雨が降らねば

 『魔剣世界』レゾナの首都ガルナタル。その上空で滞空する飛空乗艦内部。


 船員は、ランビリスと並ぶ『絡繰世界』カロゴロの外交官であるバグラムを除いて全て絡繰である。


「ランビリスめ、愉しみを優先して死ぬとは愚かな」


 船内にある全ての絡繰は、飛空乗艦も含め、『魔剣世界』から奪取した《聖杯》より供給される無限の魔力によって駆動している。


 バグラムは感覚同調により鳥型絡繰と視界を共有し地上の様子を観察する。が、勘のいい何者かの砲撃によって即座に撃墜されてしまう。


「潮時か。またやり直しだが……それもいい」


 未だ38と若いバグラムは、ザインを煽り立てた世界の傀儡化計画主導者のランビリスとは違い、この計画一つに対する思い入れは然程大きくない。

 バグラム個人としては、《聖杯》の奪取こそが最優先にして最大の目標である。


「団結力とエネルギー資源を差し引き、『魔剣世界』の総合力はやや上方修正といったところだが、我々はこの《聖杯》によって大きく躍進する」


 利益と損失を十分に吟味したバグラムは、この侵攻が決して無意味ではないと結論づけた。


「《聖杯》さえあれば、“本国”が全軍を動かし侵攻することもできる。さて、引き上げるとしよう」


 幾つかのボタンを操作し、離脱・帰還の指令を飛ばす。

 細く長い息を吐きながら背もたれに深く身を預けるバグラム。


「……む?」


 なんとなく見た下方を映す監視カメラ。そこに、


「…………冗談だろう?」




◆◆◆



 ——『ほらほら急いで外出て! 時間ないんだから早く早く!』


 ——『あなた方の想いは理解できますわ! ですが今はそんなことを論じている暇はありませんの!』


 ——『終わった後にじっくり話せばいいの! 今はとりあえず世界を守るよ!!』


 リンカやリディアを筆頭に、避難していた生徒たちが雪崩のように退去したブルの学舎。

 あっという間にもぬけの空になった学舎を取り囲むように魔法学園の生徒たちが並び、折り重なって両手を建物へと押し付ける。


 リディアを中心に建物全てを覆う形状変化の魔法陣が構築され、ストラによって無制限に魔力が供給されていく。


「ストラ、平気か?」


 俺の確認にストラははっきり頷いた。


「問題ありません。わたしの役目は魔力の供給だけですから、負担は軽めです」


 やや無理をしている感は否めないが、倒れる寸前、というわけではなさそうだった。


「ヤバそうだったら言ってくれ。すぐに代替案を考えるから。にしても……」


 俺は音を立てて姿を変えていく巨大なブルの学舎を見上げる。


「これ、地下に避難してる人たち平気なのか?」


「入り口がなくなってしまうから、後で掘り返さないといけないわね」


 そう答えたのは、先ほどよりも少し顔の血色の良くなったエスメラルダ学園長だった。


「ええ……全然平気じゃなかった」


