その名の条件

 『魔剣世界』に来てから一ヶ月と少し。

 当初の目標は《英雄叙事オラトリオ》を体に馴染ませることだったが、俺が向き合い方を変えたこともありこの目標は破綻と同時に達成されたと言っても過言ではない。


 シャロンによる肉体置換の解除拒否などの騒ぎはあったが、経過は概ね良好。イノリも順調に知識を蓄え使える魔法の種類も増えている。


 そして、望外の収穫もあった。




 翌朝俺が起きると既に隣にはイノリの姿はなかった。

 午前7時。最近の俺にしては早い目覚めだ。


「やっぱ対話がないと目覚めがスッキリするな」


 寝ている間に精神を消耗する『対話』は俺にとって重要な事ではあるが、やはりタイミングはよく考える必要があるだろう。

 幸い、シャロンが無理やり引き込むことをしてくる気配は今のところない。俺のペースで、急がす、しかし着実に彼女を知っていくとしよう。


 1分ほど窓から差し込む朝日に身を晒した後リビングに出ると、既に制服に着替えている優等生なイノリに出迎えられた。


「おはよーシャロンちゃん」


「おはよ、ちょっとストラの様子見てくるわ」


「はーい」


 手早くオーブンにパンを仕込んでくれるイノリに感謝しつつ、軽くドアをノックして開ける。

 既に目を醒めしていたらしいストラは、行儀良くベッドの上で座っていた。最近の朝は冷え込むためか、下半身は布団に潜ったままで。


「起きてたか。気分はどうだ?」


「概ね良好です。ただ、全身に筋肉痛のような痛みがあります。お陰で布団の中で大人しくするしかありませんでした」


 痛みがなければ今すぐにでも飛び出して魔法を使っていたであろうことは想像に難くない。


「今まで使ってなかったとこを酷使したからだろうな」


 今まで使っていなかった魔力の通り道に、一時間ぶっ通しで魔力を流し続けたんだ。そりゃ、反動で痛みも出るというもの。

 俺の言葉に、ストラは渋々同意するように頷いた。


「そうですね。今後は少し加減が必要そうです。業腹ですが、今日のように大人しくせざるを得なくなるのは望ましくないので」


「もう少し自分の体を労ってやれ」


「最低限努力します。——ところで、ここは? 先生の自室ではないようですが」


 最低限なのかよ、というツッコミはするだけ無駄なのだろう。


「俺とイノリ——冒険者の仲間が暮らしてる寮だ。くーちゃんから引き取ってきた」


「そうでしたか。ご迷惑をおかけしました」


「気にすんな、好きでやったことだからな。……腹減ってるだろ? 飯、パンでいいか?」


「……ご一緒してもいいのですか? シャロンと?」


 ………………ん?

