決戦の地

 時間は、飛空乗艦が姿を見せた頃——エトが王城から出た時にまで遡る。


「まったく、私を顎で使うなんて。キミも偉くなったねエスメラルダ」


 学長室からエスメラルダを救出したくーちゃんは、軽々と魔法で空を歩く。


「規格外である貴女に頼むのが一番ですからね」


 エスメラルダがくーちゃんを臨時講師として招く際、彼女は三つだけ、くーちゃんに願いを託した。


 ひとつ。

 四人の学生を気にかけて欲しい。他は、気が乗ればで構わない。


 ふたつ。

 一度だけ、私の窮地を助けて欲しい。


 みっつ。

 結末を見届けてほしい。


 そして、以上の三つを守れるならエスメラルダは生涯くーちゃんの「秘密」を話さない。ちなみに、講師の話を拒否したら問答無用でバラす。

 そんな半ば脅しのような契約である。


 改めて約束の内容を思い出し、くーちゃんは妹を見る姉のような、揶揄いを感じさせる目でエスメラルダを見た。


「本当に生意気に育ったね、キミは。あの頃の灰被りとは似ても似つかなくなっちゃって」


「どこかの誰かに似て、図太く育ったもので」


 逞しく成長したエスメラルダに、くーちゃんは慈愛の笑みを浮かべた。


 二人はそのまま、魔法学園、ブルの学舎まで飛行する。

 『絡繰世界』からの侵攻は迅速かつ苛烈だった。

 だが、エスメラルダの対応もまた迅速だった。


「この後はどうするの?」


「元々は全生徒に呼びかけ、このブルの校舎とその地下シェルターにガルナタル内の生存者を収容する予定でした。ですが、この妨害が厄介ですね」


 魔法学園の生徒たちが胸につけるワッペンには、緊急時にエスメラルダから一方的に念話を届けるための魔法陣が組み込まれている。

 普段は暴発を防ぐために学園長側からのみ解除できるセーフティをつけているこれを用いて、エスメラルダは避難誘導の波を生み出すつもりだった。


「敵の数も想定より多い——私の見積もりが甘かった。まずは、この妨害電波をなんとかします」


「それなら心配しなくていいよ。キミのお気に入りが一人、ちょうど破壊に向かってる」


 都市全体に及ぶ、隣に立つエスメラルダすら気づけない静謐性を有する桁違いのでイノリたちの動向を把握したくーちゃんは、『休養日って言ったのに』とやんちゃな子供を前にしたように眦を下げた。


「では、私は今から結界の準備を始めます。下準備なら妨害はされませんので」


 この戦争の行末にくーちゃんが関わるのは、エスメラルダの救出ただ一度きりである。

 学園の講師をやったのは、旧知の仲であるエスメラルダきっての頼みだからこそ。くーちゃんにとってエスメラルダのには関与しない『魔剣世界』の消失は、極論どうでもいいことだからだ。


