雛が空に羽ばたく日

 剣の救援。

 魔法の増援。

 ここに、『絡繰世界』を打倒するための戦力が揃った。


「あの人形は物理的衝撃にこそ強いが、魔法——特に熱には弱い!」

「雷系統の魔法は使うな! 雨のせいで前線が感電する恐れがある!」

「攻撃魔法が苦手な奴は土系統の操作で屋根を作れ! 水を操作して前線の奴らの服を乾かすのも有りだ!」


 四方八方から飛び交う無数の情報。それら全てが『絡繰世界』を倒すためのものだった。



 六臂アスラは、機動力と物理耐性に重きを置いた個体だ。

 剣の攻撃では斃れず、魔法の一撃は当たらない、撃たれる前に倒せばいい——というコンセプトで作成された。

 それはレゾナを相手する際に非常に有効で、事実、六臂アスラによって多くの者が命を奪われた。


 ——しかし、落ちない。


 ことここにいたり、屋上での死者は0名を一貫して0名。

 答えは、誰もが思うよりずっと単純。



『何故です……何故落ちないのです!?』


 ランビリスが困惑の声を上げる。

 彼の胸部に埋め込まれたメインカメラが写すのは、剣に阻まれ、魔法に砕かれる六臂アスラの姿。

 対レゾナのために開発されたはずの個体が、悉く破壊される光景を絡繰は理解できなかった。


『なす術もなく蹂躙されていたはずです! 事実! 60万の人間が既に死に絶えた! なのになぜ、たかが城一つが落とせないのですか!?』


「——ごちゃごちゃうるせえよのっぺらぼう!」


『!?』


 甲高い機械音声で喚くランビリスの集音器に、エトラヴァルトの声が届く。


「なんで落ちねえのかなんて、そんなの決まってんだろ! ここが! 『魔剣世界』レゾナだからだ!!」


 剣では斬り殺せない、魔法では照準できない。なら、二つを一つに合わせればいい。

 剣が守り、魔法が殺す。

 六臂アスラの機動力を剣が封じ、物理耐性に特化したボディを魔法が打ち砕く。これ以上なくシンプルで合理的な、比類なき相乗効果。


 これこそが、『魔剣世界』レゾナが大世界まで成長した所以である。




◆◆◆




「今ここに! 全部の鍵は揃った! 仕上げだ!」


 剣の一人に場を任せ、一瞬後退したエトが叫ぶ。


「くーちゃん先生! を頼む!!」


「…………私?」


 予想外のお願いに、くーちゃんは目をぱちくりさせた。


「ああ! だって臨時講師だろ! 戦争には無関係でも、はできるはずだ! やるぞ! だ!!」


 強引なエトの提案に、くーちゃんは肩を震わせて笑った。


「あははは! キミは本当に面白いね! いいよ、試験監督やってあげる!」


「よしきた! ストラ、準備はいいか!」


 エトの確認に、ストラは力強く頷いた。


「それじゃあぶちかませ! ここにいる全員……いいや、世界の! 度肝を抜いてやれ!!」


「勿論です!」


 いつの間にか鍔の広いとんがり帽子と先端が渦巻きを描くみのたけより大きい木の棒を手に持ったストラが、一人、屋上の中心へと歩んでいく。


 そこに向けられる視線は、殆どが困惑だった。


「え? あの子……」

「無能者がなんで」


 中には、気合いを入れた彼女の姿を笑う者もいた。


「おい、見ろよあれ……ククッ」

「ぷっ……なによ気合い入れちゃって、馬鹿みたい」


 しかし、ストラはそれら全てを一切気にすることなく、むしろその罵声を楽しむような余裕すら感じさせる足取りでその場に立つ。


「——いきます!」


 くるくると杖を回し、パシッと乾いた音を立てて掴み、自分の体の正面に掲げる。

 刹那、ストラを中心に魔力の奔流が生まれる。


 一帯の空間魔力の全てがストラという一つの器を目指して殺到する。

 本来質量を持たないとされる魔力が嵐を伴い渦を巻いた。


『なっ……!?』


 出来損ないが、無能者が魔力を使った。その事実だけで彼女を嘲笑していた全ての者が愕然と瞳と口を開いて滑稽な表情を見せた。

 防衛で手一杯になっている生徒たちも、背後で何やらとんでもないナニカが生まれようとしていることだけは理解できて、苦笑いや汗を顔に浮かべる。


 踊る。

 杖を回し、ストラは自らもまた踊る。ステップと杖の先端が地面に陣を刻み、揺蕩う魔力糸が中空にも魔法陣を描き出す。

 その数——二十一。

 ストラを囲む出鱈目な数の魔法陣が膨大な魔力の供給を受け、飽和するように巨大化していく。


「『火の粉よ舞え 飛沫よ散れ 木の葉よ翳れ 小石よ笑え 静電よ走れ 幽光よ歌え 陰影よ這え 我は万物に則を敷く者』」


 舞い踊る。

 明確に紡がれる膨大な魔力が淡い光を伴いストラを照らし、玉のような汗を流しながらも魔法を紡ぎ続けるストラの、心の底からの笑顔を浮き彫りにした。


「アレは……属性流転カラースイッチ?」


 リディアが呆然と見上げる視線の先、都合21の魔法陣が互いに相生と相剋を成す。


 本来一つの魔法陣で相生、相剋を成し威力を引き上げるのが属性流転カラースイッチだ。だが、今のストラは敢えて魔法陣を増やすことで魔法陣同士の相補作用を用いて、現象を引き起こした結果の『増幅』のみを魔法陣同士で複写、空間魔力という膨大な魔力プールを用いて、ただらひたすらに破壊の力を高めていく。


