構造崩壊

「滅亡って……消えたのか!? 大世界が!?」


 いの一番に驚愕を叫んだのはラルフ。その驚きは当然のものだった。

 過去数百年に渡り、大世界以上に名を連ねる世界の滅亡は一度とて起こっていない。

 『絡繰世界』の実質的支配下にある『鉄鋼世界』は議論の余地があるが、していないという点から今回は除外していいだろう。


 つまり『構造世界』バンデスの滅亡は、全世界に激震をもたらす一大事なのだ。


「というか待ってください! 実行犯が単独戦力って……個人で大世界を相手にしたってことですか!?」


 ストラは目を見開いて新聞の文字に視線を這わせる。彼女に倣って俺も身を乗り出して食い入るように一面を見つめた。


「“軍事パレードに襲撃……バンデスの主力部隊を壊滅させたと思われる”。マジで個人でやったのか? そんなの……」


 そんなの、〈異界侵蝕〉意外にあり得ない。

 さらに驚愕は終わらない。


「他世界の要人も招いてのパレードだったみたいですね。情報が鮮明なのは他世界の記者が互いに情報提供したからでしょうか?」


 招かれた者たちはギルドの転移門を使い避難したと記載されている。そして、2面。実行犯と思しき女性のカラー写真が——


「…………嘘、だろ?」


 その既視感に、俺は声を震わせた。


 カーブを描く艶やかな桃色のツインテール。

 何故か臍だけ露出したセーターに、フレアレッグパンツと厚底ブーツ。

 全てを見通しているような金色の瞳。


「そんな、まさか……」

「エトくん、この人って」

「マジかよ……!」


 同様に、ストラたちも激しく動揺する。


 写真の下には、こう書き記されている。



 ——実行犯、エステラ・クルフロスト



 その人は、俺たちの恩人と言っても過言ではない人で。

 その恩人が全世界を敵に回したことに、俺は脳みそを鎚で撃ち抜かれたような衝撃を受けた。


「くーちゃん先生!?」





◆◆◆





 ——前日、『構造世界』バンデス。



 その日、首都ガーフールは熱狂の渦に包まれていた。

 三十を超える新型兵器を全世界に喧伝するための軍事パレードの開催。自世界の目覚ましい発展に人々は歓喜に湧いていた。


 中でも注目を集めるのは、厄災の象徴たる竜の鱗すら貫くことができる新型超音速砲のを張る機動要塞“ドミナント”だ。

 周辺世界を招いての大々的なお披露目。バンデス各所では、ドミナントに搭載された超音速砲の実験データや実践映像が絶えず垂れ流され、その確かな信頼を獲得していた。


「聞いたか? 今回の兵器開発、バックにあの『始原世界』が関わってるって噂だ」

「おお。なんでも莫大な資金援助があったとか」

「ってこたあ、バンデスはゾーラの犬になったってことか?」

「どうだろうな。少なくとも、強固な関係があると思って良さそうだが……」


 高らかな金管楽器の音が鳴り響き、軍靴を鳴らして一糸乱れぬ行進が中央道を席巻する。

 臓腑を刺激するドラムに合わせ、観客の心臓は強く脈打った。


「噂の機動要塞はどこだ?」

「デカすぎて街中じゃ走らせられねえんだよ。ありゃ“城”だぜ」

「マジかよ! とんでもねえ兵器ができたもんだ!」


 観客たちの視線の先、中央道を練り歩く軍人と、彼らによって今日初めて日の目を浴びる真新しく美しい兵器の数々が、各世界から集まった記者たちが持つカメラによって無数のシャッター音とフラッシュに包まれる。


