその全てを守りたい。


 超えなくてはならない。

 この、戦争を。


 俺の宣誓に、皆は満足そうに頷いた。




◆◆◆




 舞い散るページの中、俺はルーシェに居残りを告げた。


「なんで私だけー?」


 ちょっとだけ拗ねたようなルーシェに、俺は真剣な眼差しを向ける。


「お前の記録を見た」


「……そっか」


 俺がこれから何を問うのか察した様子のルーシェは転身。17歳くらいの、死の間際の姿に変わる。

 ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンの人生は、駆け抜けた17年だ。概念保有体として目覚め、世界と共に死ぬまでの10年間。

 それがルーランシェという英雄の全盛期。ゆえに彼女は、《英雄叙事オラトリオ》の上で自在に見た目年齢を変えることができる。


 無数のページがより集まり椅子が形成され、ルーシェが上品に腰掛けた。


「何を聞きたいの?」


 幾分か大人びたルーシェに、俺は文字化けしたページの数々を見せる。


「お前が最期に出会ったアレは……一体なんだ?」


「わからない」


 即答だった。


「今の……残滓の私には、アレがなんだったのかはわからない。生前の認知も、霧がかかったように朧げ」


 『業火世界』ヌンは戦争によって滅びた。


 確かにヌンは戦争によって疲弊していた。三つの小世界連合を相手取り、人も資源も削り取られた。

 戦争を続けるために、世界を存続させるために異界資源の採掘は一層加速した。大氾濫スタンピードの兆候が見えても、止めることはできなかった。


 だがそのいずれも、ヌンを崩壊させることはなかった。

 ヌンと、三つの小世界。それらは、たった一つのナニカによって滅ぼされた。


「エトの見た通りだよ。私たちの世界は詰んでいた。どの道を選んでも、ヌンは滅びていた」


 結末へ走り抜ける無念、無情。

 同胞を死へと駆り立てるマスコットとなったルーランシェの横顔。その表情は俺には窺い知れない感情だった。


「でも、私たちは数ある滅びの可能性の中から、最悪の選択をしたの」


 突如として、俺の脳内に炎に包まれた砦の映像が流れ込んできた。


「……っ!?」


 崩れた瓦礫の横、力なく瓦礫に身を預けるルーシェの目の前に、黒いナニカがいた。

 その映像は割れた窓ガラスを通しているような不鮮明さで、ところどころが欠けていた。

 割れ落ちた映像の奥には漆黒が覗いている……《英雄叙事オラトリオ》の、記録不全だ。


「エト、アレは死神だよ。間違いを犯した私たちを裁きに来た、たった一人の死神」


「ヌンは……何をしたんだ?」


「私■■は、異■に■限の■■を■わせ■■■した」


「今、なんて?」


 突然、ルーシェの言葉がブレて届かなくなった。


「やっぱり、伝えられないんだ。当然だよね、私自身、記憶にないんだから」


 それは諦観というより、ある種の納得のような言葉だった。


「記録と併せればいけると思ったんだけど、記録の方も壊れちゃってたみたい。……エト、私の記録、変だと思わない?」


 俺は躊躇いなく頷いた。

 思い当たる節は数多く、文字化け、映像の不備、今のような伝達障害……記録の概念保有体である《英雄叙事オラトリオ》にあるまじき異変だ。


 考ええらる異変の原因は一つ。


「あの人影か」


「うん。アレは、私の記憶と、《英雄叙事オラトリオ》の記録をした」


「そんなことが……《英雄叙事オラトリオ》は、記録の概念だぞ」


 《英雄叙事オラトリオ》の記録を欠けさせる……そんなこと、真っ当な何かにできる芸当ではない。


「相手も……あの死神も、概念保有体だったのか?」


 ルーシェは、力なく頷く。


「多分ね。生前の記憶が霞んでる。私は、あの存在を思い出せない。覚えているのは、身を焦がすような憤怒と、息が詰まるような“愛”。それを覚えているのだって、英雄叙事オラトリオ》っていうバックアップがあったから。その《英雄叙事オラトリオ》も傷つけられちゃってるから、私の記録は、こんなにも不鮮明なの」


 ……きっと。

 《英雄叙事オラトリオ》だから耐えられたのだろう。

 仮定して、相手が改竄、穿った見方をすれば破壊、或いは消去、侵食……字義的に《英雄叙事オラトリオ》を傷つけられそうなものはこの辺りだろうか? 仮に概念を保有していたとすれば、生半可な防御は意味をなさない。

