くーちゃん先生の授業 〜いきなり実践編〜

 早朝。

 エスメラルダは、自らが招いた臨時講師……本名不詳の“くーちゃん先生”と学長室で対面していた。


「久しぶりだね、エスメラルダ。何年振り?」


「92年ぶりですよ、くーちゃん」


 時間については非常に大雑把なエルフにしては珍しいエスメラルダの几帳面ぶりに、くーちゃんはふわりと笑った。


「きちんと覚えてるんだ。変わらないね」


「そういう貴女も本当に変わりませんね。何もかも、いつの記憶でも同じです。出会った時から、ずっと」


「そういうキミはちょっとだけ老けたね。まだ若いのに。ストレス?」


「無茶を言いますね。貴女から見たら大概の人は若くなりますよ。私、824歳ですよ? もう100年もすれば土に還るでしょう」


 いつの間にか目の前の、いつまでも若々しい“ハーフエルフ”の見た目年齢を追い越してしまったことに、エスメラルダは少しだけ感慨を覚えて目を閉じた。

 同様にくーちゃんも長い歳月を指を折って回想した。


「そっか。もう、そんなに経つんだね。……にしても、どんな風の吹き回し? って前は言ってなかった?」


 踏み込んだくーちゃんの質問に、エスメラルダは首を横に振った。


「ええ、そのつもりだったのですが……やはり、悔いができてしまった」


 エスメラルダは窓を開け、眼下、登校のために列車に乗り込む生徒たちを眺める。


「在学生に二人、留学生に二人。肩入れしたくなる子ができたの」


「特定の生徒に贔屓するのは教育者として失格なんじゃない?」


「そうかもしれませんね。でも、私は。もう一度だけ……“虹”が見たい」


「……そっか」


 エスメラルダの心の底から漏れた呟き、願いに。くーちゃんは優しく微笑んだ。

 そして、まるで子供をあやすようにエスメラルダの頭を撫でる。


「だから私を呼んだんだね。わかった、願いの一助になってあげる」


「……ありがとう、お姉ちゃん」


「その呼び方はやめてって、もう随分前に言ったよ?」


 仕方ないなあ、と、くーちゃんは少しだけ頭を撫でる力を強くした。




◆◆◆




 くーちゃん先生が臨時講師として学園に招かれた。

 が、俺たち学生の日々のルーティーンには別に大きな変化は訪れない。

 元々オールは魔法史以外に必修科目がなく、当然、外部講師のくーちゃん先生が歴史の授業を受け持つことはない。「質問があったらいつでもおいでー」と本人は言っており、つまり、には無関係・無関心を貫く方針らしい。


 何かを質問できるほど知識や疑問がなく、未だ学生としてひよっこな俺には縁のない話である。というわけで、今日も今日とて俺は単身研究室に引きこもり、シャロンの魔法の感覚的理解を深めるべくあれこれ試していた。

 はず、なのだが……。


「……」

「ふむふむ」

「……」

「ほほう」

「……」

「おおっ!」

「……」

「あちゃー」


 椅子に座り、様々な鉱石を魔法で再現しようと苦心する俺の真後ろで、くーちゃん先生は興味深そうに俺の作業を覗き込んでいた。(実際はだろうが)


「あの、くーちゃん先生?」

「なんだいシャロンちゃん。質問かな?」

「めちゃくちゃ気が散る」


 結構ガッツリ覗き込んでくるため、モロ出しの肩やふわふわと揺れる長い桃色の髪や仄かに甘く香る香水かなんかの匂いなど気が散る要素しかない。


 それに、今現在肉体はシャロンだが、中身は当然俺だ。俺が出会ってきた中で3本指に入る美人であるくーちゃん先生と二人きりで同じ部屋にいるのは精神衛生上とてもよろしくない。


「できればそっとしといてほしいんだけど……」


 俺の些細な要望に、くーちゃん先生は「うーん」と少し考え込むように唸った。


「別にいいけど、机に齧り付いてもキミの成長は見込めないと思うよ?」


「と言うと?」


「キミは研究畑に向いてないってこと。今も体動かしたくてウズウズしてるでしょ」


 小一時間もしないうちに俺の性格を見抜いたくーちゃん先生は、両手をパンと合わせ、にこりと俺に笑いかける。


「よし、それじゃ先生と模擬戦でもしようか!」


「……いいのか?」


 先生からの予想外の提案に、俺は思わず目を瞬かせた。


「もちろん。期間限定とはいえ先生だからね。それに、私も私で理論を教えるのは性分じゃないんだよ。で、どうする?」


「俺としては願ってもない提案だけど……」


 少し、意外だった。


「名前も伏せるくらいだから、実力も伏せたままにするつもりだと思ってました」


「……へえ?」


 そんな俺の何気ない言葉に、ほんの一瞬だけ、くーちゃん先生は酷薄な笑みを浮かべた。


が、私の底を暴けると思ってる?」


「——ッ!?」


 コンマ1秒にも満たない間に放たれた絶大なプレッシャーに、俺は本能で背中に手を回した。が、生憎と本来あるはずの剣は寮の中に隠している。俺の右手は無様に空を切り、結果、微妙な沈黙が訪れた。

