誰がペンを握ったのか

 『魔剣世界』レゾナの首都、ガルナタルの外周部。

 政教区、研究区を囲むようにして広がる居住区のとある噴水広場のベンチに腰掛けた俺は、独り空を見て黄昏ていた。


「…………はあ」


 ナッツをチョコレートでコーティングした菓子を一粒口の中に放り込み、口腔内に広がる甘味と仄かなナッツの香ばしさを堪能する。

 肉体が戻らなくなって。趣味思考も段々と肉体に引っ張られているようで、俺は前より甘党になっていた。


「どうしたもんかなあ……」


 最近は道ゆく人の服装を無意識に眺め、「可愛いな」「どこで買ったのかな」なんて考え出す始末。

 冗談抜きでヤバい。


 リディアの頬に口付けたあの日以降、シャロンの意識が表出することがないのがせめてもの救いだが、正直そんなことに一喜一憂している暇はない。

 一刻も早くこの異常事態を解決しなければならない。


「って言っても、《英雄叙事オラトリオ》に関係する文献なんて早々あるわけねえもんなあ」


 この二週間。俺はオールの研究室ではなく“中央図書館”に篭りきりだ。

 政教区と研究区。そのちょうど中間に位置する“中央図書館”はレゾナ一の蔵書数を誇り、長い歴史の中で培われた魔法研究の数々が収められている。


 そんな中央図書館であっても、やはりと言うべきか。《英雄叙事オラトリオ》、或いはそれに類似する力というのは見当たらなかった。


 変身、変装、幻影などに関する文献は多々あれど、肉体を完全に変化させ、あまつさえ身体能力や魔力・闘気に至るまで力を齎すなんて出鱈目な“何か”の研究なんてされているはずもなかった。


