シャロンちゃん大暴れ
「し、ししししししシャロン!? ち、近っ! 顔が近いですわよ!?」
「そうかな? これくらい女の子同士なら普通だよ」
「そ、そうなんですの!?」
エトラヴァルトから肉体の主導権を奪ったシャロンは、微笑みを崩さずリディアにそっと尻餅をつかせた。
「少し行ってくるから、いい子で待っててね」
「え……わ、わかりましたわ!」
ウィンクを残し、シャロンは茶髪の少女を囲む三人の女子生徒たちの方へ気楽な足取りで向かった。
「やーやーみんな。こんな往来でイジメなんて。感心しないなあ。ん? 隠れてやっててもダメか」
「「「!?」」」
茶髪の少女を虐めることに躍起になっていた三人はシャロンの接近に気づかず、声をかけられることを想定していなかったのかギョッとして振り向いた。
「な、なによアンタ!? アタシたち、今忙しいんだけど?」
「忙しいって、そこの子を虐めることに?」
「ハンッ! 虐めてなんかいないわよ。これはアタシの善意よ。これ以上恥かく前に退学した方がいいっていう優しい忠告なのよ!」
「それは……随分と個性的で過激な忠告だね」
グループのリーダーだろうか。二人の少女を従えるように中央に立つ少女の極めて傲慢な態度を前に、シャロンは特段表情を変えることなく一歩詰め寄った。
そんな彼女の胸に輝く金のワッペンと特徴的な容姿に右に立つ少女が気づいて驚いたように声を上げた。
「り、リコちゃん! この女、
「留学生? それがなによ!」
両端の少女二人は少し怖気付いたように肩を縮こまらせたが、中心に立つ“リコ”と呼ばれた少女は相変わらず強気の姿勢を崩さない。
顎を上げ、わかりやすくシャロンを侮った態度を取った。
「ねえ、留学生のアンタにはわからないでしょうけどね。アタシたちは今、大切なお話をしてるの。そこでへたり込んでる女は学園の……いいえ。この世界の恥晒しなのよ!」
「世界の、か……。それはまた大きく出たね」
「コイツは魔力を碌に持たない、魔法を使えないクズなのよ! 本当なら学園にいる資格がないのに、学園長がお優しいから、お情けで生かされてるだけ! でも、それって醜いじゃない?」
まるで汚物でも見るような目で、リコは茶髪の少女を侮蔑した。
「出来もしないことに縋り続けて目障りなのよ! だからお掃除するの! 何も知らない留学生が邪魔しないでくれるかしら!?」
そこにあるのは、根強い差別意識だった。
魔法学園という広くも狭い競争社会が生んだ、優劣が生まれる以上避けられない思想だった。
そして、“差別”と“迫害”は。シャロンという英雄が最も嫌ったことである。
「……そう。君たちの意見はよくわかったよ」
あくまでも押さえて、怒りを表面化しないように。シャロンは平坦な声音で頷いた。
「それじゃあ私からも忠告。ここさ、私が住む寮の近くなんだ」
「それがな……ヒィッ!?」
だが、視線に宿る殺気だけは誤魔化しが効かなかった。
シャロンの黄金の瞳に揺れる殺気に、三人の少女が恐怖に背筋を震わせ表情を青くした。
「私が住んでる場所の近くで、薄汚いことしないでくれるかな?」
——バギッ! と右足の膂力だけで音を立てて割れたコンクリートの地面を前に、少女たちはすっかり戦意喪失した。
「り、リコちゃん行こ!」
「コイツやばいよ……!」
「くっ……あんまり調子に乗らないことね!」
見事な捨て台詞を吐くものだと感心したシャロンは、少女たちの背を追うこともなく。地面に散らばる筆記用具やノート、実験道具やカバンを回収して茶髪の少女に手渡した。
「はい、どうぞ」
「……なんで、
「なんでって……ただ私の気分が悪かったからだよ」
シャロンの回答に納得がいかなかったのか、少女はまるで身を守るようにシャロンの手からひったくったカバンを胸に抱き地面を這って後退りした。
「生憎、わたしは実験動物になる気はありません。他を当たってください」
「……え? いや、そんなこと私は一言も」
「失礼します」
終始警戒を解くことはなく、その警戒の意味を捉えきれなかったシャロンがボーッとしている間に少女は一目散にその場から逃げ出した。
「あらら、逃げられちゃったか。……さて」
逃げられたものは仕方ない。
気を取り直したシャロンは、未だ腰を抜かしているリディアの元に戻って優しく手を取った。
「お待たせリディア。ちゃんと待てて偉いね」
「シャロン……なんで、手を差し伸べたんですの?」
行動の意味がわからないと、リディアは懐疑の視線をシャロンに向けていた。
