極星の洗礼

 ——『極星世界』ポラリス。

 七強世界に名を連ねる、〈魔王〉が統べる星の極北に位置する世界である。


 『羅針世界』ラクランでの諸々の審査を無事通過した俺たちは、“北斗”と呼ばれる極星と羅針を繋ぐ列車に揺られ世界間を通過——無事、ポラリスの玄関口である第一都市カティーシャに到着した。


 その、第一声。


『さっっっっっっっっっっっっっっっむ!!!!?!?!?』


 暖房の効いた列車から降りた直後、俺たちは極星の洗礼とも言える極寒の吹雪に身をさらされ絶叫した。


「エトくんこれは緊急事態だから!仕方ないから!」

「すみませんエト様応急処置です!!」


「やめろ寄るな! 氷を押し付けるな!!」


 寒さに耐えるために一瞬で全身を密着させてきたイノリとストラ。

 だが悲しいかな。すでに極寒により冷え切った外皮及び衣服で身を寄せ合っても僅かに露出した肌の一部に衣服が擦れ、余計寒さに震えるだけだった。


「ラルフ! 火! 火寄越せ今すぐに!!」


「ここ魔法禁止って言われたろ! あと俺が暖まらねえじゃん!! 無駄働き反対!!」


 列車から降りてすぐに駅のホームでわーぎゃーと騒ぐ迷惑極まりない俺たち。

 しかし、駅員や他の乗客たち、挙げ句の果てには後ろから降りてきた師匠まで、揃って微笑ましい視線を送るばかりである。



 目につく限りの一面の白銀世界。空の蒼と雪の白が天地の境を曖昧にしていた。

 『極星世界』ポラリス、その最大の特徴はなんと言っても圧倒的な寒さにある。


 世界全土の年間平均気温はマイナス28℃。地域によっては年がら年中吹雪という、「ここは異界か?」とツッコミを入れたくなるようなとち狂った気候をしている。


 そんな『極星世界』だが、この世界を統べる〈魔王〉をはじめとした統治者側はかなり良い性格をしているらしい。


 必死の思いでホームから足を運び、よく温められた快適な駅構内に足を踏み入れた俺たちは、既に半死の状態で師匠による“ネタバラシ”を受けていた。


「要するに、アレは一種の歓迎と親切心よ。最初にこの世界の外気を知ってもらうのよ」


 『極星世界』は他世界とは比べ物にならないほど寒い。そんな世界になんの対策もなしに放り出すのはあまりにも申し訳ない。


 ——



「「「「バッカじゃねえの!!?」」」」


 俺たちの渾身の怒りに、師匠は苦笑いしながら頷いた。


「概ね同意するわ」


 一応駅にはもしもの際に対応できるように医療班が待機しているらしく、そもそも列車内でちゃんとアナウンスがされるんだとか。


 ここまで聞いて、俺は「おや?」と首を傾げざるを得なかった。


「なあ、俺たちそのアナウンス聞いてなくね?」


「そうだね」

「だな、聞いてねえ」

「ですね、初耳です」


 揃って師匠を見ると、つう——と視線が明後日の方向に飛んだ。


「「「「アンタも実行犯じゃねえか!!」」」」


 食ってかかる俺たちを右手と鞘に収まった小太刀一本で押し留めながら、師匠はカラカラと笑いながら謝罪の言葉を述べる。


「ごめんごめん! あなた達が来るって話したら、『だったら脅かしてやろうぜ』って上が言ったのよ! ほら、アイツが仕掛け人」


 全くもって楽しそうに笑う師匠。彼女が指差した背後から、ド派手な色使いのスーツを着こなした大柄な獣人がやってきた。


「ガッハッハ! 威勢のいい客人じゃあねえか! なあカルラ!」


 真白の鬣を持つ白狼の獣人が人目を憚らず大声で笑う。

 その声に気づいた人たちが笑みを浮かべ、手を振った。


「〈魔王〉だ!」

「魔王様!」

「おはようございまーす!」

「今日もおサボりですかー?」

「相変わらず悪趣味ですなあ!」


 次々に飛んでくる野次のような言葉に「うるせえ! 散れ散れ!」と楽しそうに答えた獣人は、人好きのする豪快な笑みを浮かべた。


「〈魔王〉ジルエスター・ウォーハイムだ。〈魔王〉でも魔王様でも、ジルエスターでもウォーハイムでも好きに呼んでくれや、カルラの客人たち」


『…………』


 俺たちは、揃って絶句する。


「魔王……魔王? え? あの……師匠?」


 困惑する俺に、師匠はただ苦笑いを浮かべる。


「本物よ。ここにいる獣人が〈魔王〉ジルエスター・ウォーハイム。『極星世界』ポラリスの支配者よ」


 ギギギ、と音を立てて首を動かし、ジルエスターの狩人を思わせる翡翠の瞳を見返した。


