長い旅の始まり

 激闘から一週間が経った。

 グレーターデーモンの時ほどの重傷こそ負わなかった俺たちではあるが、それぞれが魔力も闘気もすっからかんになるほど戦い抜いた結果、全員揃って丸二日寝てしまった。


 そして目覚めてからの五日間は戦後処理。

 撃退にこそ成功したが、首都に残された傷跡は深い。

 街はいたるところが破壊され原型を留めておらず、死者は老若男女問わず60万人を超えた。


「それじゃ、居住区は悲惨な光景だっただろうな」


「いや、それがそうでもなかったんだよ」


 皆から「休んでいてくれ」と言われていたにも関わらず本人たっての希望で「弔わせてくれ」と死体処理に関わったラルフは、居住区の意外な光景を語る。


「破壊痕こそあったけど、居住区には心配されてた——特に腐敗からくる伝染病とかだな。あの辺を覚悟してたけど、全然そんなことなかったんだよ」


 曰く、居住区には血の一滴も流れておらず、被害者は皆穏やかな表情で目を閉じていた——と。


「絡繰も一箇所で一網打尽にされてたんだとよ。俺はそっち見てないからわからないけど……どうした? エト」


「……心当たりがあって複雑な気持ちだ」


 おそらく、それをやったのはあのクソ吸血鬼……紅蓮だろう。任せろとは言われたが、そこまでアフターケアが万全だとは思っていなかった。

 非常に腹立たしいが、死者を丁寧に弔うための下準備をしてくれたことには感謝すべきだろう。


「お礼に刑罰は牛裂きの刑に格下げしてやろう」


「お礼の誠意がまるで見えねえな?」


「元々がもみじおろしだからこれでも妥協だぞ?」


「猟奇的すぎんだろ……」



 休憩が終わるから、とラルフと別れた俺は、その足でくーちゃんの診察を受けているイノリを迎えに行く。

 行く先々で「あの人が……」「女の子……」「浮気?」「お得だ……」などなど。わけのわからない単語が耳に届くが、これは断じて俺とは関係ない。関係ないからな!