 割れんばかりの大歓声。

 その中に、から来る騒めきが混ざる。


「……おい、誰だあれ」

「一般人? なんで中央道に」


 統率の取れた行進で進む軍隊の前方、立ち入りが規制されているはずの中央道に、悠然と一人の女性が立っていた。


 長く尖った鋭利な耳。特異な形状ゆえに、その女がエルフであることは誰の目にも明らかだった。


「うーん。兵器開発だけで満足してたから放置してたんだけどなあ……」


 桃色の、緩くカーブしたツインテールを揺らした女は、隊列を崩さない軍人たちへ、およそ生命に向ける視線とは対極的な冷徹な眼差しを送る。


「軍に喧嘩を売るつもりか……?」

「馬鹿言え! そりゃ世界を敵に回すって意味だぞ!」

「祭りの空気に酔ってんのか? 誰か外に出してやれ!」


 周囲の騒めき、軍の警告を意に介さず、女は右手の親指と人差し指の間に極小かつ緻密な魔法陣を描いた。

 そのまま、魔法陣の向こうの相手へと堂々とを始める。


「ジーク、反応あったよ。機動要塞に欠片が積まれてる」


「そこの女! その場から今すぐに退け!」

「警告に従わない場合、強制的に排除させてもらう!」

「交戦の意思は見せるなよ! パレードの妨害行為が認められた場合、こちらには射殺の許可が出ている!」


 女は銃火器と牽制の魔法陣に一切の恐れを抱かない。

 魔法陣の向こう側から威厳ある声の返事が届いた。


『委細承知した。予定通り実行しろ』


「了解。全ては盟主の御心のままに」


 魔法陣を霧散させたエルフの女に、無数の銃口が向けられ、引き金に指がかかった。


えーーーーっ!」


 一斉射撃。

 全ての銃口が眩いフラッシュと共に弾丸を撃ち出し、真っ直ぐに闖入者へ殺到した。


「そう。それが、君たちの答えなんだね」


 しかし、鮮血が散ることはなく。

 かわりに、弾丸の全てを舞い散る真白のが受け止めていた。


『なっ……!?』


 カラコロと音を立てて薬莢と弾丸が大地に転がり、周囲一帯が混乱と困惑で満たされる。


「そこの記者たち、ちゃんと可愛く撮ってよね」


 しんしんと積もる雪の中心で、可愛らしくウィンクを決めた女は白い息を吐き出した。


「——【救世の徒】所属、エステラ・クルフロスト」


 『魔剣世界』レゾナにて“くーちゃん”と名乗った女は、初めて、表舞台で自らの真名を明かした。


「今ここに、『構造世界』バンデスへ宣戦布告するよ」


「総員ッ、戦闘は——」


 吹き荒れた殺気に対して全軍へ号令が飛ぶよりも、エステラの初動が勝った。



 ——刹那、絶凍。



 コンマ一秒にも満たない一瞬。

 エステラを中心に半径1kmの全てが凍てつき、絶対零度の世界が顕現した。


『〜〜〜っっ!!?』


「最後通告だよ。巻き込まれたくない人間は逃げるように。ギルドの転移門で他世界に飛ぶことをおすすめするよ」


 無差別な凍結ではない。空間全てを凍り付かせる埒外の魔法出力を誇りながらも、有機生命体を凍結対象から除外する緻密極まる術式構築。


 魔法の知識の有無に関わらず、一連の事象が超越した技能によって成されたこと、そしてエステラがその気だったのならとっくに命がなかったことを誰もが強制的に理解させられた。