「そうかもしれないわね。でも、下手に地上に出すよりは安全ですから」


「まあ、それはそうなんだが」



 ——船を堕とす。

 その方法は、結論、凄まじくシンプルな脳筋戦法だ。即ち、『船まで直接近づいてぶった斬る』である。


 道を作るのは魔法使いたちの役目。そして、船を斬るのはラルフの師匠であるザインの役目だ。


 刻一刻と形を変え、空へと登る石造りの一本道。空とほぼ直角に伸びる、道というより崖のような何かを前にザインが静かに錆びついた剣を抜き放った。


「大丈夫か師匠? 全身罅だらけだろ?」


 身を案じるラルフにザインは鼻を鳴らした。


「この程度で弱音を吐けと俺はお前に教えてねえ。問題ねえよ」


「師匠がそう言うなら良いんだが……」


 全く良くない、そう顔に書いているラルフを無視したザインは僅かに視線を彷徨わせた後、魔法陣に魔力を供給し続けるストラを見つけ、近寄った。


「……なんですか? ガッツリスケベさんのお師匠さん」


「その並びは俺まで変態扱いになるからやめろ。不名誉な称号はあの…………、だけで良い」


 会話の出鼻を挫かれたザインは「そうじゃねえ」とこめかみを一度揉んだ。


「お前、は……いつから、魔法を使えるようになった」


「半月ほど前です。エト様がくーちゃん先生を……あそこでのんびりしている人を紹介してくださったお陰で、夢を追うことができています」


「……そうか。お前は、すごいな」


 突然ザインから……初対面の男に褒められたストラが怪訝な顔をする。


「変な人ですね。わたしからすれば、貴方のほうが凄いと思います。世界から否定されても、その道を貫いたんでしょう? わたしは、殆ど折れていましたから。一人では貫けませんでしたから」


「俺も、似たようなものだ。諦めて、託そうとしていた。だが……まだ死ぬ気にはなれん。やりたいことが増えた」


「奇遇ですね。わたしも、さっきの魔法が失敗したせいで、当分死にたくなくなりました」


 二人は揃って、同じタイミングで笑った。


「おい! 師匠が笑ったぞ!」

「ザイン様が笑った!?」

「おい! 誰か記録を! 写真は!?」

「持ってるわけねえだろ! 手書き、手書きはどうだ!?」

「バッチリです!!」

『なんで書いてんの!?』


 途端に喧しくなったラルフと剣の面々にザインがガッツリ舌打ちした。


「馬鹿共が。後でしばく」


 その様子を一歩引いた場所で見ていた俺は、隣に立つイノリと苦笑いを浮かべた。


「凄いね、魔法学園のみんな。通ってるから分かってはいたけど、みんな優秀な魔法使いだ」


「冒険者の等級でいえば、大体の生徒は銀五級は硬いな」


 加えて、リディアのような一部生徒であれば魔法という一点であれば銀三級に手が届くだろう。大世界が、世界を挙げて教育を施すとこうも恐ろしい集団が生まれるのかと、俺は意味もなく身を震わせた。