「ガッハッハ! いい反応じゃねえの!」


 なんかもう、威厳とか関係なくめちゃくちゃ爆笑している推定〈魔王〉に、俺たちはただただ呆然とするしかなかった。




◆◆◆




「最高責任者がこんなところほっつき歩いていいのか?」


「ダメだな!」


「ダメなのかよ」


 大口開けてガハハと笑う〈魔王〉。遠慮とかする気は瞬く間に失せていった結果、俺はバリバリタメ口で魔王と横に並んで話していた。

 いつも敬語使ってないって? ほら、心は敬語だから(は?)


 現在は〈魔王〉同伴で地図の右側、師匠の故郷へ向かうべく、そのためのお買い物中である。

 

 なお、俺は魔王に引きずられる形で強制別行動を取らされている結果、買い物はイノリたちに任せることに。


「アンタやたら親しまれてるけど……もしかして頻繁にここに来るのか?」


 行く先々で好意的な声やら視線やら、笑顔を受け取りそれに応えて笑う〈魔王〉は、俺の問いに「当然だろ」と頷いた。


「ここは極星の……俺の世界の玄関口だぜ? ここの雰囲気が俺らの世界の雰囲気と言っても過言じゃねえ。なら、こうして視察に来るのが務めってもんだろ」


「……」


「あん? 急に黙ってどうした?」


「想像以上に真面目な返答が来てびっくりしてる」


 俺の馬鹿正直な回答に一瞬ぽかんと目を瞬かせた〈魔王〉は、すぐさま顔を上げて豪快に笑った。


「ガッハッハ! 俺を前に物怖じしねえ胆力は嫌いじゃねえぜ!」


「そりゃどうも……っても、公務とかはどうするんだ? トップなら机仕事もあるだろ?」


「そんなの下の連中に丸投げに決まってんだろ」


「決まってんじゃねえよ。何してんだアンタ」


 堂々とおサボり宣言をした〈魔王〉に半眼を向ける。獣人ジルエスターは悪びれもせず、鋭い犬歯を覗かせてニヤリと笑った。


「俺ァ仕事が雑だからな。そういう頭脳労働は下の奴らに任せてんだよ。てっぺんってのは“決定”だけ下せばいいのさ」


 清々しいほど部下任せな〈魔王〉である。


「坊主、今『人任せだ』って思ったろ? 大正解だ!」


「なんで誇らしげにしてんだ? アンタ」


「誇らしいに決まってんだろ。俺がこうして好き勝手やって、決定だけ下してやれてんのはよ、俺の部下が全員有能って証拠だぜ?」


 ……思わず、不覚にもなるほどと思ってしまった。


「俺は現地に赴いて風を感じる。感じた風と、アイツらの考えがうまく嵌まるか——それを見極めて可否を決めんのが俺の役目なのさ」


「……悪いな、サボり魔なんて思っちまって」


 謝る俺に、〈魔王〉はニカっと笑いバシバシと肩を叩いた。めっちゃ痛い。


「ガッハッハ! それだけ呑気に過ごせてるって意味よ! サボりってのもあながち間違いじゃねえからな! 今日なんて坊主たちの醜態見たさに来たわけだしよお!!」


「やっぱ碌でもねえなアンタ!!」




◆◆◆




 一方、エトが〈魔王〉に連れ去られた結果。

 ラルフを荷物持ちに、女三人は移動の準備ついでに余計な買い物を楽しんでいた。

 カルラ曰く『どうせあの性悪〈魔王〉がエトを連れ回して時間に遅れるから』とのことである。そして、その予測は見事に的中していた。


「大丈夫かなエトくん……この世界の王様と二人っきりなんて」


「エト様、全く敬語使えないですからね……首が飛んでるかもしれません」


 不安視する二人とは対照的に、カルラはリラックスした笑みを浮かべる。


「大丈夫よ、アイツはアレでも王の器よ。それに、エトとは相性が良いと思うわ。遠慮のない相手はアイツ好みよ」


「なら良いんだが……すげえな、世界の王様直々に出迎えるなんて」


「やっぱり驚くわよね」


 先ほどの出会いを反芻するラルフに、カルラは「ここは色々特殊なのよ」と肩をすくめた。


「先々代の〈魔王〉からの伝統だったかしら。私がまだ生まれる前の話ね。『土地が寒くても心は温かく在ろう』って言い出して、こういう温かい街づくりが始まったのよ」



 『極星世界』は、土地そのものが強大な防御機構と言っても過言ではない。


 まともな対策なしに踏み込むのは下策中の下策。

 そんじょそこらの、それこそ金級に片足踏み込んだラルフですら、対処法を確立していなければ5分とたたずに戦闘不能に陥る極寒は、“護り”という一点に置いて立地があまりにも特殊な『海淵世界』と『覇天世界』の二世界に並ぶ。


