陰謀渦巻く真夜中

 道を切り開く者。

 そんな者たちを、人は未来で英雄と呼ぶのだろう。


 ラルフの答えを噛み締めるように、ザインは目を閉じ、大きく息を吐いた。

 ラルフはザインと対を成すように、自分の中で形になりつつある答えを拾い上げるように言葉を紡ぐ。


「『悠久世界』の“勇者”とか、『極星世界』の“魔王”みたいな、決められた称号とは違う。多分、誰にでもなれる資格はあって、誰にとっても、その定義は曖昧なんだと俺は思う。だから——師匠。アンタもまだ、諦めるには早いんじゃないかって俺は思う」


「……馬鹿弟子が。一丁前になぐさめんな」


 ほんの少しザインは笑って、壁から背を離した。


「オイ。やるぞ」


「……今日って休養日にするんじゃないのか?」


「気が変わった。問答は性に合わねえからな。斬って感じんだよ」


「んな無茶苦茶な……」


 言葉と口で呆れながらも、ラルフは大戦斧を拾い上げて構えた。


「総決算前にその鼻っ柱を叩き折る。手加減はしねえからな。死なねえように気ぃつけろ」


「——おう!」


 両者の肉体から、湯気のように闘気が立ち昇る。

 ザインの薄暗い灰色の闘気に対して、ラルフは燃え盛るくれないの闘気をその身に纏った。


「『吼えろ猛炎』!」


 同時に、大戦斧を包み込むように青炎が燃え盛り、鋼鉄を軽々と熔断する刃が生み出された。

 以前にも増して強烈になった青い炎に、ザインは愉しげに口角を吊り上げる。


「もうここも引き払う。大掃除だ……ぶっ壊すぞ!」


 一歩爆砕。


 石畳を軽々と粉砕し加速したザインの錆びついた剣と、それを正面から迎え撃つラルフの大戦斧が激突した。




◆◆◆




 深夜、閉館した中央図書館の中に動く人影が一つ。

 影は音を立てないよう靴を脱ぎ、警報器に感知されないよう魔法を使わずに薄暗い本棚の迷宮を進んでいた。


 ふわふわと揺れる特徴的な縦ロール。一度でもその姿を見たことがあれば、あの高らかな笑いがなくとも人影が誰かなど容易に判別できるだろう。


「わ、わたくしはなぜこのような規則に背く真似を……?」


 リディア・リーン・レイザードは、自分がしでかしたことに困惑し両目をぐるぐると回しながら、しかし的確に監視の目を掻い潜るように死角に潜んだ。


わたくしはただ、シャロンに歴史を教えて差し上げるために……いえ、ただお話のきっかけが欲しくて……」


 行動のきっかけは、些細な悩み事。

 初めてできた友達との会話のきっかけが欲しいという年頃の少女らしい悩み。


 最近熱心に歴史を調べているらしいシャロンの手助けをしたい、そんな一心で、リディアはシャロンを追うように歴史書を読み込んだ。

 そんな中で浮かび上がる、自身の中で常に思考に突き刺さる友の言葉と世界の矛盾。


 父は厳格な人だ。常に研鑽を求め、強者であり続けることをリディアに課した。


『強く在れ。それが上に立つ者としての、唯一絶対の責務だ。益にならん有象無象など蔓延らせておけばいい。そのうち淘汰される存在に時間を割くなど無意味だ』


 神の祝福を受けた者たちに与えられた者たちの責務。リディアは信じて疑わず、今日まで研鑽を続けてきた。


 ——嘘だ。そう囁く自分がいた。

