叩けば叩くほど

 巫女様……つまりキキョウと結婚しろ。

 いきなりそんなことを言い出したスミレを前に、俺は声を震わせた。


「お、お前……正気か?」


「狂ってするような話題じゃないでしょうが」


「それはそうなんだけどさ……」


 どうにも本気で結婚を提案してきていることが伺えるスミレの姿勢に、俺は背中に大量の冷や汗をかいた。


「で? どうするの?」


「どうするも何も……スミレ、なんで急にんなこと言い出したんだよ」


 俺は大いに混乱していた。

 なにせ、スミレは狂信と言っても過言ではないほどキキョウを敬愛している。そんな彼女がなぜ、急にキキョウとの婚姻を進言してきたのか、俺には皆目見当がつかなかった。


「政治利用される前に身を固めてほしいの」


 スミレは、しごく真面目な表情で言った。


「ほら、カルラの計らいでちょっと前から新聞が届くようになったでしょ?」


「ああ、引きこもる直前になんかやってたやつな」


「そう。それで思ったの。豊穣の地と巫女様は、極星にとって、手札として強すぎるって」




◆◆◆




 スミレの言葉は的を得ていた。


 世界全土を極寒の大地が覆う『極星世界』は、屋内の限られた施設でのみ、養殖や栽培が行われている。

 食料自給率が20%を下回っている極星は、良質な異界資源の輸出によって飢えを凌いできた。

 〈魔王〉を含めた四人の〈異界侵蝕〉を中心に構成される、《極光軍アウロラ》と名高き軍隊があるからこそ成り立つ生存戦略。


 しかし、ここに来て“豊穣の地”がその存在を公にすることが可能となった。


 繁殖の概念を統合しより強力になった豊穣の概念が根付く土地。

 極寒の凍土の中であっても豊かな生態系を形成するこの場所は、『極星世界』の未来を担うと言っても過言ではない。


 なぜなら、豊穣の地は将来的にという前提こそあるが、『極星世界』の食料自給率を100%以上に押し上げるポテンシャルを有しているのだから。




◆◆◆





「この地は豊かすぎる。同じ世界の中なのに、ここまで違う」


 スミレは新聞の一面を指差す。内容は、要約すると“第十一水耕栽培施設の長期閉鎖に伴う流通の変化”。

 斜め読みで大まかな内容を把握した俺は、スミレが危惧していることをなんとなく理解した。


「……キキョウが政争の道具にされるかもしれないって話か」


「そう。あともう一つ、魄明はくめいのことが明るみになったら軍事利用もされると思う」


「なるほど、な……」


 考えすぎではない。事実、この豊穣の地にはそれだけのパワーがある。今の均衡を一度にぶち壊してしまえるだけの恵み。言い換えれば、特大の爆弾。


 ポラリスは〈魔王〉を頂点に、各都市を諸侯が統治している。〈魔王〉ジルエスターの権威、カリスマは絶対的なものがあるが、彼は政治に関しては割と放任主義だ。

 最終的な決断を下す責任自体は負っているが、師匠曰く、敢えて悪く言うなら彼はに関しては放置する傾向があるそうだ。


 実際に話した経験から、俺は師匠の言葉をある程度真実であると疑っていない。


 つまり、各都市を治める諸侯の間での権力闘争に豊穣の地とキキョウが使われかねない。スミレはそう危惧していた。


「まあ、これはあくまでアタシの浅知恵程度の思考なんだけど……アンタはそこのとこどう思う?」


 スミレの問いに、俺はしばし黙考する。


「……ほぼ間違いなく、利権争いは起きる。現実問題、豊穣の地は……“概念を有した土地”はそれだけ世情を乱す力がある」


 外部の敵に手一杯なら話は別だが、豊穣の地はそれ自体が莫大な利益を生み出し、おそらく異界資源の輸出なしに『極星世界』を養うことができるだろう。

