振り出しに戻る

 ページ舞い散る世界の上で、俺は黒髪赤角の鬼人……スイレンと対面しながら今一度ガッツポーズを決めた。


 スイレンが男だった。それは俺にとって大きな意味を持つ。


「これでようやく……! 男女比が対等になった!!」


 これまで、俺の内側で形を得ていたのはシャロン、エルレンシア、無銘の3人。

 性別不詳の無銘を筆頭にした名もなき魂たちはノーカウントとして、俺の魂の男女比は男1に対して女2……元の性別が敗北するというとち狂った状況だった。


 が、ここにきてスイレンとの接続が叶ったことで男女比が1:1に、ようやく対等になったのである。


「なんで俺男なのに振り出しに戻って喜んでんだふざけんじゃねえ!!」


 魂の男女比で喜ぶってなんだよ意味わかんねえよ、と勝手にキレ散らかす俺に、スイレンは大きな声で笑った。


「はっはっは! 時折観測していたが……うむ。やはり愉快な継承者であるな!」


 背に長大な薙刀を背負う鬼人は、大きな手のひらを俺に差し出す。


それがしの名はスイレン。初めましてだ、継承者エトラヴァルト」


「ああ。初めまして、〈鬼王〉スイレン」


「はっはっは! なんとも仰々しい名前よのう!」


 鬼人は豪快に笑い、舞い散るページに刻まれた自身の物語に目を通す。


「そうか……某はこの地を守れたのか」


 そして、心の底から安心したと言わんばかりに大きく息を吐いて肩の力を抜いた。


「感謝するぞ、エトラヴァルト。この地を訪れてくれたことに」


「アンタは、行く末を知らなかったのか」


 頷く。


「然り。某は魂の一片残らずを竜を退けることになげうった。背を向けないというのは、即ち振り返らぬと同義。某は、いつ己が死んだのかを、こうして残滓となってから知ったのだ」


 ……壮絶な人生だ、と思った。


 生半可な覚悟ではない。死地に赴くとか、そういう次元の話ではない。

 その歩みは、戦いは。自らの命と引き換えに未来を戦いだ。そして、その戦いはこの“豊穣の地”に留まらない。公的記録に残らなくても、ほとんどの人が知らなくても。


 この《英雄叙事オラトリオ》は記録している。

 〈鬼王〉と呼ばれた男の壮絶な生涯を。誇り高き武人の生き様を。世界を守った、英雄としての輝きを。


「アンタは『極星世界』を守った英雄だよ、スイレン」


「……そうか」


 スイレンは一度顔を伏せた後、次に目を合わせた時は、ニヤリと不敵に笑っていた。


「そう褒めそやされるのは、存外悪い気分ではないな!」



 その後しばらくは、過去の豊穣の地についての物語を聞いていた。

 豊穣の地自体は繁殖の異界が出現する以前から存在していたそうで、規模はもっと大きかったとか。外からの客人が割と頻繁に来ていたとか。歴代〈魔王〉の中にはこの豊穣の地出身の者がいるとか。



「ふむ……某たちの会話を盗み聞くは何者か?」


「ああ、多分キキョウだ。観魂眼を持ってるからな。今、俺の魂に触れてるんだと思う」


「それは……貴殿、中々大胆なことをするな」


 竜と対峙した英雄であっても、魂を他人にまさぐらせるのは正気の沙汰ではないらしい。スイレンは『想像しただけで寒イボが立つぞ』と肩をすくめていた。


 その話の流れで、俺はスイレンに問う。


「なあ、スイレン。アンタは魄導について知ってるか?」


「恐らく、感覚的には知っている。某はついぞ会得することはできなかったがな」


 スイレンは自分の胸に手を当てる。


「魔力、闘気……それらの先。否、そのに何かがあることはわかっていた。死の間際、そこに触れたような気もする。だが、名を与え、技術として振るうことは某には叶わなかった」


 その声には、後悔とは違う、高みに届かなかった悔しさが滲んでいた。


「魄導なしで、竜の軍勢に抗ったのか」


「繁殖の竜は、どうやら他の竜とは毛色が違うようでな」


 舞い散るページに刻まれた物語たちに目を移ろわせ、スイレンはその差異を語る。


「繁殖は、群体が本質のようでな。個を極めた他の竜とは根本的に違うのだ。竜、単独での脅威を語るなら、貴殿が相対した“カンヘル”や、無銘殿が斬り伏せた竜の方がよほど恐ろしい」