 何か妙な呼ばれ方をした気がする。


「良いも何も、お前、一昨日の深夜から紅茶以外何も胃に入れてないだろ? しっかり食っとけ」


「……わかりました。では、ご相伴に預かります」


「好き嫌いは?」


「ありません」


 頷いたストラを連れてリビングに出ると、聞き耳を立てていたらしいイノリが先んじて3人分の朝食を用意して待ってくれていた。


「準備もうできてるよー」


「助かる。ストラ、紹介するよ。俺のなか——あれ?」


 俺が紹介するより早く、ストラは足早でイノリの前に立ち、若干見上げるような姿勢でイノリを正面からまじまじと見つめた。


「初めまして、イノリさん。ストラと申します」


「こちらこそ、初めましてストラちゃん」


「「……」」


 両者の間に妙な空気が漂う。

 二人とも言外に『黙って見ていろ』という雰囲気を醸し出し、一瞬で蚊帳の外に置かれてしまった俺は静かにことの成り行きを見守らざるを得なくなった。


「ストラちゃん、魔法が使えなかったんだって?」


「はい。ですが、シャロン様のお陰でつい先日、念願叶って使えるようになりました。イノリさんは、シャロン様の冒険仲間のようですが——」


「そうだよ。アルダートって小世界から二人で一緒に。ご飯食べる時もお風呂入る時も寝る時も、ずっと一緒だったよ?」


「「…………」」


「あの、お二人さん?」


 語弊しかないイノリの爆弾発言に対して、ストラは特段驚くことはなく、ただ「そうですか」とドライに返した。


「ではシャロン様。今後、わたしがお背中をお流ししますね」


「待て、待つんだストラ。落ち着いてくれ」


「わたしは至って冷静です」


「冷静なやつが朝っぱらからそんな提案するわけないだろ!?」


「何をそんなに慌てているのですか?」


 とりみだす俺を、ストラは不思議そうに見つめる。その奥ではイノリが“むっすー”と頬を膨らませていた。……待て、なんだその反応は。


「……コホン。とりあえず飯食おう。学園の授業に遅れちまうからな」


 逃げとも取れる俺の提案だったが、幸い二人とも頷いてくれた。


「……それもそうだね」


「わかりました。それではいただきます」


 なんとも微妙な空気感の中始まった朝食。『シャロンの体だと口が小さくて時間かかるな〜』など考えながらもそもそとパンを齧る。


「ねえ、シャロンちゃん」


 そこに、イノリが控えめに聞いてきた。


「聞いておくなら早いほうがいいんじゃない?」


「……それもそうだな。ストラ、ちょっといいか?」


 口をもぐもぐと動かしながらストラが首を縦に振る。俺は彼女がパンを飲み込むのを待ってから、早々に本題に切り込んだ。


「ストラ、冒険者になる気はないか?」


 俺の提案に、ストラはぱちくりと瞬きをした。


「それはつまり、シャロン様たちとパーティーを組む、ということですか?」


「そうなる——」


「なります。是非ならせてください!」


「おおう即答」


 赤錆色の目を輝かせ、既にやる気満々になったストラは鼻息荒く頷いた。


「では、早速冒険者登録に行きましょう」


「待て待て落ち着け」


「わたしは至って冷静です」


「ならまずは飯を食え」


 明らかに興奮しているストラの口に食べかけのパンを突っ込み強制的に落ち着かせ、話を続ける。


「いいのか? そんな即決して。学園を辞めるどころか、この世界を発つことになるんだぞ?」


「むぐ……では逆にお聞きしますが、わたしがこの世界に未練を持っていると?」


「図書館の本全制覇くらいはやりたそうだと思ってる」


「それは……そうかもしれませんね」


 心当たりがあったのか、ストラは無意識に指を折って何かを数え始めた。

 魔法狂いである以前に本の虫である彼女にとって、活字に触れられない時間が生まれるのは確かに憂慮すべき事態なのだろう。


 だが、逆に言えばそれ以外のことには全く未練がないということ。俺個人の価値観として世界に思い入れがないというのは考えづらいことではあるが……彼女の境遇を思えばそれは当たり前のことか。


「まあ、ストラがやる気なのはよくわかったから、次の定期試験の後に登録に行こう」


「あと二週間も待つんですか?」


「真面目な話、今のまま登録に行ってもストラは突っぱねられると思うんだよな。レゾナの認識として、ストラは魔法を使えないから」


「……なるほど。真っ当な理由ですね」


 冒険者ギルドは基本来るもの拒まず。だが一部の例外もある。ギルドの支部は、その支部がある世界の情報を貪欲に蒐集する。レゾナであれば、当然将来有望な学園生たちの情報も仕入れられているだろう。なら、その流れで『魔法を使えない劣等生』の存在は認識されていると考えて間違いない。


「だから、定期試験で魔法が使えることを示してから登録に行こう。それに……」


「それに?」


「今まで散々お前を下に見ていた奴らの度肝を抜かれた顔、見たくないか?」


 ストラにならそれができる。

 確信を持った俺の性悪な提案に、ストラは少しだけ口角を上げた。


「それは……はい。楽しそうですね」




◆◆◆




「エトのやつ、今頃学生生活謳歌してんだろうなあ……」


 スラムの端。

 “剣”の本拠地の一画で仰向けに寝転がったラルフは、消えかけの街灯にぼんやりと焦点を合わせた。


「いいなーいいなー。合法的に着替え覗けるんだろうなあ、風呂とか入ったのかなあ……百合の花咲いたかなあ……羨ましいなあ!!」


 本人の欲望の有無に関わらず全て体験した——と聞けば、おそらくこの時点でラルフは全身の穴という穴から血を吹き出して嫉妬の炎に身を焦がしたことだろう。


 そんなラルフの顔に影が差し、彼の臨時師匠であるザインが度し難いゴミを見る目でラルフを見下していた。


「お前が変態なのは今更だが、今日はいつにも増して気持ち悪りぃな。なんだ、美人局にでも遭ったか?」


「美人局にすら逃げられたんだよ」


「——ブハッ! そりゃ、お気の毒様、だな……ククククク」


 出会った頃より幾分か感情を見せるようになったザインに笑われ、ラルフは思い出したくもない、『ごめん、アイツは無理。生理的に無理なの!』と仲間に懇願する美人局の背中と必死の声を脳裏に再生してしまい、げんなりとして起き上がった。