「エスメラルダはこの件を内々に処理して、他世界に情報が漏れないようにするらしいよ。せっかく名声を得られるチャンスだったのに。残念だったね、エト」


 邂逅一番、揶揄うように笑ったくーちゃんに俺は肩をすくめた。


「元々そんなこと考えてなかったよ。動いてる時は必死だったからな」


「……なるほど。エルレンシアが認めるわけだね」


「知り合いだったのか。もしかして、くーちゃん先生が《英雄叙事オラトリオ》を知ってたのって——」


「そう。エスメラルダ繋がりでね。『変なもの刺さってるなー』って印象的だったんだよね。あと、もう“先生”は不要だよ。私、もう教師辞めたから」


 あっさり職なし宣言をしたくーちゃんに、俺とイノリは揃って「ええ……」と困惑の声を漏らした。


「しばらくはいろんな世界をぶらぶらするつもりだから、また会う時もあるかもね。うん、経過も良好。無理したかったら、無理せずに使って身体を慣らすこと、いい?」


「うん、わかった」


 しっかり頷いたイノリの頭を撫でたくーちゃんは「そろそろ行くね」と立ち上がった。


「もう行くのか?」


「挨拶すべき人にはもう済ませたからね。キミで最後だよ。また会おうね、エト」


 瞬きする暇もなく、こっちが返事する間もなく。くーちゃんは忽然とその場から姿を消してしまった。


「とんでもねえ人だったなあ……」


「ねー」


 俺はイノリの、眼帯をつけた左目を見る。

 万が一にも魔眼が暴走しないように、と任意で封印が可能な眼帯らしい。ちなみにくーちゃんの手作りだ。


「エトくん、どうしたの?」


「イノリの目が見えない前提で探索のフォーメーションも考えないとなあって」


「……………………あっ」


 『あ、そういえば』みたいな反応をしたイノリに半眼を向ける。


「お前、自分が冒険者ってこと忘れてただろ」


「いやほら、最近すっかり勉強漬けだったしさ? なんかこう……学校通ってた頃を思い出したというか、ね?」


 慌てて言い訳をするイノリに肩を落としながら肉体置換——午後の作業のためにシャロンの肉体に変わる。


「そういえばエトくん、結局 《英雄叙事オラトリオ》が何かわかったの?」


「まあ、ざっくりとな」


 俺はここ数日でシャロンとエルレンシアに色々聞いて、自分なりに総合した結果をイノリに伝える。


「《英雄叙事オラトリオ》……またの名を、『記録の概念保有体』」


「概念、保有体……?」


 聞き覚えのない単語だ、とイノリは首を傾げた。


「俺にも……というか、シャロンたちもよく分かってなかったけど、“そういうもの”らしい」


「あ、そこはみんなよく分かってないんだ」


「知ってるやつもいるかもしれないけど、今の俺じゃページを開けないから、情報はここまでだな」


「結局、余計に謎が増えただけじゃない?」


 全くもってイノリの言う通りである。知れば知るほど、得た知識から見聞が広がり余計にわからなくなる。頭の痛い話だ。


「ま、俺のことは置いといて。出発は三日後だからな。それまではきっちり働こう」


「丸二日寝ちゃったぶんは取り戻さないとね!」




◆◆◆




 王城の地下。

 回収された《聖杯》が再度安置されたはずの場所で、一人の少女が首を傾げていた。


「……あれ? なくなってる?」


 夢紫色の髪をふわりと揺らし、オーロラの瞳に疑問を浮かべる少女……シーナは。確かに前日、運び込まれていた筈の《聖杯》が再び何者かによって持ち去られていることに「ううん?」と可愛らしい唸り声を上げた。


「おかしいな……夢、みてたっけ?」


 てくてくと部屋の中を歩き回り、手当たり次第に探し回るも《聖杯》はどこにもなかった。


「お嬢様。我々は道を探して参ります」

「しばしお待ちを」


 シーナの後ろにピタリとつき護衛を担う、先日エトラヴァルトと交戦・共闘した一組の男女を、シーナは「行かなくていい」と引き留めた。


「……宜しいのですか?」


「うん。アレ、“無限の欠片”じゃなかったから」


「そうだったのですか? では、なぜわざわざ再回収を?」


 男の疑問に、シーナは少し考えてから答えた。


「厄介なものだから。アレ、『再演の概念』だと思う」


「それは……なるほど。としたら、面倒ですね」


「うん。だから欲しかったんだけど……あれ?」


 悔しそうに唇を噛むシーナの視線が、床のある一点に吸い寄せられる。


「……お嬢様?」

「どうかなさいましたか?」


 心配する男女の声を無視してシーナは四つん這いになり、床に落ちていたを摘み上げ、不思議そうに眺めた。


「……泥棒ネズミめ」


 シーナの言葉の意味が分からなかった二人は、顔を見合わせて首を傾げた。




◆◆◆




 学長室にて。

 正式にストラの退学届を受理する直前、エスメラルダはもう一度ストラに確認を取る。


「退学でよかったの? 休学措置を取ることも、今の貴女ならできるわよ?」


「いいんです。これは、一つのけじめみたいなものですから」


 エスメラルダからの提案をやんわりと拒絶したストラは、深く、エスメラルダに頭を下げた。


「お世話になりました。エスメラルダ学園長」


「よして頂戴。私は貴女に、なにもしてあげられなかったわ」


「違います。学園長が何もしないでいてくださったから、わたしは折れずにいられたんです」


 ストラは、リディアと徹夜して読んだ古びた一冊の本を思い出す。


「わたしは虹に憧れました。でも、わたしは弱かったから。貴女に強く手を引かれていたら、きっと折れていました。貴女がずっと見守り続けてくれたから、私は今日、歩き出せるんです」


