《終末挽歌》

 ——グレイギゼリア・ベルフェット・エンド。


 自らを《終末挽歌ラメント》と名乗った男は、元々は肉塊と魔剣だったページたちを胸の中に仕舞い、殺意の全くない——しかし耳にするだけでだけで心臓を握り潰されるような圧をはらむ声で俺に呼びかけた。


「待った甲斐があったよ、《英雄叙事オラトリオ》」


「……俺はオラトリオって名前じゃねえぞ」


「知ってるとも、エトラ……ああ、いや。今は、エトラヴァルト・ルベリオだったかな?」


 わざとらしく記憶を掘り起こすようにこめかみを人差し指で押したグレイギゼリアは、思い出したように「ああ」と呟いた。


「せっかくの感動の再会だ。みんなに見てもらわないとね」


 そう言ってグレイが指を鳴らす。


 ……しかし、なにも起こらない。いつまで経っても変化が起きないことに俺たちの警戒が高まっていく。


「そう警戒しないで欲しい。これ自体は君たちに害はないのだから」


 丁寧で柔らかな物腰。しかし、闇色の瞳は欠片も俺たちのことは見ちゃいなかった。




◆◆◆




 映像が繋がらないことで、地上の観客たちの不満はピークに達していた。


「どうなってんだ! なにもみえないぞ!」

「もう終わっちまったとかいわねえよな!?」

「ちゃんと対応しろよ!!」


 一部から苛立ちや不満が噴出し野次が飛び交う中、舞台裏で再開を待つ女司会者は思いっきり舌打ちをした。


「好き勝手言いやがって……! こっちだって異常事態でどうしようもないんだよお!」


 異変発覚から今に至るまで、『電脳世界』と連携をとりながら数時間に渡り調査を続けるも進展なし。怒鳴りたいし泣きたいのはこっちなんだよ、と女司会者は頭を抑えて唸った。


 裏は既に半ば諦めムードであり、なんかいつの間にか異界に突入していた〈落陽〉のヴァジラ一行に任せれば良くない? なんて空気が漂っていた。


 ——そこに、唐突に画面が明転した。


『——!?』


「つ、ついたぞ!」

「直った!」

「どうなってる!? 勝負は!?」


 驚愕と歓喜、そして「何故?」という疑問が入り乱れながらも全員の視線がメインモニターに集中した。


 そこには、満身創痍の“天狼巨人”と、そんな彼らを庇うように立つ“愉快な仲間たち”、そしてドーム中央に立つ見覚えのない男が一人いた。


 ハルファたちの惨状に悲鳴のような騒めきが広がり、同時に見覚えのない男への疑念の声が噴出した。


 舞台裏、ギルド支部長が怒鳴る。


「何をしている!? 早くカメラの操作を!」

 

