虹を欲する少女
翌朝。
休日ということでベッドの上でうだうだしていた俺だったが、無許可で扉を開けて部屋に侵入してきたイノリによって布団を剥ぎ取られ、強制的に叩き起こされた。
「エトくん入るよー!」
「事後承諾がすぎる!」
こうなってしまえば二度寝することも叶わないので、俺は渋々、ずり落ちるようにベッドから落ちて着替えに手を伸ばした。
「最近、朝冷えるなあ……」
「エトくん、女の子の着替え手慣れてきたね」
イノリの指摘の通り、この半月で下着の着脱etcの技術はだいぶ向上した。男なのに、何が悲しくて自分の下着の着脱に慣れなくてはいけないんだか。
「心を無にすればどうということはない」
「後半月あれば悟り開そうだね」
「後半月もこれが続くのは流石にしんどい」
本格的に戻れなくなってしまいそうだ。ただでさえ、味覚や趣味嗜好が変わってきている自覚があるのだ。これ以上は致命傷になる確信があった。
「そう? 私としては女友達が増えた感じがして全然良いんだけど……」
「ああ……。お前、一緒に風呂入った時の興奮具合ヤバかったもんな」
「あ、あれは忘れてって言ったでしょ!?」
忘れているとも。言動以外の全ての情報を俺の脳は遮断している。その対価か知らんが、異様に興奮していたイノリの言動だけは鮮明に焼きついて忘れられる気がしない。
「……と、そうだ。エトくんにお客さんだよ」
「俺に? リディアかな?」
「縦ロールではなかったよ? 茶髪の、今のエトくんより小柄な子だった」
茶髪……ああ。
記憶の中に一名、心当たりがあった。
「わかった。ちょっと会ってくる」
「いってらっしゃーい」
◆◆◆
外に出ると、想定通りの相手が背筋を伸ばして扉の前に立っていた。
「最近の調子はどうだ?」
「お陰様で、ちょっかいをかけられることは無くなりました」
半月前、俺の肉体が不可逆に囚われてしまった日、丁度この辺で虐められていた茶髪の少女は深々と頭を下げた。
「あの日はお礼の一つも言わずに逃げてしまい申し訳ありませんでした」
「いいっていいって。見返り求めてたわけじゃないし。というか、あの時言ってた実験動物って?」
「
律儀にもう一度深々と頭を下げた少女は淡々と真顔で過去の自分の発言を振り返った。
「恩人に対して失礼な態度を取ってしまいました。何かお返しを……わたしみたいな者にできることでも良ければ、させてもらえないでしょうか?」
「気にしないでいいって。恩人ってのも大袈裟だし」
「大袈裟ではありませんよ」
納得できないと食い下がる少女に、俺は一つ提案をする。
「それじゃ、名前教えてくれ。せっかくこうして話す機会ができたわけだし」
「そんなもので良ければいくらでも。ストラと申します」
「俺はシャロンだ。よろしく、ストラ」
「はい、よろしくお願いしますシャロンさん。……これだけでいいんですか?」
「まだ足りないか?」
ストラは赤錆色の瞳で俺の瞳を見つめ返し、はっきりと頷いた。
「うーん。ストラ、この後の予定は?」
「今日はシャロンさんにお礼をする以外は特に。……強いて挙げるなら、中央図書館に行くことくらいでしょうか」
「それじゃ、道中話でもしよう。俺も中央図書館に用事があるから」
俺の提案にストラは間髪入れずに頷いた。
「喜んでお供します」
◆◆◆
「……エトくん遅いなあ。話、弾んでるのかな?」
◆◆◆
ストラという少女は、一言で言い表すならとても理知的な少女だ。
「良かった。それじゃ、学園の方でイジメがエスカレートしてるわけじゃないんだな」
「はい。癪ですがあの三人は今は
「なるほど。それじゃ、半月前のアレは……」
「久しぶりのことですね。順位表を見たところ、三人で
なんともづけづけと言うものだ。
おそらく、この明け透けで容赦のない言動が反感を買っていたのだろう。
俺としては本音を馬鹿正直に言う姿勢は嫌いじゃないが、まあ、多くの年頃の学生にとってはキツいものがあったはずだ。
「しかし、シャロンさんのお陰で学園の外で絡まれることも無くなりました。改めて感謝を」
「そか、なによりだよ。平穏無事ならそれに越したことはないからな」
「……そうですね」
そう言ったストラは、能面のような表情に少しだけ笑みを浮かべた。
「僭越ながら、シャロンさんは図書館には何をお調べに?」
「この世界の歴史について、ちょっと興味があってさ。座学は苦手なんだけど、調べてみようかなって」
「歴史……異界探索のヒントを探してるのですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……ん?」
俺は、さも当然のように“異界”という単語を発したストラを振り返った。
「あれ、俺が冒険者だって言ったっけ?」
「いえ。学園長……エスメラルダ様に聞きました。あの後機会があったので」