「ぁ、ああ……!」

「……げろ。逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」


 瞬きをする間も無く足下を陽光を反射する溶けない氷に覆われた観客たちは、一人目の絶叫を皮切りに津波のごとくその場から逃げ出した。


 しかし、上空。

 一般人及び各世界の記者、要人の避難・逃亡が終わるのを待たずして数十発の弾道ミサイルが放たれ、エステラへと殺到する。


えーーー!」


 さらに、展開した歩兵が銃火器による全方位弾幕を展開。エステラをその場で塩漬けにした。


「我らの命をもって押し留めろ! 構造の軍人たるもの、世界を一歩先に進めるための軛となることこそ本懐である!」


 将校は自らもまたサブマシンガンに属する銃器を斉射し、ミサイル着弾までの僅かな時間を稼ぐために命を消費する。


「この女を! 我らの世界に仇なす敵を排除せよっ!!」


『イエス、サー!!』


 銃撃音に劣らぬ勇敢な声が決意を叫ぶ。


「——邪魔だよ」


 しかし、抵抗は意味をなさなかった。

 エステラが軽く指を鳴らした直後、彼女を中心に大輪の氷華が咲き誇り、全ての歩兵を等しく氷の棺に埋葬した。


 恐怖も、覚悟も、希望も、絶望も。

 エステラを前に皆等しく凍りつく。


 散華。

 エステラがもう一度指を鳴らすと、無数の氷華が種子を空へと飛ばし全ての弾道ミサイルを迎撃——ミサイルは全て、地上に届くことなく爆散した。


「……やっぱり、無限の欠片か」


 重厚で荘厳な駆動音が『構造世界』に響き渡る。


 首都ガーフール近郊の平原に鋼鉄の影が差した。

 