 祭りと言えど、これは異界探索。命の危険を伴う戦いであり、ゆえにこういうことになる可能性があるのは承知の上だ。

 その上で、エンタメ性を保つためにカメラの主導権を運営が握ることである程度のを行ってきた。


「だめです! 操作が効きません!」

「こちらの制御系を乗っ取られて……いえ、されています!!」


「一体どういうことなのだ!?」


 カメラは、ありのままの異界を映し出す。グレイギゼリアの狙い通りに。



 ……その光景を、少し人混みから離れた場所で壁に背を預けて眺めるフードを被った男が一人。


「全く……『湖畔世界』に続き『花冠世界』でもトラブルとは」


 男は大きくため息をついて、背を離して、移動——ひと息で異界の入り口に辿り着いた。


「あの二人、疫病神の類いなのか?」


「ち、ちょっと! 今は一般人は立ち入り禁止ですよ!」


 入り口を塞ぐギルド職員の肩を「すまない」と一言言って無理やり退かし、男は異界へと足を踏み入れる。

 臨戦体勢か——フードを取り払った男の顔に見覚えがあった職員が素っ頓狂な声を出した。


「えっ……なん、じん……なんでここに!? 貴方は今、ゾーラにいるはずでは——」


「色々と報せを受けてな。様子を見るだけのつもりだったが……やはり、恩は返しておくべきだと思った。では、失礼する」


 雷の残滓を残して、男は異界の中へと飛び込んだ。




◆◆◆




「さて……せっかくの再開だ。なんでも好きなことをきいておくれ。好みの食べ物から、好きな景色……なんだって答えるよ」


 何かを聞くべきだと思った。

 何かを問わなければならないと。

 この閉塞を、心臓を握りつぶされそうな圧迫感から逃げ出さなければ——そう思っても、打開の未来はちっとも見えてこない。


 直感が告げる。

 無数に分岐する未来への道筋、その全てが目の前の男に握られていると。


「そう警戒しないでくれ《英雄叙事オラトリオ》。僕と君は、世界にたった一人の同族なんだから」


 しかし。敵意は、ない。


「……お前の、ページは」


「——《終末挽歌ラメント》。またの名を、“蒐集の概念保有体”」


 ……ふざけたことに。

 俺の《英雄叙事オラトリオ》とグレイの《終末挽歌ラメント》は、本当に似たようなものらしい。


「……な、んで」


 背後。

 シェイクされた右腕に包帯を巻かれたハルファがグレイに問う。


「なんで、ここに居るんだ。ここは……今は誰も、参加者以外は立ち入れないはずだ……!」


「簡単なことだよ」


 グレイは胸から一枚のページを呼び出し、顔を隠すように揺らす。

 次に目が合った時、その顔は全くの別人に……否。、チーム“下剋上”の鳥人、ハヤテになっていた。


「僕も参加者の一人だったのさ」


 もう一度ページを揺らし元の顔——それすら真の顔かもわからない——に戻ったグレイ。


 未だ微笑みを崩さない男に、ラルフが問う。


「お前が、殺したのか?」


 誰を、という言葉が抜け落ちていたが、問い自体は明確だった。

 グレイは、「いいや」と首を横に振った。


「僕は殺していないさ。全てアルラウネの仕業だよ。……でも、彼女は僕の被造物だから、間接的には僕が殺したと言っても良いかもしれないね」


『…………』


 悪意、害意がなかった。

 その言葉の一切に嘘はなく、グレイは結果としての死のみを見つめていた。虚空を覗く闇色の瞳は、言外に「自然の摂理だよ」と告げていた。


 俺は、気にかかった点を問う。


「被造物って言ったよな。お前は、魔物を、作ったのか?」


「少し混ぜたくらいだよ。独占欲と、僕の欠片。あと……最近手に入れた“歪曲の概念”、その欠片をね」


 ——概念。

 その言葉が再び引っかかる。だが、今問うべきはそこではない。


 それを理解していたのか、はたまたただ疑問に思っただけなのかは定かではない。が、続くチカの質問は俺が問おうとしていたことと全く同じだった。


「ねえ……ルンペ、ル……私たちが出会ったあの魔物は、貴方が作ったの? 貴方が、召喚したの?」


 グレイが、僅かに笑みを深めた。


「前半はノー、後半はイエス」