「結果論よ、そんなこと。でも……今日までよく頑張ったわね、ストラ」


 エスメラルダは退学届を受理し、横に置いていた箱から、ローブと帽子を取り出した。


危険度6アラクネ遺留物ドロップアイテムで編まれた服よ。せめて、これくらいは贈らせて頂戴」


 無言で頷いたストラは受け取ったローブと帽子を被り、満足そうに頷いた。


「ありがとうございます、学園長。それでは、


「……! ええ。行ってらっしゃい、ストラ」


 この日、一人の少女が学舎を去り、一人の冒険者が生まれた。




◆◆◆




 出立当日。

 俺、イノリ、ラルフ、そしてストラ。四人揃ってギルドの迎えが来る東の関所を目指す。


 三日という時間はあっという間に過ぎ、俺とイノリは無事に魔法学園を卒業。エスメラルダの好意でワッペンはそのまま貰えることになった。

『世界を救ってくれたお礼としてはあまりにもちっぽけですが』

 と彼女は言っていたが、十分な勲章だし、そもそも世界を救ったのは俺たちではない。


「ラルフ、ザインたちと別れの挨拶は?」


「済ませてきたよ。師匠と一合だけ打ち合って、『次はもっとマシになってこい』って」


「スパルタだなあ。イノリとストラは?」


「バッチリ。リンカちゃんたちとちゃんと話してきたよ」

「学園長と、あと図書館の司書さんとお別れを済ませてきました」


「なら、あとは俺だけだな」


 魔法と剣。

 ずっとこの地で生きてきた二つの勢力が再び手を取り合った。それが戦いの勝利を呼び込んだのだ。

 だから、この戦いの一番の功労者は——


「オ〜ッホッホッホッホッホ!」


「噂をすれば、だな」


 すっかり完治した両足でもって、崩れかけた関所の上で高笑いを上げる縦ロールの少女に手を振る。


「今日はちゃんと眠れたかー?」


「バッチリですわ! このリディア・リーン・レイザード、夜九時に寝て朝五時に起きましたわ!」


「めっちゃ健康じゃん」


 彼女の護衛であるサンザとエフ、二人の“剣”から「降りてくれお嬢!」「そこは危ないぞお嬢!」という警告を受けながらも全く気にしないリディアは、「とうっ!」と勢いよくそこから飛び降り、見事俺の前に着地した。


「あんまり困らせてやるなよ?」


「それは無理な相談ですわ! 今必要なのは明るさですの! わたくし、皆を笑顔にするために体を張り続けますわよ!」


 魔法使いと剣。同じ敵を前に一時的に団結した二つの勢力ではあるが、問題の根は深い。惰性的とはいえ、魔法使いの……ひいてはレゾナ全体の剣に対する差別意識は根深い。

 また剣も、そういった背景から少なくない悪感情を持っている者も多い。


 そして、少なからずいるであろうことが推測される『絡繰世界』との内通者たち。10日前の戦いは、ただの前哨戦にすぎない。

 元凶がわかったから「はい解決」とはならないのだ。


「魔法使いと剣の橋渡し役として、我が身を顧みる暇はありませんわ!」


 と言うわけで、あの場で剣の人心を掌握してしまったリディアが両者の調整役に抜擢されてしまったのだ。

 本人たちが納得し、むしろ進んでその話を受けたと聞いた時には、俺は本気でリディアを尊敬した。


「そか。それでも身体には気をつけてくれよ?友達が体調崩すのは嫌だからな」


「勿論ですわ! シャロンも安全第一で冒険者を続けてくださいまし! ギルドを通じて常にチェックさせていただきますわよ!」


「そりゃ、下手に野垂れ死ねないな」


 友達を悲しませるわけにはいかないな、と肩をすくめる。


「ところでシャロン。あなたに『脳を破壊された』と嘆く生徒が多数いるのはどうなさいますの?」


「——ゴフッ」


 俺は血を吐いた。


「……あの、男子たち?」


「いえ、女子生徒もですわ」


「なんでぇ?」


 知らん間に被害が急速拡大していたことに俺は頭を抱える。

 リディアはそんな俺から視線をストラへと移し、真剣な表情で彼女の手を取った。


「ストラ、次会った時こそ、わたくしが必ず魔法対決に勝たせていただきますわよ!」


 そんな宣言に、ストラは目を輝かせて頷いた。


「次も負けません。また度肝を抜いてあげます」


 何か通じるものがあったのか。短い時間で友情を育んだらしい二人は固い握手を交わし、そして別れた。

 脳破壊については無かったことにした。考え過ぎたら俺の脳が破壊されてしまう。


「それじゃあな!『魔剣世界』!」

「元気でねー!」

「師匠によろしく伝えといてくれー!」

「それでは、お元気で」


 多くの声に見送られ、俺たちはギルドが手配してくれた馬車に乗り込み首都ガルナタルを後にした。




◆◆◆




「イノリ、このあとはどうする?」


 馬車に揺られながら地図を覗き込む俺たち。


「ひとまずは第四大陸を北上しつつ、穿孔度スケール問わずひたすら異界踏破かな。ストラちゃんの等級を上げないとだし。あと私たち、三ヶ月近く攻略サボっちゃったから、実績積まないとじゃん?」


 イノリの至極当然の意見に俺は強く同意した。


「だな。となると、一旦の最終目的地は——」


 俺たち四人の視線が、地図上の第四大陸を北上し、その上——“第三大陸”に集中した。


 第三大陸にあるのは、

 それを見たラルフが不敵な笑みを浮かべた。


「実績も名声も一度に稼げてお得だな」


 ストラが未知に目を輝かせた。


「まだ知らない魔法がたくさんありそうですね」


 イノリの表情がやや険しくなる。


「ここなら、兄ぃたちの情報も集まるかもしれない」


 俺もまた、表情を引き締める。


「さっさと有名になって隠居してえなあ」




◆◆◆




 次なる目的地、第三大陸。のは、星に名を轟かせる七強世界が一つ。



 『悠久世界』エヴァーグリーン。



 エトラヴァルトたちの旅路は、これより更なる過酷を極める。

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