 連綿と紡がれる悍ましさすら感じさせる、屋上の空を覆う巨大な魔法陣を前に、リディアはひたすらにその美しさに目を奪われていた。


「なんて、素晴らしい……」




◆◆◆




 本当は、結構辛かったんです。

 毎日毎日、顔も知らない誰かに笑われる日々。生き方を、努力を、夢を、何もかもを笑われる日常。

 教科書を捨てられ、ノートを破られ、ペンを折られ。

 そんなものに負けてやるものか——と意地を張って、ふと思いました。

 私は、負けないために魔法を使いたいわけじゃない——と。


 途端に怖くなりました。

 わたしはただひたすらに虹を追いかけていました。それは、幼年の憧れを叶えるためです。

 ですが現実に晒されていくうちに、いつの間にか、その現実に負けたくない——そんな思いが先行していて。気づけばわたしの原点は、濁って、見えなくなっていたのです。


 ——ああ、ここまでだ。


 何かが、ポキリと。簡単に折れてしまう音がした。追っていたものが幻想だったように思えて。大切にしていたナニカを見失ってしまった。


『——アンタいつまで底辺にこびりついてるワケェ?』


 ああ、無理だ。

 今までなら我慢できていた言葉が、悉く心臓に刺さる。

 もう動けない。もう立てない。もう、生きていられない——そう、思っていたのに。

 白い、白い光が、もう一度、私に虹を見せたんです。




◆◆◆




 我ながら単純すぎる。

 そんなことを思いながらストラは踊る。紡がれる魔法陣は膨大。目眩のするような情報量は、ストラの16年間の全てをつぎ込んだ光だ。


 刻一刻と圧力を増す魔法陣を、結界の反動から目覚めたエスメラルダが目撃する。


「ストラ、貴女は……」


 それは、雛鳥が巣を飛び立つ時。

 狭い巣穴から外へ、大空へと羽ばたく瞬間。



「あの、少女は——」


 視界の端に捉えた、命を削るように踊る笑顔のストラ。その姿は、ザインがいつかの日に見た魔法を使えない少女の面影を残していた。


「使えるのか、魔法を……!」



 くだらないと、単純だと。

 そう思われたって良い。なぜなら、それがストラの全てだったのだから。

 今、十六年の人生全てを賭けて証明する。自分の道の先に虹があることを。



『——そんな大規模な魔法、見逃すはずがないでしょう!!』


 そこに、半狂乱の機会音声の絶叫が響く。

 肘の下から暗器のようにブレードを生やしたランビリスが単身、剣の防御陣形を突破する。


「コイツっ……!?」

「強いぞ!?」

「魔法も弾かれる——突破される!!」


 他には一切目もくれず、ランビリスは超大規模魔法を紡ぐストラただ一人に狙いを定めていた。


『どんな魔法も、発動させなければいいだけのことです!』


 ブレードを引き絞り突貫するランビリスとストラの視線が一瞬交錯し、笑顔の少女は、そのまま無視して魔法を紡ぎ上げる。

 少女が想うは、ただ一つとただ一人。


 ——来てくれますよね。あの日、私を信じてくれたあなたなら。