「——上を見ろ! コンテナが落ちてくるぞ!!」


 鋭い警戒に魔法行使中の魔法使い以外の全員が上を見上げる。

 雨天。雲を越えて見えなくなりながら撤退する飛空乗艦がこちらの意図に気づいたのだろう。魔法を妨害するべく、絡繰を収容したコンテナを置き土産のように落としてきた。


「一体何個入ってんだよあの船の中に!!」


 内部の質量どうなってんだとキレ散らかす俺だったが、虚空ポケット保有者の俺たちが言っても説得力がなかった。


「多分物質転送の類いじゃないかな……いやいや、今はそんなこと後! リンカちゃん! 進捗は!?」


 同じブルのクラスで面識があったらしいイノリの確認に、リンカが半べそをかいて首を横に振った。


「これヤバーい! 間に合わないよー!」


 ぐんぐんと高度を増していく飛空乗艦。追い縋るように伸びる鉄筋の一本道の先端と船底との距離が縮む速度が瞬く間に遅くなっていく。

 あと一分もすれば千切られるのは確定的だった。


「——十分だ。出るぞ」


 そう言ったザインが坂の目の前に立ち、錆びついた剣を構え、腰を落とした。


「お嬢、は?」


「貴方の注文通り、大量に用意しましてよ! 存分に叩き切ってくださいまし!」


 一本道の途中には、崖に突き刺さるハーケンのように飛び出る案山子のようなまとが、段々と感覚を狭めるように設置されていた。


「ザイン。貴方たちは魔法を守ってくださいました。ですから、今度はわたくしたち魔法が、貴方の背中を押しますわ!」


「感謝する——征くぞ」


 他の者の応援や声援を待つことなく、ザインは風のように一本道を駆け上った。


 ザインが踏み込んだ瞬間、案山子が斬断される。

 刹那、斬撃が重なる。

 歩法、呼吸、体捌き、闘気の循環。

 ザインの剣技は一閃毎に加速し、重くなる。そして超速の剣技を扱うその身もまた、常人の域を越えて加速してゆく。


「はっっっや!?」

「もうあんなに遠くに!」

「あれが同じ人間!? 冗談だろ!」


 若い魔法使いたちの驚愕はもう届かない。いつしかザインの身は風を切り裂き音速を飛び越えた。

 高く高く一本道は雲を突き抜け、遥か上空の飛空乗艦へと伸びる。しかし、


「……ダメだ、間に合わない」


 ザインの出鱈目な速度でも追いつけない。それを悟った俺は、前へ。


「——行くぞ、シャロン!」


 その名を呼んだ瞬間、俺の胸から無数のページが溢れ出し全身を包み込み、一秒と経たず肉体が置換される。


 絶句、絶叫、悲鳴。何やら凄まじく喧しくなった周囲の反応を気にしつつも一本道の前に立ち、疾走の体勢に入る。


「イノリ! 俺だけを視てろ!」


「そ、それはいいけどいいの!? エトくん正体バレちゃったよ!?」


「……は?」


 イノリが何を言っているのか理解できなかった俺は、ふとやかましい周囲を見回す。そこで、バチっと一人の男子生徒と目が合った。胸に金のワッペンをしたその男子生徒は、確か入学から半月くらい経ってからシャロンに告白してきた………………あ、やべえ。


 俺は弩級の失態を悟り、静かに横にいたラルフの足を刈り取り俵抱えにした。


「うわっちょ——何すんだエト!?」


「もうどうにでもな〜れ! 行くぞラルフ!!」


「は!? 行くって……」


「決まってんだろ! イノリ!!」


 ヤケクソになった俺の最速にイノリが頭を抱えながら左眼をひらいた。


「これ私が問い詰められる流れじゃん! あーもー! 『貴方は世界を置いていく』っ!!」


 イノリの瞳を受け、俺の体だけが世界の時間を置き去りに加速する。


「行くぞラルフッ!」


「待てエト待て待て待って何言ってるか早すぎて聞こえねえって待て待て行くっておままさか——」


「決まってんだろ! お前の師匠の背中を押しに行く!!」


 一歩爆砕。

 白銀の闘気を最大放出し、阿鼻叫喚の地上に別れを告げる。俺はラルフを抱えたまま、最速でザインの背を追うように疾走。


「エトくん後で埋め合わせだからねーーーー!!?」


「あばばばばばっばばばばっばばばばばばばばばばばばっばばばばばばばばばばばば————」


 一瞬で音速の世界に飛び込まされたラルフの言葉にならない悲鳴を伴い空を駆け登った。




◆◆◆




 疾走する。

 風邪を切り裂き、音を置き去りに、剣を、『魔剣世界』を嗤う元凶を討つべくザインの肉体は限界を越えて加速する。

 しかし、届かない。


(——畜生)


