〈虹の魔剣〉

「——物語を語る」


 それは、魔法詠唱ではない。

 それは、闘気を増幅させる暗示でもない。

 その言の葉を知るイノリとラルフを先頭に、多くの者が屋上から落ちないようにギリギリまで身を乗り出してエトラヴァルトの背を見守る。


「この手は表紙を撫で、この指はページをめくる」


『この光は……!?』


 輝きを放つ命の奔流にメインカメラを焼かれたランビリスが苦悶の声を上げた。


 エトは、自分が内側から焼き尽くされてしまうような熱に胸を焦がし、その熱を世界に放つように力強く祝詞を紡ぐ。


「——数多紡がれし物語たちよ。刻まれ、風化し、忘れら去られた欠片たちよ。伝え聞く無限に広がる旅路よ。今一度ここに再演を」


 ページをめぐるエトの手が、とまる。

 澱みなく祝詞を紡ぐ口が一度閉ざされ、意を決したように再び開かれた。


「——今ここに、語り部は新たな物語を呼び覚ます!!」


 刹那、エトラヴァルトを中心にが渦巻いた。



「なんだ、あの魔力は!?」


 誰かが言った。


「彼の魔力は、白銀だったはずだ! なんなんだ、あの——出鱈目な色の魔力は!!?」


 元来、魔力や闘気は千差万別の色を持つ。

 燃え盛るラルフの闘気。

 暗いザインの闘気。

 〈迅雷〉のギルバートの黄の魔力。

 くーちゃんの純化した透明な魔力。

 