 ならばなぜ、自分は友人を欲した。

 なぜ、自分より成績が低い者たちのことを強く記憶している。

 なぜ、魔法が使えない無能のことを知っていた。


 ——『全部見捨てて上だけを見るのは、ただの責任放棄』


 生まれて初めての友の言葉が突き刺さる。

 本当にそれでいいのか? 言葉にならずに自分の中で渦巻いていた違和感が、形になろうとしていた。


 歴史書に並ぶ剣の凶行。魔法の栄光。差別と弾圧の歴史。

 そこにあるのは絶対的な正義と悪という二項対立だ。


「では……シャロンはなぜ、あそこまで怒ったのかしら」


 わからない。

 無能が無能を蹴落とすだけの、目に入れる価値もない光景だった。だがシャロンは、その有り様に強く憤っていた。

 その景色に、リディアが疑問を抱くことはない。

 だが……少しだけ。


「教科書が捨てられるのは……嫌、ですわね」


 義務でも強制でもなく。リディア・リーン・レイザードは魔法が好きだ。自分から進んで学び、より深く知りたいと願う。そんな魔法が、差別の……あの光景の引き金になっているというのであれば——


「それは、嫌な話ですわ」


 そう思った。

 そして、思ってしまったがゆえに、気になった。


「そういえば、200年より前の文献がありませんわ……」


 差別はレゾナでは当たり前のことだ。だが、今日初めて、リディアは自分の中に世界と異なる価値観があることに気がついた。


 シャロンの憤りを理解できるかもしれない価値観。それが果たして異端なのか。はたまた、自分と友人の価値観こそが正しいのか。それともグレーで曖昧なものなのか、気になってしまった。

 そして、その判断を下すためには、直近200年の歴史だけではあまりにも資料が


「…………禁書庫」


 湧き上がる探究心が暴走しようとしていた。


「もう、閉館時間は過ぎてますわ……なら、少しくらい」


 そして、一度ルールを破ってしまったことによるハードルの低下が、リディアをさらなる規則違反へと誘った。




◆◆◆



「中にも警備員を置かないのは不用心ですわね……お待ちになって? これではわたくし、本物の犯罪者のような発言ですわ!?」


 限りなく犯罪行為ではあるが、リディアは今だけはその可能性から目を逸らした。朝になれば後悔と罪悪感で悶え苦しむことは確定的だが、それ以上に疑問解決への好奇心が勝った。


 禁書庫内部は、リディアが想定していたよりずっとずっと広大だった。

 中央図書館の地下を丸々全て使用していると思われる巨大な空間。そこに並ぶ大量の禁書。


「閲覧禁止の書が、こんなにもたくさん……?」


 想像の十倍を軽々と超える数の禁書に、リディアは唖然として入り口に立ち尽くした。

 暫くして図書館側から足音が聞こえ、リディアは慌てて扉を閉め、禁書庫の奥へと進んだ。


「埃が、酷いですわね……一体何年、手入れされていないのかしら」


 口と鼻を押さえながら、目に染みる澱んだ空気に顔を顰める。


「この数……背表紙だけで探していては、何年かかるか検討もつきませんわ」


 シャロンが学園にいる時間は半分とない。最終日に見つけたのでは意味がない。遅くとも一週間以内に、この世界の歴史をより深く知ることができるものを探さなくてはならない。