『その心臓を——!?』


 刹那、白銀の闘気を纏ったエストックがランビリスのブレードを弾き上げた。

 乱入したエトラヴァルトがランビリスの前に立ちはだかる。


「試験中の乱入は御法度だぞ!」


『邪魔をしないでもらいたい!!』


「こっちの台詞だのっぺらぼう!」


 超速の剣戟が交錯する。

 二刀のブレードと白銀纏うエストックが甲高い衝突音を絶え間なく響かせ互角の攻防を演じる。


「ちゃんと強えじゃねえか、指揮官面してたくせに!」


『理解できません! なぜ命をかけるのです!? ただの冒険者が、この世界とは無関係の貴方が!』


「無関係じゃねえよ!」


 剣の円環がブレードの悉くを弾く。どころか、一歩一歩、ストラから引き剥がすようにエトが前進し、ランビリスを後方へと押し込んでいく。

 余波で屋上の床が削れひび割れるほどの凄絶な剣戟に、ランビリスがのっぺらぼうであるにも関わらず驚愕の気配を色濃く浮かべた。


「友達が掲げた明日を! 仲間が叶えようとしている夢を護る! それ以上の理由なんて要らねえよ!!」


『そんな、もので……!? ありえません! この剣の強度は……!?』


 刻一刻と激しさを増す、味方すら驚き身を引いてしまうほどの円環の斬撃。エトの返答は、ただ一つ。

 魂が燃え盛る熱を放つその衝動のまま、エトが吼えた。


「そんなもん決まってんだろ! この剣が! 『護るための剣』だからだ!!」


 渾身の袈裟斬りがランビリスをガードごと斬り飛ばし、登りかけていた六臂アスラごと遥か下方へと叩きつけた。


「エトのやつ、いつの間に——」


「エトくんは、エトくんのままなのに……」


 シャロンの怪力を思わせる埒外の膂力を発揮したエトに、ラルフとイノリが驚きの声を上げる。


「——エトラヴァルト様ッ!!」


 そこに、魔法の完成を告げるストラのが届いた。


「全員、内側へ退避しろ!!」


 エトの指示に従うまでもなく、ヤバすぎる気配を放つ頭上の魔法陣に恐怖すら覚えた者たちが押し合うように、しかしストラには決して近づかないようにして身を寄せ合った。


「やれ! ストラァ!!」


「驚け世界! これがわたしだ! このわたしの十六年で! お前たちを——絡繰世界の二百年をぶっ飛ばす!!」


 臨海を迎えた魔法陣が割れんばかりの純白の輝きを放つ。


「『空を裂く光の海よ 閉じた世界を開く情動の波よ 我が名において承認する』ッ!!」


 渾身をもって杖を振り下ろす——刹那、光が降り注ぐ。


「——ぶっ飛べぇえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 雨すら蒸発させる桁違いの熱量を宿した破壊の光が全方位に降り注ぐ。

 光に触れた絡繰は抵抗すら許されずたちまちその身をさせた。


 学舎を覆う光のカーテンは、学舎の内側からも観測できた。曇天の中輝くそれは天を衝く流星のようで、遥か遠く。首都ガルナタルから遠い街に住む小さな子供は、降り注ぐ局地的な流星群に願い事を捧げた。


