再誕の時 『団結』

「降伏とは、どういうことでしょう?」


 『絡繰世界』カロゴロの外交官を名乗るのっぺらぼうの絡繰、ランビリスの提案に、地上に降りてきたエスメラルダ学園長が疑問を呈した。


「貴方がたの目的は、『魔剣世界』の吸収でしょう? であれば降伏勧告など無意味なはず」


『……フッ』


 ランビリスは、恐らく鼻で笑った。


『吸収などくだらない。未来の労働力を殺すなどとんでもないことです。エスメラルダ・バルディエレン、貴女は世界が滅びる条件を知っていますか?』


「滅びる、条件……?」


 ランビリスの言葉にどよめきが広がる。

 学舎の内外を問わず、よく響く機械音声の唐突な問いかけが波紋を呼んだ。


『知らないのも無理ありません。我々ですらつい最近、実験の果てにようやく辿り着いたのですから』


 ——実験。その単語に、俺は臓腑を虫が這いずるような悍ましさを感じた。


『では一つ、講義といきましょう。ここは、学園ですからね』


 聞くべきではない。

 これは、こちらの戦意を挫くためのアピールだ。全ては、何故か『絡繰世界』側が求めている降伏をつつがなく遂行するためのだ。


「……学園長」


 小声の俺に、エスメラルダは首を横に振った。


「今結界を解くわけにはいきません」


 エスメラルダの言う通り、結界があるから相手はこの手を選んでいる。今、ランビリスを黙らせるために結界を解き攻撃を仕掛けても、その数千倍の反撃をくらい物理的に降伏せざるを得なくなってしまう。

 だから、これが相手の術中だと分かっていても、こちらのに付き合ってもらう以外に道はないのだ。




◆◆◆




『さて、まずはこの星の前提を軽く話しましょうか』


 この星には千を超える世界がひしめいている。

 国なんて呼称が残っているのは七強世界くらいなもの。


『一つ、興味深い事実をお教えしましょう。この星の表面積と全ての世界の表面積は既にイコールではありません。


 故に、全ての世界は不安定さを抱える。それは七強世界とて例外ではない。『異界とは世界の重みに耐えられない星がのために生み出した世界に対する除算装置である』という仮説が生まれるほど、世界のは弱い。


『だから世界は奪い合う。互いに根をより強固にするために、嵐を凌ぐために。ですが、我々程度の世界がいくらそうして足掻こうと、盤石な七強世界には決して敵わない』


 ランビリスは悲観的に嘆く。

 事実、この絡繰が言っていることは正しい。なぜ、七つの世界が“七強”と明確に他世界と区別されているのか。

 答えは至極単純。周辺世界全てが団結しようと決して埋められない圧倒的な地力の差が既についてしまっているのだ。


『今から多少のをした程度では間に合いますまい。よしんば比肩し得るなにかになる兆しが見えても、その瞬間に討たれるが道理です』


 だからこそ降伏しろ。ランビリスの言い分はこうだった。


『我々は気づいた! 世界の成長など待つ必要などないではないか、と。、それで十分ではありませんか。わざわざ95%80%を抹消するまでもなく、支配し、駒にすればいいのです!』




◆◆◆




 ランビリスから告げられた、世界滅亡の条件。それはあまりにも暴虐極まる、どうしようもなく残虐な終焉だった。


 動揺と困惑、恐怖が蔓延する。

 俺たちの背後にいた女教師が一人、想像してしまったのか、膝をついて嘔吐をぶちまけた。


「…………実験って、さっきお前、そう言ったよな?」


 俺の問いかけに、ランビリスは淀みなく頷いた。


『ええ。それがなにか?』


「他の世界で、今の数値を調べたのか?」


?」


『————』


 誰もが言葉を失った。

 世界同士の戦い、それは長い星の歴史の中で何度も起こっているものだ。それは生存競争、自然の摂理だ。思うところはあれど、過去、実際に戦争を経験した身としては『仕方がない』側面があることは理解できる。