「手当たり次第に読んでいくしかありませんわね……」


 まずは10冊。

 リディアは近くの本棚からランダムに取り出した本を斜め読みする。それを繰り返すうちに、リディアの表情はだんだんと困惑に彩られていく。


「禁書……これが?」


 本の種類は様々で、しかし、どれもが閲覧禁止に指定されるようなものとは到底思えないものばかりだった。

 料理本やDIY、絵本、小説、誰かの日記、雑誌など……。

 少し過激で、これは閲覧禁止かもしれない、という本は稀にあったが、やはり、厳重に管理する必要があるものには見えなかった。


 それに、同じ本が何冊もある。


「一体、何の意図を持って……あら? この本は」


 “生活の知恵”を垂れ流す本を連続で5冊引いて少し飽きていたところに、一冊。比較的表紙の古い小説をリディアは手に取った。


「いえ、違いますわね……これは?」


 小説のようで、しかし歴史書のように淡々と事実を書き連ねる淡白な本。

 それは、魔法と剣、どちらの才能にも恵まれなかった一人の少女を中心に進む物語。

 リディアの価値観で言えば無能に該当する少女の軌跡。


「…………レゾナの、過去?」


 覚えのある地名や魔法の理論。旧首都リオレラキオの存在。

 紛れもなく、リディアが求めていた本だった。

 リディアは食い入るようにその本を眺める。知りたかったものの答えが、そこにある気がしたから。


「ここに、差別はありませんわ」


 驚くべきことに、その本の中には学園長であるエスメラルダの名前も出てきていた。


「本当に、レゾナなんですの……?」


 浮かび上がった仮定は、リディア自身と同じようにレゾナの階級社会に疑問を持った者がレゾナを舞台にした物語で一石を投じようとした——そんな荒唐無稽な話。

 だが、史実であるより幾分か可能性がある仮定に思えた。


 知恵熱が出そうなほど思考を回しながら読み進める。

 やがて、リディアの手はとあるページで止まった。


「綺麗な絵ですわね……これは、虹?」


 それは、一人の少女が空に虹を掛ける美しい絵。目を焼く空の青と七色の光。そして、虹を描く少女の手には——



 ——カチャ、カチャと。


 リディアは自分の近くで何か乾いた音を聞いた。


「——っ!?(警戒を怠っていましたわ! 不覚ですわ!)」


 本に集中するあまり警戒を絶っていたがゆえに接近を許したリディアは、読んでいた本を脇に抱え、そっと立ち上がり音のした方向へ目を向けた。


「……?」


 何もいない。

 聞き間違いかと安堵しようとして——カチャカチャッ——真後ろで音がした。


「ひっ——!?」


 思わず悲鳴を漏らし振り返ると、そこにいたのは四腕の絡繰。

 カチャカチャと音を立てて関節を動かし、カク、カクと頭部を転がすように曲げリディアを観察していた。


「な、なんですの、これ……!?」


 人体を真似た不恰好な絡繰は糸に吊られるように不可解な動きで関節をカタカタと鳴らし、一歩一歩、腰を抜かしたリディアへと近づく。


 そして、少女が視界確保のために持っていたカンテラの光を、絡繰の腕の先に備えられた鋭利な剣が反射した。


「だ、誰か助けてくださいまし……!? お父様お母様っ……たっ、助けて……!!」


 無慈悲に、剣が振り下ろされた。




◆◆◆




 この日、イノリは遅くまでブルの学舎で魔法研究に勤しんでいた。普段であれば家に着きエトの帰りを待っている頃だ。


「エトくんのほうが先帰ってるかな……流石にちょっと遅くなり過ぎた」


 つい調べ物に熱中してしまい、気づけば門限ギリギリの時間。

 いつもはもっと早く帰宅してるため寮母にも心配をかけているかもしれない——そんなことを考えながらイノリは帰り道を急いだ。


「ストラちゃんは大人しくしてるだろうけど……ああまずい。ストラちゃんのこと秘密だから、夕ご飯別で作らないと!」


 腹を空かせていることが半ば確定してしまったことに罪悪感を感じるさ、イノリはさらに歩調を早める。


 そこに——カシャ、カシャと。

 奇妙な聞きなれない音が聞こえた。


「……うん?」


 思わず足を止めて音がした方を振り返る。

 暗い暗い路地裏。

 白銀の光沢を宿した、闇の中でもその輪郭がよく見える人型の絡が姿を現した。


