二つ目の鍵——“魔法”

——『剣を連れてってやる。アンタの仲間……ラルフって言ったか? そいつが今、うねりを呼び込んだ。世界を変えられるだけのうねりを』


——『掃討ついでに、あの縦ロールも拾っといてやる。だからアンタは耐えろ』




◆◆◆




 世界が赫に染まっていた。

 世界に流れ出た血潮の全てを掌握した紅蓮は、まるで散歩でもするように優雅に歩く。

 強烈な敵対反応を察知した絡繰たちは次々に紅蓮へと接近し、鮮血の“巣”に捉えらる。

 地面も壁も、建物も。全ては赫に覆われ、その全てが紅蓮の武器となる。


 血の匂いので接近を察知した紅蓮は、特に何もしない。

 ただ条件反射で血の池が槍を生み出し背後でブレードを振りかぶった六臂アスラの肉体を貫通させその場に縫い付けた。


「ポンポンポンポン……一体何匹作りやがったんだ、コイツは」


 作成にを使うという悪趣味極まりない絡繰を前にして、紅蓮は不快感を隠すことなく「オエ〜」と舌を出した。


「学習しねえな、テメェらも」


 現在首都ガルナタルに投下されている六臂アスラは全て、飛空乗艦に搭載された一つの巨大なネットワークに接続されている。

 それらは魔法の研究データや剣の流派、危険視すべき特定個人の情報等、侵攻に際して必要なものをリアルタイムで共有するものだ。

 六臂アスラは相互に戦況をつぶさに報告し合う。異常があった場所に、六臂アスラは即座に、一斉に動き出す。


「ま、そっちから来てくれんなら楽でいいな」


 既にエトラヴァルトたちへの援軍は送り終わった。あと紅蓮に残されたタスクは、地上の絡繰の殲滅である。


「さっさと終わらせよう——『血戦領域』」


 紅蓮の全身が赤黒い霧に変わり、霧散の刹那、真紅の瞳が輝く。


『痛みの叫喚、無貌の悲嘆、妄執の残響』


 紅蓮を中心に掌握した血潮の全てが都市の一画を余すことなく呑み干した。

 霧となって世界に蔓延した紅蓮の声のみが不気味に響き、六臂アスラたちの集音器とレーダーを狂わせる。


『御魂なき骸、鋼の柩、解放の槍をここに、穿て』


 真紅の湖面に雫が落ち、瞬間、無数の槍が天を衝く。

 深紅の槍撃が全ての六臂アスラの頭部、頸部、四肢、そしてエネルギー供給の要である心臓部を乱れなく刺し貫いた。


「……ちゃんと休めよ、死に損ないたち」


 人間体に戻った紅蓮は吐き捨てるように、利用された者たちへの僅かな哀悼を呟いた。

 天を目指す槍の群れが指のひと鳴らしで形を失い、機能停止した絡繰たちが地に落ち派手に破片を散らした。


 利用した血の全てを全身で飲み干した紅蓮は喉を鳴らして苦い顔をした。


「まっっず! やっぱ雨とか泥水混ざった血なんて飲むもんじゃねえな!」


 とはいえ、利用したものは後片付けとしてきちんと最後まで責任を負う。それが紅蓮が自分に課した鉄則であるため、文句を言いつつも紅蓮はきっちり犠牲者たちの血を飲み干した。


