置いて行かないで

 くーちゃん……本名不詳、年齢不詳(推定四桁歳)、職業不詳のハーフエルフであり、ストラが魔法を使えるようになったきっかけをくれ、更には魔法の鍛錬にも付き合ってくれた恩師である。


 エトラヴァルトに並び、比喩抜きに自分の人生を変えてくれた相手であるくーちゃんとの再会に、ストラは尾行という本来の目的を忘れ、鼻息荒く頭を下げた。


「お久しぶりです、くーちゃん先生!」


「うん。久しぶりストラちゃん。先生は不要だよ、私はもう先生やめたんだから」


 やんわりと先生呼びを否定するくーちゃんだったが、ストラは首をぶんぶんと横に振った。


「そうはいきません! 先生はわたしの恩師ですから!」


「そう。なら仕方ないね。最近の調子はどう?」


 恩師に嬉しそうに近況を報告するストラに、ラルフは飼い主を前に尻尾を全力で振る犬を幻視した。


「……そっか。話には聞いてたけど、〈勇者〉と戦ったのはエトだったんだね」


「はい。くーちゃん先生は〈異界侵蝕〉について……」


「うん。知ってるよ」


 あっさりと告げたくーちゃんに、ストラは内心で“やはり”と納得した。

 というのも、エトラヴァルト本人から聞かされていたくーちゃんと実際に対面した時の圧と実力——《英雄叙事オラトリオ》を解禁し、全力全開で挑んでなお、『十分な手加減をした』彼女の目の前に立つことがやっとだったと。


 これらの情報から、ストラはくーちゃんを〈異界侵蝕〉に限りなく近い実力者ではないかと目している。

 カルラ曰く、認定条件が“穿孔度スケール7の単独踏破”である以上、冒険者登録をしていない彼女ではどう足掻いてもその称号には手が届かない。


 だが、実力一本ならその領域に到達しているのではないか、そんなことを考えた。

 ストラの思考を読んでか知らずか、くーちゃんは相変わらず化け物じみた探知魔法でエトとイノリを追跡しながらその方角を見遣る。


「彼のことだから、目標の上方修正をしたんだろうね」


「……はい。最近は、病的なまでに鍛錬に没頭しています。《英雄叙事オラトリオ》の精神世界まで利用して、ほとんど不眠不休で」


「そう。……それじゃあ今、イノリちゃんは“引き戻し”を試しているんだね」


 なんでもお見通し、そんなくーちゃんの金眼にストラは隠し事は無意味だと素直に頷いた。


「それじゃ、尾行を続けようか」


 予想外の三人目を加え、ストラたちの尾行が再開した。

 なお、終始無言だったラルフはというと。


「……へそ、冷えねえのかな」


 女性に全くと言っていいほど免疫がない彼は、その一点だけで緊張のピークに達していた。




◆◆◆




「あそこは……服屋、でしょうか?」

「イノリちゃんの視線に気づいてさりげなく誘導したね」

「ああいう気遣いができるのになんでこう、無茶苦茶するかねエトは」



「今度は露店だね」

「さっきから目は口ほどに物を言うを体現してますね」

「こうしてみると兄妹みたいだな。イノリちゃんが妹でエトが兄」



「あ、カフェに入りましたね。私たちも追いたいんですが……」

「いいよ。認識阻害をしておこうか」

「指先一つでなんつー高度な魔法を……」




◆◆◆




 あちこちイノリに連れられて見て回ったが、その間、イノリは殆ど何も話さなかった。

 今も、アイスティーに刺さったストローで中身をかき混ぜ、カラカラと氷を鳴らし無言を貫いている。


「……エトくん、さ」


 グラスがそれなりに汗をかいてきた頃、カラン、と音を立ててストローを持つ手が止まった。


「私たち、頼りないかな?」


 今日、初めて目が合った。

 彼女の瞳には、怒りではなく、不安が渦巻いていた。

 アイスティーのグラスの側面についた雫を指先で拭いながら、イノリは心内を吐露する。


「私は、ごめん。〈勇者〉の強さがわからない。エトくんみたいに実際に戦ったわけじゃないから。だから、エトくんの焦りとか、推し量れない」


 真摯に、丁寧に。イノリは俺の心に触れようとしていた。


「……けど、さ。もう少し、頼ってくれてもいいじゃん。力不足で、知識も少ないけど……それでも、私はエトくんの相棒なんだから。ラルフくんたちは、エトくんの仲間なんだから」