「あの人に直接……なるほどな」
「新進気鋭の銀級冒険者なんですね。尊敬します」
そう言うストラの瞳は、ついさっきまでと比べて明らかに明るくなっていた。これは……
「もしかして、興味あるのか? 冒険者」
「……!」
ストラの目がわかりやすく「興味あります」と訴えかけてきた。
「異界は未知が蔓延る場所。わたしとしては、興味をそそられるな、と言われる方が土台無理な話です」
なるほど。知識欲の対象として、か。
少し話しただけでわかる。ストラは知識欲の権化だ。とにかく何にでも齧り付き、貪欲に知識を喰らう。そんな彼女が異界に興味を持つのは至極当然の帰結である。
「もし俺程度の話で良ければ、引き出しは少ないけど話そうか?」
「いいんですか!?」
今日1番の食いつきをみせたストラが「クワっ!」と迫真の表情で俺に詰め寄った。
「も、もちろん。ほら、本読むだけだと眠くなりそう……つか寝るから、話し相手がいると俺としてもありがたいしな」
「図書館ではお静かに、です。ですが……時と場合によります。ぜひお供させてください!」
抑えきれない知識欲を前面に押し出したストラは、鼻息荒く図書館への道のりを早歩きで進んで行った。
◆◆◆
「エトくん、ちゃんと朝ごはん食べたかな?」
◆◆◆
気がつけば日は沈み、閉館時間ギリギリまで粘っていた俺たちを待っていたのは夜の闇と冷たい風だった。
「大変有意義な時間でした」
「楽しんでくれたなら何よりだ。ありがとな、調べ物手伝ってくれて」
「いえ。これくらい当然です」
朝より幾分か表情が柔らかくなったストラはホクホク顔で、15冊という貸し出し限界まで借りた本の数々が入ったリュックを揺らした。
「それ、全部魔力関連の書籍だよな?」
「そうですね。わたしは魔力を持たないので」
ストラは、魔法使いとして致命的な欠陥であるそれを当然のように口にした。
「……あの三人組が言っていたのは事実だったのか」
「はい」
ストラは夜空を見上げ、白みがかった息を吐いた。
「生まれつき、わたしは魔力を持ちません。なので、学園では常に最下位。いくら知識を詰め込んでも、吐き出す手段が私にはありません」
リュックのショルダーを強く握り込む少女の横顔には、悔しさが滲んでいた。
「……少し、踏み込んだ質問をしてもいいか?」
「なんなりと」
「魔力を持たないで生まれて、なんで魔法使いを志したんだ? 他の道だってあったはずだ。あそこまで……イジメを受けて、お前が大事にしてる本とか、ペンとかを足蹴にされて。なんで、そこまでして魔法使いを目指すんだ?」
苦しくないわけがない。
辛くないわけがない。
悔しくないなんてあり得ない。
なぜ、ストラは——。
「虹を、見たいんです」
少女は、星が輝かない夜空を見上げて立ち止まった。
「……虹?」
「物心ついた頃から、私は本の虫でした。日がな図書館に入り浸り、なんでも読み漁ってました」
知識が浅く読めない文献は辞書と睨めっこしながら解読し、絵本だろうとなんだろうと、目につくものを片っ端から読み込んだとストラは懐かしんだ。
「その中の一冊に、“虹”があった。その本は、何故か翌日には無くなってて。誰かが借りたわけでもなく、忽然と消えてしまった。だから内容はもう殆ど覚えてなくて、でも、たった一枚挟み込まれた絵にあった、空に虹をかける魔法使いの姿が、わたしは忘れられない」
それが、ストラの憧れの原点なのだろう。
「わたしが自分に魔力がないことを知ったのは、それから間もなくのことです。それ以降は、どうにかして魔力を得ようと、この図書館にある魔力関連の書籍、文献、論文を毎日欠かさず読み込みました。……今回借りた本、実は過去にも借りているんです」
その時のストラの瞳は、諦観にも似た何かを宿していた。
諦めと、怒りと、不屈が入り混じった赤錆色の瞳は、ただ一つ浮かぶ月を眺めた。
◆◆◆
学園に入学してから、わたしがイジメを受けるようになるまでそう長くはかかりませんでした。
魔法学園は、入学したての7つの子供にすら容赦のない階級社会を突きつけます。
特に、リコは凄かったですね。教科書を魔法で燃やされた時は流石に正気を疑いました。
16歳の今日まで九年間、飽きもせず、よくやるものです。
……九年間、耐えてきたのに。
なぜわたしは、今更折れそうになっているのでしょうか。
悔しい。苦しい。憎たらしい。
なぜ、あなたたちが。
わたしが憧れてやまない魔法を使える他でもないあなたたちが。
なぜ、わたしを痛めつけるの。
やめてよ。魔法は、そんなに醜いものじゃない。
わたしが憧れた魔法は、綺麗で、キラキラしてて、もっと尊いものだ。
こんなことに、使わないで。失望させないで、嫌いにさせないで、夢を、終わらせないで!
わたしは、ただ。この手で、虹が見たいだけなのに……!
