〈厄災因子〉

 ——〈厄災因子ディザスター〉、カンヘル。


 グレイギゼリアによって召喚された体高10Mを超える“竜”は俺たちを一度睥睨し、直径100Mのドームを狭苦しそうに見渡した。


 ——直感が、耳を塞げとがなりたてた。


「全員耳を塞げーーーーッ!!」


『え——』


 俺の忠告とカンヘルの咆哮は同時だった。


『WoOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO--------!!!!!!』


 刹那、咆哮が壊滅的破壊を齎す。

 音圧だけで俺の意識は数瞬刈り取られ、大きく後方に吹き飛ばされた。


 ——異界が、崩壊する。


 たった一つの咆哮だけでカンヘルを中心に異界は球状に破壊され、『庭園』三十二層は三十層までと地続きになった。


「冗談じゃねえ……!」


 落ちてくる瓦礫から倒れ伏すイノリたちを守りながら、俺はカンヘルの更に奥——拡張された空間の、元々は三十か三十一層の小道だったのであろう横穴に腰掛けるグレイギゼリアを睨みつける。


 俺の視線に気づいたグレイは、楽しそうに笑いひらひらと右手を振った。

 ——怒りが、グレイへの殺意が微睡水天マドロミスイテンに押さえつけられて湧いてこない。


「……クソッ!」


 自分の弱さに舌打ちしカンヘルへと視線を移し、同時に仲間に呼びかける。


「全員立てるか!?」


「も、ちろん……!」


 一番初めに立ったのはイノリ。次いでラルフとストラが立ち上がる。

 耳から脳を揺らされたハルファたちは、全員意識を失っていた。が、幸いと言うべきか。全員上手く陰になるところへ弾き飛ばされたためか瓦礫による死傷の心配はなさそうだった。


 俺は、皆に問う。


「なあ、逃げられると思うか?」


「無理じゃね?」


 一番最初にラルフが否定した。


「ぶっちゃけ死ぬほど逃げたいし逃げなきゃ死ぬけど……いや、違うな」


 ガリガリと頭を掻いたラルフが、怒りを滲ませて俺の横に立った。


「あの野郎をぶっ殺してえ。エトを……俺が憧れた仲間を同類だなんて抜かしやがったクソ野郎をぶん殴らねえと気が済まねえ!」


「わたしも、エト様を傷つけるアイツを消し炭にしてやりたいですね」


 怒りを鎮静化されている俺の代わりに怒るように、二人は覚悟を決めた表情で竜を、グレイを睨みつけた。

 だらしなく垂れた俺の左手を、イノリの手が包み込んだ。


「——やろうエトくん。アイツを超えなきゃ、どのみち金級なんてなれっこない!」


 ……つくづく。

 俺は縁に恵まれていると感じる。

 そして今度こそ、二度と、その縁を手放さないと誓った——なら、やることは決まっていた。


「——全員戦闘開始! 持てる力の全てを使って竜を討つぞ!!」


「「「応!!」」」



 俺を見下ろす、グレイギゼリアが笑った。


「その調子だ、見せてくれ《英雄叙事オラトリオ》。君の物語、その真髄を」




◆◆◆




「——シャロンッ!!」


 開幕速攻。

 出し惜しみなんてことができる相手ではないと無理やり悟らせてくる竜——カンヘルに対して、エトはシャロンへと姿を変化させ白銀の闘気を全開に。同時に身体強化魔法を併用し最大出力に到達する。