 そして、エトの魔力は白銀色——


 エトは元来、魔力を持たない。才能という観点から見て、彼は色以前に、魔力を生み出すことができないのだ。

 ゆえに、白銀の魔力と闘気は“シャロン”のものだ。


 そして、この極彩色の魔力は、シャロンのものではない。



「曇天を晴らす剣、灰の世界を彩る魔法! 幼き憧憬は結実を迎え、この身は世界の名を冠する!」


 空間を彩る魔力の奔流が絡繰たちのレーダーを狂わせ、その歩みを鈍らせる。

 メインカメラを復旧させたランビリスが見たのは、極彩色の中で本を携え屹然と自分を見据えるエトラヴァルトの姿。


「開け、《英雄叙事オラトリオ》——!!」


 声高に名前を呼んだエトが、その手に持つ古びた一冊の本を投げ上げる。

 宙を舞う本が無数のページを吐き出し、空間を覆い尽くすように乱れ舞う。




 極彩の魔力と無数のページが入り乱れる幻想的な景色にザインは目を奪われた。


「なんだ、あれは……本? 魔法なのか?」


「……違いますわ。あの本からは、魔力を欠片も感じません」


 ザインの呟きを否定したリディアだったが、その本の正体がなんなのかまではわからなかった。


「イノリさん、ラルフさん。お二人は、エト様のあの本が何か、ご存知ですか?」


 ストラの問いかけに、二人は揃って首を横に振る。


「知ってたつもり、だったんだけどね?」


「今の景色でなんもわかんなくなったなあ……。ああ、でも」


 得体の知れないものではあるが、一つ、確かな事実があるとラルフは笑う。


「あの状態のエトが、負ける気はしねえな」




 舞い散るページの中、エトラヴァルトは打倒すべき敵——『絡繰世界』を見据える。


「この世界は、剣と魔法、互いに切磋琢磨し成長してきた。互いが互いを補いあい、手を取り合って進んできた。だからこそ、この物語がここにある!」


 舞い散るページが収束し、エトラヴァルトを包み込むように踊り狂う。


「この魂が叫ぶのは! もう一度手を取り合った魔法と剣、その未来を見たいと俺が願うからだ!! ゆえに今! この名を叫ぶ!!」


 エストックを抜き放ち、剣身に極彩色の魔力が集う。


再演リ・ページ——アルカンシェル!!」


 刹那、天を衝く光の柱が顕現する。

 見る者全ての瞳を焼く眩い光。それは、七色に輝く“虹”そのもの。


 光が収束したその場に居たのは、夜天を思わせる黒い鎧を身に纏った一人の黒髪の女性だった。


『…………は?』


 理解不能な出来事を前にしたランビリスは、人間であった頃を思い出すような困惑した呟きを漏らした。

 それは、屋上の防衛戦力も、屋内の避難者たちも同様だった。


「お、俺の目がおかしいのか? 銀髪の剣士が、女になったぞ?」

「お、おちつけ! 俺にもそう見える!」

「幻覚魔法? いや、しかしあの質感は……」

「……いい尻してんなあ」

『いやそこじゃねえだろ』


 皆一様に驚きの声をあげるが、中でも、イノリとラルフの反応は特別大きかった。


「ど、どどどどうなってるの!? エトくんでもシャロンちゃんでもないんだけど!?」

「ほう、中々グラマラスな体型……正直シャロンちゃんより好み——」

「ラルフくんいっぺん死ぬ?」

「勘弁してください」



 誰もが困惑……戸惑いの感情を露わにする中、リディア、ストラ、そしてエスメラルダの三人は、全く別の感情を有していた。


「あの、後ろ姿……あの、虹の魔力は……!」


 大慌てで一冊の本を取り出したリディアは、そこに描かれた一枚の絵と眼下の女性を見比べ、目を見開いた。



「ああ……そうなんですね」


 ストラは張り裂けそうな胸を抑え、ぎゅっと目を閉じた。


「目指した虹は、ここにも、あったんですね」



「エスメラルダ、見えてる?」


「……ええ。見えていますよ、お姉ちゃん」


 その少女は、魔法も、剣の才能もなかった。

 それでもひたすら夢を見て、前に進み続け、そしてとうとう、成し遂げた。


「私が見たかった虹は、今、ここにあります。嗚呼、もう一度、彼女を見ることができるなんて……!」


 逞しく、頼もしい親友の背中に、エスメラルダは感極まったように涙を流した。




 腰まで伸びる艶やかな黒髪を風に揺らす夜天の鎧を着た女性を前に、ランビリスは警戒を最大限に引き上げる。

 と。


『全軍、目標を正面の生命体に照準! なんとしてでも、ここで仕留めなさい!!』


 ランビリスの指令に、絡繰の最前線が突貫する。

 たった一人を物量で押しつぶすという明確な殺意を滲ませる命令に、六臂アスラたちがブレードを携え前進。


 鋼の行進を前にした女性は、細長く頼りない剣を撫で——魔法陣を生成。

 直後、石畳を軽々と蒸発させる灼熱が吹き荒れた。


「さあ、ここから——」


 凛々しい声が宣誓する。

 灼熱を纏った剣が限界まで赤熱した。


「ここに! もう一度『魔剣世界』を始めよう!!」


 一閃。

 灼熱の轍が吹き荒れ、女性を切り刻まんとしていた絡繰の全てを一薙で全滅させた。


「エトラヴァルト、改め——〈虹の魔剣アルカンシェル〉エルレンシア!」


 驚愕に絡繰の身体を強張らせるランビリスに剣の切先を突きつけ、高らかに宣言した。


「——世界の障害を打ち砕く!!」




◆◆◆





「土地の縁まで使って、こっちからアプローチかけてやっと気づくなんて、全く困った語り部だねえ」


 一枚のページの上。

 俺の前には、見たことのない黒髪の女性が立っている。身長は170cmほど。女性の中では大きい方か。


 凹凸はっきりとした嫋やかな肢体を見せつけるように大きく伸びをした女性は、男勝りな勝ち気な笑みで俺の前に立つ。


「あたいの名はエルレンシア。待ってたよ、最も新しい語り部」


 ……俺は、静かに崩れ落ちた。


「また、女性かよ……!!」


 滂沱の涙を溢し、俺は舞い散るページ……即ち《英雄叙事オラトリオ》に向かって絶叫する。


「お前どうなってんだよ! シャロンに続いて、エルレンシアまで女性じゃねえか……! 男の……男は居ねえのかよ!? どうなってんだよ!! 俺の中、男女比で負けてるんだけど!!? なんで元の性別が少数派になってんだよ……!!」