 グレイが親指と人差し指を擦ると、そこに一枚のページが生まれた。そのまま「おいで」と呟くと、ポンッというコミカルな音を立ててその場に悪鬼が出現した。


『キキキッ!』


 ……鎮まれと、自分の心臓に懇願する。


「この子は逸話から抽出したものでね。とても役に立つ手駒なんだ。“再演”のおかげでストックを気にする必要もなくなったし、よく働いてくれているよ」


 それは、この男が大氾濫スタンピードに関わっていることの何よりの証拠。

 イノリが震える声で問う。


「『湖畔世界』の異変は……全部、あなたが起こしたの?」


「うん。僕がやった。先に答えると、グルートを筆頭にした冒険者たちの足止めをしたのも僕だ」


 ——心臓が煩い。血管がはち切れそうなほどに血液が全身を回る。

 身体が熱いのに脳は恐ろしく冷えていて。


 たったひとつの可能性が、俺の思考を支配する。


 ストラが問う。


「なぜ、自ら異界に加担するのですか。貴方は人間ですよね? なぜ、自ら滅びに手を貸すのですか?」


「“悲劇”を集めているんだ。まあ、フォーラルとは《英雄叙事オラトリオ》に邪魔されてしまったけどね」


「なんのためにですか?」


 一拍置いて、笑う。



「僕はね、人類の……いや、この星の行く末になりたいんだ」



 意味がわからないと、皆、言葉を失った。


「僕はただ、可能性を見たい。全ては、そのための過程でしかない」


 ……問わないわけには、いかなかった。


「……二年前」


 ルンペルシュティルツヒェン、ラドバネラの大氾濫スタンピード。俺の……《英雄叙事オラトリオ》を知っている。答え合わせを、しなくてはならなかった。


 俺は、グレイに問う。


「二年前、ラドバネラが大氾濫スタンピードで滅びた。あれも、お前がやったのか?」


「——」


 その問いを待っていた、とでも言わんばかりに。グレイは、一層笑みを深めた。


「うん。僕が起こした」


「…………っ!!」


 ——バキッ! と音を立て、俺の奥歯が割れた。


「お前、が……! 殺したのか!?」


「そうだよ。全ては僕の計画のため。特異点になり得たあの少女……アルスを葬るための“悲劇”だった」


「〜〜〜〜〜〜《英雄叙事オラトリオ》ッ!!」


 一歩爆砕。

 肉体をシャロンに置換した俺は闘気と身体強化を全開にして猛然とグレイへと斬りかかった。

 俺の斬撃は、歪曲した空間に阻まれグレイに届かなかった。


「お前がっ! みんなを、ガルシアを……アルスを!!」


「いい怒りだね、《英雄叙事オラトリオ》。だが……まだ弱い」


 空間が捩れ、弾ける。

 剣を弾かれた俺の胸部に不可視の一撃が叩き込まれた。


「ガッ——!?」


「エトくん!」


 地面を転がって押し戻された俺は、駆け寄ろうとするイノリを左手で制す。


「——邪魔するな!!」


「!?」


 煮えたぎる怒りそのままに、再度グレイギゼリアへと突貫する。



 復讐心はなかった。

 あったのは、己の弱さへの自戒だけ。

 ……そう、思っていた。だが、降って湧いた仇の存在。『アルスを殺した』と宣う目の前の男への殺意を、抑えようがなかった。



「あぁああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーッ!!!」


 怒りのまま、衝動のまま剣を振るう。

 剣が軋みを上げ続けることにも気づかず、グレイの空間防御を突破しようとひたすらに斬撃を叩き込み続ける。

 だが、グレイは涼しい顔をして斬撃を防ぎ続ける。防ぐという動作すらしない男と俺の間には、決して埋められない差があった。


「……んな。ふざけんなっ!!」


「ああ、いけないよ《英雄叙事オラトリオ》。今、怒りに呑まれてはだめだ」


 グレイの左手にページが出現し、瞬きの後、微睡水天マドロミスイテンが左手に。


「『母なる海 生命の揺籠 眠れ、我が子ら』」


 水飛沫が拡散する。

 霧雨のような飛沫が俺の顔や服に付着し——


「や、めろ……!!」


「君が堕ちるのは今じゃないんだ、《英雄叙事オラトリオ》」


 拡散した飛沫が当たる度、俺の中の怒りが無理やり鎮められていく。