 少しずつ、徐々に距離が埋められなくなっていく。上昇する飛空乗艦に対して、ラルフの加速は既に限界値に達した。

 既に高度は一万Mを超え、目算1000Mの距離。これ以上離されれば、ザインではどう足掻いても届かない。

 諦めが再びザインの心を覆おうとした、その時。


「………、ハッ!」


 背後から迫る背中を叩く二つの闘気のプレッシャーにザインの口元が自然と笑みを浮かべた。


 追いかけてくる二人を置き去りにするように、更なる加速を断行する。


 終点が見えた一本道の先端。

 リディアの遊び心か、はたまた怒りの具現か。道の終点に立つ案山子は、阿呆面を晒した絡繰だった。


「行くぞ馬鹿弟子!」


 斬断、踏み切り。

 最高速に達したザインが遥か上空へ向かってありったけの脚力で飛翔するように跳躍した。


 一瞬遅れてシャロンエトラヴァルトが踏み切り、大跳躍。同時にの体勢に移る。


「飛ばすぞラルフ!!」


「あーもーどうにでもなぁれ!!」


 ヤケクソになったラルフが身を屈め、シャロンが振りかぶった。


「カタパルトだ! ぶっ飛べ!!」


「これ今日二回目なんだけどぉおおおおおおおおお!!」


 目尻から涙を流しながらラルフがザインに追い縋るように宙を舞う。


「エトの馬鹿野郎〜〜!!」


 安全性にはまるで配慮していない投擲により錐揉み回転したラルフは、を追い越すギリギリで姿勢を制御。両手を組み、ザインの足裏に添えた。


「師匠! 行くぞ!」


「やってみろ馬鹿弟子!!」


 ザインからの最上級の発破に口角を吊り上げたラルフ、全魔力を動員する。


「『吼えろ猛炎』っ!!」


 指向性を一方向に絞った青炎が彗星のように空に箒星を描く。最大出力の青炎×闘気による肉体強化。

 ザインを送り届ける、ただその一点にラルフは己の全てを賭ける。


 『湖畔世界』フォーラルでグレーターデーモンに心折れ、イノリとエトの背をたどり見送ることしかできなかったあの日とは違う。

 ラルフは自分の魂を乗せて、今、ザインの背中を押した。


「行けっ! 師匠ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 投擲、超加速。

 超音速を超えるザインの肉体。闘気で全身を守っていなければとうに燃え尽きてしまうだけの大気との摩擦、全身が軋みを上げる重圧と痛みに、ザインは己の生を実感した。


「『絡繰世界』よ!見ろ!これが『魔剣世界』だ!!」


 闘気の最大放出。

 後先考えない、ここで全てを出し切るという不退転の覚悟によりザインが正真正銘、最後の一撃を呼ぶ。

 錆びついた剣が暗い闘気を纏い、伸長する。


「ウオォオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」


 裂帛の気合いと共に、一閃。

 刹那の後、飛空乗艦が中央から真っ二つに斬断された。


 全てを出し切ったザインの闘気が霧散する——刹那、飛空乗艦の中央から輝きが生まれ、が始まる。


「なっ——!?」


 輝きの正体は、《聖杯》。

 供給される無限の魔力によって、飛空乗艦が瞬く間に傷を癒してゆく。


「受け取れっ! エトォオオオオオオオオオオオオ!!」


 だからこそ。

 全てが無駄になる前に。

 ラルフは己の腰から剣を抜き放ち、共に落下するエトへと投擲した。

 意図を悟ったエトは剣を受け取り、咆哮。


「エルレンシア!!」


 ページが舞い散り、夜天の鎧を纏った黒髪の女性、エルレンシアの肉体へと置換する。


「俺の全部を——!」


 受け取った剣に、エトが全魔力を注ぎ込む。

 極彩色の膨大な魔力を得た剣が内圧で破裂しそうなほどにひび割れ、七色の光を帯びた。


「——ザイン!!」


 刺すようなエトの叫びにザインがはっと下を向き、飛来する剣を乾いた音を立てて受け取った。


 その瞬間、極彩色の魔力が荒れ狂う。

 剣身が弾け飛び、魔力そのものが剣と化し、眼前の障害に必滅を言い渡す。


 自らの手の先で吹き荒れる魔力の奔流に、ザインの瞳が幼年の輝きを取り戻す。


「ぶちかませ! 師匠!!」

 ラルフが叫んだ。

「ぶった斬ってくださいまし!」

 曇天の雲すら貫通する虹の輝きにリディアが大声を張り上げた。

『いっけえぇえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!』

 魔剣世界の誰もが、あらん限りに声を張り上げた。


 ザインが『虹の魔剣』を振り下ろす、その瞬間。魔力を通じて、その名を知った。


「輝け、アルカンシェル——!」



 放出された極大の魔力はザインの超速の斬撃と呼応し、飛空乗艦を再生不可能なまでに木っ端微塵に吹き飛ばした。


 未明から降り続けていた雨は、その凄まじい剣圧に雲が散らされたことで吹き飛び、ガルナタル上空に局所的な晴天をもたらした。


 ——空に、虹がかかる。


 エルレンシアの魔力の残滓と雨の残り香によって生まれた虹が、一つの戦いを終え、そして、長い戦いに身を投じる世界の人々を照らしていた。

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