 だが、ひとつ。

 唯一、彼女の興味をそそる者がいた。


「それじゃ、お姉ちゃんがちょっとだけサービスしてあげよう」


 そう言って、くーちゃんはとある人物に念話を飛ばした。




◆◆◆




--<エト、聞こえるかい?>--


「はっ!? くーちゃん先生!?」


 魔法を妨害された環境の中で聞こえるはずのない念話を受け取った俺は、慌てて急ブレーキをかけ、反射的に飛空乗艦からの有視界を切った。


「なん……いや、今魔法妨害されてるよな!?」


--<この程度の静電気で私を妨害できるわけないでしょ?>--


「無茶苦茶すぎる!」


 なんでアンタみたいな化け物が臨時講師なんてやってんだよ、と何度目ともわからない疑問が浮かぶ。まあ、それは全てが終わった時にでも聞いてみよう。

 今は、俺のなすべきことをする。


「俺に声をかけたってことは、なんかやるべきことがあるんだな?」


--<この半月で見違えるほど察しが良くなったね。正解。キミには今から、各地で絡繰に襲われている子たちを片っ端から救出して欲しいんだ>--


 くーちゃんは『とりあえず絡繰ぶっ飛ばして』『戻ってきて欲しい時はエスメラルダがキミに念話を送るから』とだけ俺に伝え、一方的に念話を切った。


「ってことは、誰かが妨害の解除に向かってるのか……なんかイノリな気がしてきたな」


 現状で魔法を使える人間は、くーちゃん以外にもイノリがいる。アイツのことだ。休養日など関係なく『兄ぃならこうする!』と突っ走る確信があった。


「ま、アイツが決めたことだしな」


 であれば、俺がやるべきことは一つ。この悲劇の引き金になっているらしい“絡繰”を、片っ端から叩き切るだけだ。


 そうして俺は走り出し、己の無力を痛感しながら戦場となったガルナタルを疾走した。




◆◆◆




 そうして現在、エスメラルダから帰還の指示を受けた俺はブルの学舎へと向かって屋根上を走っていた。


 地上は、止まない雨によって都市中に蔓延する血潮によって赤く染まっている。

 夥しい死体がどうしたって目に入り、俺は弱さを痛感する。

 もしも。ここがリステルだったら、俺は。


「……い。お〜い!」


 鬱屈とした感情を抱えて走る俺の耳が、聞き覚えのある軽薄な声を捉えた。

 声のした方……俺の前方を注視すると、ヘラヘラと笑みを浮かべる吸血鬼——紅蓮がいた。


「久しぶりだなあエト! 元気そうでなにより……へ?」


 気がつけば俺は闘気×身体強化魔法で超加速を実行し、紅蓮の顔面にドロップキックをかましていた。


「オラ死ねやクソ吸血鬼ィーーーー!!」


「ふんぶるぁ!?」


 ——メギャッ!! と顔面の骨という骨を粉砕された紅蓮が眼球を宙に射出しながらゴムボールのように吹っ飛び、ゴロンゴロンと屋根上を転がって停止した。


「おい、そこのクソ野郎。直れ。今からお前を桂剥きにしてやるよ」


「猟奇的がすぎるだろ!」


 ひしゃげた首から上を霧化させ再構築した紅蓮の文句に、俺は容赦なくエストックを奴の首に当てた。


「この剣をお前の血で汚すのは業腹だがこの際仕方ねえよな?」


「文句言われた挙句剥かれるのかよ!? 謝るから待ってくれ! イノリちゃんのことはマジでごめん! ちょっとはしゃぎすぎた!!」


 流れるように黄金比の土下座を繰り出す紅蓮。その変わり身の速さに、俺は盛大にため息をついた。


「まあいいよ。今は緊急時だし」


「助かった……」


「もみじおろしで手を打とう」


「刑罰が悪化してるんだが?」


 馬鹿な会話はここまで。

 俺はこの緊急時にわざわざ俺を呼び止めた紅蓮に真意を尋ねた。


「で? 何のようだ?」


 視線と態度で「手短に答えろ」と滲ませる俺に、紅蓮は少しだけ声音を真面目にした。


「深い意味はねえんだけどな。アンタがちょっと悩んでる気がしてよ」


「…………まあ、そうかもな」


「お前の目的を考えりゃ、そら、この景色に何か思わねえわけねえよな」


 こちらの不安などお見通しだと、やけに先輩風を吹かせてくる紅蓮。

 俺の言葉なんて欠片も聞かず、こう言った。


「迷うな。アンタにできることをやれ」


「……お前に正論言われると腹立つな」


「俺そろそろ泣いて良いか?」


 憎まれ口を叩きこそしたが、紅蓮の言葉は不思議と今、俺が求めていた言葉と寸分違わず一致していた。


 そうだ。俺にできることなんて限られている。だから、この手が届く限りのものを一つでも多く守るために、一歩だって歩みを緩めたらダメなんだ。


「それとあともう一つ、罪滅ぼしって言っちゃアレだが、フォーラルで間に合わなかった時の埋め合わせをしにきた」


 紅蓮はこれから起こるであろう事と、それに対する自身の行動を詳細に俺に話した。




◆◆◆




 シャロンの姿に変わり、ブルの学舎へと帰還する。

 敷地面積が広く、また周囲に建物が少ないことから視界の確保がしやすいブルの学舎は、防衛という観点から見て非常に優れている。

 二百年前、都市計画に唯一学舎の屋上で防御結界を単身で展開するエスメラルダは、額に玉のような汗を浮かべていた。


「学園長、だいぶ無理してないか?」


「ここは無茶のしどきですよ。老い先短い老婆の命の一つや二つ、我が子を守るためになら私はいくらでも使い潰します」


「老い先って……学園長エルフなんだからあと百年は生きるだろうに」


 学園に通うすべての生徒を我が子として愛するエスメラルダは、留学生である俺にも慈愛の目を向け、申し訳ないと頭を下げた。


「ごめんなさいね、。貴方たちを巻き込んでしまって」


「……もしかして、学園長はこの可能性を予測してたのか?」


 俺の問いに、エスメラルダはゆっくりと首を横に振った。


「予測なんてものじゃありませんよ。ただ、少し。私は昔から、未来のが見えるの。好事悪事の区別もつかない、ただ漠然とした“分岐点”が」


「それじゃ、その澱みと世界の現状を照らし合わせたわけだ」


「そうなりますね。……私を、罵らないんですか? 私は意図的に貴方たちを巻き込んだというのに」


「罪悪感感じてる人間を責め立てる趣味はないんで。あと、この世界に来なけりゃ、俺の成長、多分止まってたんで。感謝こそすれ、恨みは正直ないよ」


 そもそも、エスメラルダが悪いのではなく『絡繰世界』とやらが全面的にカスなのだ。目の前の老練の魔法使いは、ただ自分が守りたいものを守るために、全力でできることをやっただけだ。