 スイレンは、「某では勝てなかっただろうよ」と力なく肩をすくめた。


「純粋な力量であれば、スズランやスミレ……某の遥か未来の同族の方が優れている。それほどまでに魄導は遠く、そして凄まじい」


「スイレン、俺は……」


 言いかけて、やめる。「俺は魄導を会得できるか?」そう聞こうとした自分を必死に律して、その言葉を飲み込んだ。


「……いや、なんでもない」


「ふむ……」


 顔を伏せる俺の前で、スイレンは何事か思考する。そして、こう言った。


「エトラヴァルトよ、存分に悩むといい。悩みは、生者の特権だ。世界と他者。自分以外の森羅万象と触れ合える今を生きる者にしか、心を蝕む苦悩は生まれぬ」


 悩むこと、迷うことは悪ではないと〈鬼王〉は笑う。


「足掻き、知恵熱が出るまで考えればいい。その果てに答えを得たのなら、それは何物にも変え難い、揺るがぬ信念となろう」


 立ち上がったスイレンは、大きな手のひらで俺の頭をガシガシと乱暴に撫でた。


「某が言えるのはここまでだ。ではな、継承者。またいつでも話しに来ると良い」


 それだけ言い残して、スイレンはページの上から姿を消した。


「悩むのは生者の特権、か……」


 残された俺はしばらく物語たちをぼんやりと見届けてから、多分俺を呼んでそうなキキョウの気配に意識を浮上させた。




◆◆◆




 大広間の端に芋虫がいた。

 うぞうぞと床に顔面を擦り付ける銀の芋虫の放つ陰気にイノリが頬をヒクつかせる。


「ねえキキョウさん。あれはなにごと?」


「ええと……不慮の事故、でございましょうか」


 魚の煮付けから慣れた手つきで骨を取り除きながら、キキョウは少々困ったような笑みを浮かべた。

 対面に座るラルフは米をかき込んだ後、珍しいものを見る目を芋虫に向ける。


「珍しいな、エトがあんな様子になるの」


 精神力の怪物、メンタルお化けと呼んでも誇張表現にならない心の持ち主であるエトが怪我以外の理由で伏すのは、彼らにとって中々珍しい光景だった。


あんちゃんどしたー?」

「体調わるいのかー?」

「フラれたのか? 元気だせー?」


 早々に夕食を食べ終えた三姉妹につつかれ「うぬぁ……」と呻き声を出す芋虫エト


「キキョウさん、具体的にはなにがあったんですか?」


「そうでございますね……まずは、羽織の件から説明いたします」


 あら汁を啜って一息ついたストラの疑問に、キキョウは順を追って説明を始めた。




◆◆◆




 エトがスイレンとの対話を終えて目覚め、夕食の準備を済ませた後のことである。キキョウはなんとなく魔眼を開き、エトの魂を観測した。


「あの、えと様」


 その声は、とても、とても苦悩に満ちていた。


「どうした? 膝枕したくなったか?」


「いえ、膝枕ではなく。あの……後ほどお願いいたします」


「おう」


 頬を軽く朱に染めたキキョウは、「そ、そうではなく!」と珍しく大きな声で話題の転換を図った。


「あの、えと様の御魂、なのですが……」


「……なんか、不味い?」


 後にエトは、『この時、直感がギャーギャー喚いていた』と語る。


「はい。その……戻って、おります」


「戻って?」


「はい。元通りに、なっております」


「……どういうことだ?」


 エトは口の中がからからに乾いていくのを感じた。それより先に待っているキキョウの言葉が、どう足掻いても良い方向ではないことが明白だったから。


「すいれん様と繋がったから、でしょうか。帯が再び……いえ、おります」


「…………」


「…………」


「…………」


 後にキキョウは、この時のエトの表情を、死んで一ヶ月ほど経った魚のようだったと評した。


 藁にも縋る思いでエトが問う。


「それは……三歩進んで二歩下がる的な?」


 キキョウは、首を横に振り、残酷な現実を告げる。


「三歩進んで十歩下がる、が適切かと存じます」


「………………。おやすみなさい」


 糸が切れた人形のように、エトはその場に崩れ落ちた。


 魂の内側で、「いやあ、失態失態」と頭を掻くスイレンがいた。




◆◆◆




「つまり、エトくんのこれまでの修行が全部ぱあになっちゃったってこと?」


「端的に申し上げますと、その通りでございます」


 〈鬼王〉スイレンとの接触は、ただ単純に変身先が増えたというだげでは終わらなかった。


 閲覧できる記録が増えたとは、とどのつまり、《英雄叙事オラトリオ》とエトラヴァルトの境界がより曖昧になったことを意味し、その結びつき、絡まりはキキョウが触れるのを躊躇うほど複雑化した。


