リディア・リーン・レイザード

 各所で奮起する魔法と剣。

 しかし、戦況は決して良い方向には転ばなかった。



 十の炎の槍が空を切る。

 高い機動力を有する六臂アスラを前に、一学生が火力を維持しながら照準を単独で完璧にこなすことなど不可能に等しい。

 さらに、圧倒的な数の不利と積み重なる死体の山を前にすれば冷静な判断など出来なくて当然である。


 彼等彼女等が身を置いていたのは競争の地獄。争いに縁あれど、命の奪い合いに無縁だった彼ら魔法学園の生徒たちはこの場において無力だった。


「もうダメだよ! 逃げよう!」

「逃げるってどこに!? どこに行ってもあいつらが追ってくるのに!」

「で、でも! 私たちじゃアレには勝てないよ!!」

「ふざけんな! “剣”なんておもちゃ振り回してるやつに尻尾巻いて逃げろってか!?」

「だったらお前一人で戦って死ねよ!!」


 息を切らしながら、激痛を訴える心肺に鞭打ちひた走る。


 叫ぶのは恐怖を誤魔化すため。

 魔法を無駄撃ちするのは、迫る死から目を背けるため。


 豆鉄砲のような牽制の魔法を意に介さず、六臂アスラの一団は淡々と命を処理する。


「あんなの先生たちじゃないと無理だって!」

「足止めるな! 追いつかれたらキーラみたいになるぞ!?」

「やめてよそんなこと言うの!」

「クソッ……クソッ! 剣の奴らめ、卑怯だぞ!!」


 蜂起に際し、ルアンを筆頭にした数名の刺客が事前にエスメラルダをはじめとした有力な教師たちを拘束していた。

 また、イノリが交戦した六臂アスラは『魔剣世界』の各地に潜み、闇討ちを繰り返し、同時に魔法の解析を行い続けていた。

 結果、データを受け取った量産型の六臂アスラは剣のみならず、魔法に対しても高い対応力を持つ。


 一部で圧勝しようと、首都ガルナタル全体の戦況は圧倒的に『絡繰世界』が優位。それは絶対的な事実である。


「ぁ……うぐぅ……!」


 一人のブルの少女が捲れ上がった石畳に足を取られ転倒した。


「リンちゃん——!?」

「振り返るな!止まるな!」

「でも、でもリンちゃんがぁ!!」


「まって……待ってよみんなぁ!?」


 少女の友人の悲痛な叫びを唇を噛み切って無視した少年が、他の仲間の手を引いてひた走る。

 ただ一人取り残された少女に六臂アスラが追いついた。


「嫌……嫌ぁ……!!」


 恐怖に泣き叫ぶ少女の声が、断末魔に変わる——




◆◆◆




 素早く、硬い。

 シンプルで、これ以上なく厄介な相手だと剣の二人は舌打ちした。


「なんで絡繰と戦ってんだよ俺たちは!」

「知るかよ! ザイン様の命令だ、そうするしかねえだろ!」

「意味わかんねえよ畜生!!」


 待機組とは違い、首都各地に散っていた実働部隊の剣たちに突如下された命令。

 それは『現行の作戦を全て中止し、目下脅威となっている絡繰を殲滅せよ』、というものである。


 実働部隊の面々は大きく混乱したが、通信機越しに伝わる熱量とザインの力強い言葉に押され承諾した。

 そこまでは良いものの、相手が中々の曲者だった。


 血濡れのブレードを持つ六臂の絡繰。

 純粋に視野が広く、手数も多い。加えて、剣の術理を熟知している。


「やりにくいなクソが!」

「つか、コイツらいつのまにこんなに増えた!?」


 各地で苦戦を強いられる剣たちに追い討ちをかけるように上空から六臂アスラの増援が投下される。