「くーちゃん先生はこの戦いにこれ以上関与する気はないんだろ?」


 俺の確認に、屋上の欄干に腰掛けるくーちゃんが頷いた。


「なら、もしもの時はエスメラルダ連れて逃げてくれ」


「キミに言われなくても元からそのつもりだよ。で? キミはどうするんだい?」


「そんなの決まってんだろ」


 不敵に笑う。

 俺は迷いなく、遥か上空を悠々と旋回する飛空乗艦を指差した。


「アレを撃ち落とすんだよ」



◆◆◆



 生徒や逃げてきた研究者、住民の多くは地下シェルターと頑強な学舎内に避難している。

 今、『魔剣世界』側が有する防衛戦力は、一部の教師や戦う意志のある者たちだけだ。

 避難してきた人に対して、防衛に参加できている者たちは少ない。しかし、それは仕方のないことだろう。


 戦争に縁のなかった者たちが、突如地獄へ放り込まれたのだ。戦う覚悟なんてできてなくて当然だ。


「けど、戦わせねえと勝てないのも事実なんだよなあ」


 さてどうしたものか、と悩み唸る俺の耳に、聞き慣れた声二つ。


「シャロンちゃん!」

「シャロン様!」


 後ろを振り返ると、案の定左目の下に流血痕があるイノリと、体力の限界からかゼェハァと肩で息をするストラがこちらへ走ってきた。


「シャロンちゃんラルフくん見た!?」


「ああ、それな——」


 どうやら落下していくラルフは二人も目撃していたらしい。


「まあアイツは生きてるだろ。とりあえず作戦会議だ。あの悪趣味な鉄の塊を堕とすぞ」


「シャロンちゃんならそう言うと思ってたけど……どうやって落とすの?」


「それを今から考える。幸い、あの船どうしてか次の手を打ってこねえからな」


 外の絡繰はが片してくれる。なんで、時間のある今のうちに打開策を考えたい。


 ……そういえば、あの二人組はどうなったのだろうか。

 敵対と協力。それぞれ一度ずつ経験した彼らの実力は疑っていないし、そもそもその生死に対してさした感慨もないのだが。

 なんとなく、生きてたら良いな、とは思った。


「……シャロン様? お顔が優れないようですが」


 基本表情の起伏が薄いストラが、無表情(やや心配寄り)の視線を向ける。俺は「大丈夫だ」とだけ言って、空を見上げた。


 雨雲の向こう側に隠れて見えなくなった飛空乗艦。空は不気味な沈黙と止まない雨を降らせ続けている。


 身体強化魔法で視力をアホみたいに上げても見えない飛空乗艦に、イノリが「うーん」と唸った。


「雲の上ってことは、最低でも2000Mはあるってことだよね? 登るのはさっきのラルフくん見た感じ現実的じゃないねー」


「引き摺り下ろすのも正直厳しいかと。あの高度まで魔法の有効射程を伸ばせるのはくーちゃん先生くらいだと思います」


「そのくーちゃん先生が傍観するって決めちゃったしなあ」


 三人揃って思考がどん詰まり。どうしたものかと雨天を見上げ、


「…………クソ」


 視界の端に捉えた落下する質量体に、俺は堪らず悪態を吐いた。


「攻撃が来るぞ! 全員衝撃に備えろ!!」


 俺の声に反応できたのは、周囲に居た者たちのみ。

 こういう時、拡声魔法を使えないことが恨めしい。


 学舎、地下シェルターを含め300万人を収容できる巨大な学舎全周に声を届けることなどできず、防衛戦力はまともな連携を取る前に襲撃を許してしまった。


 落着物がその大質量で大地を揺らす。

 それが、加速度的に連鎖する。


 ドガガガガガガガガガガガガガ————!!と地面を掘り返し天地を返すような出鱈目な地震が引き起こされた。

 立つことすらままならない振動に各所で悲鳴が上がる。


「クソが……質量爆撃かよ!!」


 制空権を完全に握られた今、単純な物量押しはそれだけで俺たちの致命傷となり得る。


 結界を避けたのか、それとも別の目的があるのか。

 煙が晴れた向こう側には巨大なくろがねのコンテナが無数に——おそらく学園全周を囲むように——地面にめり込み鎮座していた。


 扉が開いたコンテナの中から、這い出るように六臂の絡繰が姿を見せる。


「……冗談キツいぞ」


 幾百……いや。幾千にも登るであろう出鱈目な数の絡繰が学園全体を取り囲む。


 カシャカシャと耳障りな駆動音を鳴らす軍勢の後方から、人型の絡繰が前に出る。

 のっぺらぼうの絡繰は流暢な機械音声でこう切り出した。


『レゾナの皆さま、ごきげんよう。ワタクシ、『絡繰世界』カロゴロの外交官、ランビリスと申します。早速ですが——降伏してください』


 その態度には、自らの勝利を信じて疑わない自信が滲み出ていた。

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