 さらに、そこへイノリの魔眼が光る。


「貴方は世界を置いていく!」


 風と音を引きちぎり、数百Mもあった彼我の距離を一息で詰め、竜の喉元にエストックが閃いた。


 ——ギャリリリリリリィッ! と凄絶な火花が散り……擦り傷ひとつ負わなかった鱗の冗談のような耐久力に、エトの瞳が驚愕に見開かれた。


「無傷!?」


「避けろエトっ!!」


 ラルフの警告にエトの視線が動く、そんな悠長は、竜の前では許されない。

 10Mを超える巨体の巨木のような右腕が体気を弾けさせながらエトの知覚を振り切って振り抜かれた。


「ガッ!?」


 間一髪剣を間に挟めたのは、奇跡以外のなにものでもなく。メキメキと全身の骨に罅を入れられながらエトの肉体が吹き飛ばされ壁に激突し空間を揺らした。


『Wo------』


 壁に叩きつけられたエト目掛けて、カンヘルが追撃の砲撃ブレスを溜める。


「させねえ——!『吼えろ猛炎』ッ!!」


 青炎を後方に放出し加速したラルフが大きく飛び上がりブレスを構える顎目掛けて大戦斧を振り払った。


 カンヘルは、その一撃をで挟み込み受け止めた。


「はあ!?」


 冗談のような光景にラルフが怒りと驚きをないまぜにした声を上げる。


「ふざけんな——咲け、『灼華』!」


 青炎が開花した。


「『空を裂く光の海よ 厄災穿つ激情の唄よ 我が名において宣誓する』!!」


 同時に、ストラが詠唱を完結させる。——齎すのは、『魔剣世界』レゾナで六臂アスラの軍勢を葬り去った極光の雨。


 ラルフの青炎がカンヘルの視界を一瞬塞いだその瞬間を逃さず、ストラは杖を竜へと突きつけた。


「ぶっ飛べぇえええええええてええええええええええええええええええええっ!!」


 極太の純白の極光が幾重にも折り重なって放たれる。

 殲滅力ではなく、ただ一体を滅ぼすために編み込まれた光がカンヘルに迫る。


『WoOOOO----!!』


 対する緑白の竜は雄叫びを上げ、に働きかけた。

 空気が渦巻き、万物を吹き飛ばす嵐が顕現——光と正面から衝突した。


 拡張された空間全てに届く甚大な衝突の余波に異界が悲鳴を上げるように崩落が加速する。

 拮抗する両者の一撃。


 歯を食いしばるストラに対して、カンヘルは尻尾を一振り、ラルフを地に叩きつけ、翼を薙いだ。瞬間、嵐の暴威が膨れ上がりストラの極光を喰らい潰した。


「ぁ——」


 勢い衰えぬ、むしろ激しさを増す嵐を前に矮小なストラの身が凍りついた。

 ——その世界を、時計仕掛けの魔眼が睥睨する。


「世界よ、私を置いていかないで」


 割り込んだイノリがストラを横抱きに疾走し嵐の一撃から脱出——即座にカンヘルを視界に収め。


「……えっ?」


 あまりの存在の“格”の違いに耐えきれなかった魔眼が一瞬にして限界を迎えて破裂した。


「ぁ……ぁあああぁアアアアア!!?」


 貫くような激痛に耐えられずイノリが失った虚ろになった左目を押さえ絶叫する。

 そして、刹那の間とは言え動きを制限されたカンヘルはひどく苛立っていた。


『WoOOO……』


 縦長の瞳孔が窄み、イノリを睨みつけた。

 視界の横に、虹が輝く。


「アルカンシェルッ!!」


 ——突貫する。

 肉体変化により一時的にこれまでのダメージ蓄積を無効化したエトが極彩色の魔剣を振り抜いた。


『Wo----!!』


 ストラの魔法と撃ち合った余波。乱れる気流と立ち昇る土煙によって僅かに知覚が遅れたカンヘルのブレスの初動が遅れた。

 ほんの僅かな隙。エトの魔剣がカンヘルの左眼を穿った。


『GaAAAAAAAA--!!』


 怒りに震えたカンヘルが暴れ狂うように頭部を揺らし、より深くエストックを突き立てようとするエトを地面に叩きつけて振り払った。


「ぐぅ……!? くそっ!」


 有効打に留まったことにエトは舌打ちし、すぐにイノリのそばへ駆け寄った。


「イノ……、かはっ!?」


 駆け寄ろうとして、半強制的に変身が解除されエトはその場に崩れ落ちゴポリと血塊を吐き出した。


「え、ト……!?」


「エト様!?」


 満身創痍のラルフとイノリに庇われたストラの声はエトに届いていなかった。


「ハッハッハッハッハッハッハッハッハ————」


 全身を貫く激痛、燃えるようで、しかし凍えるような寒さに震える。


「ハッハ……!? が、ぁあ……く、そがぁ!!」


 エトの肉体は、僅か二撃で限界を迎えていた。

 異形のアルラウネとの戦いで蓄積した疲労。そして、シャロンとエルレンシア、それぞれの肉体で受けたダメージのフィードバック。


 魂の損傷はそのまま肉体へと反映され、結果、エトの内蔵はぐちゃぐちゃにシェイクされ、筋肉も至る所がちぎれ、骨だって砕けていた。


 竜の、文字通り桁違いの力を前に、エトはなす術もなく這いつくばる。


 ラルフもエトほどとまではいかないが、竜の尻尾の一撃を受けたことで背骨に罅が入り、内臓も内側で破裂しとてもじゃないが戦える状態ではなく。