 グレイへの激情が、消えていく。


「……いい武器だ。使い手に恵まれていなかったようだね」


 グレイは、魔剣を軽く一振り。たったそれだけで俺の肉体を弾き飛ばした。


「づぁっ……!」


 受け身を取れない俺の体をラルフが受け止めた。


「エト! 大丈夫——」


「奪うな! 俺の怒りを、感情を……! アイツらへの想いを、お前が奪うな!!」


「一時的に押し込めているだけさ。その間に気持ちの整理をつけるといい」


「ざ、けんな……!!」


 どれだけ足掻いても、どれだけ吠えても。

 怒りが、憎しみが押し込められていく。無理やり心に蓋をされていく。


 やがて前に進む気力すら失って、俺はその場に膝をついた。


「エトくん……」


 声をかけてくれたイノリに返事をすることもできず項垂れる。

 グレイは、胸から一冊の古びた本を取り出し、背中に一対の天使の羽を生やしふわりと飛翔する。


「僕はね、《英雄叙事オラトリオ》。君に期待しているんだ」


 本が開かれ、ページが捲られる。


「君の悲劇は、最期でなくてはならない。君と僕の遥かな旅は、ここが終点ではないんだよ」


 見開きのページから、グレイは一滴の雫を地面に垂らした。


「だからどうか、乗り越えて欲しい」


 ポタリ、雫が大地に浸透した。


「——物語をここに」


 グレイギゼリアが祝詞を紡ぐ。


「この手は表紙を、この指はページをめくり、この目は悲劇を閲覧する」


 ——嵐がやってくる。


 紡がれる祝詞によって生み出される、“存在の格”の桁が違う力に空間が震えた。


「数多終わりし物語たちよ、刻まれ、しかし奪い去られたものたちよ。“再演”の名の下に、今一度世界を満たそう」



「あれは、エトくんの祝詞と同じ……!?」


「……違う」


 断言できた。理由はわからないが、この祝詞が違うことだけは確かだと確信できた。


「俺のものとは、決定的に違う!」


 最下層全体を席巻する嵐に飛ばされないよう必死に踏ん張りながらラルフが叫ぶ。


「なんなんだよこれは!?」


 ストラが防御に岩壁を生み出すも、生成したそばから破壊されていく。


「魔力の桁が、違いすぎます!」


 瀕死のチカとグロンゾを庇うようにヴィトウが身を屈めた。


「みんな、飛ばされないで……!」


 その嵐の中に、影が差す。



「——今ここに、語り部が告げる」


 嵐の中でも悠然と空に立つグレイギゼリアがより一層力強く祝詞を発した。


「これなるは厄災の逸話。物語に堕ちた風よ、今一度君を呼び覚まそう」


 嵐がより集まり、空間の中心で激しく渦巻いた。


厄災因子ディザスター——————カンヘル」



 瞬間、鼓膜を突き刺すような、黒板を爪で引っ掻いたようなあの怪音の数十倍ではすまない大絶叫が空間を震わせた。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!』


 俺たちは耳を抑えその場に崩れ落ちる。

 腕を無くし耳を抑えられなかったヴィトウやグロンゾが鼓膜から血を流して意識を失った。


「え、とくん……あ、あれ」


 イノリに促され視線を上げる。


 そこには、嵐の中から生まれ出る一体の魔物の姿があった。

 ラルフが、震える声で笑った。


「ハハッ……じ、冗談きついって……!


 万物を薙ぎ払う長大な尻尾。全身を覆う鋼を優に上回る硬質な鱗。空間を圧迫する、見たものを震え上がらせる巨大な一対の翼。世界を切り裂く鋭い爪を携えた四足。何物でも阻めない、一切合切を噛み砕く牙を持ったあぎと


 縦に伸びた瞳孔と、目が合った。


「嘘、だろ……?」


 嵐を纏う緑白色の魔物が、俺たちの目の前で産声を上げた。

 その、忌み名を呟く。


「“竜”……!」


 ——正解だ。

 そう言わんばかりに、竜は一層激しい雄叫びを上げた。




◆◆◆




 厄災の象徴、あまねく生命の敵対者、“竜”。

 過去に観測されてきた竜は全て、危険度12を超えている。

 

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