 だが、目の前のコイツは。『絡繰世界』は違う。


『確か、四百年〜三百年ほど前だったでしょうか? あの時は苦労しましたよ。小世界と言えど人口は百万単位ですからね。ええ、


「テメェ……!!」


 生存競争のためではない。知的好奇心のために、世界を、そこに生きた人々を実験動物のように扱ってきた。


「命を……尊厳を、想いを! なんだと思ってんだ!?」


『大義を前に、そんな些事に気を配るわけないでしょう? 何をそんなに猛るのですか』


「何を!? そんなの決まって——」


「……仮に」


 静かに聞き手に徹していたエスメラルダが手で俺を制し、苦しげな呼吸を堪えながら問う。


「仮に、私たちが降伏したとして。貴方たちに素直に従うと?」


『勿論思っていませんとも。貴方たちの心は折れない。ですので、心を失くさせていただきます』


 ランビリスが左手を上げると、学舎を取り囲む絡繰の軍勢の奥から、一人の男性が絡繰に拘束された状態で引き摺られてきた。


「——じ! 親父ィ!?」


 後方、学園の中に避難していた一人の男子生徒が窓から身を乗り出して叫んだ。

 彼の父親らしい人物は、意識が朦朧としているのか。自分の息子の叫び声に気づかずただ「ぁぅ……」と赤子のような呻き声をあげている。


 ランビリスは左手で男の髪を掴み、俺たちに見せつけるようにぐいと上体を起こさせ、右手を男の右眼に添え、指を立てた。


『よくご覧になってください』


「待て——」


 直感なんて必要ない最悪の未来の予見に俺が声を上げるより早く、男の目を抉るようにランビリスの指が突き込まれた。


 誰かが息を呑む音がした。


「ぁああいあおあ゛あ゛あ゛ああ゛ぇえ゛あお゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!?!?!!?」