 ザインが待機組に3人一組を言い渡したのは、それが絡繰を安全に、素早く処理できる最低人数だと見積もったからである。

 もちろん二人一組、あるいは単独でも撃破は可能だろう。だが、それ相応のリスクが発生する。


 そして、これは六臂アスラ一体に対する人員である。十秒という短い制限時間を設け討伐速度を意識させたのは、敵の絡繰が合流する前に叩けという警告の側面もあった。

 多勢に無勢に追い込まれれば、剣だけでは対処しきれない——ザインはそう考えていた。


 その見積もりは、残酷なことに正しかった。



「畜生、畜生……!」


 勢いを増す六臂アスラの波状攻撃。包囲網が狭まり、少しずつ、着実に同志二人は窮地に追い込まれていく。


「斬っても斬ってもきりがねえ!」

「引き際を誤ったか……!」


 早い段階で突貫を仕掛け、方位を抜け出して地形的有利を取りに行くべきだったと男は自らの判断ミスに苦渋の表情を浮かべる。


 絶え間なく闘気を放ち、気力、体力共に限界が近い。

 賭けに出るための最低限の体力すら残せなかった己の弱さに、二人の剣は奥歯を食いしばった。


「ああ畜生! なんだってんだよコイツらは!?」


 避けきれない攻撃により傷を作り、出血が酷くなった男の剣を持つ手が鈍る。ブレードを受け流した瞬間、血糊によって手が滑り、カランと乾いた音を立てて剣が落下した。


「サンザ!?」


「クソッタレが……!」


 振り上げられたブレードを避ける術を、男は持っていなかった。




◆◆◆




 剣だけでは倒せない。


 魔法だけでは届かない。


 各地の奮戦は、虚しく終わるのか。

 僅かに生まれた反撃の狼煙が再び強まる雨にかき消されようとしていた。



 ——であるのならば。『魔剣世界』は敗北するのか?


 そこに、否を突きつける者たちがいた。




◆◆◆




「待ってみんな……置いてかないでよ……!!」


 倒れ、涙を流す少女に無慈悲なブレードが振り下ろされる刹那、白銀の剣閃が六臂アスラを解体した。


「……え?」


 いつまで経っても痛みが訪れないことを不思議に感じた少女が顔を上げ、恐る恐る背後を振り向いた。


 そこには、銀髪を雨に濡らした青年が一人、少女を守るように六臂アスラの目の前に立ち塞がっていた。

 右手に持つのは、奇妙に細長く頼りない剣。


 白銀の闘気を身に纏う青年——エトラヴァルトが振り向き、少女に手を差し伸べた。


「立てるか?」


「え、あ……はい」


 誰? とか、なんで“剣”が? とか。疑問はたくさんあったが、少女は生き延びたことへの安堵と、その青年が持つ不思議な安心感に手を取った。


「早く、みんなのところへ」


「う、うん!」


 しっかり両足で立ち上がり、仲間たちのもとへと駆け寄った少女を見届けて頷いたエトは、複雑な感情を帯びた視線を自分に向ける学生たちに声をかけた。


「ここは俺に任せろ! このまま北進して、ブルの学舎へ! エスメラルダ学園長が防御結界を敷いている!」


「わ……わかった!」


 事態を把握しきれないながらも頷いた生徒たちはエトに背を向け一目散にブルの校舎へ向かった。


「……さて。全然、なんもわかってねえけど」


 一段、エトの瞳が昏くなり殺意を帯びる。


「お前らが元凶なわけだ」


 ブレードにつく血糊。

 ここに来るまでに見てしまった屍山血河。

 エトの怒りは、頂点を振り切って爆発していた。


「言葉が通じないってのは良いよな。魔物と同じで一切同情が要らねえんだから、なぁ!!」

 