 イノリとの待ち合わせまでの時間の暫く。俺は雲ひとつない青空を死んだ瞳で眺めながらもう一粒菓子を口に放り込んだ。


「俺が憂鬱な時には晴天なんて決まりでもあんのか……ん?」


 やさぐれる俺の視界右下に、ふわふわと上下する夢紫の何かがチラついた。

 少し視線を動かしてみると、俺の視界に入ろうとしていたのか、一生懸命に背伸びを繰り返す七つかそこらの少女の美しいオーロラの瞳と目があった。


「どうした? 迷子か?」


「違うよ?」


「違ったか」


 鼓膜に響く、年相応に幼い柔らかな声。淡く紫に色づくワンピースを着た少女は首を傾げて、その後、視線が俺の右手に……正確には右手が持つ菓子の小箱に落ちた。


「じー……」


「……これ、欲しいのか?」


「うん」


 俺が箱から菓子を一粒取り出すと、少女はコクリと頷いた。


「はい、どうぞ」


 手渡そうと一粒摘むと、少女は目を輝かせながらも首を横に振った。


「知らない人から貰っちゃダメって、じーじに言われた」


「確かに、じーじの言う通りだな」


 納得して手を引っ込めた俺だったが、少女はギュッと俺の手を掴んでじーっと俺を見つめた。


「……やっぱり欲しい?」


「欲しい。……お兄ちゃん、名前は?」


「おに……いや、今はお姉ちゃんだと思うけど」


 念の為確認するが、俺の肉体は依然としてシャロンのままである。


「と言うか、名前?」


 突然の要望に俺は戸惑って眉を顰めた。


「うん。名前、教えて?」


「おおう、妙に圧が強いな」


 一切視線を逸らさずに俺の黄金の瞳を見つめるオーロラの瞳。


「俺の名前はシャロンだよ」


 観念したように名前を言った俺に対して、少女は何故か首を横に振った。


「そっちじゃない」


「どういうこと……?」


「本当の名前」


「————」


 俺は、驚愕にゆっくりと目を見開いた。


 ……この子の瞳には、何が見えている。

 外見じゃない。声じゃない。

 魔力、闘気……いや、もっと深く。


 少女のオーロラの瞳は、多分、俺のを直接捉えていた。


「……エトラヴァルトだ」


 俺は目の前の少女に誤魔化しが効かないことを直感し、本当の名前を告げた。

 ……というか、最初からこう名乗ればよかったのだ。何故俺はシャロンの名を自然と呟いてしまったのか。


「長いだろうから、エトって呼んでくれていいぞ」


「わかった。お兄ちゃん」


「名前を聞いた意味……まいいや。君の名前は?」


「シーナ」


 シーナと名乗った少女は、視線を未だに菓子を摘んだままの右手に移した。

 そして、躊躇なくチョコを俺の指ごと咥え込んだ。


「あむ」


「ひゃっ!?」


 俺の口から可愛らしい悲鳴が漏れた。死にたくなった。


「……! これ美味しい」


「そうか……良かったな」


 目を輝かせる少女にせめてもの癒しを感じ、俺は先ほどの悲鳴を墓場まで持っていくことを誓った。


「というか、食べて良かったのか? 知らない人から貰っちゃダメってじーじに言われたんだろ?」


「うん。でも、名前知ったから。お兄ちゃんはもう知らない人じゃない」


「なんという暴論」


 よほど気に入ったのか、シーナは頬を綻ばせてチラチラと俺の持つ小箱に視線を送る。


「食べるか?」


「……! いいの!?」


「ああ。というか、これやるよ」


 まだ中身の詰まった小箱を手渡すと、シーナはまるで宝石箱でも見るかのように瞳を輝かせて菓子箱を頭上に掲げた。


「お〜! お兄ちゃんはいい人!」


「悪い人に騙されないようにな?」


「気をつけてる!」


「ほんとかなあ……」


 なんとなく、先ほどからこちらを伺う視線を直感で感じるから護衛的な誰かはいるみたいだが……一体何者なのだろうか、この少女は。


 菓子を一粒口の中に放り込んで幸せそうに笑うシーナ。が、突然ビクッと肩を震わせ、慌てたように周囲を見渡した。


「……どうした?」


「約束忘れてた! お兄ちゃん、私もう行かないと!」


「そらまた突然だな。転ばないように気をつけろよ」


「うん! お兄ちゃんも、早く仲直りしてね!」


 ……仲直り?

 覚えのない単語に俺は首を傾げた。


「俺、別に喧嘩してないぞ?」


「そうなの? でも、お姉ちゃんはずっと待ってるよ?」


 お姉ちゃん……?

 要領を得ないシーナの言葉に、俺は首をより深く曲げた。


「よくわからんが……わかった。なるべく早く仲直りするよ」


「うん! またね、チョコのお兄ちゃん!」


 ……その呼び方は名前を知らない相手にするものではなかろうか。



 駆け足で元気に去っていくシーナの背を見送ってから少しして。イノリが息を切らしながら噴水広場にやってきた。


「ごめんエと……シャロンちゃん! 調べ物に熱中しちゃってた!」


「わざわざ言い直さなくて良くない?」


 何気ない訂正に心を抉られた。辛い。


「居住区だけど、一応学園の子がいないとは限らないかなって」


「まあ、それもそうか……。んじゃ行くか。場所、ラルフの下宿先なんだっけ?」


「うん。エトくんが戻れなくなっちゃったから、下手にギルドで集まるよりそっちの方が良いかなって」


「優しい気遣いに涙が出るよ」


「ほ、ほんとに泣いてる……」


 イノリに慰められながら、俺はなんとか立ち上がりラルフの下宿先へ向かった。




◆◆◆




「エトお前! 風呂はどうしてんぁだだだだだだだだだ!? 割れっ! 頭蓋が割れっ……割れるぅううううううううう!!?」


「遺言はそれで十分だよな?」


 開幕速攻でぶちかましてきたラルフの頭蓋で悲鳴を奏でた。


「エトくんその辺で! ラルフくんが潰れちゃうから!!」


「……チッ。命拾いしたな」


「し、死ぬかと思った……一瞬大海原が見えた……」


「そこ普通は花畑じゃない?」


 久しぶりに三人揃った俺たちは、他の下宿している人たちの迷惑にならないうちにラルフの部屋に入り、しっかり鍵を閉めた。


「真面目な話さ、エトは今どうやって生活してんだ? 風呂とかトイレとか、割と重要だろ?」


「恥辱に震えながら日々を過ごしてるぞ」


「怖っ! 声に怨念が籠ってやがる!」


 元の肉体に戻れない以上この身体で生活するしかないのだが、とにかく不便だ。


「髪洗うのにも時間かかるし、中々乾かないし、そもそも身体が女だから色々ヤバい」


「何言ってんだエト! 合法的にエロいことできるじゃねえか!」


「お前こそ何言ってんだ?」


「サイテー」


 あくまで平常運転なラルフにゴミを見る視線を投げつけ、俺たちはここに集まった本来の目的に移る。


「まあ、俺のことは今は良いんだよ。大問題だけど」


「そだね。ラルフくん、本題に入ろう?」


 話を促されたラルフは頷き、声を顰めて話し始めた。


「ああ。一応二人には言っておこうと思ってな。俺は今、大っぴらには名前言えないような人と一緒に訓練してる」


 わざわざ寂れた宿の一室で、声を抑えて話さなければならない相手。俺には心当たりがあった。


「……“剣”か」


 ラルフはゆっくり頷いた。


「言うな、とは言われたけどよ。二人が勝手に気づいておくだけならいいだろ?」


「問題しかねえ気がするが……」


「まあ、私たちが口外しなければ良い話だからね。それにしてもラルフくん、よくそんな人たちと関わり持てたね。私たち、部外者なのに」


「運が良かったんだよ。……いや、悪かったのか? ほら、俺が未帰還だって騒がれた日があったろ? あの時、俺は中層まで落ちてさ。そこで、今師匠をやってる人に助けてもらったんだよ」