 鋭い刃物と銃身を携えた四腕と人間であれば肩甲骨に該当する部分から伸びる第五・第六の腕。

 頭部には赤く光る複眼が蔓延り、中央に一つ、人間の目玉のように祈りを凝視する悍ましい緑の眼球があった。


「気持ち悪……なに、アレ」


 エトのような直感がなくとも見られているとわかったイノリは、本能の警鐘のままにスカートの下から白夜と極夜を抜き放った。

 すう——と細められたイノリの両目が、刃物から滴る血と、路地裏の奥に見える、切り刻まれた制服姿の誰かを捉えた。


「なに、やってるの。それ——」


『——対象確認。性能テスト続行。排除開始』


 耳障りな機械音でそう発した直後、恐ろしい速度で絡繰がイノリめがけて直進し発砲——同時に斬撃を見舞った。


 ——それより早く、イノリの口は詠唱を紡ぎ、勉強道具の入ったカバンを投げ捨てていた。


「『現象強化』『斬性/硬化』!」


 短縮詠唱。

 切れ味を増した右手の白夜で澱みなく銃弾を切り刻み、硬度を増した左手の極夜で振り下ろされた刃を弾き飛ばす。

 イノリの目は、怒りに燃えていた。


「お前が何かは知らないけど、とりあえずその体を切り刻む!!」




◆◆◆




 イノリが謎の絡繰と戦闘を開始したちょうどその頃。

 エトラヴァルトは閉館した図書館で目を覚ましていた。


「……ありえんほど寝落ちしたな」


 今日も今日とて歴史の勉強に勤しんでいたエトは、飽きて、寝た。

 寝た場所があまりにも様々なものから死角になっていたゆえに職員に気づかれることなく閉館を迎え、10時を回ろうかという時間まで見事に遮られることなく健やかに爆睡していたのである。


「ストラ、めちゃくちゃ待ってるだろうなぁ……体痛え」


 大きく背伸びをして周囲に意識を飛ばすも、人……警備員がいる気配はなかった。


「……監視カメラ避けて、窓から出るか」


 何となく、呼べば気づいてくれるであろうくーちゃんに頼むという手がエトにはあったが、「寝落ちしちゃったから図書館から転移で飛ばしてくれ」なんてアホな頼みをしない程度には意識が覚醒していた。

 その結果が窓からの脱出なのは、王立学園時代のサボりの経験の賜物か。


「……にしても、怖いくらい静かだな」


 いくら閉館後とはいえ、流石に人の気配一つないのは奇妙だ——そんな感覚をもちつつも、エトはつつがなく目的の窓に到着した。


「鍵は……あれ、空いてる。不用心だなあ」


 図書館の警備体制の杜撰さに呆れながらも、今だけはそれがありがたい。

 そうして窓から外縁の庭に降りたエトは——


「「「…………………………え?」」」


 全身をフード付きの黒いロングコートですっぽりと覆った怪しすぎる二人組とばったり対面した。


 二人組は明らかに図書館への侵入を試みようとしており、まさか、侵入経路であろう窓から学生服姿のツインテールの美少女が飛び出してくるなんて考えていなかったのだろう。

 三者三様、呆れるほど呑気な驚きの声をあげ、その場でたっぷり10秒ほど停止した。


 次の瞬間、二人組が虚空から剣と槍を出現させ、エトが大地に魔法陣を描き鋼鉄の大鎚を地面から突き出し、二名を図書館から引き剥がすように吹き飛ばした。


「なんだお前ら!?」


 二人組としても全く同じ感想を持つであろう台詞を吐いたエトは、大鎚からエストックを生成。

 体勢を立て直し、速度で加速し、エトを挟み撃ちにした。


「速っ——!!」


 驚きながらも行動は冷静に。

 鋼鉄の壁を生成し攻撃方向を限定したエトは、巧みに一対一の状況を作り続けることで人数不利に対処した。


「これアレか!? 口封じってやつだな!?」


 刺突と袈裟斬りを器用に弾きながら叫んだエトの言葉に二人は答えず、僅かなハンドサインで意思疎通を図る。


「目的、場合によっちゃ協力するけ——無理だよなそりゃ!!」


 剣を獲物にする一人がエトと図書館の間に立ち塞がるように構え、その隙に槍を持つもう一人窓から図書館内に侵入した。


「あっ……クソ待て! 俺にとっても盗まれたら嫌な本はあるんだよ!!」


 剣を持つ黒フードを押し除け、エトもまた図書館へと舞い戻った。




 『魔剣世界』を取り巻く因縁が、静かに、けれど激しく動き始めた。

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