 まともな対策なしに踏み込むことができるのは、その気候を知っている一部強者。知らずとも平気な顔をできるのはそれこそ〈異界侵蝕〉のような一握りの化け物であろう。


「土地が貧しいと心も貧しくなる。繋がりがなければ人は温もりを得られない。先々代〈魔王〉は、人を繋げたのよ」


 それが始まりである。


 過酷な生存競争を生き抜くために、〈魔王〉は力こそを重んじられてきた。だが、それだけではダメだと一石を投じた。


「『内に目を向けずして未来はない。民を守れぬ者に、世界を守るなど大言を吐けるものか』ってね。以来……と言ってもジルエスター含めてたった二人だけど、〈魔王〉には強さ以上に優しさも求められるようになったのよ」


「先ほど、魔王様が皆さんに慕われていた理由がよくわかりました」


 積み重ねがあるのだ。

 〈魔王〉とは——上に立つ者とは斯く在るべしと先陣を切って改革を行った先々代〈魔王〉。


 その想いを継承し、優しさという不可欠な要素を称号に根付かせた先代〈魔王〉。


 そして、あの明るい人柄と、カルラが信頼する名君としての器を兼ね備えた今代〈魔王〉ジルエスター・ウォーハイム。


 『極星世界』ポラリスの“支配者”という言葉も、独裁的、独善的な意味ではなく、包容力を感じさせる単語にすらラルフたちには聞こえる気がした。



 ——だが、そんな〈魔王〉にすら、唯一。

 例外的に、目を向けてはならない場所がある。




◆◆◆




「矛盾するみてえで悪いけどよ、俺ぁ鬼娘の……カルラの故郷についちゃ


 一面を透明な強化硝子のドームで覆われた屋上のベンチに腰掛け、出店で買った炭酸飲料を豪快に干した〈魔王〉が言う。


「それは……どうしてだ?」


「俺が強えからだ。『極星世界』を隅々まで知る俺が知っちまったら、それはだ。だから敢えて、何も知らない。知ろうとしない」


 そこに一箇所、わざと認識の空白を作っているのだと、、『と、〈魔王〉は言う。


 どこまでも伝聞。曖昧にしている。

 少し話しただけでこの世界を愛しているとわかるこの獣人が、そうまで徹底する恐ろしさに、無自覚に背筋が震えた。


「もし坊主がカルラになんか入れ知恵されてんなら、


 伝えちまえば、『極星世界』は今の優しさを維持できない、と。

 ジルエスターはそう言った。




◆◆◆




「私の故郷はね、竜と戦ってるのよ。二千年以上もの間、ずっと」


 あまりにもあっさりと告げられた冗談みたいな話に、俺たちは揃って閉口した。


 雪上を走る“キャンピング電動ソリ”の自動運転なる、「目的地を設定すればあとは勝手に連れて行ってくれる」という超便利機構に運転を任せた師匠は、後部座席に座る俺たちことの詳細を伝える。


「その竜に名前をつけてはいけない。その土地に名前があってはいけない。私たちの戦いに、名前を、意味を求めてはいけない」


 ——竜は、名前を得ることで世界に定着する。


 『悠久世界』の雲竜キルシュトル、『覇天世界』の光竜ソンゼンなど……竜に対する知識が乏しかった頃名付けられてしまった彼らは、滅ぼすことができなくなった。


「アレらは一つの世界よ。全ての世界が名前を持って生存するように、竜も名前を得てこの世界に生きる権利を手に入れる」


 唯一辛うじて、「どんな竜か」とだけ、呼ぶことを許されているのだと師匠は言う。それ以上踏み込めば、存在が定着し極星の輝きは翳るだろうとも。


「待ってくれ師匠。ここでその話をするって、まさか俺たちの修行ってのは——」


 まさかと思いつつも尋ねると、残念ながら、師匠はしかと頷いた。


「ええ。あなた達には私たち鬼人族に混ざって、繁殖の竜と戦って貰うわ」


『うっそだー!』


 とってつけたような「地理がバレないように目的地からは丸一日歩くわよ」との師匠の戯言は、俺たちの耳には入らなかった。

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