 《英雄叙事オラトリオ》は、シャロンの人生を記録した本である。

 それは正しい認識ではあるが、答えとしては50点の回答だった。ここに来て、俺はようやく理解した。

 《英雄叙事オラトリオ》は、なのだと。

 そして、目の前に立つエルレンシアもまた、《英雄叙事オラトリオ》の所有者だった。


「仕方ないだろう? あんたがまだ未熟だから、縁をうまく使える奴しか顔を出せないのさ。ラドバネラならシャロンが、レゾナならあたいが。そんな具合さ」


 エルレンシアからの正論に、俺はふらふらと立ち上がる。


「俺は、俺が憎い……!」


「愉快な継承者だねえ」


 小一時間文句を言いたい気分だったが、残念ながら状況はそんな悠長を許してくれない。

 俺は仕方なく、エルレンシアに差し出された右手を握り返した。


「エトラヴァルトだ。呼んでくれてありがとう、エルレンシア」


「堅苦しい挨拶は不要だよ。なんせ、あたいは既にあんたを認めているからね。だから見せておくれ、エトラヴァルト」




◆◆◆




 エストックを正面に、左の二本指で剣身をなぞり、七つの魔法陣が描かれる。


「ああ、アンタの力、存分に発揮させてもらう!!」


『——殺せっ!!』


 ランビリスの端的な指示に絡繰が殺到する。対するエルレンシアは、剣を腰溜めに構えた。


「『奔る電雷の太刀』」


 刹那、抜刀。

 輝く雷速の斬撃が駆け抜け、正面の絡繰の胴を最も容易く両断する。

 背後、抜刀後の硬直を狙った六臂アスラがせまる。


「えーっと、これ名前あったっけ? まいいや」


 エルレンシアを中心に寒気がするほど大量の極小魔法陣が出現し、その全てが甚だしい大自然の斬撃を放ち絡繰たちを切り刻む。

 右側方、突撃槍を構えた重装部隊が戦車の如く地を揺らす。


「これは確か——『突き崩す怒天の岩礁』」


 右足がコンクリートの地面を踏み砕き、魔法陣を形成——地を突き破り出現した巨獣の一角を思わせる岩山が重装部隊の全てを粉微塵に砕いた。


 紫紺の闇が視界を奪い、深海を思わせる藍色が押し潰す。

 空を統べる蒼風が自由を縛り、赫灼が世界を席巻する。


 属性流転カラースイッチのような精緻な魔法ではない。

 一つ一つが独立した魔法。それらを全て突き詰め、状況に応じて使い分けるだけのとんでもない力業。

 洗練さの欠片もない、純度100%の、血と汗と涙、そして努力の結晶がここに再演される。

 七つ、七色の魔法が世界を彩る。



◆◆◆



 その少女に、およそ才能らしいものはなかった。

 少女にあったのは、魔法と剣への、誰よりも強い憧れだけ。だから少女は頑張った。誰よりも貪欲に、誰よりも苛烈に。

 諦めない姿に、一人、また一人と手を貸す。彼らは口を揃えて言った。「気がつけば惹きつけられて、手を貸していた」と。

 才能に愛されなかった少女は、誰よりも愛され、そして、空に虹をかけた。




◆◆◆




「あたいはねえ、怒ってんだよ」


 意識を表出させたエルレンシアがそう呟く。


「あたいが大好きだった世界をぶち壊されて、臓腑が煮え繰り返るほどブチギレてるのさ」


 あくまで笑顔。しかし、瞳に烈火の怒りを宿すエルレンシア。


「本当なら今すぐにでも世界に乗り込んでぶちのめしてやりたい気分さ。でも、あたいは死人。しかもその残響さ。だから、今を生きる皆に託すのさ! そうだろう!」


 ほんの一瞬呼吸が途切れ、次の瞬間、エトラヴァルトが眦を決する。


「ああ! その想いを、俺たちが託された!」


 今日一番の極彩色の魔力が放出される。

 七つの魔法を一度に起動する出鱈目な制御力。局所的すぎる法則の改変に世界が悲鳴を上げるように空間が揺れた。


 絡繰の残党へ向け、虹の魔剣が放たれる。


『なんなのですか、あなたは、一体……!』


「んなもん俺が知りてえよバーカ!!」


 ランビリスの問いにそう答えたエトは、地上を根こそぎ薙ぎ払うように魔剣の一撃を解放した。


『ぞ、増援を……!? なぜ、地上の絡繰が全て停止して!?』


「跡形もなく吹き飛びやがれぇ!!」


 エルレンシアの怒りを代弁した一撃に絡繰は耐えられず、ランビリスは困惑と怒りに呑まれたままその長い生涯を終えた。



 土煙が晴れる。

 その場に立つのは、エルレンシアただ一人。

 エストックを背負い、背後を見る。


 ものすごい速度で詰め寄ってくる仲間たちの姿を見て、大きくため息をついた。


「どう説明したもんなかあ……」




◆◆◆




「エトくんがまたエトくんじゃなくなった!!」


 時間魔法を使った超加速まで利用したイノリがいの一番に駆けつけ、「どういうこと!?」と烈火の勢いで詰め寄ってきた。


「落ち着けイノリ。ちゃんと説明するから」


「エトくんはなんでそんなに落ち着いてるの!?」


「理解できてるからかなあ?」


 後から追ってきたラルフとストラに、俺は《英雄叙事オラトリオ》がどういうものなのか、感覚的にだが理解できたことを話した。


「……つまり。エト様の中にはまだまだ見知らぬ記憶が貯蔵されていると?」


「多分そういうことになる。数はちょっとわからないけど」


「つまり、エトは別にシャロンちゃんと肉体を共有していたとかではないと?」


「多分な」


「つまり、エトくんはこれから女の子にも女性にも、男の子にも男性にも……お爺ちゃんやお婆ちゃんにもなれるかもしれないってこと?」


「赤子になる可能性もある。多分」


「全然わかってないですね」

「全然分かってねえな!」

「全然分かってないじゃん!」


 総ツッコミである。

 三人から無理解の烙印を押された俺はさめざめと泣いた。泣いて、元の体に戻った。


「エトくん、この二ヶ月で性転換すごくスムーズになったよね」

「側から見たら珍生物すぎるよな」

「わたしも初めて見た時は驚きました」


「身内に敵がいるな?」


 ラルフの師匠やリディア、剣の面々、協力してくれた魔法学園の生徒たちが俺たちの元へ集う。


 飛んでくるのは賞賛や驚き、そして俺のビックリ体質に対する無数の質問である。


「落ち着きなさって皆さん! 気になりますが。大っ変! 気になりますが!! 今優先すべきはその究明ではありませんことよ!」


 よく通るリディアの声に鎮静化した皆の視線が、たった一つの“指示”を俺に求めるように集まる。

 求めているものはたった一つだぞ、という、最早脅迫じみた圧力に俺は苦笑いしつつも頷き、天を指差した。


「船を堕とすぞ!!」


『応!!』

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