第五章 超克の詩
暗雲と再会
修羅の生まれ変わり。
鬼王の継承者。
鬼人族の英雄。
これら全ての称号は、たった一人の幼子に向けられたものだった。
400年も昔のこと。
齢僅か8つにして己の魂の輪郭を掴んだその少女は、長い長い生存競争の歴史に幕を下ろす——そんな期待すらされた。
しかし、少女は臆病だった。
剣を持つことはおろか、木刀を握ることすら躊躇うほどに。
痩せた土地に咲く少しの草花を愛し、歩く時は蟻の一匹踏まないように気をつけるような。そんな、命のやり取りには全く向いていない優しい少女だった。
怖くて恐ろしくて、鍛錬を前にしても足が竦む子供だった。
だが、少女は皆の期待に応えたかった。
だから、涙を流しながらも剣を振った。無理をするなと優しく声をかけてくる同族たちのその優しさに応えたくて、少女は強くなるために出来うる限りの努力を重ね続けた。
四百年が経った今もなお、生存競争は終わっていない。
◆◆◆
山中を走る列車の中、
魂の内側で《
「……気のせいか?」
相変わらず睡眠学習じみた精神空間での特訓は続いている。強くなるためにはなんでもすると決めている俺だが、「24時間いつでもどこでも訓練できるよ! やったね!」と言われ、半強制的に眠りに誘われるのは想定外も想定外。
だから内側から俺を呼ぶように、殴りつけるように脈打つこの感覚は気のせいだ。絶対に。
「気のせいな気がするな」
「エト、それ頭痛が痛くねえか?」
「ないこともないかもな」
「エト様、言語が崩壊してます」
移動中も絶えず精神空間修行を行なっていた弊害か、寝起きの俺の脳みそはすこぶる働きが悪かった。
俺はいまだぼんやりする脳を覚醒させるために無理やり頭を振った。
「……悪い、今
俺の問いに、あからさまに不機嫌そうなイノリが「5日目だよ」と無愛想に答える。
「そか。それじゃああと半日か」
『極星世界』への道中、どうしても通る必要がある『羅針世界』ラクラン。極星と悠久、二つの七強世界と隣接するというあまりにも不憫な立地をしている。背中に『海淵世界』を背負うリステルが霞む不幸である。
そんな化け物二つに挟まれ、それでもなお今日まで生存してきたというのはこの世界の外交力の賜物か。
政治に思考を寄せるなんてらしくないことをしていると、前の座席に座るラルフが
「エト、お前やっぱ無茶だろ、
最短最速で
その最中、当然ながら鍛錬の時間はない。
イノリたち三人は、シーナの置き土産的なアドバイスにしたがって輪郭の把握に努めているわけだが、色々特殊な俺は自己強化が諸々の認識強化に繋がるため、このぽっかりと空いた時間を何かに使う必要があった。
結果、導き出されてしまった答えは「精神空間での特訓」。
精神が限界を迎えるまで、ひたすらに魂の内側でシャロンとエルレンシアを相手に戦い続けるというものである。
そして今に至るまで、定期的な休憩を挟みつつ、俺は80時間を超える鍛錬に身を置いている。……要するにだ。
コミュニケーションガン無視でずっと眠りこけているわけで、イノリの機嫌がすこぶる悪化している。
対面に座るラルフが「お前そろそろ機嫌取れよ」と視線で訴えていた。
対する俺は「列車降りたら土下座する」と身振りで返答。ラルフの視線は「土下座は万能アイテムじゃねえよ」と告げていた。
「……悪い。あと半日寝てくるわ」
そうして目を閉じれば、5秒と経たず俺の意識は底に落ちた。
◆◆◆
あっという間に眠りについた、というより修行に戻ったエトを見送ったストラは、少し、彼を心配するような視線を向ける。
「元々無茶をする人でしたが……ここ数日は輪をかけて酷いですね、エト様」
「ああ。無茶苦茶だよ」
頬杖をついたラルフの表情は苦々しいものだった。
列車での六日間の旅。その間全て、食を全て断つ勢いでずっと眠りこける。
およそ正気の発想ではなく、ラルフたちは当然これを止めた。だが、エトは聞く耳を持たず。
「カルラさんから止めてくれないか? 流石に見てられねえよ」
彼の師匠を努めるカルラは、無慈悲にも首を横に振った。
「残念ながら無理よ。エトはもう、どうしようもなく
基準が変わる。それは言及するまでもなく、〈異界侵蝕〉という高すぎる壁。