「うっせーなー! ……つか、珍しいな。師匠がとってるの」


と言え馬鹿が」


 ザインの髪はいつもの山吹色ではなく、白髪混じりの黒髪だった。艶のあるウィッグとは違い、ろくに手入れされていない髪の荒れ具合は酷いものだ。

 生気のない薄緑の瞳と相まって、その姿は幽鬼、或いは亡霊のようにも見えた。


「もう地上にも異界にも用はねえ。は要らねえんだよ」


「……なるほどな」


 ラルフが視線を向けた先には、ザインと志を同じくする“剣”たちが厳しい鍛錬に身を置いている。

 1対1で立ち合いを繰り返すもの。

 極限の集中に身を置き型を反復する者。

 またある者は、との真剣勝負に臨んでいた。


「師匠、あれはなんだ?」


「『絡繰世界』カロゴロのだ。鍛錬とに使うために仕入れた」


「……決行日、近いのか」


 ラルフの問いに、ザインは無言で肯定を示した。


「……教えてくれ。師匠はなんで、俺に剣を教えてくれたんだ?」


「………………」


 長い沈黙が訪れる。

 絶え間ない剣戟の音が空間を満たす。

 何度聞いても心地よい、洗練された“剣”の音。ラルフにとっての日常となりつつあるこの景色はきっと、後数日もすればなくなってしまうのだろうという確信が、ラルフにはあった。


「…………俺たちは、歴史に刻まれることもなく消える」


 ポツリと、ザインが呟いた。


「200年前、俺たち剣の祖先は、戦争に乗じて王位簒奪を企てる魔法優生思想の計画を掴んだ。当然、それを阻むべく動いた彼は、嵌められた」


 計画は全て、剣を貶めるためのものだった。


「濡れ衣を着せられたのは、だった。戦争の最前線に送られた剣の主力たちは魔法の援護もない無茶な作戦に駆り出され大きく数を減らし、結果、剣全体の発言力は地に落ちた。それが弾圧の始まりだ」


 魔法優生思想筆頭のは王家との繋がりも深く、当時の王、メッザーラ・フォン・レゾナ亡き後、後釜に座った第一王子クルーテオは、半ばレイザード家の傀儡であった。


「弾圧は激化した。最初は弾圧に懐疑的だった市民も、次々と発覚する“剣”の不正や汚職、反乱計画によって進んで剣に石を投げつけるようになった。そして、俺たちは陽の当たる世界を諦めた」


「師匠は、反乱を起こしてどうしたいんだ?」


「……ただ、何かを刻みたい」


 それは、あまりにも幼稚で。しかしザインにとっては何よりも大事な、切実な願いだった。


「俺は、剣に生まれたことに後悔も恨みもない。錆切ったこの剣を継承し、残存する剣術の全てを継承したことを誇りに思う。だが、同時に思った。——世界に、刻みつけたいと」


「だから、王を討つのか」


「馬鹿な行為だとわかっている。だが、それでも俺は何かを残したい。この世界は、きっとそう遠くない未来に剣を忘れ、『魔剣世界』の名は永遠に失われる。俺は汚名でも、悪名でも、この世界に“剣”の名を残したい。だが——」


 ザインは、脳裏に魔法の力を思い出す。偵察として見に行った研究区。そこで目撃した魔法の数々を。


「俺たちは敗北する。何一つ残すことなく、歴史の闇に葬られるだろう。だから、お前に剣を教えた」


「…………」


 ラルフは、黙って続きを待った。


「お前の中に、“剣”を……俺という存在の欠片を残したかった。そんなくだらないエゴだ」


「……俺は、師匠の欠片を受け取れたか?」


「期待はずれもいいところだ」


「厳しいなあ」


 二人は暫く、無言で剣たちの訓練を眺める。

 時折視線に気がついた者たちがザインに頭を下げたりラルフに中指を立てたりしたが、訓練は概ね順調に進み、作戦決行までに仕上げてみせるという気迫が全員から感じられた。


「……お前は、」


 一度、ザインは言葉を区切った。その先を言うべきか迷うような仕草を見せ、意を決したように口を開いた。


「お前は、“英雄”とはなんだと思う?」


「……師匠にも、そういう子供じみた願望ってあるんだな」


「……否定はしない。いつか、捨てられていた本を読んだことがある」


 ザインは語る。

 そこに綴られていた英雄譚を。平凡な才しか持たない者が、合縁奇縁に恵まれ、多くの試練を乗り越え、皆が認める英雄になるありきたりな物語を。


「俺は、剣の英雄になりたかった。——だが、その道は諦めた。俺には、そんな縁も、力もなかった」


「……多分、違うんじゃねえかな」


「……何?」


 ラルフは、遠く——一ヶ月前、大氾濫スタンピードの危機に晒された湖畔の景色を思い出す。


「俺は、英雄ってやつに、力の有無は関係ねえと思うんだ」


「なら——お前は、なんだと」


「俺もさ、力とか、知恵とか。そう言うのが条件だと思ってた。でも、多分違う。英雄ってのは、断固として自分の信念を持ち続ける奴のことを言うと思うんだ。例えどんな逆境でも、目の前の道を切り開く者——そんなやつを、いつかの未来で、人は英雄って呼ぶようになるんじゃねえかな」

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