 ややあって、くーちゃん先生が「ふふっ」と笑いをこぼした。


「あははは! ごめんごめん。ちょっと脅かしすぎたね」


「……マジで一瞬殺されるかと思った」


「いい直感してるね。流石冒険者」


 つまり、殺気は本物かよ。なんともおっかない先生だ。


「俺が留学生だって知ってるのか」


「もちろん。ヴィオレにももう一人いることも知ってるよ。エスメラルダとは古い仲だからね」


 古い仲とは、具体的に何年来の仲なのだろうか。

 不用意にこの疑問を吐き出せば今度こそ殺されるのは確実なため、俺はそっと心の中に疑問をしまい込んだ。


「賢明な判断だね。それじゃ、演習場行こっか」


「しれっと思考を読まないでくれ」


「ちなみに800年以上の付き合いだよ」


「自分から言うんかい」




◆◆◆




 くーちゃん先生と向かった屋外演習場には、一人の先客がいた。


「オ〜ッホッホッホ! わたくしの華麗な魔法をご覧なさい!!」


 先客はプラチナブロンドの縦ロールをふよふよと揺らしながら高笑いを上げ、前方に身の丈ほどもある巨大な魔法陣を展開し、苛烈な魔法の連打で都合10本の案山子を消し炭にせしめる。

 演習場にはリディア一人しかいないため彼女は完全に虚空に話しかけているわけだが、むしろこれが平常運転だろう。


 驚くべきは魔法の多様さだ。


 ほんの少し見ただけで、四つの属性を果敢に操っていた。


 そんなリディアの後ろ姿を見たくーちゃん先生は、「おおー」と感嘆の声を漏らした。


「凄いね、彼女」


 リディアの力量はくーちゃん先生も認めるものがあるのか。黄金色の瞳に強い興味を宿していた。


「あれだけ無駄に動き回ってるのに一切髪が乱れないなんて」


「そっちかよ」


 確かにリディアの縦ロールは不気味なほどにその形を保ち続けているが、仮にも講師なら魔法に興味を持つべきではなかろうか。


「あははは、冗談冗談。実際すごいよ、彼女。この歳であそこまで自然に属性流転カラースイッチを使えてる子は早々いない。エスメラルダが目をかけるだけあるね」


 属性流転カラースイッチ

 異なる属性の魔法を連続して使用する技術である。この技術の肝は単一の魔法陣で複数の魔法を連続使用するというもの。

 本来、魔法と魔法陣は1:1の関係だ。だが、属性流転カラースイッチはこの原則を覆す。

 そしてこの技術はただ異なる魔法を使用するだけではない。属性同士の優劣や相補性を用いて、同じ魔力量でより大きな効果を引き出すことができるのだ。


 俺は詳しい話を知らないが、リディアから“食物連鎖”や“五行学説”といった学問が技術の基礎になっているとだけ聞いた。


 俺は肩で息をするリディアに背後から声をかけた。


「お疲れ様、リディア」


「シャロン! わたくしの華麗な魔法、ご覧になって?」


「ああ、ちゃんと見てたよ」


 見ていたことを伝えると、リディアは嬉しそうに縦ロールを揺らした。


「ここへいらしたということは、貴女も実技を……あら? そこにいらっしゃるのはくーちゃん先生ではなくて?」


「俺の魔法を見てもらうことにしたんだ」


「素晴らしい向上心ですわね! わたくしも負けてはいられませんわ! ではシャロン、ご機嫌よう!」


 ついさっきまで属性流転カラースイッチを使用し、大きく消耗しているだろうリディアだったが、負けん気が強い彼女はすぐさま私物を片付け、自分の研究室へと走り去っていった。


「まだ入学から一週間経ってないのに随分と仲良くなったんだね」


「彼女、多分だけど友達いなかったんだよ」


 優秀で変人。あと、聞き齧った話ではかなりの名家出身。悪い意味で孤高だったのだろう。本人が底抜けに明るく振る舞っている……というか半分以上アレが素だから露見しづらかったのだろうが、なんだかんだ、年頃の少女のように友人を欲していたのだろう。