 そこからラルフは、今日に至るまでの経緯を要所を誤魔化しながら大雑把に、かいつまんで話した。


「なるほど……大体理解した。つまり、お前はその人に個人的に指導して貰ってるだけであって、組織との関わりはない……と」


「苦しい言い訳だけど、そういうことだ」


「なんつうか……危ない橋渡るなあ」


「その点は俺も理解してっけど……この先金級にたどり着くためには、さ。今は無茶のしどきなんじゃねえかなって思ってんだ」


 これはある意味、ラルフにとっての分岐点なのだろう。俺がブラッディ・ガーゴイルに挑む覚悟を決めたあの時。

 イノリが兄と姉を探す決意をした時のような。多分、ラルフにとっての分岐点がここなのだ。


「リーダーはどう思う? パーティーメンバーが危ない橋渡ってるけど」


「良いと思うよ、ラルフくんが決めたことだし。馬鹿でエッチでサイテーだけど、そこは信頼してるから」


 俺の確認に、イノリは迷うことなくゴーサインを出した。

 前半部分で信頼が消し飛んでいるようなきがしなくもないが、まあ、大丈夫だろ。


「悪い、二人とも。迷惑かける」


「へーきへーき! 今はエトくんの方がよっぽどめんどくさいことになってるから。毎日『いやだ! 学園行きたくねえ!』って駄々こねられるより多少危ない橋でも勝手に頑張って貰った方が楽というか」


「エト、お前……」


「そろそろ、魔法史の時間が苦痛になりつつあるんだ……」


 自他共に認める座学嫌いの俺の我慢はいよいよ限界になりつつある。というか、興味の湧かない話を毎日90分間聞かされるのは苦行以外の何でもない。


「ラルフも受けりゃわかるって。永遠と我が世界は至高である、とか魔法賛美が垂れ流される歴史の授業とか、あれ殆ど洗脳…………」


 言ってて、自分で自分の発言に引っかかった。

 直感が。

 リディアのあの発言の時に警鐘を発した直感が、“ここだ”と叫ぶ。


「……なあ、ラルフ」


「ん? どうした?」


「『鉄鋼世界』ってのは、どんな世界だ?」


「グランべオールか? ええっとだな……」


 ラルフは自分の知識の引き出しをひっくり返すように暫く無言を貫いた。


「……確か、鉱物系の異界資源が多く採れる世界だったはずだ。鉱物資源の交易を元手に力を伸ばした世界じゃねえかな」


「……技術力はどうだ?」


「技術力? まあ、そこいらの小世界よりは当然発展してるけど。技術って点なら隣の『絡繰世界』の方がよっぽど優れてるぞ?」


 絡繰世界……?

 聞き覚えのない単語に俺とイノリは首を傾げた。


「あれ、知らないのか? 今のレゾナの生活基盤を支えてるの、大体が『絡繰世界』……カロゴロの技術だぞ。ほら、あの列車とかその典型だよ」


 俺とイノリは、揃って頷いた。


「……イノリ」


「うん。


 違和感の正体が顔を見せる。


「魔法史に、『絡繰世界』の単語は一度たりとも出てこなかった。歴史なのにだ」


「うん。私も聞き覚えがない。それに、教科書には『今のレゾナの基盤には『』から戦争の賠償金と共に提供された技術によって成り立ってる』って書いてあった」


「「「…………」」」


 俺たちは、三人揃って顔を見合わせた。


「ねえ、エトくん。これって……」


「……ああ。歴史が書き換えられてる」


 誰が、なんのために、どんな意図で。


「なあイノリちゃん。魔法史の教科書に、200年前より昔の技術はあるか?」


「え? えと……あれ?」


 常に資料を携帯する優等生なイノリは、虚空ポケットから教科書を引っ張り出してパラパラと眺めて、少しずつ表情を険しいものに変えていった。


「これ……殆どないよ。魔法学園では魔法の研鑽に重きを置いてるから、そこまで気にしてこなかったけど。よく考えたらおかしいよ。自分の世界のことを何も教えないなんて!」


 慌てるイノリに、ラルフは「そうだな」と頷いた。


「200年。つまり、戦争より昔の歴史が意図的に伏せられてるんだ。世界ぐるみで、多分、“剣”を弾圧するために」


「なんか、気持ち悪いな」


「だね……」


 そこまでして何故、魔法は剣を忌み嫌うのか。

 おそらく、何かがあったのだ。200年前の戦争で、『魔剣世界』が“魔”と“剣”に分裂するきっかけとなる出来事が。


 俺は、妙に息苦しさを感じて深呼吸をして、まるで生活感のない、寝泊まりするためだけに借りているものと思われる部屋の天井を見上げた。


「俺たちは極論部外者だから関係ない話だけどさ。なんか……もやもやするなあ」


 暫く、無言の時間が続き。

 間もなく、ラルフが稽古の時間になるということで解散し、俺とイノリは件の列車に乗って研究区にある寮へ帰った。


 今までただ「凄えなあ」としか思っていなかった列車が途端に得体の知れないものになった気がして、言い知れない気味の悪さを感じた。

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