 イノリは左眼を失った痛みと魔眼の反動でまともに言葉を紡ぐことすらできず。


 残るストラは、未だ単身で戦える能力は有していない。


 危険度12……厄災の象徴“竜”。その圧倒的な力を前に、エトたちはただ膝をついた。


 カンヘルは容赦なく、四人にトドメを刺すべく翼を揺らし嵐を生み出す。

 エトの渾身の一撃により穿たれた左眼は、既にさいせいしていた。


『WoOOOOOO----!!』


 嵐の暴威がたった四人の冒険者へと放たれる、その直前。


 空間の遥か上部から投擲された八つの円刃が嵐を切り刻んだ。


「——おい、まだ生きてんだろうな?」


 刃の持ち主、金五級冒険者〈落陽〉のヴァジラは竜の前に降り立ち、心底ダルそうにため息をついた。


「……ったく、楽な休暇だと安請け合いすんじゃなかったぜ。援護しろアリアン! おいピルリル! そこの一番やばそうな男から治療だ! 殺すんじゃねえぞ!」


 遅れて落下してきたアリアンとピルリルに指示を出したヴァジラは八つの円刃を回収し、単身竜の前に立つ。


「私の援護、竜相手には殆ど意味ないと思うんだけど?ま、やるだけやるけど」


「うへぇ、なにこれ全身ボロボロ……呪いまであるし。コイツ、なんでこれで生きてるのぉ?」


 惨憺たる有様のエトに絶句したピルリルは、エトの並外れた生存力を気味悪がりながらも治療魔法を使用する。

 そこに、治療の気配を感じ取ったイノリが覚束ない足取りで近寄った。


「うわぁ、キミも大概ヤバいねぇ……ごめんね。まずはコイツを治すから——」


 首を横に振るイノリの違和感に、ピルリルの表情が険しくなった。


「……キミ、もしかして言語中枢を」


 イノリは、困ったように微笑んで頷いた。


「ごめんねぇ、それは今すぐには治せないや。動けるなら、あっちの斧持った子の応急処置をお願い。私だけじゃ手が足りないから……ね」


 イノリはこくりと頷き、虚空ポケットからありあわせの治療道具を引っ張り出してラルフの元へと歩み寄って行った。



 その一連の様子を背後で感じ取ったヴァジラは、強く舌打ちをした。


「つくづく、厄災ってのはクソだな……テメェが元凶か?」


 ヴァジラに睨みつけられたグレイは、ただ微笑むのみ。乱入者を排除しようと動く気配はなく、むしろその波乱を楽しんでいるようにすらヴァジラには感じられた。


 金級としての勘が囁く、これはろくでもないことに首を突っ込んだと。


「けどよぉ、今更退けねえんだよなぁ……」


 俯くヴァジラに、カンヘルが右腕の爪を振り抜いた。

 紙一重で回避したヴァジラの胸や太ももが浅く抉られ鮮血が吹き出し、


「『隷属 血盟 西風の討征 渡り鳥よ 我が血を干せ』!!」


 ヴァジラを中心に爆煙を巻き込んで風が渦巻いた。同時に、ヴァジラは再び八枚のチャクラムで己の腕を自傷する。

 カンヘルの攻撃が治療中のピルリルへと向かわないよう位置を調整し、詠唱。竜の生み出す暴嵐に身を切り刻まれることすら利用して、吸血鬼にとって最良の魔力媒体である血を拡散させていく。


「『隷属 血盟 葬送の円環 鋼の刃よ、血を喰らえ』!」


 血液を中心に無数の爆炎が発生し、ひとつひとつがラルフの青炎を優に上回る熱量を誇る八枚の爆炎刃が生み出された。


「初めての竜討伐が救援たぁ思わなかったが……これもまあか」


 気勢を吐き出したヴァジラが爆炎刃と共に疾走——カンヘルとの戦闘を開始した。




◆◆◆




 ——弱い。弱い。弱い。

 ——なにも、変わっていないじゃないか。

 ——無力を痛感し、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓ったというのに。

 ——俺はまた、こうして倒れ伏している。


 ——あの日、俺がもっと速く辿り着いていれば、ガルシアは死なずに済んだ。王子の首だと、敵兵に、死んでなお肉体を蹂躙されずに済んだ。

 ——あの日、俺がもっと強ければ、アルスに全てを背負わせることはなかった。彼女が弱い俺を庇って死ぬなんて結末はあり得なかった。


 ——この音は誰だ。誰が戦っている。

 ——ラルフか、イノリか、ストラか……それとも全く違う誰かか。

 ——それとも、戦いはとっくに終わって。俺は、わがままにも負けていないと信じ込みたいのだろうか。



 ジャラジャラと、鎖の音が聞こえる。

 何かを縛り付ける鎖の音が。

 身体が冷たい、胸が熱い、怒りが……湧いてこない。


 ……その程度のものだったのだろうか。たかが魔剣の力ひとつで押さえつけられてしまうほどの、安い感傷だったのだろうか。


 ——ピシリと、エストックに罅が入る。


 魂が泥濘に落ちていく。

 ぬるま湯に浸るように、身を任せて——声。


 胸の内から、声が響く。


『…………殺せ』


 その声は、怒りと憎悪、悲哀と悔恨に満ちていた。


『竜を、殺せ……!』


 魂を焦がす怒りが、胸の内で渦巻いた。

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