◆◆◆




 お手洗いにイノリが席を外した後、俺はしばらく天井を見上げていた。


「……俺は何回、同じミスをしてんだか」


 自分の不器用さ加減に嫌気がさす。

 溶けかけた氷がグラスの中で音を立てて造形を変える。

 ……なんとなく、「見られているような気がする」という意識を押し出すように、俺は大きくため息をついた。


「——相席、構わないか?」


「……うん?」


 天井を見ていたゆえに、その声が俺に対して向けられたものだと気づくのに時間がかかった。

 声のした方に目を向けると、店内にも関わらずボロ切れのような黒いフード付きローブを身につけた人物が、その奥に輝く赤い瞳で俺を見つめていた。


「どこも満席でな」


 そう言って肩をすくめる……声からして男だろうか? フードの人物の問いに頷いた。


「構わないぞ。と言っても、連れが戻ってくるまでになるが」


「少しで十分だ。長旅の後でね、ちょっと腰を落ち着けたかった」


 男は店員にアイスミルクティーを注文し、俺の前の席に座った。

 フードを取る気はない様子が妙に気になったが、周りは一切、それを気にしていない。妙な居心地だった。


「なにか、悩み事か?」


 男は到達に俺に問う。

 届いた飲み物で喉を潤し、続ける。


「遠目からでもわかるほど、盛大なため息がもれていたからな。相席の礼だ。吐き出せば、楽になることもある」


 その声音は鼓膜を撫でるように優しく、不思議と拒絶の意思は湧かなかった。


「……いや、これは問題だ。心遣いはありがたいが、初対面の相手に話すことじゃない」


 それでも、話したいとは思えなかった。

 親切を無碍にしたにも関わらず、男は特に気にした様子もなく「そうか」とだけ呟いた。


「アンタ、長旅って言ってたよな。何処から来たんだ?」


「俺の事情は掘り下げるのか?」


「気になったからな」


「正直だな……第一大陸から、少し足を運んだ」


 この『羅針世界』は、極星と悠久を繋ぐ窓口であると同時に、悠久が統べる第三大陸と『始原世界』ゾーラがある第一大陸を繋ぐ連絡路でもある。

 ここまで来るともういっそ、「この位置関係でよく生き残ってるな」と感心を通り越して呆れすら感じるほどの不運な世界だ。


 男は、そんな第一大陸からやってきたのだと言う。


「ってことは、行き先は極星か悠久か?」


「いや、羅針ここだ」


「……珍しいな。アンタ、その身なりで商人なのか?」


「いや。家族の様子を見に来たんだ」


 フードの奥に輝く赤の瞳が細められた。


「俺は不出来な兄でな。妹に苦労ばかりかける」


「その妹さんが、この羅針にいるのか?」


「ああ。さっき見てきた。ちゃんと、立派に生きてたよ」


 その声音に宿るのは、確かな安堵と一抹の寂寞。


「昔は『兄ぃ、兄ぃ』と何につけてもくっついてくる子だったんだが……見ない内に、逞しくなったらしい」


「——」


 その、に。

 心臓がひどく脈打った。湖面にさざなみが立つように、ざわざわと心が荒れる気配を感じた。


「アンタ、は……まさか」


 俺の感情を知ってか知らずか。

 男はミルクティーを飲み干してテーブルに小銭を置いた。


「俺が守ってやる必要は、もうないのかもしれない」


 声音には寂しさと、誇らしさ。そしてを混ぜ込んだ、そんな色を感じた。


「……世話になったな」


 男はそのまま席を立つ。


「待て! アンタは——」


 引き止めようとする俺の手をするりと避け、男は俺の横を通り過ぎて店外に出る。


「アンタは、イノリの……」


 去り際、彼が残した言葉が俺の脳にこびりついて反芻されていた。


『お前が守れ、エトラヴァルト』


 店内は、俺を置き去りに賑やかな昼下がりを送っている。



「——お待たせエトくん。……エトくん?」


 戻ってきたイノリが、全く反応を見せない俺に怪訝そうな視線を向ける。


「エトくん、どうしたの?……って、このお金は?」


「……ああ。さっきまで、相席してたんだ。短い時間だったけど」


「そうなの?」


「ああ」


 何故だろうか。

 記憶に霧がかかったように、数分間の出来事を思い出せない。


「律儀な、人だったよ」


 違う。他に言うべきことがあるはずだ。だが、漠然とした喪失感だけがそこにあり、俺は何も言えなかった。何も思い出せなかった。


『お前が守れ、エトラヴァルト』


 たった一つ。

 その言葉だけが残っていた。




◆◆◆




「……追いつきたいんだ」


 カフェを出た後。

 しばらくあてもなく歩いていると、エトラヴァルトがふと呟いた。


「俺は……俺自身は。この旅の中で、成長できてない」


 それは、彼の師であるカルラにも打ち明けた本音。


「《英雄叙事オラトリオ》と向き合えるようになって、彼女たちの力を借りられるようになっただけで、俺自身の成長はない」


 イノリは時間魔法以外の手札を学んだ。魔眼の使い方も少しずつだが習熟している。


 ラルフは、見違えるような成長を遂げた。伸び幅で言えば、四人の中で一番と言っても過言ではない。もはや金級下位と渡り合えるほどに強くなった彼は、パーティー随一の火力を誇る。