〈勇者〉アハト。
エヴァーグリーンの存続を盤石たらしめる、災厄すら容易に斬り伏せる男。
見ただけでなく、その底知れなさを実際に刃を交えたエトは、誰よりもその“差”を痛感していた。
「止められないのよ。エトが目指すと決めた以上、あの子には止まるっていう選択肢が消えちゃったのよ」
その選択が仲間を蔑ろにしているとわかっても。
「エトは間違いなく『持っている』側の人間よ。でも、同時にどうしようもなく『持たざる者』でもある。その渇望は、私たちには推し量れないわ」
努力できる、それは紛れもない強い精神力の持ち主の証左。そして、空間把握能力は彼の強みであり、“直感”は他者にはない固有の能力だろう。
そしてなにより、《
だが同時に、エトは魔力を持たない。闘気を練ることもできない。皆が当たり前に持っている、人類が普遍的に有している力が、彼にはない。
それは途方もない劣等感だろう。
その一点において、エトラヴァルトは数十億を超える人類の最底辺に位置するのだから。
唯一、この場でエトラヴァルトと同じように魔力と闘気を持たない身であるストラは、その劣等感と生まれる渇望を理解している。
だから、「やめてくれ」と強く言えなかった。
重苦しい空気が列車の一角に充満する。
そんな中、もぞりと身を動かしたイノリがなんの躊躇いもなくエトの膝を勝手に借りて枕にした。
「……イノリ、何をしているんですか?」
困惑するストラの問いに、イノリはぼそっと呟く。
「私はエトくんの運命共同体なので」
着せ替え人形にされた果てに購入した花柄のブラウスと桜色のフレアスカートを着たイノリは、無断で膝枕をしながら、思いっきり頬を膨らませていた。
その様子に、カルラは思ったことを率直に口に出した。
「お兄ちゃんに構ってもらえなくて拗ねる妹みたいね」
「んぐっ……!」
エトの姿に生き別れの兄であるシンを重ねているイノリにその言葉はクリーンヒットだった。
ほんの少し顔を赤くしたイノリは「エトくんはもっと私を構うべきだと思う」と正直な欲望を口にした。
「……そうね。そこに関しては同意だわ」
カルラは、ふと何かを懐かしむような表情をした。
「今を蔑ろにして、いいことなんて一つもないものね」
◆◆◆
輝白のツインテールを揺らし、小柄な身体が俺の懐に潜り込んだ。
「よっ!」
そこから躊躇なく顎を狙った拳が見え、右手で防御——拳が開かれ、俺の五指を絡め取って拘束。瞬間、左に風圧を感じた。
「あっぶね!?」
間一髪、肉体の柔軟性とバネを利用した至近距離でのハイキックを躱し、その足に右手を当てることで拘束を振り解いた。
「よく見えたね!」
シャロンの賛辞に、俺は頬を引き攣らせながら再度構える。
「散々やられてきたからな!」
「それもそっか! 後方不注意だよ!」
「はっ!?」
シャロンの呑気な警告に反射的に頭を伏せると、二択が外れた結果足を刈り取られ盛大に転倒した。
「アタイを意識から外すなんて迂闊じゃない、かっ!」
「ぐっ……!?」
背後から迫っていたエルレンシアが容赦なく前蹴りで俺をボールのように蹴り飛ばす。右手一本で体勢を立て直し、両側面から挟撃を仕掛けてくる二人を一瞥する。
「波状攻撃は大人気なくないか!?」
額から汗を垂らす俺にシャロンとエルレンシアが喝を入れる。
「甘い!」
「これは修行だよ!」
拳と脚、問答無用で急所を狙う一撃を受け止めた瞬間、乱打が始まる。
「くっそ……!」
受けに回ってはいけない、わかってはいても、技量、判断力、経験、全てが劣っている俺は防戦を強いられる。
シャロンとエルレンシア、両者共に全盛期は金級相当の実力を有していた。
だが、そんな彼女たちですらあの〈勇者〉には『一太刀浴びせる景色が見えない』と断言した。
つまり、彼女たちを片手間にあしらえるくらいにはならない限り、俺はその世界へ到達できない。
俺の逡巡を見抜いたのか、シャロンが不敵に笑う。
「私たちを超えてみせて、エト!」
「ああ、やってやるよ!!」
そうして半日、俺は外から起こされるまでひたすら組み手を続けた。
◆◆◆
『羅針世界』ラクランは、言ってしまえば七強世界のおこぼれで育った世界である。