「正直に申し上げますと、今まで通りの“線引き”ではえと様はいつまで経っても魄導の会得ができないかと」


「あー、キキョウちゃん。俺たち見えないからわからないんだが、エトの魂ってどんな感じになってんだ?」


「皆様の御魂を“球”と称するのであれば、えと様の御魂は“毛糸玉”でしょうか?」


『うわあ……』


 3人揃ってドン引きだった。

 複雑に絡み合った魂の形を想像した各々は、進展が微妙な自分たちの鍛錬と重ね合わせ、エトに労いの視線を送った。


「失礼するわよ〜……って、なによこのジメジメした空気は」


 屋敷に帰ってくるや否やどんよりとした空気に晒されたカルラが露骨に顔を顰める。


「なんか珍しい奴が落ち込んでるわね。その姿勢でも聞いてるだろうから、聞き耳立てときなさい」


 どこか切羽詰まった様子のカルラに、キキョウを除く3人が自然と息を呑んだ。


「ワカバ、フタバ、ヨツバ。お母さん呼んでるから今日は帰りなさい」


「「「はーい!」」」


 カルラの言葉に素直に従った三姉妹がぱたぱたと音を立てて大広間から姿を消したのを見届けて、カルラの視線が鋭くなる。


「予兆があったわ。明日、繁殖の侵攻がある」


「カルラさん、なんで俺たちにそれを……?」


 過去2回の侵攻に、ラルフたち四人は関わっていない。にも関わらず、夜にわざわざその事実を伝えに来たことにラルフは違和感を覚えた。


「なんで、ね……まあ、端的に言えばあんたたちにも防衛に参加してもらうからよ」


『……!』


 大広間に緊張が走る。きっと表情を引き締めたキキョウがカルラを見上げた。


「かるらちゃん、それはつまり……」


「ええ。ここ最近、積雪量が減少し続けている。周期的に見ても、間違いないわ」


「……わかりました」


「ちょ、ちょちょちょっと待って! ごめんカルラさん、キキョウさん! 私たち全然理解できてないんだけど!?」


 肝心な部分をぼかして喋る二人にイノリが疑問符を浮かべながら割って入った。


「私たちにもわかるように説明して欲しいんだけど…… 」


「……、そうね。悪かったわ」


 ため息を一つついたカルラは空いた座布団に腰を下ろす。


「動物や虫に繁殖期があるのは知ってるわね? 当然、“繁殖の竜”はその概念を包括するわ」


「つまり、“繁殖期”が来たんですね?」


 察しのいいストラにカルラが頷く。


「ええ。ついでに言うと、この繁殖期が最も竜の侵攻が激しい時期よ。ってことで、一人でも多くの手を借りたいのよ」


「本来、お客様である皆様方の手を煩わせるわけには参りません。……しかし、此度の繁殖期は普段のものとは違うのです」


「普段の……待ってください。普段、繁殖期はどれほどのスパンで来るんですか?」


 神妙な面持ちのキキョウの発言に、嫌な予感を覚えたストラが深く踏み込む。


「普段は、3〜4年にございます。しかし、此度の積雪量減少、及び豊穣の地の敷地面積減少は例年のそれらとは比較にならないものでございます」


「……繁殖は、数百年単位で全盛期を迎えるわ」


 喉から無理やり声を絞り出すように、皆に見えないように机の下で手のひらが破けんばかりに拳を握りしめたカルラが説明を引き継いだ。


「ごめんなさい。あんたたちを巻き込むつもりはなかったんだけど」


「——大丈夫。んなもん織り込み済みで来た」


 端で芋虫になっていたエトラヴァルトが、額に畳の跡をつけながら起き上がった。


「元々竜と戦うって話だったろ、師匠。今更遠慮しないでくれ」


 エトの言葉に、イノリたちも首を縦に振る。


「このままじゃ殆どニートだからね! 私たちも働かないと!」


「鍛錬してるって言っても、俺たちそれ以外は食って寝るだけだったからな」


「ご恩は必ずお返しします」


 迷わず戦線への参加を表明した四人に、カルラは強く目を瞑り、真剣な表情で頭を下げた。


「ありがとう。よろしく頼むわ」

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