 同じ概念保有体だから、部分的損傷で済んだのだろう。


「エトはなんで、急に私の記録に興味を持ったの?」


 ルーシェの純粋な疑問に、俺は少し考えてから答えた。


「多分、戦争に行くからだと思う」


 同じ戦争を経験した先達。その記録の不可解さに、自然と興味が惹かれたのだ。


「……そっか」


「なあ、ルーシェ。お前は、後悔したことはあるか?」


「なにを?」


 一拍置いてから、問う。


「同胞を、死地へ送ったことを」


「ないよ」


 帰ってきたのは、揺るぎない即答だった。


「勿論、悩んだよ。苦しかった。何度も自分を責めようとした。でも、一度だって後悔したことはない。自分の行いを、間違いだったとは思わない」


 強い……とても強い、答えだった。


「生前も、残滓になった今も。私にとって彼らは誇り。そんな彼らを、私は戦場に送り出し続けた。世界を……ヌンを守るために」


 眉尻を下げたルーシェが肩をすくめる。


「気づいてたよ、みんな。これが負け戦だって。今から自分は死にに行くんだって。だから、私のエールが唯一の、彼らへの手向けだったの」


 それは、とても残酷な物語だ。

 誰一人として幸せな結末を迎えない、どうしようもないバッドエンドだ。


「確かに、バッドエンドだね」


 俺の心を読んだルーシェが力なく笑う。


「私は他の英雄たちとは違う。私自身は、何も残せなかった。私は、同胞たちが何かを残す、その背中を押した」


 少女は言う。とんでもない傲慢、偽善、邪悪だと。

 崖から飛び降りる者の背中を押すことを美談のように語る自分を、心底悍ましいと貶す。

 それでも、少女の目には強い光があった。


「私は謝らない。後悔もしない。だってそれをしたら、戦場に赴く決断をした全ての同胞の覚悟が嘘になっちゃうから」


 意味があったと信じたいとルーシェは願う。


「世界は滅びた。でも、彼らの姿はこうして記録された。世界の消滅は、存在の抹消。全てが無に還るこの星で、私たちの軌跡は確かにここにある」


 どれだけ歪んでいたとしても、未来に残る何かがあったと。


「エトは、戦争で相手を殺したこと、後悔した?」


「……ない。一度も」


「うん。それが答えだよ」


 立ち上がったルーシェは俺の肩に両手を置き、無理やり目線を揃えさせた。


「成し遂げたいことのために、私たちには多くを犠牲にしなくちゃいけない時がある」


 世界は決して綺麗ではない。美しい物語なんて存在しない。


「どれだけ非情な選択でも、私たちには選ばなくちゃいけない時がある。でも……」


 決断を繰り返してきた幼い英雄が笑う。


「私は君に、そんな選択を全部ぶっ壊してほしいと思ってる。だって、欲しいもののために欲しいものを切り捨てるなんて、そんなの馬鹿みたいじゃん!」


「ルーシェ……」


 かつて、未来のために命を捧げた英雄は憤る。


「良いじゃん、今から紡ぐのは英雄譚なんだから。君が欲しいもの全部、総取りするくらいじゃないと!」


 傲慢に行こうと、少女はその身に宿した概念に引けを取らない輝くような笑みを浮かべた。





◆◆◆





「あ、エトくん起きた! おそよー!」


 目覚めて真っ先に投げかけられた謎の挨拶に、俺は首を傾ける以外のリアクションを知らなかった。


「なんだ、その謎言語」


「エトくんが寝坊助だったから、遅く起きたねでおそよー」


「まともな由来があって腹立つなー」


 空腹を訴える腹をさすりながらかつてない寝心地を体現するベッドから起き上がる。

 時刻は8時…‥確かに、俺にしてはだいぶ寝坊だ。


「結構うなされてたけど、悪い夢でも見たの?」


「いや、《英雄叙事オラトリオ》でちょっと話し込んでただけだ。全員集合だから、負担がな……」


「えー、いいなー!」


 イノリの反応は意外なものだった。


「……良いか?」


「そりゃ良いよー。私たちがシャロンさんとかと話す時ってさ、エトくんが身体を明け渡すわけじゃん。でもそれだと一度に一人としか話せないでしょ?」


「あー、そういうことか」


 要するに、みんなでワイワイ話してみたい、とイノリは言っていた。


「そういや、ストラとラルフは?」


「二人は先に朝ごはん。私たちも早く行こ!」


 俺以上に腹を空かせているイノリに急かされ、せこせこと廊下に出る。


「エトくん、ものは試しなんだけど分裂してみない?」


「『買い物行かない?』くらいのノリで軽率に人を人外にしないで?」


「性転換する時点でだいぶ人間卒業な気がするけど」


「うるせえ! 俺だってわかってらぁそんなこと!」

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