「なるほど、あの子にしてみればチャンスだったんだね」


「俺は外部の人間だからな……と。それじゃよろしく、くーちゃん先生」


 演習場の中央で大胆不敵に仁王立ちするくーちゃん先生は、臨戦体勢を取った俺を見て僅かに口角を上げた。


「いつでも、どこからでもおいで」


「念の為聞くんですけど、で良いんですよね?」


 くーちゃん先生の心配ではなく、派手に暴れても問題ないのか、という確認。くーちゃん先生はこくりと頷いた。


「今、この第四屋外演習場には私が結界を貼ってるからね。隠蔽、欺瞞、耐衝、対魔、防音……あんまり見られたくないだろうから、隠蔽は徹底しておいたよ」


「いつの間に……」


 全く気づかなかった。

 俺の直感を完全に素通りして一帯を結界で覆うなど、とんでもなく緻密な魔力操作と静謐性の片鱗を見せたくーちゃん先生。


「どうしたの? はやくおいでよシャロンちゃん」


 半身になり、手のひらを上に向けて手招きをされる。

 つまり遠慮は無用、最初から全力で!


「いくぞ!」


 宣言と同時に足元に大量の杭を生成・射出。身体強化魔法を全開に反時計回りを描くようにくーちゃん先生の周りを疾走し、一歩踏み込むごとに魔法陣を設置、逆棘の並んだ鋼鉄の鞭を大量生成!


「殺意が強いね!」


 無数のパイルと鞭を前にくーちゃん先生は余裕の態度を崩さず、軽く指を鳴らした。


「でも、それだけだ」


 先生の周囲に煌めくパウダースノーが出現し、俺の鋼鉄の数々と甚だしい衝突を起こした。……って


「どんな硬度してんだその雪!?」


 俺の魔法と張り合うどころか、硬度負けしたパイルや鞭が粉々に砕け散った。


「練りが甘いよ! ほら、どんどんおいで!」


「言われなくても!」


 余裕綽々。一歩も動かずに全ての攻撃に対処した先生の挑発に乗り、俺は一層大量のパイルを生成し弾丸の速度で射出する。


「お、今度は回転つき!」


 少しだけ声を弾ませるくーちゃん先生。が、その全てがパウダースノーによって阻まれる。

 止められるのは折り込み済み。だから、次。


 俺は弾幕の裏で先生に急接近し、生成したエストックを振り抜いた。


「ハアッ!」


 エストックはパウダースノーの防御を切り裂き、先生の首元へと容赦なく叩き込まれる。

 が、これにすら先生は対処して見せた。


「むっ!? 今回は硬いね、見本でもあったかな?」


 先生は右の手のひらに六角形の氷を生成し、真正面から俺の斬撃を完全に押さえつけた。

 が、俺の攻撃はここでは終わらない。

 意識を散らす目的で周囲に生成したからパイルを打ち出しつつ、円環を描くようにエストックの連撃を叩き込む。


「本職は近接なんだね、良いセンスしてるよ」


 しかし、これでも先生の鉄壁の防御は崩せなかった。


「ウソだろ!?」


 俺はあまりの驚愕に声を出した。

 俺は今、《英雄叙事オラトリオ》をしている。膂力、速度、直感、闘気、魔力。いずれも本来の俺とは比べ物にならないほど上昇している。

 くーちゃん先生はこれを、身体強化魔法を使うことすらなく、パウダースノーと手のひらの氷だけで全て捌き切った。


「アンタ近接も強いのかよ!?」


「魔法使いが肉弾戦に弱いと思ったら大間違いだよ!」


 正論と共にくーちゃん先生の前蹴りが俺の胸部を抉るように強襲した。


「ぐっ……!?」


 自分から後方に飛び威力を散らしたが、それでも肺の中の酸素を強制的に飛ばされ呼吸が荒くなる。


 ……冗談みたいな強さだ。

 比べるのも烏滸がましいが、あのグレーターデーモンなんか足元にも及ばない。今の俺では、決して勝てない相手だ。

 何が恐ろしいかといえば、その強さを実感しているにも関わらず、俺の直感が未だくーちゃん先生を脅威と認識していないこと。


 教室での挨拶や研究室での対話の際には寒気を感じたが、今はそれを全く感じない。


「……俺にわかるように、わざとやってたのか」


「よく気づいたね。それじゃ、今日はここまでにしよっか」


「もう、終わるのか?」


 まだやれる。

 言外にアピールする俺に近づいてきたくーちゃん先生は、とん、と俺のおでこを押した。


「キミなら、このままじゃ体力の浪費だってわかるはずだよ。また明日同じ時間においで。相手してあげるから」


 荒れた演習場をつま先一つの魔法で修復し、結界を解いてくーちゃん先生が去っていく。

 俺はその背中が消えるまで追って……演習場に大の字に寝転がった。


「…………悔しいなあ」


 手も足も出なかった。

 グルートやギルバートのような銀級上位と比較することすら敵わない、圧倒的な実力者を前に、俺は成すすべなく敗北した。

 ここが俺の現在地。

 自分の弱さを突きつけられ、俺はしばらく、雲ひとつない空を眺めていた。

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