“剣”
時は、ラルフが異界の闇に飲み込まれた少し後にまで遡る。
「…………こ、こは」
ぱた、ぱたと。断続的に頬に当たった冷たい雫に、ラルフは目を覚ました。
「俺、なにして……づっ!?」
ズキンと刺すような痛みが側頭部から襲いかかり、ラルフは痛みにくぐもった声を発した。
やがて少しずつ痛みに慣れ、現状を思い出した。
「そうだ、俺……ゴーレム倒して」
自分の、エトの《
半ば相打ちのような形で討ち取った後、何故か異界の壁が崩れ、底へ——
「落ちた、のか……」
周囲をつぶさに観察する。が、暗い。
自分が戦っていた場所よりも数段暗いという事実に、ラルフの背筋が凍りつく。
異界・『暗澹の穴』は、異界と世界の境界から離れるほど光源を失う。ゆえに、異界主が住まう最奥の部屋は光属性や炎属性の魔法、あるいは周囲を照らせる道具が必須となる。
異界主の話はさておき、ラルフは自分が“相当深く”落ちてしまったことを悟り、俄かに呼吸を浅くした。
無意識に、怪我を庇おうと右側頭部に手を当て——
「…………は?」
自分の手に当たった布地の感触にとぼけた声を発した。
つう、と布なぞれば、自分の頭を一周するような形で、明らかな
「無意識に……? んなバカな」
迂闊ではあったが、ラルフは最低限の止血剤と低級ポーション数本しか所持していない。単独の探索では大怪我イコール死であるため、少しでも身軽にして機動力を上げたい……そういう意図を持っていた。
ゆえにかなりの高度からの落下に対する備えなど持っておらず、まして、ここまで上等な包帯は懐事情的にも用意できるものではない。(
「これ、誰が」
「——やっと起きたか」
「——っ!?」
暗闇の中で響く声と近づく足音に、ラルフは手元を探って大戦斧を掴んだ。
「落ち着け、怪我人」
が、男の声に制される。
「敵意はねえよ」
そう言った男は、ラルフが裸眼で目視できる距離にまで近づいた。黒く、闇に紛れるようなロングコート。山吹色の長髪、薄緑の生気のない瞳の男は、だらんと垂らした右腕に、異様なまでに錆びついた剣を持っていた。
「その、剣は?」
「煩かったから近くの雑魚を散らしただけだ。怖えなら仕舞ってやるよ。
躊躇いなく剣を鞘に納め、男は「これでどうだ?」と両手をあげて危害を加える意思がないことをラルフに伝えた。
「錆びついたそれで、魔物を……危険度4以上の奴らを斬ったのか?」
「使いようだ。鈍でも名刀でも関係ねえ。正しく使えば斬れる。つか、落ちてきた割にはここがどこか把握してんのか」
少しばかり驚いた表情を見せた男に、ラルフは軽く頷いた。
「知識にだけは自信がある。ここ、下層寄りの中層だろ?」
高い天井。上層に比べて湿気が強く、所々水の流れる音が響く。『暗澹の穴』の中層の特徴を、ラルフはきちんと記憶していた。
「ご名答。なんだ、案外冷静じゃねえか」
「アンタが魔物を斬ってくれた。圧迫感が消えて、少しだけ頭が回るようになったんだよ。この包帯も、アンタがやってくれたのか?」
「ああ。つっても、お前が止血剤自前で持ってたからなんとかなったんだよ」
抜き身の刃のような気配を纏う男は、ラルフの全身を眺め、少しだけ楽しそうに笑った。
「にしても、かなり落ちたのに骨折は一箇所だけ。しかもポーション数本で治るたあ、頑丈じゃねえか、冒険者」
「自分でも、ここまで育ってるのは驚きだよ」
「はっ、だろうな。……歩けるか?」
男に問われ、ラルフは試しに立って、大戦斧を背負った。
まだ若干、頭の痛みはあるが、それ以外は概ね無視できる範囲であった。
頷いたラルフに、男は左手を振った。
「ついて来い。上層まで案内してやる」
◆◆◆
黙々と、地図を一切見ずに歩く男の姿に迷いはなく。
この異界が男にとって庭であることをラルフは強く実感した。
同時に、この
