〈鬼王〉

 個別鍛錬開始から1週間。定期的に来るという繁殖の侵攻は再び師匠たちによって退けられ、その間、俺たちは変わらず鍛錬に勤しんでいた。


 他の三人の鍛錬内容は知らないが、俺のやることは変わらない。今日も今日とて激痛に耐えながら魂をまさぐられるのみである。


 ……が、ひとつだけ明確に変化したことがある。


「なあ、キキョウさんや」


「なんでしょう?」


「君はいつまで俺の膝を占有するのかな?」


「ふふ。魔眼を開くのは疲れますゆえ」


「答えになってないんだよなあ」


 当初、鍛錬にはキキョウの体力的な問題及び俺の魂の疲弊を加味して、一日3時間という制約が存在した。

 が、皆で大広間で鍋をつついた翌日以降、鍛錬時間は4時間に伸び、鍛錬後、キキョウが俺の膝を枕にして休憩するようになった。


『ひとつ、わがままを言ってもいいでしょうか』


 こう切り出したキキョウの、本来部外者である俺のために眼を開き鍛錬を手伝ってくれている彼女の頼みを断ることなどできるはずもなく。

 なんかなし崩しで膝枕が定着してしまっていた。


 縁側で横になったキキョウの髪を漉きながら、水面を跳ねた魚の行方を追う。

 遠くから聞き覚えのある悲鳴が二つほど聞こえてくるのはきっと気のせいだろう。


「こんなとこスミレに見られたら殺される……」


 まず間違いなく土に埋められてしまう。いつだったか、『花冠世界』でラルフがなっていたような根菜類の真似事をするのは御免だ。


 想像して身震いする俺を下から見上げたキキョウが、くすくすと上品に笑う。


「すみれ様は拙を好いてくれていますからね」


「わかるのか……いやわからないわけないか」


 本人を前にしても衰えることのなかった、むしろ激化したスミレの姿を脳裏に浮かべた。


 環境音と無視するにはやや悲鳴がすぎる声を聞き流しながら、穏やかな表情で目を閉じるキキョウに問いかける。


「膝枕、やってみたかったのか?」


「……はい。憧れでした」


 吐息混じりの肯定が返ってきた。

 視線を落とすと、何故だろうか。盲目なはずの少女とが合ったような気がした。


「拙にはもう、血の繋がった肉親がおりません。母は拙にこの眼を託し天寿を全うしました。父と兄弟は皆、竜との戦いで役目を果たし英霊となりました」


「兄弟も、いたのか」


「はい。兄が四人、弟が一人。弟は、初陣で命を落としました」


 なんでもない風に、自然体で。あくまで淡々と事実だけを話すように。

 キキョウはそっと身を起こした。


「誰かに、甘えてみたかったのです」


「家族と、仲悪かったのか?」


「いえ。そういうわけではございません」


 キキョウは、少し恥ずかしそうに言った。


「拙は、その……幼年の頃から“気遣い”ができました」


「なるほど。邪魔したくなかったのか」


「はい。拙が魔眼を継承してから暫く、すみれ様が開花なさるまで、魄導の使い手はすずらん様とお爺様のお二人でした。お爺様は実質的に前線を退いておいでですので、戦えるお人はすずらん様しかいない……そんな状況が続いていました」


 それは、ひどく苦しい時間だったとキキョウは振り返る。


「今でこそ、すみれ様のおかげで両翼が安定し無傷での勝利も少なくありません。ですが、それ以前は常に苦戦を強いられていました」


 怪我人が出るのは当たり前。死者もいた。

 500人いた鬼人族はほんの十年で400人弱にまで数を減らしたのだと、キキョウは静かに語る。


「先代巫女である母と、最前線で戦っていた父や兄、そしていち早く前線に加わりたいと勇んでいた弟は、毎日気絶するまで体に鞭打ち鍛錬に没頭していました。ちょうど、えと様のように」