 そうなれば、世界はこれまでとは全く違う施作を取れるようになる。内部でのに興じる余裕が生まれてしまう。


 加えて、他世界へこの事実が伝わるのも時間の問題だ。世界の内外に関わらず、この地が持つ影響力はあまりにも大きい。


「要するにスミレは、“政略結婚”って道を潰しておきたいのか」


 武力による戦いの次は、政治という頭脳の戦場に。全く休む暇のない豊穣の地が被る可能性のうち一つでも消去したいのだろう。

 果たして俺の推測は正しく、スミレは首を縦に振った。


「半分は正解」


「もう半分は?」


「自由恋愛」


 スミレは、心底不服そうに表情を歪めながら「ぬぐぐ」と唸る。


「……ほんっっとに腹立たしいけど。巫女様、アンタとなら喜んで結婚すると思う」


「…………」


 俺は、そっと目を逸らす。


「その反応、自覚あるでしょ」


「……ああ」


 明確な恋愛感情、とまではいかないだろう。が、ただの知り合いや友人付き合いとして済ますにはあまりにも想いが強すぎる。だからこそ——


「それでも、結婚は無理だ」


 毅然と断った俺に、スミレが逆上することはなかった。

 半ば予想していたのだろう、深呼吸をひとつおいた彼女は、真っ直ぐに俺の両目を見る。


「……ごめん。恩人にこんな尋問めいたこと」


 スミレは苦悩の片鱗を滲ませながら、それでも彼女の守りたいもののために意思を貫き通す。


「結婚できない理由は?」


「最大の理由は、お互いに足を引っ張るからだ。キキョウが魄明はくめいの巫女で、俺がリステルの騎士でいる限り」


 どちらも守ることは、多分、できない。


「観魂眼の継承とリステルの庇護。俺とキキョウが夫婦になった時点で、二者択一を迫られる可能性が生まれる」


 今回の一件と、魄導の会得。師匠の推薦があれば、俺は『極星世界』の庇護をリステルに与えることができる可能性がある。


 キキョウは言った。自分の子に、魔眼を継承したくないと。目の光を奪いたくないと。


 平時であれば何事もないだろう。だが危機が迫った時、今回以上の何かが極星の光を脅かした時、選択しなければならない事態に直面する可能性は捨てきれない。

 そして、あの〈魔王〉は世界を守るためならどちらかを……最悪はどちらも切り捨てることができる。あれはそういう存在だ。


 俺とキキョウの結婚は、恐らく最悪に近い選択になる。


「俺も、キキョウやこの場所は守りたいと思ってる」


 だが択を迫られた時、俺が選ぶのはリステルだ。そこだけは絶対に揺らがない。


「だからこそ、結婚って選択肢は選べない」


「……そっか」


 スミレはひとつ、大きなため息をついた。


「それじゃ仕方ないかあ」


「悪いな、期待に添えなくて」


 俺の謝罪に、スミレは首を横に振った。


「いいよ。アンタが巫女様のこと蔑ろにしてるわけじゃないってわかったから。いざとなったら責任取るだろうなって」


「おい」


「取るでしょ?」


 スミレの問いかけに、俺は沈黙を選んだ。

 肯定も否定もしない俺の反応が満足いくものだったのだろう、スミレは「よし!」と膝を叩いて立ち上がった。


「時間取らせてごめん。話はこれでおしまいだから」


 家財を倒さないように慎重に立ち上がったスミレは、はたと何かを思い出したような表情で俺を見下ろした。


「……そういえばアンタ、“最大の理由は”って言ってたけど、他の理由はなんなの?」


「えっ……、俺そんなふうに言ってたか?」


 全くもって無意識だった俺はスミレの指摘に口元を抑えた。確かに他にも理由はあったが、無意識のうちにそれを勘定に入れるほどに自分の中で比重が大きかったことが少し意外だった。