 側面から急襲してきた六臂アスラを剣の一振りでし、エトの闘気が膨れ上がる。


「他にも行かなきゃなんねえところが山ほどあるからな……一分で片付ける!!」



 その宣言通り、エトは増援をものともせず30体以上の六臂アスラをたった一人で、きっかり五十八秒で殲滅した。




◆◆◆




 迫る包囲網。

 失った防御。

 振り上げられたブレード。

 そして——


「オ〜ッホッホッホ! オ〜ッホッホッホッホッホッホ!!」


 そして、高らかに響く笑い声。


「そこの殿方! お伏せになってくださいまし!」


 よく通る声に、剣の二人は反射的に身を屈めた。

 その頭上を、幾つもの炎弾がなめとるように飛翔し二人に迫っていた六臂アスラの一団を吹き飛ばした。


「今のは!」

「炎の……魔法!?」


「オ〜ッホッホ! やはり金には火が一番ですわ!」


 屋上、魔法の使い手と思わしき少女が高笑いを上げながら着地し——


「——あべしっ!」


 盛大にコケた。


「あいたたたたた……。わたくしとしたことが、着地を失敗してしまうなんて——」


 雨に濡れようが転んで顔面から地面に突っ込もうが一切形の崩れないプラチナブロンドの縦ロールを揺らし。


「お二方、お怪我はありま、あり……大怪我ですわ!!?」


 リディア・リーン・レイザードは、剣を助けるために魔法を使った。




◆◆◆




 無数の——もう何体に増えたかもわからない絡繰たちから身体強化魔法を全開にして逃げ回るリディアの瞳が、ふと窮地に陥っている男二人を視界に収めた。


「あれは——!?」


 驚き、勇んで救出に行こうとして。

 二人が持つものが剣だと気付いた。


「剣でしたの。では——」


 わたくしには関係ない。そう言って視線を外そうとして。


 ——『君はそうするべきだ』


 出会って二ヶ月の、友人の言葉を思い出した。

 気がつけば、リディアの足は急カーブを切り、木造屋根の一部を強化した腕力で捻じ切って魔法を発動していた。


「『水によって木は生まれ、木は燃えて火は猛る』!!」


 周囲の水と木を対価に燃え盛る火球を生み出し、リディアの意思に従い火球は目下の絡繰たちを吹き飛ばした。




◆◆◆



「大怪我じゃないですの!? ちゃんと手当てなさって!?」


 出会って開口一番、相手の怪我を——剣の容体を心配した学生服姿の魔法使いの少女に、二人の剣は大きく困惑した。


「な、なんで助けた!? 俺たちは剣だぞ!?」

「そうだ! 自分の身を危険に晒してまで、なんで——」


「そんなのわたくしが聞きたいですわ!!」


「「はあ!?」」


 逆ギレじみたリディアの言葉に、男二人は揃って口をあんぐり開けた。


わたくしも今ヤバいんですわ! よくわからない人形に追いかけまわされていてもうヘトヘトなんですのよ! なのに貴方がたを助けてしまったんですわ!!」


「おいちょっと待て! お前、今追われてるって!?」


「そうですわ!」


「それじゃその絡繰は——」


 3人揃って、リディアが飛び降りてきた屋根上を見上げた。

 そこから見下ろし……というか、飛び降りてくる六臂アスラの姿を目にして、三者三様に絶叫を上げた。


「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「お前! お前なぁ!? 追われすぎだろ!!?」

「面目次第もございませんわーーーーー!!」


 三人並んでの大逃走が始まる。


 三人が知る由もないが、既に目標数である50万人を絡繰たちは、反抗勢力の一掃に舵を切っている。

 建物内に人がいようと居なかろうと、反抗の意思が確認できるものにのみターゲットを絞っている。

 結果、この近辺で戦闘を続けていたのがこの三名のみであり、周辺の絡繰全て——延べ100体以上が列を成し追いかけてくるという地獄のような景色が誕生していた。



「——痛っ!?」


 僅かにリディアの走行速度が鈍る。


「おいどうした!?」


「な、なんでもございませんわ! ちょっと足を——」


「挫いたのか!?」


 男二人の視線が一歩遅れたリディアの足に向けられた。

 ローファーは既に擦り切れ、片足は靴下。未だにローファーの残る右足に、目に見えてわかる腫れがあった。


「…………クソッタレが! おい、一瞬止まれ!」


「え、あちょ——きゃっ!?」


 口の悪い——サンザという名の男の言うことに咄嗟に従ったリディアは、いきなり抱き抱えられたことに驚いて小さな悲鳴を上げた。

 再び走り出す。


「あな、貴方一体何を!? わ、わたくし殿方に抱かれたのは初めてですのに!?」


「人聞きの悪ぃ言い方すんじゃねえいいから黙ってろ舌噛むぞ!! お前にゃ聞きてえことが残ってんだよ!!」


 リディアを抱えたことで僅かにスピードダウンしたサンザは、同志の『女の子に重いって言ったら殺されるよ』という過去の発言に歯を食いしばり走り抜ける。


「答えろ! なんで俺たちを助けた! なんで、魔法であるお前が、自分の身を危険に晒してまで助けた!?」


「…………………………」


「答えろよ!?」


「貴方が『黙ってろ』と仰ったのにですの!?」


「お前実は結構余裕あるだろ!?」


 緊急事態にも関わらずコントのような会話をする二人。リディアは、少しだけ考えて、言葉にした。


「だってわたくし、貴方たちのことを全く知らないんですのよ!?」


 答えは、偽善とかそう言うものではなく。

 一人の少女の純粋な疑問だった。


わたくしは虐めを見ましたわ。同じ魔法使い同志なのに傷つけあう姿を見ましたわ。今までわたくしは、見て見ぬふりをしてきましたの。でも——それは、嫌だと思うようになりましたわ」


 きっかけは、一人の友人の言葉。

 リディアの内にあった違和感、燻りに触れた一言だった。


「差別なんて、わたくしは望みませんの。何も知らない相手を、何も知らないまま『そういうものだから』と虐げるのは納得できませんの!」


 少しずつ呼吸が荒くなる自分を抱える男の姿を見て、リディアは自ら突き放し地面に転がった。


「お、おい!!」


「あいたたた……わ、わたくしは貴方たちを少しだけ知りましたわ! 自分たちを虐げ続けてきた魔法使いのわたくしを見捨てることなく、ここまで共に連れてきてくれるような優しさを持った殿方だと!!」