「困っている人がいる。苦しんでいる人がいる。そこに手を差し出すのは当たり前だよ」
「当たり前ではありませんわ! 無視すれば、気づかなければいいじゃありませんの! わざわざ自分の時間を削ってまで他者を……まして大した益にならない無能を助ける意味なんてありませんわ!」
「——嘘をついてるね」
声を荒げるリディアを前に、シャロンは少し笑みを強めた。
「ねえリディア。今後他者を、自分の世界の仲間を切り捨てないことを約束して」
「な、なぜ
「……そんなことない。君にはできる。ううん、君は
金色の瞳で、リディアの青灰色の瞳を覗き込む。
その心の奥底にある核を盗み見るような深さの金色に、リディアは頬を染めながら視線を逸らした。
「わ、
「君が本当にそう思ってるなら、私に学園を案内する意味がない。私やイノリの順位を気にする意味がないんだよ」
リディアが抱える矛盾の正体。
それは、思想では他者を切り捨てながら、行動ではそれができていないこと。
それを的確に見抜いたシャロンは、淡々と指摘する。
「それに、君はあの少女たちを知っていた。無能、無価値だって
シャロンはリディアの両手を自分の両手で包み込み、優しく訴えかける。
「上に立つ人はね、下の人の目標に、手本にならなきゃいけない。引っ張ってあげなくちゃいけない。それが本当の責務だよ。全部見捨てて上だけを見るのは、ただの責任放棄」
「わ、
迷いをみせるリディアに、シャロンはとっておきのキラーフレーズを投げかける。
「守ってくれなかったら、私、お友達辞めちゃうよ?」
「——え!?」
「できるよね? 私の友達なら」
ある種の脅迫、恫喝とも取れるシャロンの横暴かつ一方的な通達に、リディアは露骨に戸惑った。
「わ、わかりましたわ!
結果、初めてできた友人を失いたくないという想いが勝り、リディアは勢い半分でシャロンとの約束に合意した。
「うん。よく言えました」
慈愛の笑みを浮かべたシャロンは、自然な動作でリディアに身を寄せ。
チュッ、と。
頬に軽い口付けをした。
「——へっ?」
「それじゃ、また明日学園で会おうね!」
完全に放心するリディアを置いて、シャロンは寮への道を一人歩いて帰った。
「ね、少しは私のこと、わかってきた?」
虚空に向けて放たれた言葉に応える者は、今はいなかった。
◆◆◆
「マジで洒落にならねえ……!!」
リディアの姿が見えなくなって、ちょうど寮の玄関口に着いた頃。
肉体の主導権が帰ってきた俺はシャロンによって引き起こされた大問題に頭を抱えてのたうち回った。
「マジでやりすぎだろ!?」
やってしまったことは仕方ない、では済まない。とんでもない約束を結びやがった。一人の人生を大きく変えかねない約束だ。
「これどーすんだよ畜生め……」
散々暴れ回ってくれやがったシャロンに呪いの言葉を吐き連ねながら自宅の扉を開けた。
「あ、エトくんおかえり……って、なんかすごいやつれてない!? 大丈夫!?」
ひと足先に帰宅していたイノリに出迎えられるも、その元気に応えるだけの体力は今の俺に残されていなかった。
「全然大丈夫じゃねえ……悪い、飯の時間になったら起こしてくれ。少し寝る」
「うん、わかったよ」
「ありがとな……」
理由を深く問い詰めたりせずに受け止めてくれるイノリの懐の広さに感謝しながら自室の扉を閉め、肉体置換を解除して——
「…………」
「………………」
「……………………」
俺は、静かに自室の扉を開けてリビングに戻った。
「あれ? エトくんどうしたの? お手洗い?」
秒で扉を開けた俺に不思議そうな視線を向けるイノリに、俺は豆粒のような声量を絞り出した。
「…………ッタ」
「え?」
「……くなった」
「ごめんエトくん、全然聞こえない」
俺は、振り絞るように声を張り上げた。
「元の身体に戻れなくなった!!!!」
「………………」
俺の爆弾発言を受け、たっぷり120秒ほど沈黙してから。
「——えぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!?!?!!?」
イノリは、出会って一番の大絶叫を上げて仰天した。
◆◆◆
スラムに響き渡る激しい剣戟は、この十日程で暗がりに生きる者たちの生活の一部に馴染みつつあった。
禁足地とも取れる、現地民ですら近づくことのないスラムの奥の奥。
“剣”が支配する領域で、ザインの錆びついた剣とラルフの大戦斧が交錯する。
振り下ろし、薙ぎ払い、袈裟斬り、石突き……教えを請う前とでは比べ物にならないほど多彩に、そして安定したラルフの斧捌き。