 聞くに耐えない濁り切った悲鳴をあげた男の瞳からぶちぶちと音を立てて眼球とそれに付随する筋繊維と神経が引き抜かれ鮮血が吹き出した。


「——親父! おやじぃ!! だ、誰か! だれかおやじを……父さんを助けて!! だれか!?」


 その悲鳴に、足が一本前に出る。


「——シャロンちゃんダメ! 今行ったらダメだよ!!」


「わかってるよそんなこと! でも!」


「それでも、耐えて……!」


 俺の腰に手を回して抱きついたイノリに無理やり止められ、俺は奥歯を割れんばかりに噛み締めた。


「…………クソッ!」


 恨み節を吐き捨てる俺の視界の中央で口の端から泡を吹かせて痙攣する男。

 ランビリスは抉り取った男の眼球を放り捨て、血糊で汚れた腕を取り替えた後に一つの球体を取り出した。

 それを、躊躇いなく男の右眼のあった穴に捩じ込んだ。


 数秒後、男の体が激しく痙攣する。

 内側から跳ねるような通常ではあり得ない挙動を見せ、ぐしゃりと地面に崩れ落ちた。

 そして、立ち上がる。側に突き立てられていたブレードを握りしめた男は、上体を大きく揺らしながら前進を始めた。

 男は幽鬼のような足取りで、すんなりと結界を素通りした。


 その姿を見たエスメラルダが苦痛に表情を歪めて戦慄わななく。


「……なんという、ことを」


 ふらふらとこちらへ歩いてくる男。背後から、ランビリスが機械音声で淡々と命令を下した。


『エスメラルダ・バルディエレンを殺してください』


「……ぁ、うぁ」


 ぐらぐらと揺れる頭がビクンと痙攣し、ゆっくりと持ち上がる。

 宿


 後方から声にならない悲鳴が上がる。


「……ざけんな」


 俺はエストックを抜いて、歩みの覚束ない男の元へと歩いていく。


「ふざけんじゃねえ……」


 異界の魔物……ゾンビを思わせる呻き声を上げ、男がブレードを振り回す。しかしその力は弱々しく、闘気を薄く纏っただけの俺の体を傷つけることはできなかった。

 俺はそっと刃を男の首に当て、一息で断ち切る。

 男の神経は全て既に機械眼球から伸びた「ナニカ」によって侵食されていた。断ち切った頸骨の内側は火花を散らして異常を訴える機械の線らしきもので埋め尽くされていた。


「お前たちは、どこまで弄ぶつもりだ!?」


『資源の有効活用と言ってもらいたいものです!』


 俺の怒りなど意に介さず、ランビリスは両手を広げて声高に謳う。


『建物も人も、所詮はこの星の上にある凹凸テクスチャーに過ぎないのですから! 言葉の有無、寿命の有無、そんなモノにさしたる差はありませんよ!』


 のっぺらぼうの絡繰は俺たちを見渡して、『ふむ』と呟いた。


『ここまでしてまだ折れませんか……仕方ないですね。資源の浪費は信条に反しますが。——


 指を鳴らした瞬間、全ての絡繰が一斉に起動・前進を始めた。

 薄緑の光を放つブレードを持った個体が先頭に立ち、躊躇いなく結界へと斬撃を放つ。

 結界は、まるで紙切れのように容易く切り裂かれた。


『なっ——————!?』


 学園長であり、同時に八百年を超える生を積み重ねてきた魔法使いであるエスメラルダの全力の結界が容易く破られたことに衝撃が走る。

 ブレードは当たり前のように、紙工作でもするように結界を切り取り学園の敷地へと侵入した。


「シャロン様。あのブレードから妨害電波と同じ類の波長を感じます」


「きっちり対策済みかよクソ……!」


 結界を破壊されたことでその反動を受けたエスメラルダが崩れ落ちる。イノリがなんとか背で受け止めるも、結界が完全に崩壊したことで雪崩のように数千の絡繰の軍勢が押し寄せた。


 ——やるしかない。


「『旋転せよ、交錯せよ』!」


 両手を大地に押し付け、ありったけの魔力を装纏する。

 白銀の魔力が雷のように地を走り、破壊された防御結界こ魔法陣を基礎に新たな魔法を組み上げる。


「『其は万象模る鋼鉄の軛! 其は災禍を退ける変幻の盾!』」


「みんな! その場から動かないで!!」

「動いたら死にますよ!!」


 俺の意図をいち早く汲み取ったイノリとストラが拡声魔法で全体に指示を飛ばした。狂乱に陥りかけていた防衛戦力はたった一つ飛んできた明確な指示に意図を理解せずとも反射的に動きを止める。


「加速させるよ——『貴方は世界を置いていく』!」


 イノリの魔眼によって俺の時間だけが加速する。


「『今ここに、シャロンの名において命ずる!』」


 地中を流れる霊脈を掌握し、白雷が大規模な魔法陣を形成した。


「『大地よ、我らを縛る牙城を唄え』——!!」


 刹那、地上に居た者たちの足下全てが捻じ曲がる円柱となってせり上がり、強制的に学園屋上へと押し上げた。


「な、なんだこれは!」

「学生がこんな大規模な魔法を!?」

「地上の防衛戦力を、一人残らず避難させた!?」


 俺を含む全ての戦力が屋上へ集結する。そして、まだ終わらない。

 俺はもう一度、今度は学舎に両手をつき、なけなしの魔力を浸透させる。


「『転変せよ、万象退ける大傘』!!」


 円柱の柱がその身を無数の鉄のワイヤーに変え、迫り来る絡繰たちを後方を弾き飛ばしながら学園全体へと巻きついていく。

 学園をものの数十秒で鋼鉄の棺桶に変えたワイヤーが屋上を二回り拡張し、絡繰が登って来られないようにを生成した。


「これで、多少の時間稼ぎにはなるか……?」


 そう思って下を覗いて、覗くんじゃなかったと一瞬で後悔した。


「アイツらマジかよ……!」


 眼下、絡繰たちは組体操の要領で、自分たちの体で階段を作り始めていた。数千……下手すれば万に迫る可能性すらある絡繰の軍勢は澱みなく、着実に階段を積み上げていく。後数分もすれば、この屋上に手が届くだろう。


「シャロンちゃんまずい。地上の方でも攻撃されてる」


 探知魔法で下方の様子を探っていたイノリが苦い顔をする。


「これ、多分5分もたない」


「クソッタレ……腐っても大世界ってわけかよ!」


 軍事力が小世界の比ではない。

 心が折れかけている防衛戦力。一部の教師や貴族の魔法使いががむしゃらに魔法を撃つが、薄緑のブレードを持つ絡繰が邪魔をする。


「まだ、まだ来ないのか……!!」


 迫り来るタイムリミットに、俺は焦りを隠せずにいた。




◆◆◆




『あの白髪の少女……ふむ。是非とも手駒にしたい人材です』


 組み上がる階段を前に、ランビリスは腕を組み上方を眺める。


『ああ、長かった。計画から300年……ようやく結実の日です』


 脆い人の体を捨てて既に四百年が過ぎた。

 ランビリスの時間感覚は通常の人間よりも悠長ではあるが、エルフや幻想種のような特異な長命種ほどの楽観はない。

 彼にとって300年という時間はそれなりに長く、今日という日を迎えられたことは一つの大きな達成感を彼に与えていた。


『想定外の介入もありましたが、これでようやく七強を……『海淵世界』を喰らう下準備が整います』


『魔剣世界』、『鉄鋼世界』、『絡繰世界』。第四大陸南部を制圧するこの三つの巨大な大世界の支配に成功すれば、次は残党処理だ。残る大陸の百を超える小世界を散らし、その勢いで海の深淵を呑み干す。