「残骸があれば多少の資金にもなるだろうし……まあ、に一機だけ貰ってくか。一機くらいばれねえだろ」


 そばに落ちていた比較的状態のいい——そのために丁寧に処理した絡繰を拾い上げぽいと虚空に放り込む。


「俺の仕事はこれで終わり。あとは……」


 エトラヴァルトと約束した仕事を終えた紅蓮は、今まさに再誕を告げる学舎の方角を眺め、眩しいものを見るように目を細めた。


「キヒヒッ!」


 犬歯を覗かせて喉を鳴らした紅蓮はその場に溶けるように姿を消した。




◆◆◆




「シャロン様! 侵入経路の制限を!」


「任せろ!」


 ギリギリもギリギリ。

 この瞬間までに必要な魔力量を逆算し残していた残存魔力の全てを動員する。


「『転変せよ、不落の要塞』!」


 最後の形状変化。

 三百人の“剣”が前線を張れるだけの足場を確保しつつ、

 坂を破壊、更に防壁にわざと隙間を作ることで絡繰の侵入経路を限定した。


「やっべ……これ、マジで限界——」


 シャロンの肉体であるにも関わらず魔力切れを起こすという前代未聞の事態。肉体置換の維持ができなくなった俺は地面に膝をつき、全身からページを流出させた。


「な、なんですの!? シャロン!?」

「シャロン様!?」


 俺の異変に気づいたリディアとストラが声を荒らげ、イノリとラルフが「あっ……」と口を開けて額に汗を浮かべた。


 ページが一冊の本に収束——俺は、元の男の体に戻っていた。


「ほ……へ? しゃっ……しししししし、しし、しゃろんが、と、とととととっとと殿方になってしまいましたわ!!?」


 びっくり仰天、という表現が最も正しい驚き方をしたリディアが神輿から転げ落ちた。

 錆び剣の男を筆頭に剣の面々、一部教師、貴族の者たちも驚き目を見開いている。


 そして、ストラも。

 男になった俺の姿を赤錆色の瞳で凝視し、微動だにしない。


「あー、悪い。俺、元々は男なんだよ。色々……というか、本気で戦うには女の子にならないといけなくてさ」


 ふらつく体をラルフに支えてもらいながら、俺はリディアとストラに頭を下げた。


「騙す意図はなかった。すまない」


 沈黙が暫く続き、屋上へと登ってくる絡繰の奇怪な駆動音だけが響く。


「……ひ、ひとつ、いえ二つ! お尋ねしても、よろしいかしら?」


「いくらでも答える」


「では、シャロンという名前……女の子らしいあの名前は、偽名ですの?」


 恐る恐ると尋ねたリディアに、俺ははっきりと首を横に振った。


「いや、あの姿の俺はシャロンだ。本名はエトラヴァルトってんだけど、偽名ではない。


 その肯定は、俺が思っていたよりずっと簡単に、すんなりと出てきた。


「で、では……もう、一つ。わ、わたくしたちは……と、友達、ですの? 性別が変わっても、友達でいてくれるかしら?」


「それはこっちの台詞なんだがな……。ああ、リディアがそう思ってくれるなら、友達だよ。ずっと。これは、何があっても変わらない」


 俺の宣言を聞き届けたリディアは輝くような笑みを浮かべ、縦ロールを揺らして大きく頷いた。


「でしたら何も言うことはありませんわシャロン! 貴女が女性でも殿方でも、わたくしたちは友人! わたくしが態度を変えることなどありませんわ!!」


 その眩しさに、俺は無自覚に笑う。

 きっとこういうところなのだろう。少女の中に、“差別”という概念は存在しなかったのだ。幼い頃から親に言い聞かされていたものが常識としてのしかかって、彼女の生来の輝きを阻んでいた、ただそれだけのことなのだ。


 リディア・リーン・レイザードは、この世界を繋ぐ確かな架け橋だ。


 俺は少し目を閉じて、隣で未だ硬直するストラと向き直った。


「というわけで、俺は本当は男なんだ。騙してて悪かった。正体言わずに仲間に引き入れようとしたり、結構酷いことして——」


「知ってましたよ?」


「お前を傷つけ——え、は!? 知ってた!!?」


 ストラから飛び出した爆弾発言に、今度は俺がびっくり仰天する番だった。


「知ってた、というのは正確ではないですね。『そうなんじゃないか』、と思ってたというのが正しいかと」


「え、ええ……?」


 俺、イノリ、ラルフの三人が揃って言葉を失った。

 後方、俺の視界の端で俺の魔法の精度を見聞していたくーちゃんも意外そうな表情でこちらを見ていた。


「あの夜、一瞬シャロン様が男の人だったような幻覚を見まして」


「「…………ぁ〜」」


 俺とくーちゃんが揃って気まずい声を出した。


「あの時は正直、疲れて幻覚でも見たのだろうと思ってました。ですが、どうにも……言い間違い、と言いますか。くーちゃん先生も、イノリさんも、…………すみません名前がわからなくて。ガッツリスケベさんも」