しかし、錆びついた剣を構えるザインには一向に届かない。
「踏み込みが甘え。攻めに転じる時に躊躇はいらねえ、何度も言わせんな」
大戦斧を絡めとるような剣の受け流しにラルフの上体がぐらついた。
「ぬおっ!?」
その隙を——ザインにしてみればそれ以前も隙だらけだったが——逃さず、攻守逆転。ザインの自然極まる流麗な斬撃が容赦なくラルフに叩き込まれた。
「こなくそ……!」
一瞬にして壁際に追い詰められたラルフだが、瞳の闘志は消えず。
ほんの一瞬、切り返しの瞬間生まれた斬撃の隙にねじ込むように右手で大戦斧を短く持ち、空いた左手で
「!?」
僅かに瞠目したザインが咄嗟にバックステップで距離を取り剣は空を切ったが、結果連撃は途切れた。
ラルフの決死の反撃を見たザインは「フン」と軽く鼻を鳴らした。
「良い判断じゃねえか。だが、反撃を意識するあまり受けに周りすぎだな。格下が受けに回り続けて勝てる道理はねえ」
「はっ……はぁ……ああ。わかってる」
「なら良い。続けんぞ」
ザインは半身になり、中段、切先をラルフの正中線に構えた。……が、剣を鞘に納め壁に背を預けた。
「と、言いてえところだが。その前に質問だ。楽にしろ」
「質問……?」
ラルフは斧と剣を地面に突き立て、言われた通り腰を下ろして呼吸を整えるように深呼吸した。
「お前、あの青い炎をなぜ使わねえ。俺は『遠慮なく使え』と言ったぞ」
青い炎とは、危険度5の中でも有数の硬度を誇るクリスタルゴーレムすら蒸発させる火力を持つラルフの切り札である。
教練二日目。
ラルフは自分の使える手札を全てザインに開示し、その際、青炎についても馬鹿正直に話していた。
「俺に配慮してんなら無用な心配だ。俺は魔法使い共を……いや、より絞ればこの世界の“魔”を憎んでる。だが、魔法そのものへの憎悪はねえ。お前が魔法を使おうが看過してやる。むしろ、魔法というものを肌身で感じられる、俺にとっても良い機会だ」
スラムに引きこもっている以上、研究区より内側に引きこもっている魔法使いたちと対面することはあり得ない。そもそも、出会ってしまえばその時点で切り刻んでしまう確信がザインにはあった。
ゆえに、ラルフへの指導はザインにとっても意味のあるものだった。
なぜ使わないのか、という問いに対して、ラルフの答えはシンプルだった。
「使わないってか、使ったらそれだけで殆ど動けなくなっちまうんだよ。師匠も見ただろ? 異界の中層で完全に伸びてた俺を」
「——だから今ここで使うんだろ、馬鹿め」
「シンプルな罵倒が一番傷つくんだが?」
「馬鹿に馬鹿と言っただけだ。罵倒ではなく事実だ」
傷心を訴えるラルフの発言に聞く耳を持たず、ザインは重ねて馬鹿の烙印を押した。
「お前、切り札を
「いやでも、それで動けなくなったら本末転倒だろ?」
「だから馬鹿だってんだよ。使わなければ伸びるものも伸びねえだろうが」
「あ……」
それは、ラルフがエトに向けて言った言葉と同じものだった。
「切り札を切り札のままにすんな。呼吸するように使いこなせ。じゃねえとその先には一生辿り着けねえぞ」
「……俺、馬鹿だったわ」
ラルフは頭を掻いて立ち上がり、剣を腰に差し、大戦斧を両手で持ち突撃の構えを取った。
「そりゃそうだ。安全策取ったままじゃ、いつまでも変われねえよなぁ。——『吼えろ猛炎』!!」
短文詠唱により、スラムの薄暗闇を照らす青炎が顕現する。炎を纏い巨大化した大戦斧
離れていても肌を焼く熱に、ザインは珍しく薄緑の生気のない瞳に興味を宿し口角を吊り上げた。
「ちったぁ骨のある戦いができそうじゃねえか」
錆びついた剣を抜き、熱に対抗するために薄暗い灰色の闘気を放出する。
教練開始から初めて、ザインが闘気を身に纏った。
闘気とは、ある意味魔力とは対になる力。
魔力が世界という“外”に対して干渉する力であることに対して、闘気は内側——自分自身を昇華する力である。
自らの肉体を熱に強く、より堅く、よりしなやかに。闘気によって最適化・強化する。
「今日からコイツも解禁だ。見て盗め、いいな?」
「おう!!」
「ハッ、少しはマシな返事するようになったじゃねえか。——行くぞ」
この日響いた戦闘音は、剣戟に慣れつつあったスラムの住民であっても驚くほどの爆音であった。
なお、その日の夜。
「炎髪のボロ雑巾」という珍妙な生物の目撃情報がスラム各地で相次いだ。
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