「しっかり言ってた。なに? 言えない理由だったりするの?」


「いや、言えないってほどではないが……」


 全くもって問題ない……と言えば嘘になるかもしれないが、少なくとも話すだけで害になるようなものではない。


「まあ言ってもいいか。俺、婚約者いるんだよ」


「……、まじ?」


 絶句したスミレに、俺は嘘はないと頷いた。


「まあ、正確には条件付きなん——」


『——ちょっと待ったぁ!!』


「だけどぉ!?」


 俺の発言に、塀の向こうから四人、声を荒げた奴らが身を乗り出して俺に詰め寄ってきた。


「ええええええエトくん!? どっ、どどどどどどういうコト!?」


 狼狽するイノリ。


「エト様、詳しく説明してください。わたしは今冷静さを欠いています」


 真顔で詰めるストラ。


「エトォ! お前って奴は、お前って奴は! どこまで俺の先を行くんだ……!?」


 血涙を流すラルフ。


「婚約ってアレだろ!? 互いに将来を約束した男女の仲って奴だろ!!?」


 何故か辞書的補足をするスズラン推定80歳以上


 完全に油断しきって周囲の気配の捜索を怠っていた俺は完全に不意を突かれた形に仰天した。


「お前らいつから!?」


『最初から!』


「少しは隠すそぶりを見せろぁ!? ってかやばいやばい! そんなに詰められたら家財が——」


 身を乗り出すように距離を詰めてきたイノリたちから反射的に身をそらした結果——ドン、と。

 俺の背中が箪笥に激突し、ぐらりと傾いた。


『………………』


 俺たちが見守る先で、ゆっくりと、しかし激しく。

 家財諸々が音を立てて崩壊した。


『ぎぁああああああああああああああああああ!!?』


 青空に、約六人の情けない悲鳴が響き渡った。




◆◆◆




 その後、崩壊した荷物の山からなんとか脱出した俺たちはそれぞれの持ち場へ戻る——なんてことはなく。


「それじゃエトくん。さっきの、詳しく説明して」


「何やら気になる話をしていましたので、拙もご一緒しますね」


 何故かキキョウも追加した面々によって拘束された俺は、「婚約者」発言に関する説明を余儀なくされていた。

 もはや逃げる術はなし。観念した俺は、素直に打ち明ける道を選んだ。


「ミゼリィ会長って覚えてるか? イノリたちには前に『花冠世界』で話したんだけど」


「確か、エトくんが学園に通っていた時の先輩だったっけ?」


「そうそう。俺が野垂れ死にしないように取り計らってくれた恩人」


 冗談抜きで、ミゼリィ会長がいなければ俺は雨風を凌ぐ場所がなく浮浪者のような生活を余儀なくされていただろう。


「んで、会長は卒業した後騎士団に入団したんだけど、暫くして結婚が決まったんだよ」


『ふむふむ』


「ただ、家の意向が強く働いた結果の縁談で、会長自体は乗り気じゃなかったんだよ。まだ騎士を続けたいって言っててさ」


『ほうほう』


「だからアルスと式場乗り込んで結婚式ぶち壊して、会長攫って縁談を御破算にしたんだよ」


『ちょっと待て!』


 皆揃って食い気味にツッコミを入れ、キキョウも「まあ」と驚いた声を出していた。


「学生時代のエトくんなに考えてんの!?」

「エト様、気のせいでなければ、ミゼリィさんは貴族だったかと……」


「だな。だからまあ、死ぬほど怒られた」


『怒られただけで済むんだ……』


 そこは当時の俺も思った。が、何故か「命で償え!」なんて展開になることはなく、特段それより大きな動きはなかったというのが現実だ。


「それでエト、この話とお前の婚約になんの関係があるんだ?」


「早い話、縁談ぶっ壊した責任を取ることになってだな」


 会長の縁談は一度白紙になった——どころか、「シバリエ家の娘は王族すら恐れない狂犬を飼っている」という事実に基づいた噂が立ち昇ってしまった。

 結果、俺と、主に暴れ回ったアルスを恐れた貴族の男たちが軒並み逃げ出し、以降、縁談の音沙汰がなくなってしまった。