「俺の扱いが酷すぎるだろ!?」


 唯一名前を覚えられていなかったラルフが悲しみの咆哮を上げた。


「シャロン様の名前を呼ぶ前に『エと……』と同じようにどもるなあ、と」


「……お前らさあ」


 全く隠せてないじゃないか、という非難の視線を二人に向ける。


「いやいや無茶言わないでよ! いちいち気遣って名前の呼び方まで変えるの結構しんどいからね!?」


「そうだぞ! つか、元を糺せばエトが目の前で変身するとかいう大ポカやらかしたのが悪いだろ!!」


「それはそうだけどさあ!?」


 戦場のど真ん中で醜い責任の押し付け合いをする俺たち。あまりにも不毛な言い争いに終止符を打ったのは、ラルフの師匠らしき錆び剣を持つ男だった。


「おい餓鬼ども。時間がねえ。さっさと終わらせろ」


「「「はい、すみません」」」


 お叱りを受けた俺たちは揃ってスン——と大人しくなった。俺はストラと正面から向き合い、もう一度頭を下げた。


「悪かった、ストラ。今まで黙ってて。文句でも、罵詈雑言でもなんでも受け入れる。騙していたこと、本当に——」


「構いません」


「……。いいのか?」


 俺が顔を上げると、ストラは大きく、はっきりと頷いた。


「エトラヴァルト様。貴方が男であろうと、女であろうと。そんなこと、わたしには関係ありません」


 少女が淡く微笑む。


「貴方が貴方であること。それが私にとっては一番大事なんです。エトラヴァルト様、わたしは貴方を愛している。性別程度の違いで、この想いが変わることはありません」


 その、真っ直ぐな告白に。

 ラルフが横で俺の肩をミシミシと握り、にじり寄ってきたイノリがギリギリと脇腹をつねった。


「めっちゃ痛え」


「話は終わったな、ガラクタ共が来やがるぞ——おい、お嬢!」


「リディア・リーン・レイザード、呼ばれましてよ!」


 錆び剣の男に呼ばれたリディアは、神輿の二人を前線に向かわせた。


「その返事は長え、やめろ。指示を寄越せ! 剣は、お前たち魔法を守ってやる!」


「でしたらシャロン! ここの指揮はあなたに任せても宜しくて?」


「俺でいいのか?」


 俺の性別に関係なく“シャロン”と呼ぶことに決めたらしいリディアは大きく頷いた。


わたくし、戦の指揮とは無縁ですの! でしたら冒険者として経験のあるあなたの方が適任ですわ!」


「なら任された! 剣のみんなは外周部へ!陣形は任せる! 向かってくる絡繰を押し留めてくれ!」


『応!』


 リディアの判断を信じているのか。剣の面々は恐ろしい速さで陣形を構築していく。


「ラルフ! 俺とお前も前線だ! イノリは遊撃! ヤバそうな部分を時間魔法で足止め!」


「任せろ!」

「了解!」


「リディアとストラは砲撃! おい!そこで呆けてる教師と貴族共! お前らも砲撃だ! 剣が押し留めてる連中をひたすらに削れ!!」


「任されましたわ!」

「全力を尽くします!」


 絡繰が階段を作り終え、突撃を開始する。


「全員死ぬ気でかかれ! ここが最後の防衛線だ! 魂のねえ絡繰なんぞに、俺たちの明日は奪わせねえ!! 死に物狂いで掴み取るぞ!!」


『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』




◆◆◆




 激突する。

 一万に迫る六臂アスラの大軍勢に対して防衛側の戦力は僅か300。如何に侵入経路を限定しようと、圧倒的物量差は覆らない。

 現状、それを唯一覆すことができる力はただ一つ、魔法である。


「エト! 援護が来ねえぞ!?」