「……俺、そこまでしてたって言ったっけ?」


「かるらちゃんが教えてくれました」


「師匠……余計なことを!」


 最近ふらふらと姿を見ない師匠に拳を握りしめた。


「まあいいや。……お前の母さんも、魔眼の代償はあったんだな?」


「そうでございますね。母も、魔眼の使用により著しく体力を消耗しておりました。それでも母は守護のために眼を開き続け、命を削り続けました」


 ——そして、それは間に合わなかった。

 キキョウの父と兄、そして弟は戦いの中で死に、無理が祟った母は早逝したと、感情の抜け落ちた声が語った。


「拙は後悔しています。あの時、わがままを言ってでも引き止めるべきだったのではないかと」


 疲労は、限界に達していたことだろう。大氾濫スタンピードにも引けを取らない侵攻を定期的に受けるなど、常人が聞けば発狂してしまいかねない。さらにそんな環境に身を置き続けるなど、正気の沙汰ではない。


「拙は……拙はもっと、母の手の温もりを感じていたかったのです」


 多分、俺よりも年上の鬼人族の少女は、涙を流さず、小さく鼻を啜った。


「この屋敷は、二人では大きすぎます」


 夕焼けに照らされるその姿は、ひどく儚げで。目を離せば消えてしまいそうなほどに淡い色をしていた。


 俺は、そっとキキョウの肩を引き、抵抗のない少女の頭を自分の膝枕に押し当てた。


「……! えと、様?」


「今、無理させてる俺が言うのも変な話だけどさ。俺たちには、好きに甘えてくれていいから。肉親でも、同族でもないけど、今は、ここに居候させてもらってるから」


「……よろしいのですか?」


 返事は当然、一つ。


「もちろん。というか、既に膝枕は許可してるわけだし。おんぶに肩車くらいならいつでも受け付けるぞ」


 俺の方が年下だろうけど、という発言は胸にしまっておく。

 キキョウは暫し、珍しくぼーっとしたように沈黙した。そして、


「拙はもう、肩車で喜ぶ歳ではありませんよ」


 と、ふわりと笑った。




◆◆◆




 皆で夕食を共にするようになってから、もっぱら、夕食は俺とキキョウが二人で作るようになった。

 というのも、鍛錬の性質上俺たちは他6人と比べて自由時間が多い(なお疲労は考慮しないものとする)。人数分の食事を用意するとそれなりに時間がかかるということで、その担当が俺たちに割り振られた。


 これは完全な余談だが、俺たち四人分の消費が増えたところで食料自給率が落ちる——なんてことは全くなかった。

 流石は“豊穣の地”と言うべきか作物の育ちは良く、領域内には草食系の動物が群れを築き、挙げ句の果てには魚類を始めとした水生生物が育つ水源、湖、川まで存在する。


 この極寒の大地の中にポツンと一つ、完成された豊かな生態系が存在するのだ。全くもって出鱈目……“概念保有体”の恐ろしさ、その面目躍如である。


「なんならリステルよりも豊かじゃねえか? ……いやいやそんなまさか」


 流石にそんなことはないと言いたいところだ。我らがリステルは世界の格としてはクソ雑魚もいいところだが、あれで自然は豊かで良いところなのだ。俺が一部から“野生騎士”と揶揄される程度には自給自足が成立していた。