 刻一刻と影響範囲を広げる凍結世界の中であっても正しく排熱し大地の上を進む陸上機動要塞“ドミナント”。

 全長3kmを超え、無数の対竜兵器を搭載する戦略級兵器。


 それが、5基。


 一つ一つが城に匹敵する威容を誇る鋼鉄の要塞が地平線を遮る壮観な景色に、エステラは一瞬苛立ちを浮かべた。


もここまでくると清々しいね……悍ましい」


 竜の鱗すら貫く新型超音速砲が照準を合わせる中、エステラは緩やかに浮遊魔法を展開。操舵室と同じ高さまで身を運んだ。




◆◆◆




 ——ドミナント内部・操舵室。


「各機へのエネルギー供給率は?」


「エネルギーロス、いずれも5%未満。許容範囲内の数値で推移。動力炉は規定値を維持しています」


 陸上機動要塞“ドミナント”。

 現時点で建造され、実戦投入が可能な5基は、全てたった一つの動力炉によって稼働している。


 即ち、“無限の欠片”によって。


 エーテル増幅炉に付与された無限の概念は途切れることのない莫大なエネルギーを生成する。

 それは千を超える新型兵器を同時運用してもなお余りある、尋常ならざる力。

 エネルギー保存の法則を完全に逸脱した、欠片一つで均衡を破壊する文字通りの理不尽である。


「全砲門解放! 照準、【救世の徒】構成員!」


『イエス、サー!』


 一号艦に搭乗するヤウラス・フォード中将は右手を水平に構え、カッと目を見開き鬼気迫る表情で号砲を叫んだ。


えーーーーーーーっ!!」


 右手が振り上げられた瞬間、5基のドミナントが搭載する全ての超音速砲が唸りをあげ、竜の鱗すら貫く無数の砲弾がエステラへと殺到した。


「砲撃を止めるな! 砲弾製造、及び砲身冷却を最大出力で実行せよ!」


『イエス、サー!』


 陸上機動要塞ドミナントは、その内側に弾薬を製造する工場を有している。

 “無限の欠片”によって尽きることのないエネルギーを最大限活用し、要塞内部にて継戦能力を完結させたドミナント。それが5基、全ての火力がエステラへと降り注ぐ。


 危険度12〜13に該当する竜であれば、すでに二桁は討伐に至ったと確信できる過剰火力。それでも、ヤウラスは砲撃の手を緩めない。


「決して気を緩めるな! 相手は【救世の徒】だ! 単身とて甘く見てはならん!!」



 ——【救世の徒】。



 この組織は一般に知られていないと同時に、多くの世界の上層部はこの組織の名をよく知っている。

 これは、“概念”及び“概念保有体”という存在が一般には知られてないことが原因である。



 構成人数、及び本拠地不明。

 活動目的は、概念の蒐集。

 〈天穹〉という異名を持つ、卓越した空間魔法の使い手を基盤に全世界で暗躍している。


 七強世界が捜査網を敷いて長く、しかし未だに全容がつかめない謎多き組織である。

 が、七強の捜査網を掻い潜り続ける時点ですでに尋常ではない組織であることは確定的であり、概念を戦力として保有する各世界はかの組織を最大限警戒していた。


 それは、『構造世界』バンデスとて例外ではない。



 天地を震わせる怒号のような爆撃音が絶えず鳴り響く。

 エステラによって凍結された空間は超音速弾幕の余波と熱波で跡形もなく消え失せた。


 首都ガーフールの統制された壮麗な街並みは、突如巻き起こったにより見る影もなく荒廃した。


「ヤウラス中将! 砲撃の余燼で敵戦力の確認が出来ません! 一度砲撃を止めるべきかと——」


「ならん!!」


 部下の進言を一喝したヤウラスは、黒々とした煙の奥を睨みつける。


「彼奴は単独で攻め込んできた。陽動であればそれを成せるだけの実力が、そうでないのならばそれ以上の力を有している可能性が極めて高い! 〈異界侵蝕〉を、あの人の形をした災害を相手にしていると心せよ!!」


『……イエス、サー!』


 ヤウラスの過剰とも言える戦力評価に戸惑いの声が上がる。しかし、彼らは手を止めなかった。


 その評価と行動は極めて正しく。



 そして、どうしようもなく無意味だった。



「儚き花弁よ」


 瞬間、世界が止まる。

 あらゆる分子運動がされ、世界が擬似的な静止に追い込まれた。


「——命を蕾み、咲き誇りなさい」


 凛とした声が響き、黒煙が晴れる。

 ドミナントを凌駕する大輪の氷華が『構造世界』の生命を養分に咲き誇る。

 無数の氷の荊が大地を席巻し、生きとし生けるあらゆる命を吸い尽くす。


 無数の弾幕は空中で静止していた。

 千を超える砲弾が宙空を走る荊に貫かれ、意義を果たすことなく凍結し落下する。


「馬鹿な……」


 急激に冷え込むドミナント内部。

 無限の欠片による無尽蔵のエネルギー供給すら上回る絶対零度が瞬く間に生命活動を停止させていく中、ヤウラス・フォードは大輪の氷華の上に立つ魔女を視た。


「無傷、だと!? ふざけるなよ……!」


 透明なヴェールに覆われたエステラは、煤一つ被っていなかった。冷淡な金色の瞳がヤウラスを射抜く。


「ドミナント5基の総攻撃だぞ!? 竜すら屠れる火力だぞ!? それを、無傷で受けきっただと……!? この、化け物がぁ!!」


「いくら無限でも、所詮は欠片。爪の一欠片程度じゃ私には届かないよ」


 使い方が悪かったね、と涼しい顔でのたまったエステラが指を鳴らした瞬間、五つの氷山がドミナントの上空に生成される。


「対竜障壁、最大展か——」


「返してもらうよ」


 竜の爪を受け止める防壁を容易く破壊した氷山が、内部の軍人たち諸共5基のドミナントを圧砕した。

 生存者は、一人としていなかった。




◆◆◆




「……あったあった。ジーク、回収完了したよ」


 白く輝く絶凍の世界の中で、エステラはドミナントの残骸から脊椎のような形をした小さな欠片を拾い上げた。


 それこそが、今回彼女が目的とした、『始原世界』ゾーラから秘密裏に『構造世界』バンデスへと持ち込まれた“無限の欠片”である。


『では帰投しろ。後処理はこちらで済ます』


 魔法陣の向こうから響く尊大な声にエステラが片眉をあげた。


「もう? 残りも私がやっていいけど」


『必要以上にお前を見せびらかす必要はない。それに、最優先事項は“欠片”の回収だ。残党処理は下に任せろ』


「了解。それじゃ、あとはよろしく」



 魔法陣を霧散させたエステラは、そのまま虚空に消える。


 これより三時間の後、『構造世界』は星の上から姿を消した。

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