(この人、破茶滅茶に強え。多分、シャロンちゃんになったエトの全力と同じくらいに)
ラルフの見立てでは、エトの瞬間最高到達点を、目の前のオトコは常時引き出せる。同年代に見えるが、明らかな格上だった。
「ありがとな、助けてくれて。俺は——」
「自己紹介は要らねえ。これっきりの関係だ」
にべもなく、男はラルフの名乗りを拒絶した。
「オレがお前を助けたのは善意じゃねえ。魔物ぶっ殺して気分が良かったところに偶然お前を見つけた、それだけだ」
「その気まぐれで俺は助かったんだ。ありがとう」
「……フン」
鼻を鳴らした男は、前方。
小部屋の中央から湧き出たアント・ウォーリアの群れを見て舌打ちした。
ガリ、と醜い音を立てて錆びついた剣が抜き放たれる。
「オイ」
後方を歩くラルフに忠告。
「邪魔すんなよ」
直後、地を蹴る音と斬撃音が同時に響き、先頭のアント・ウォーリアが頭、胴、腹に三分割された。
切断面から吹きこぼれるグロテスクな体液がかかるより速く、男の体がその場から掻き消える。
一体の金切り声、断末魔が響く前に斬撃が六度刻まれ二体解体される。
時を追うごとに加速する斬撃に、小部屋に沸いた30を超える
残された魔石や
「おい、置いてくぞ」
「あ、ああ!」
凄絶な戦闘を前に。
ラルフは己が弱いことを改めて実感し、同時に、強く心が湧き立つのを感じていた。
◆◆◆
「こっから上層だ。お前が落ちてたところから推測するに、真っ直ぐ次の小部屋を目指せば正規ルートに入れるだろうよ」
「……ああ。改めてありがとう」
「感謝は要らねえよ。そんじゃな、冒険者」
「…………」
右手を上げ、振り返った男の背をラルフはしばらく眺め、意を決したように息を吸い込んだ。
「待ってくれ!」
「……。なんだ? まだ何かあるのか?」
鬱陶しげに、「めんどくさい」という感情を隠さずに男は律儀に振り返った。
男の生気のない薄緑の瞳をじっと見た後、ラルフは声を絞り出すように尋ねた。
「アンタ、“剣”だろ」
風。
次の瞬間、ラルフの首筋に錆びついた剣が当てられていた。彼我の距離、凡そ10Mを一息で詰めた男の並外れた加速。ラルフには、見えても反応できなかった。
「気が変わった。悪いが、お前はここで殺す」
ゆっくり線を引くように刃が首をなぞる。
「言うつもりはない」
死の淵に立たされたラルフは、しかし、臆することなく男の目を見続けていた。
「俺を鍛えてくれ」
「……お前、何がしたいんだ?」
初めて困惑の感情を宿す男に、ラルフは一歩踏み込んで頼み込む。
「強くなりてえ。仲間に置いてかれないくらい、強く」
「なぜ、俺に頼む。
「わかってる。その上で、アンタに頼みたい」
強情なラルフの態度に男は苛立ちを滲ませる。
「わかってるのか? この状況、お前は『公言しない』ことに生存という対価がつく。その上で、何故俺に借りを作ろうとする」
「損得勘定じゃねえ。俺はアンタの剣を凄えと思った。だから、アンタから学びたい」
「斧と剣は別物だぞ」
「どっちも使うさ。そうでもしないと、エトには……俺の仲間には追いつけねえ」
「お前、バカだろ」
「強くなるためなら、バカにでもアホにでも狂人にでもなってやるさ」
折れる気はない。
目の前の炎髪の男は強い意志で、本気で自分から“剣”を学びたいのだと、男は否応なく理解した。
だが、それでも無理なものは無理だ。教える気はない。
「お前が大馬鹿野郎なのはよくわかった。それでも、関わりを持つわけには——」
言いかけて、男は口をつぐんだ。
「…………いや、わかった。俺がお前を鍛えてやる」
「いいのか!?」
「ああ。でもひとまず、今は帰れ。四時間。お前が気絶してた時間だ。戻らねえと仲間が心配するだろ」
「わかった。でも、なんで。俺は対価を——」