「……す、すげえ」


 光が収まり、誰もが、誰かがつぶやいた言葉に同意した。


 あれだけ集っていた万に迫る絡繰が、ストラの魔法によってその全てが消失していた。


「配色を、誤りました……予定では七色きっちり揃えるはずだったのに」


「……ごい。すごいよ!」


 とんでもないことをやってのけたにも関わらず「失敗した」と不満げなストラに、リンカ・レーヴァチカが頬を紅潮させ詰め寄った。


「すごいすごい! さっきの魔法、本当にすごいよ!」


 語彙力を完全に失っていたが、それは紛れもない賞賛だった。


「ああ、驚いた! 本当に!」

「悪かった! 今まで笑って、下に見て!」

「謝って済む問題じゃないけれど、ごめんなさい!」

「あんたは凄いやつだ! 大魔法使いだよ!!」



 人は、驚くほど変わる。

 きっかけ一つで、こうも。

 たった一滴の雫が広大な湖に波紋を広げるように。ほんの僅かなひびが、やがて大岩を割るように。


 たった一つのきっかけがあれば、変えられるのだ。

 もちろん、そうじゃない者はここにすら大勢いる。だが、これもまた一滴の雫となる。


 紛れもなく、ストラという少女が魔法使いとして認められた瞬間だった。


「…………あ、りがとう。ございます」


 どんな顔をすればいいのかわからなくて、ストラはとりあえず、大きなとんがり帽子で顔を隠した。


「——おめでとうストラちゃん。花丸満点、大合格だよ」


 文句のつけようがないと笑ったくーちゃんは、大惨事の地上を覗く。


 地上にはわずかに残った溶けた金属があるのみ。地面には幾つもの巨大な穴が空いていて、『地下シェルター無事かな?』とくーちゃんは柄にもなく避難民の心配をした。

 当然、絡繰の姿などただの一つも見当たらなかった——ただ一人、ランビリスを除いて。


 しぶとく生きていたランビリスにイノリが舌打ちをした。


「アイツしぶとすぎない!?」


「執念を感じますわね」


 リディアの言葉の通り。

 これはランビリスの三百年間の集大成。二百年以上、カロゴロ全てが総力を上げて行ってきた一大プロジェクトの大詰めなのだ。


 肉体機能に支障が出ようと、左手が溶けようと、無様な姿になろうと。彼に、諦めるという選択肢はなかった。



『温存のつもりはありませんでしたが……結果助かりましたね。全軍を投下しなさい!!』


 ランビリスが残った右腕を上げると、遥か上空で停泊する飛空乗艦から巨大なコンテナが、再び無数に投下された。

 そして、その中から先ほどの、とまではいかなくとも、三千を超える絡繰の軍勢が姿を現した。


 ストラの超大規模魔法で一掃した絡繰たちの再登場に、防衛側の士気に揺らぎが出る。

 一連の戦いで剣は体力と気力を、魔法使いは体力と魔力を大きく消耗している。もう一度同じ戦いを超えろ——と言われて、即座に対応に出られるほどの体力は残されていなかった。


 最悪のおかわりにラルフが吐く真似をし、ザインが舌打ちした。


「まだあんのかよ!? どんだけだよ『絡繰世界』!」


「あくまで俺たちを潰すか……おい。さっきの魔法はもう一度……」


 可能か、そう問おうとしたザインは、満足げに笑いながらも肩で大きく息をするストラを目にして諦めた。


「俺たちで捌き切るしかない。未だに籠城する魔法使いたちに協力を要請して…………おい。馬鹿弟子。お前のところのはどこへ行った」


 作戦を仰ごうとエトの姿を探したザインだが、輝白のツインテールも、手入れの雑な銀髪も細長い剣も見えず困惑する。


「え、あれ!? ほんとだエトがいねえ!」

「エト様……?」

「シャロン、一体どこに行ってしまわれたの?」


 皆が辺りを見回すも、エトの姿はどこにもなく——何となく地上を見たイノリが、仰天して身を乗り出した。


「エトくん!? なんで一人であんな場所に……というか、いつのまに!?」


 ただ一人、最前線に立つように三千を超える絡繰とランビリスの前に立ちはだかるエトラヴァルトに、誰もが瞠目した。




◆◆◆




 胸が熱い。

 灼熱に焼き焦がされるような痛み、そして、俺を呼ぶ声。


「……そうか。そういう、ことだったのか」


 胸に手を当てる。

 名前を呼ばずとも、それは俺の手に収まった。


 ——《英雄叙事オラトリオ》。俺の魂と同化した、一冊の本。英雄の生涯を書き記した物語。


 その認識は正しく、そして間違っていた。


「貴女も、ずっとそこにいたんだな」


 ただ一人で。

 視界を埋め尽くす絡繰の前へと歩いていく。


『英雄気取り、でしょうか?』


 先ほどより警戒心を強めたらしいランビリスの問いに、俺は


「そんなところだ。ちょっと、証明しようと思ってな」


『…………証明?』


 俺は、《英雄叙事オラトリオ》を開く。


「この星に刻むんだよ。この選択の、最高の結末ってやつを!」


 そして、指が一枚、ページをつまんだ。


「語り部が告げる。今ここに、新たなページをめくる!」


 今一度、英雄をこの地に。

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