というのも、この世界に積極的に手を出してくる世界が少なかったのだ。理由は単純にして明快。ラクランを滅ぼせば、七強世界と隣接してしまう。
今、世界は良くも悪くも停滞している。無数の世界が日夜戦争に明け暮れ、勝った負けたを繰り返し、滅ぼしあい、生存を勝ち取る。
そんな血に濡れた時代は“滅亡惨禍”を機に終わりを迎えた。
小競り合いや、『絡繰世界』のような例外こそ存在するが、今、この星は無数の奇跡的なバランスの上で成り立っている。
ラクランはそんな奇跡を体現したような世界である。
類稀な外交力で綱渡りの生存を勝ち取ってきたのである。
……と、ストラが近くの書店で買ってきた歴史書を速読しながら概要をかいつまんで話してくれた。
「リステルと真逆の生存方法だな」
思わず呟いた俺に、ラルフが「どういうことだ?」と首を傾げた。
「いや、うちはどこにも相手にされずにいた結果生き延びただけだから……」
「ああそういう……」
死にかけながらも綱渡りで生き延びたラクランとはまるで正反対である。
「『弱小世界』と揶揄されるだけはありますね……」
「全くだ」
ストラと揃って悲しみを湛えて頷いた。何に対してかは知らん。
さて、中継地点として訪れたラクランだが、俺たちはここで三日間の足止めを喰らう。
理由は『極星世界』への入場審査である。極星と悠久は隣接している箇所もあるが、基本両者は不可侵の条約を結んでいる。
結果、ラクランはその両者を繋ぐための中継役をになっており、実質的な両者の検問所なのだ。
師匠は「諸々の準備済ませるから、三日後大使館に来なさい」とだけ言ってそのまま俺たちを残してどこかへ行ってしまった。
「…………」
「…………」
あっという間にどこかへ消えてしまったラルフとストラに取り残された俺は、同じく取り残されたイノリと二人で無言でベンチに座っていた。
横から漂うのは、あからさまな不機嫌オーラ。
流石に放置しすぎたか、と過去の自分の行いを反省するも遅い。
「……エトくん」
どうしたものかと頭を悩ませていると、イノリがむすっとした声音で話しかけてきた。そして、有無を言わせぬ握力で俺の左手をがっしりと握り込んだ。
「ちょっと付き合って——付き合え」
「……お、お手柔らかに」
半ば引きずられるように、俺はイノリと共に移動を始めた。
◆◆◆
その様子を陰から観察するものが3名ほど。
「早いとこイノリちゃんが機嫌直してくれるといいけど……」
「イノリは怒ると面倒ですからね」
「言い方ぁ……」
物陰に身を潜め、周囲から奇異の視線を向けられるラルフとストラ。二人の視線の先にいるのは、当然ながらエトラヴァルトとイノリの両名である。
「エトのやつ、〈勇者〉との戦いについては何も言ってくれなかったからなあ」
それほどまでに重い3分だったのだろうと、ラルフは敢えて踏み込まずにいた。
「どうにかしたいけど……」
「悔しいですが、適任はイノリですからね。移動しましょう……え!?」
「なんだ!?」
見失わないように物陰から出た二人の背後に、突如気配が膨れ上がった。
「少し見ないうちに、随分と面白いことになってるね」
ストラが振り向くと、そこには懐かしい顔。
「しばらくぶりだね、ストラちゃん。元気だった?」
桃色のツインテールを揺らし、金眼がストラを捉える。
厚底のブーツにフレアレッグパンツ、長袖ニットと厚着にも関わらず臍だけは露出するという謎のこだわりをみせる服。
それらがストラの視界に入ることはなく、少女は
「びっくりさせすぎちゃったかな? と、そっちの子……ラルフくんだっけ? こうして話すのは初めてだね」
「アンタは、たしか——」
「くーちゃん先生!? なんでここにいるんですか!?」
再起動したストラの仰天に、エトたちに声が届かないように指先一つで、目の前のラルフにすら気づかれない精緻さで防音結界を張り巡らせたハーフエルフのくーちゃんはにっこりと笑みを浮かべた。
「たまたまお仕事でね。元気そうでよかったよ、ストラちゃん」
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