「今説明する気はねえ。そのうちわかる。それともアレか? ここで逐一リスクを説明しねえとお前は怖気付くか?」
男の問いかけに、ラルフは断固として首を横に振った。
「ハッ、そうだろうよ。だったらとっとと行け。明日朝、ギルド裏に俺の仲間を寄越す。そいつから地図を受け取れ。待ち合わせは昼だ」
「わかった。ありがとう!」
「礼は要らねえって言ってるだろうが」
吐き捨てるように呟いて、男は異界の奥に姿を消した。
◆◆◆
そして現在。
スラムのとある区画で。ラルフは、10本先取の立ち会いで0-10で男に惨敗した。
「話になんねえな。剣が振れねえのはとかく良いとして、斧すらまともに使えてねえとはな。無様極まりねえ、斧に踊らされてんじゃねえか」
「ぼ、ボコボコに言いすぎでは?」
「事実だ。頑丈さは認めてやらんでもないが、よくもまあ生き延びてたもんだ」
容赦のない男のダメ出しに、仰向けになって荒い呼吸を繰り返すラルフは「ぐえ」と精神的ダメージを受けた。
「そ、そういえば。アンタの名前、聞いてねえ」
「それ、必要か?」
「少なくとも、俺は要ると思ってる」
「チッ……変なとこで強情だな、お前」
吐き捨てるようなため息のあと、男はこれまた吐き捨てるように言った。
「ザインだ。呼びたきゃ好きに呼べ」
「ザイン、か。俺は——」
「要らねえ。雑魚の名前に興味はねえよ」
「ひでえ!」
「筋通してえなら強くなれ。弱者には発言権がねえんだよ。お前もわかんだろ」
「……まあ、な」
この星は弱肉強食だ。
植物も、虫も、動物も、人も、世界も。強者が生き残り、弱者はただ滅ぶ。自らのエゴを、願いを突き通すのであれば相応の覚悟と力が必要となる。
それは、この星に生きる誰もが知っている
「立ち会いを続けるつもりだったが辞めだ。まずはお前の基礎を叩き直す」
「……斧も使えるのか?」
「薪割りで触ったことすらねえよ。でも、基本は同じだ。お前はその基本が成ってねえ。だから俺でも教えられんだよ、さっさと立て」
強い口調ながらも、ザインには正しくラルフを教え導こうという意志があった。それを感じ取ったラルフは、教えに従い立ち上がった。
「よろしくお願いします、師匠!」
「気持ち悪い呼び方すんじゃねえよ。つか、そう呼ぶならなんで名前聞いたんだ、お前」
訳わかんねえ、と首を振りながら。ザインはラルフの尻を蹴っ飛ばした。
「痛ぁっ!? なにすんだ!?」
「ケツ出し過ぎだ。もっと真下に重心を落とせ馬鹿」
◆◆◆
そして、ラルフが師匠を持った頃。
偶然にも、魔法学園に一人の臨時講師がやってきていた。
「えー、と言うわけで。こちら、エスメラルダ学園長がご自身の伝手で招待してくださった臨時講師です。暫くの間、
魔法史の教師ルアンは、「私も突然知らされたので驚いている」とぼやきながら一人の女性を紹介した。
「では、自己紹介をお願いします」
「は〜い。と言うわけでご紹介に預かりました臨時講師で〜す!」
地面に届きそうなほど長い、緩やかなカーブを描く桃色のツインテールを揺らし、女は蠱惑的な光を宿す黄金色の瞳で教室に集った生徒の顔を眺めた。
ショートパンツとショート丈の肩出しニットで惜しげもなく艶やかな脚や臍を晒すスタイルは、教師と言うには少々青少年どころか少女たちにも刺激が強い。
「今日から暫く君らに魔法をアレコレ教えるよ! 本名は内緒です! そっちの方がミステリアスですからね! 私のことは“くーちゃん先生”と呼ぶように!」
くーちゃん先生は人差し指を口に当て、「ね?」と魅惑的にウィンクをした。
◆◆◆
「なんか、また濃い人が出てきたなあ」
シャロン(エト)は、湧き立つ教室の中、一人。底知れない圧力を放つくーちゃん先生の未知数の実力に背筋を震わせた。
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