『間引きは……そうですね。ここにいる反抗勢力は潰してしまって構わないでしょう。なんせ、全て殺しても1700万の奴隷が——』


 その時、ランビリスの集音器が異音を捉えた。


『これは……?』


 向かって右奥。ランビリスと向き合うエトの左後方から、何やらが響く。

 そして、その中に混ざる奇怪な声。


『イレギュラーの排除は粗方終わったはずでは』


 疑問を呈するランビリス。彼への返答は、立ち昇る燃え盛る青炎だった。




◆◆◆





 狼煙、剣戟、そして高笑い。

 紅蓮から聞かされていた——逆襲の瞬間が訪れた。


「エと……シャロンちゃん!!」


「おせえんだよガッツリスケベ野郎! 『転変せよ、希望の橋』!!」


 ありったけの魔力を流し込み、再び鋼鉄をこねくりまわし、俺は一枚の坂を生み出し地上へ届けた。


 そこを、三百を超える“剣”の大集団が駆け上る。


「全員突っ走れぇーー!」

「ガラクタ共を蹴散らせぇーーー!!」


『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 先頭を走るのは青炎を纏うラルフと、黒いコートで全身を覆った錆びついた剣を振るう男。


「剣!? なぜこんな場所に!?」

「貴女何やってるのよ! こんな場所にあんな畜生たちを招くなんて!」

「今すぐ坂を壊せ! はやく——」


「うるっせえ!! 黙って見てろ!!」


 途端にやかましくなった教師や一部貴族を怒鳴り散らし、俺はラルフと錆び剣男の後方で担ぎ上げられた少女を指差した。


「オ〜ッホッホ! オ〜ッホッホッホ! オ〜〜ッホッホッホッホッホッホッホ!!」


 戦場であってもトレードマークの縦ロールを揺らし、何処からか取り出した扇を揺らし高笑いを上げるリディアの姿に、その場にいた全員が——くーちゃんですら絶句した。


「り、リディアさん!?」

「レイザード女史、なぜ剣と!?」

「なぜ彼らと彼女が共に!?」


「あっははははははは! 凄いね彼女! 本当にすごいよ!」


 人目も憚らず、目尻に涙を浮かべたくーちゃんが大爆笑した。


「エスメラルダが言ってて、まさかとは思ってたけど……ここまでだなんて! 長いこと生きてきて初めてだよこんなの! あはははははは!!」


「エと……シャロン悪い! 遅くなった!」


「オ〜ッホッホ! このリディア・リーン・レイザード、頼もしい援軍を連れてきましてよ〜!」


「おいお嬢! それ以上反るな! 落ちる! 落ちるから!!」

「俺たちにも支える限界があるんだよ!!」


 途端にやかましくなった戦場の中央。困惑と驚愕と敵意と友好がぐちゃぐちゃに絡み合う中に、確かな希望が——可能性が紡がれる。



『——馬鹿な!? 剣がなぜここにいるのですか!?』


 ランビリスが声を荒げる。敬語口調は変わらず、しかし滲む焦燥は隠しようがなかった。



『ありえない! あり得るはずがありません! この二百年、徹底的に関係を破壊しました! 内部工作も、外部からの圧力も、全て!! 徹底的に壊したはずです! なのになぜ、そこに魔法と剣が揃っているのですか!!?』



「……よお、聞こえてんだろランビリス」


 俺の声を正しく聞き取ったランビリスがはたとこちらを見上げる。


「随分と化けの皮が剥がれたじゃねえか。のっぺらぼう剥いだら次は何が出てくるんだ?」


 挑発的に笑う俺の右横に、ラルフが大戦斧を肩に担ぎ並んだ。


「なんで魔法と剣が揃ってるのか、そんなに不思議か? 頭でっかち」


 さらに、俺の左横にリディアとその神輿たちが躍り出る。


「そんなの、決まってますわ! ここが『魔剣世界』だからですわ!!」


 ラルフの横に、錆び剣の男が立つ。


「今日、我ら剣は再び意味を持つ——即ち、魔法を、この世界を守る剣として!」


「覚悟なさって、『絡繰世界』!」


 イノリ、ストラも共に並び、眼下と頭上、地と空を支配する絡繰世界。代表して、リディアが扇を空に叩きつけて宣言した。


「二百年の借り、今日できっちりお返しします! 皆さん、反撃ですわよ!!」



 空に轟く雷鳴すらかき消すような雄叫びが上がる。


 今ここに、『魔剣世界』が再誕する。

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