 魔力が揺れ動き、複雑精緻な魔法陣が顕現する。

 今も胸に抱く禁書庫からうっかり持ち出してしまった本にあった、差別のない世界。魔法と剣が、互いに手を取り合う世界。


 あの、空に虹をかけた魔法使いの手には、“剣”が握られていた。


「差別ややっかみなんて、ない方が良いに決まってますわ!!」


 リディアは、それを美しいと思ってしまった。


わたくしは、ただ魔法が使えないというだけで教科書を捨てられてしまうような世界を認めたくありません!」


 鮮烈な虹に、どうしようもなく憧れた。


 少女の言葉が熱を帯びる。

 胸の中に澱んでいた違和感を燃焼させ、確かな想いを伴って吐き出される。


わたくしがお母様を敬愛してこの髪型を誇るように!」


「「あ、それ遺伝なんだ」」


「由緒正しき髪型ですわ! ——誰もがなりたいものを目指せる、やりたいことをやれる——そんな世界をわたくしは見たい!!」


 それは、自分の中にあった想いにすら見て見ぬふりをしてきた少女が変わる瞬間だった。


わたくしは逃げませんわ! 今までの罪からも、この先の苦難からも——目の前の敵からも!!」


 属性流転カラースイッチ

 リディアの研鑽の象徴である魔法陣が輝きを帯びる。


「今貴方がたと出会って、はっきりしましたわ!」


 その光は、二人の剣の目に焼きつく。


わたくしは、リディア・リーン・レイザード!! 力持つ者として! 理想を掲げ、力を追い求める者として!! この『』の全ての人々を守る!! それを、いま此処に誓いますわ——!!」


 魔法が放たれる。


 一帯の石畳が捲れ上がり地面が競り上がる。“土生金”——変性により土は鉄へと変じ、“金生水”——凝結し水が付着する。

 付着した水が中心となり周囲の雨すら巻き込み激流が生まれ、“水生木”——大樹が育ち絡繰たちを絡めとる。

 “木生火”——木は燃えて火を生み出す。


 そして、火と金は相剋する。


 属性流転カラースイッチによって増幅された絶大な威力を誇る炎が、絡繰全て、


「…………凄え」


「これが、魔法……!」


 凄絶な光景を前に言葉を失った二人の男。

 絡繰を一掃したリディアは、魔力を使い果たしその場にへたり込んだ。


「し、少々……張り切りすぎましたわ」


「なあ。」

「……ああ」


 同志二人は目を合わせて頷き、リディアを優しく背負って立ち上がった。


「め、面目ございませんわ……」


「馬鹿言え。大戦果だ」


 百体の絡繰を一度に焼き払うなんて真似は、ザインにすらできない。二人の男は、少女の力を認めていた。


「ひとつ、聞かせろ。さっきの言葉に、偽りはないな?」


「勿論ですわ……わたくしの生涯をかけて、成し遂げてみせますわ」


「……そうか。わかった」


「ならば俺たちも誓おう。お前が約束を違えない限り、この剣はお前を守る盾となる」


 勝手に決めて、後でザイン様にボコボコにされそうだそう笑い、二人はその場を離脱した。



「……おい、コイツ気絶してやがるぞ」


「俺たちの小っ恥ずかしい言葉スルーしやがった!!」




◆◆◆




「……約束、ちゃんと守ってくれたみたいだぞ」


 少し離れた位置から大火を身届けたエトは、胸の中の本に語りかけ、上を向く。


「後は……アレだな」


 遥か上空。雲より高い場所まで昇り首都を見下ろす飛空乗艦と、何らかの方法で空へと舞い上がり、全然届かないで落下していくラルフともう一人、見覚えのない男を見る。


「いや、あれ死ぬだろ……大丈夫か、ラルフだし」


 多分なんとか生き残っているだろう、と希望的観測を胸にエトは胸で十字を切った。


 その時、ドクンと胸が強く高鳴り、魂が熱を帯びた。発生源は、言うまでもなく《英雄叙事オラトリオ》だ。


「シャロン……?」


 エトの言葉に《英雄叙事オラトリオ》は反応しない。


「なんだったんだ? 今の……」


 奇妙に燻る力強い熱を胸に感じたまま、学園長から帰還の合図を受け取ったエトはブルの学舎へと帰還するべく駆け出した。

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