◆◆◆
「——辛くても、苦しくても。わたしは、どうしても諦めきれない。例え泥に塗れても、地を這いつくばっても。わたしは、わたしの憧れを捨てきれない」
そう溢したストラの瞳から、涙が頬を伝った。
俺は、ストラの頬に触れ、その涙を親指の腹で拭った。
「……頑張ってきたんだな、ストラは」
「——なぜ、馬鹿にしないんですか。この話を聞いた人は、みんなわたしを嗤った。『できるはずない』『諦めろ』『いつまでも夢を見るな』そう言って……」
「笑わないよ。——笑うわけがない」
俺は、優しくストラの頭を撫でた。
「俺の夢というか、目標はさ。俺の世界を救うことなんだ」
「……世界、を?」
目尻に涙を溜めるストラは、どう言う意味かと視線で俺に問うた。
「俺の世界はさ、『弱小世界』って言われてんだ。土地も金も人材もない。そんな世界を救うために、俺は金級冒険者になる。んでもって、大世界……あわよくば七強世界に世界を囲ってもらう。それが、俺の成すべきことだ」
改めて、とんでもない計画だなと笑いたくなる。だが、走り出してしまった以上止まれない。止まりたくない。
「どんな荒唐無稽な夢でも。誰かの芯を、俺は笑わない」
「……かっこいいんですね。シャロンさんは」
「んなことねえよ。恥だらけの人生だ」
ストラは俺の手を両手で包み込み、一度頬を強く押し付けてから離した。目尻の涙は、消えていた。
「すみません、取り乱してしまいました」
「いいよ。それだけ大切なものってことだろ」
「……はい」
姿が重なる。
少し、懐かしさを感じた。
王立学園に入学した頃、魔力も闘気も使えずがむしゃらに日々を過ごしていた自分を思い出した。
目の前の少女はあの頃の俺より、ずっとしっかりしていて立派だけど。
「なあ、ストラは明日も図書館に来るのか?」
「はい。そのつもりです」
「そか。それじゃ、俺にも手伝わせてくれないか? お前の夢」
ストラの両目が、驚きに瞬きを繰り返した。
「……なぜ、そこまでわたしに。冒険者の貴女には、無関係なはずなのに」
「まあ、な。……同族意識ってのも、変な例えだけどさ。俺も昔、魔力が使えなかったんだ」
「え……そうなのですか?」
「ああ。今はきっかけがあって多少は使えるようになったけどな。……だから、頑張ってるストラを見たらさ、手伝いたくなったんだよ」
そう言うと、ストラは暫く、瞬きすらなく硬直してしまった。
「迷惑、だったか?」
「——い、いえ! とんでもないです! そ、その……わたしからもぜひ、よろしくお願いします!」
「ああ。精一杯サポートさせて貰うよ。……そろそろ帰ろうか」
「そうですね。急がないと、門限を過ぎてしまいます」
俺たちは明日の放課後、再び図書館で待ち合わせる約束をしてから別れた。
◆◆◆
門限ギリギリに寮へ帰ると、頬をパンパンに膨らませたご立腹のイノリにで迎えられた。
「おかえり、エトくん」
「ただいまイノリ……なんか怒ってる?」
「べっつにぃ〜?」
無茶苦茶怒ってる。いや、拗ねている、の方が正しいか。
「……悪かったよ、休日にほったらかして」
「別にいいもん。休日だからって一緒にいなきゃいけないわけじゃないしー? エトくんがどんな女の子と仲良くしようが私には関係ないしー?」
発言と表情が全く噛み合わないイノリの頭を撫で、謝罪の言葉を口にする。
「……ちょっと話してくるだけじゃなかったの?」
「そのつもりだったんだが……まあ、なんだ。気が変わってさ。伝えなかったのはすまなかったと思ってる」
「……別にいいけど、次の休みはちゃんと空けといてよ?」
「善処します」
「……ん、なら許す!」
やっぱり怒ってたんじゃねえか、とはここでは言わず、俺は「ありがとう」とだけ伝えた。
「で、結局誰だったの?」
「俺が元の体に戻れなくなった日に虐められてた子。シャロンがブチギレていじめっ子共追い払ったんだけど、その時の礼がしたいって」
「そんなことが……お礼は何してもらったの?」
「レゾナの歴史について一緒に調べてもらった」
そう言うと、イノリは形容し難い表情を浮かべた。
「エトくんが、自主的に勉強を!? どんな風の吹き回……違う、風邪ひいた!?」
「ひいてねえよ! 俺は正常だ!」
過去の自分に言ったら『脳みそにウジ沸いたかコイツ?』と思うこと請け合いだろうが。
「まあ、なんだ? 昨日ラルフと話してから気持ち悪さが消えなくてな……なんか、知ってみたくなったんだよ。ストラ……ああ、お礼に来た女の子の名前な。ストラのことも、この世界のことも、俺は何も知らないから——」
………………。
ああ、そういうことだったのか。
「確かに、そこは私も知りたいかも……って、エトくんどうしたの? 急に難しい顔して」
「……イノリ。これからちょっとシャロンと話してくるわ」
「え、あうん。それはいいけど——」
「悪いな、それじゃ、また明日」
「あ、うん。おやすみー」
◆◆◆
「…………ゑ!? 今エトくんなんて言った!?」
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