 最前線の一画で絡繰を押し留めるエトに、隣で青炎を散らし絡繰を吹き飛ばすラルフが焦り気味に問い詰めた。


 剣×魔法。現状唯一、単独で六臂アスラをノーリスクで迎撃可能なラルフの活躍は凄まじく、その獅子奮迅の活躍は皆の士気を大きく高めている。

 ラルフ本人もそのことを理解し奮戦するが、限界が近い。

 ザイン救出時から全開戦闘を続けるラルフは、使に突入しつつある。

 いつ限界が来てもおかしくない今、早々に戦局を変えることができる火力を彼は欲していた。


 そのことはエト自身もよく理解している。それゆえに属性流転カラースイッチの使い手であるリディアを後方にのこしているのだ。だが——


「あのクソ老害共……!」


 剣の円環で六臂アスラの侵入を悉く防ぐエトは、横目の端に映るリディアとストラを連れて地下シェルターへ避難しようとする貴族と教師たちの姿を見て苛立ちを隠さず毒を吐いた。


「この期に及んでまだ! 差別を強要するつもりかよ!? 自分たちのクソみたいな価値観がそんなに大事かよ!!?」


 この陣形は魔法の援護を前提としている。つまり、遅かれ早かれ、魔法がなければ確実に崩壊する。


「……くっ!?」


 再び、魂が熱を帯びる。

 リディアの大火を見た直後の時よりずっと強い、内側から焼き焦がされるような熱にエトが僅かに怯んだ。


「エト!?」

「エトくん!!」


 僅かな揺らぎを絡繰は逃がさない。ほんの少しの円環の乱れを切り裂くように一体の六臂アスラが陣形内部へと侵入——胸を抑えふらつくエトに凶刃を振り上げた。


「『炎奏せよ、不夜の焼熱』——!」


 その瞬間、あらぬ方向から飛来した炎の波状砲撃が六臂アスラに食らいつき吹き飛ばした。


「——ッ!?」


 その一瞬に体勢を立て直したエトが再び円環を再構築する。だが、視線と意識は炎が——が飛んできた方角に向いていた。



 屋上の出入り口で揉み合いが発生していた。


「ちょっと貴女!なんでこんなところに!?」

「危ないから下へ!ここは時期に落ちますよ!」


「うるさい! どいてください!!」


 一人の少女が魔法によって溶解した窓から転げ落ちるように外に飛び出し、エトの姿を認めた。


「やっぱり! 私を助けてくれた人だ!」


「——あの時の! たしかリンちゃん!」


 その少女は、エトが窮地から救った少女だった。少女は名前を覚えられていたことと、ことを喜び無邪気に笑った。


「はい! リンカ・レーヴァチカです! みんな、やっぱりあの人だったよ!!」


 リンカの声を受け、入り口が決壊する。一部の教師や貴族の抵抗などものともせず、学生服を着た魔法学園の生徒たちが次々と屋上へ雪崩れ込んだ。


「やられっぱなしで終われるかよ!」

「俺たちの世界くらい、俺たちで守ってやる!」

「恩を返すんだ! 助けてもらった恩を!」

「リディアさんに続け!」

「俺たちの魔法で! あの化け物共をぶっ壊すぞ!!」


 無数の魔法が炸裂する。

 剣に決して当たらないように放物線を描く魔法の数々が空に軌跡を描き、曇天すら照らすような輝きを見せる。



「……嗚呼」


 その光景に、ザインは思わず声を漏らした。


「あるぞ、ここに。あったぞ……!」


 幼い頃に夢見た魔法と剣、その交差。

 視界の奥で笑う幼年の自分に伝えるように、ザインは精一杯の雄叫びをあげた。


「『魔剣世界』は! ここにあるぞ!」



 二つ目の鍵——“魔法”が。今ここに集った。

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