「ってなわけで、会長が25を迎えるまでに相手が見つからなかった場合、責任取って俺が婿入りすることになったんだよ」


 二年の終わりの話だったから、あれからもう三年。約束の期限まであと三年ほどだろうか。


「学友のこと問題児呼ばわりしてたけどさ。エトくんもかなり無茶苦茶してるよね?」


 イノリの非難の視線から逃げるように視線を明後日の方向へ投げ飛ばした。


「ま、まあ俺のやらかしはいいんだよ。で、会長に縁談来なくなったのは50%俺の責任だからさ」


「もう半分は?」


「アルスの責任」


「死んだ親友に押し付けんなよ……」


 そうは言っても、あの時は下手すればアルスの方が乗り気だったというか、真剣だったというか。

 学内で唯一気兼ねなく話せる同性の相手が会長だったこともあり、熱が入っていたのだ。


「ってなわけで、責任を取らざるを得なくなった。俺がいない一年の間に状況が変わってない限り、約束は有効だから——」


「エトくんは実質的に婚約者がいる状態ってことなんだね……」


「ってことになるなあ」


 いつの間にか増えていた鬼人族の聴衆含め、全員が盛大にため息をついた。


「エトくん、まだなんか言ってないやらかしある?」


 この際全部吐いちゃえよと言いたげなイノリの視線を受け、俺は暫しの間目を閉じた。


「……どれから話せばいい?」


『えっ、複数個あるの!?』


 暫くは酒のつまみに困らなさそうだ、と俺を酒の肴にする気満々な鬼人族たちの楽しげな会話に頬を引き攣らせる。

 キキョウに救助の視線を送るが、朗らかな笑顔と人差し指のバッテンでやんわりと拒絶されてしまった。というか……


「というか、お前ら全員作業はどうしたんだよ! めちゃくちゃほっぽり出してるじゃねえか! 俺に話させる前にやることあるだろ!」


 再開発作業を投げ出して尋問の観覧に来ていた鬼人族たちは朗らかに笑い、 「面白そうだったからな!」、「急ぐ必要はあるが慌てる必要はないからなあ!」などと全く悪びれる様子がなかった。


「そりゃそうなんだが……」


 ゆっくりでいい。のんびりでいい。今までは得られなかった安らぎに存分に浸ればいい。

 が、それはそれとして俺ばかり玩具になるのは納得いかない。と言うわけで何かしら彼らの弱点を探りたいところだ。


「——んだ! 大変だぁ〜〜〜!!」


「……うん?」


 どこから切り崩したものか、なんて考えていると、夕刊を手に持った鬼人が血相を変えて走ってきた。

 物質転送魔法によって配達されるようになった新聞。

 長いこと外界との接触を絶っていた豊穣の地にとって、新聞は貴重な情報収集源兼娯楽となる。


「どうした?」

「何が書いてたんだ?」

「落ち着け落ち着け、俺たちゃ逃げねえから!」


 慌てて走ってくる同族の尋常じゃない様子に、俺への興味を薄れさせた奴らが息を切らした男を出迎えた。


「こ、これを! これを見てくれ!!」


『どれどれ……はあ!?』


 折り重なるように身を寄せ合い、我先にと新聞を覗き込む。その一面に載っていた情報は、全員を驚愕させるのに十分なものだった。



 “——『構造世界』バンデス滅亡。実行犯は単独戦力か?”



 それは、一つの大世界と、それに連なる多くの命が終わりを迎えたという報せ。

 小世界の滅亡は、滅多にない話ではあったが数年単位で起こっていた。事実、『絡繰世界』カロゴロのによって少なくない小世界が犠牲になっている。


 しかし、大世界は違う。大世界に名を連ねる土地は、三百年以上もの間不変を貫いてきた。


 そんな世界の一つが滅びた。




 ——“構造崩壊”。


 後にこの事件はこう呼ばれる。

 安定と停滞に包まれていた星に、史上最大のうねりを生む決定的な一手が打たれた瞬間だった。

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