 ストラは日々、様々な魔法を創出している。

 異界に合わせた多彩な魔法は、彼らの旅を強く支えてくれた。そして、その知識が発揮されるのは異界だけはない。


 そんな仲間たちに、エトは強い劣等感を覚えていた。

 自分一人が置いて行かれている、自分一人が、目標から遠ざかっている——そんな感情を。


「無理をしてでも、無茶をしてでも、追いつきたいんだよ」


「——だったら!」


 拳を握るエトに、イノリが声を荒げた。


「だったら、もっと、私たちのこと見てよ。もっと、私たちを頼ってよ!」


 少女の大声に通行人たちが何事かと意識を向けるが、意に介さず。


「特訓にもなんでも付き合う。私ができることならなんだってする! だから、だから——!」


 懇願するように、イノリはエトの服の裾を摘んだ。


「エトくんまで、私を、置いて行かないで……」


 瞳を濡らす涙を流さないよう、必死に堪えながら。見られないよう、顔を下げて。

 イノリはエトの服の裾を握り込んだ。


「……服、せっかくお前が選んでくれたやつ、伸びちまうぞ」


 エトは一度強く瞼を閉じて、イノリの頭に手を置いた。


「……悪かった。不安にさせて」


 残された僅かな繋がりすら断とうとしていた、そう捉えられてしまったエトは、髪を解きほぐすように撫でた。




◆◆◆




 一連の光景を眺めたあと、くーちゃんは大きく背伸びをした。


「それじゃ、私はお仕事に戻ろうかな」


「もう行ってしまうんですか?」


 名残惜しそうなストラに、「こう見えて多忙だからね」とくーちゃんは笑う。


「エトには会って行かなくていいんですか? アイツ、くーちゃんさんの教え子になるんじゃ」


 くーちゃんは、少し、酷薄な表情と冷たい視線をエトに向ける。


「やめとくよ。今の彼と会って話したら、失望して興味失せちゃいそうだから」


 それは、くーちゃんの嘘偽らざる本音だった。


「原点を忘れた彼に、面白さも価値もないからね」


 その無慈悲で残酷な回答に、ラルフは何も言えなかった。


「——さて、ストラちゃん。私直伝の隠蔽結界の構築、ちゃんと覚えた?」


「はい。体感、完成度は二割にも満たないですが」


「上出来だよ。私が六年かけて作り上げた基礎を理解できているだけで、キミは優秀な生徒だよ」


 先生は辞めた。そう言いながらも、くーちゃんはストラを気にかけているのだと、ラルフにはよく理解できた。


 同時に、彼女はエトラヴァルトにもまた期待しているのだと。

 だから、停滞している彼に会おうとしないのだと。


「それじゃ、またねストラちゃん」


「また……会ってくれるんですか?」


 ストラの控えめな問いかけに、くーちゃんは首肯を返す。


「うん。キミたちが然るべきステージに登ったなら、私はそこにいるよ」


 胸元で小さく手を振るくーちゃんに、ストラは大仰な動作で深々とお辞儀をした。

 瞬きの後、人混みの中にくーちゃんは消えてしまった。

 その優しくも恐ろしい残り香に、ラルフは大きくため息をついた。


「エトのやつ、女難の呪いにでも罹ってんじゃねえか……?」


 羨ましいと思う反面、あそこまでおっかないのは嫌だなあ、と思うラルフだった。




◆◆◆




「これから世界は変わる。二千年続いた仮初の均衡は崩れる。星は、否応なく二つの未来の選択を迫られる」


 ハーフエルフの金眼は、遠くない未来に訪れる波乱を予見していた。


「《終末挽歌ラメント》、《英雄叙事オラトリオ》……二つの本が表舞台に出た。残響も、否応なく関わることになる。一石を投じることで、悠久は動かざるを得なくなる」


 見据えるのは大局。

 長い年月をかけて成熟しつつある大舞台、そこに最後の一石を投じるべく、本名をひた隠す女はもう一度、自分が歩いてきた方向を振り返った。


「振り落とされないでね、エトラヴァルト」


 ——どうかその旅路が、星の碑文に刻まれることを。


 細やかな祈りが、『羅針世界』の喧騒に混ざって消えた。

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