「さて、必要な野菜は……」


 大人数を用意するのに手っ取り早いのは鍋のような大釜料理なのだが、鍋以外を食べたいという要望が入ったため今日は野菜の炊き込みご飯である。


 庭(超広い)の一画にある家庭菜園の畑(超立派)から必要分の野菜を収穫する。

 なんとなくイノリあたりが足りないと訴えてる気がするが、その場合はきゅうりなんかを生で齧らせよう。塩揉みしとけばそれだけで美味確定だ。


「こんなもんでいいかー?」


 魚の下拵えを終えたキキョウに声をかけるが返事がない。


「キキョウ……?」


 包丁を滑らせ怪我でもしたのか? と近寄るも特に外傷はなく。


「おーい?」


 声をかけて暫く待っていると、ハッとしたように肩をビクッと上下させた。


「すみません。少々ぼーっとしていました」


「謝んなくていいよ。下拵え疲れただろ?」


「そうでございますね。皆様たくさんお食べになりますし、10人分となると少々くたびれました」


 10人……あの三つ子また来るのかよ。


 二日に一度のペースで襲来する嵐に顔を顰めると、魔力で俺の表情の変化を読み取ったのか、キキョウが朗らかに笑った。


「えと様はあの子たちに好かれていますね」


「おもちゃ扱いじゃね?」


「ふふ。そうかもしれません」


「否定してほしかったなあ!」


 そのまま、時間に少し余裕があるということで二人揃って大広間で休憩する。

 雑談の中で、俺はふと気になったことを尋ねてみた。


「なあ、キキョウ。この部屋の壁にかかってる羽織、誰のものなんだ?」


 それは白色の綺麗で、どこか力強さを感じさせる羽織。

 大広間の壁にたった一着だけ掛けられている異質さこそありながら、何故か景観の邪魔をしない不思議な調和があって今日までとりたてて確認してこなかった。が、疑問は疑問だったために聞いてみた次第である。


「羽織……ああ、左の壁のものでございますね」


 立ち上がったキキョウは淀みなく壁へと歩き、羽織を取って俺の前へと持ってきた。


「これは、鬼人族の英雄……すいれん様のものです」


「スイレン……?」


「はい。二千年前……単身、繁殖の竜を退けた英雄にございます」




◆◆◆




 それは、御伽話のような過去。


 滅亡惨禍の終息を皮切りに世界中で増加した異界。繁殖の竜もそのうちの一つである。

 スイレンは、異界の侵攻に対する備えが全くできていなかったこの豊穣の地でたった一人、抗い続けた。


 来る日も、来る日も、絶えず遅い来る繁殖の群れに薙刀を振るい、その剛力をもって竜の軍勢を蹴散らし続けた。



 その果てに、彼は両の足で立ったまま。決して群れから背を向けることなく、ただの一体も竜を通すことなく命を散らした。



 その身は、生涯ただ一度も竜から傷を受けず。

 命尽き果て、「侵略への備えができるまで耐える」という使命を全うした。


 鬼人族たちは奮起した。英雄の身を蹂躙させてなるものかと。我らが誇り高き戦士の亡骸に傷一つ付けさせてなるものかと奮い立った。


 そうして繁殖の竜の侵攻は退けられ、豊穣の地は『極星世界』の地図から消失した。




◆◆◆




「今、豊穣の地がこうしてあるのは、すいれん様のご活躍があってこそなのです」


 キキョウは冷え性の手で白い羽織を優しく撫でる。わざわざ護符により状態保存の魔法までかけられている羽織は、2000年前の英雄のもの。


「えと様の《英雄叙事おらとりお》には、様々な英雄様方が名を連ねているとお聞きしました」


「そうだな。シャロンにエルレンシア、無銘も……みんな英雄だ」


「でしたら、すいれん様もそこにいらっしゃるかもしれませんね」


 冗談めかして笑うキキョウに、俺もつられて笑う。


「どうだろうな。こいつ結構選定基準曖昧みたいだし……」


 そこまで言いかけた時、俺の心臓が一際強く跳ねた。

 そこから生まれる熱には、強い心当たりがあった。


「…………マジ?」


 胸に手を当て硬直する。


「えと様? どうかなさいましたか?」


 魔眼を開いていないからわからないのだろう、突然黙った俺を心配するようにキキョウが小首を傾げた。


「いや……これ、もしかして」


 ——なんとも懐かしい地でありますな。


 そんな声が響いた瞬間、俺の胸の内から膨大な数のページがひとりでに躍り出た。


「冗談のつもりだったんだけどな……!」


 何故だろう、本の内側でシャロンやエルレンシアが笑ってる気がした。

 懐かしい、自分の身が置換されていく形容し難い違和感に包まれる。魔眼を開いたのだろう、キキョウが「まあ……!」と珍しく驚いた声を出していた。


 拡散し、収束する。

 そこには、艶やかな黒髪と、前髪をかき分けるようにして生える二本の立派な赤い角を生やした鬼人……〈鬼王〉スイレンが立っていた。


「…………」


「えと様……?」


「…………った」


 スイレンの身を得た俺は、静かに天井を見上げ。


 そして、渾身のガッツポーズを決めた。


「——ぃいやったあああああああああああああああああ!! 男だぁあああああああああああああああああああああ!!!!」


 屋敷が震えるほどの、雄叫びのような歓声に。


 キキョウが「まあ」と驚き、


「貴殿、第一声がそれはどうなのだ……?」


 と主導権を受け取ったスイレンが困ったように呟きを漏らした。

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