青炎

「なあエト。その剣、どんだけ重いんだ?」


「……急にどうした?」


 三人がレゾナに向かって移動をしていた一週間のある夜。

 焚き火を囲いながら、ラルフは気になっていたことを聞いてみた。


「いやさ? いくらその剣が折れないからって言っても、そう軽々と異界の地面とか壁とか魔物を切り裂けるもんじゃねえと思ってさ」


 それなり硬度があり、適当な攻撃はまるで通じない。が、エトの剣はそれらをバターのように切り裂く。

 魔法で切れ味を強化できないエトがそんな芸当をできるのは、剣自体がそれなりの質量を伴っているからなのでは——と、ラルフは考えていた。


「実際結構重いだろ?」


「まあ、それなりには。少なくとも20kgはあるんじゃねえか? 測ってないからなんとも言えないが」


「「え゛っ!?」」


 エトの口からさも当然のように語られた「20kg」という数値に、ラルフとイノリは喉から変な音を出した。


「エトくん、《英雄叙事オラトリオ》使ってない時から軽々と振り回してたよね?」


「鍛えたからな」


「コイツ、涼しい顔してやってることかなりゴリラだな……ってか俺より力あるんじゃ?」


 比べるのは、主にラルフの心が傷つきそうだったために回避したが——その日以降、ラルフは自らの膂力を鍛えることに集中することにした。


 いくら技術があろうと、肉体の基礎ができていなければ意味がない。

 冒険者になって暫く。無意識のうちに避けていた基礎鍛錬。

 異界に潜るようになり、魔物を狩り、その魂の破片を吸収することで器が成長し、比例して身体能力も微増を繰り返してきた。


「伸びるのは、吸収した時だけじゃない」


 “器の成長”という通説が正しいのであれば、そもそものが引き上げられているはずだ。そう考えたラルフは、演舞や型の習熟に割いていた時間を削り、筋力トレーニングや心肺機能訓練に力を入れはじめた。




◆◆◆




 そして現在。

 クリスタルゴーレムの腕力に惨敗しながら、ラルフは「そうすぐに伸びたら苦労しねえよなあ」と遠い目をしていた。


 たかが十日。効果を実感できるほど急激に伸びるわけがない。トレーニングによる身体機能、魔力量・質の向上は、破片の吸収での器の成長のような即効性はない。


「けどなあ!」


 それでも意味はあったと、ラルフは単身集中攻撃を受けながらも巧みに大戦斧で受け流すことで致命傷を防いでいた。


「おかげで踏ん張り方がわかったぞ!」


 ラルフは、自分の肉体の限界値を知ることができた。


 例えば、50Mを10秒で走っていた人間が6秒で走れるような肉体を突然手にしたとしよう。当然、とんでもない鈍感でない限りは、走った際に自分の肉体の違和感に気づく。

 だが、その変化が0.5秒刻み……いや、0.1秒刻みだとしたら?

 ほんの僅かな、些細な成長。本人ですら気づかない変化。正しい計測を行わない限り気付けないステップアップ。

 その些細なを、ラルフはトレーニングという自分の身体に正しい負荷をかける行為によって解消していた。


大氾濫スタンピードで思ったてたよりずっと伸びてたみてえだな!!」


 膂力、勝てない。

 敏捷、圧勝。

 技術、勝てる。

 駆け引き、引き分け。


 もし仮に、複数の魔物の中にクリスタルゴーレムが混ざっていたら勝てなかった。だが、相手が一体なのであれば勝機はある——ラルフはそう判断した。


「クリスタルゴーレムは関節部が弱点だ! 鉱石と鉱石の繋ぎ目を狙え!!


「やってみよう!」

「簡単に言ってくれるわね!?」


 ラルフの指示にメイス使いの男が気勢を吐いて答え、弓使いの女は「好き放題言いやがって!」と歯を食いしばりながら弦を引いた。


「クソッタレ、ジリ貧だぞこれ……!」


 普段、いかに自分がエトとイノリの突破力に甘えているかが浮き彫りになり、ラルフは悔しさを隠さず舌打ちをした。

 この場に集う四人全員、クリスタルゴーレムの装甲を貫くだけの火力が足りない。


 そも、物理耐性の高いゴーレム相手には魔法による砲撃が基本的に有効打となる。だが、この場にいる銅一級の男の魔法では精々擦り傷が限界だ。


「俺がやるしかねえ……いや、違うか」


 しょうがなくやるのではない。

 自分が強くなりたくて、一歩先に進みたくてここにいるのだ。


「俺がやるんだ!!」


 ラルフは歯を食いしばって、全身の魔力をかき集めた。


「——『吼えろ猛炎』!!」


 刹那、ラルフの残存魔力の八割を食い潰し青みがかった炎が顕現した。炎は大戦斧を包み込むように燃え盛り、刃を一回り……否、二回り巨大化させる。


 ラルフ自身の肌すら焦がす青炎の刃に洞窟内の空気が沸騰するように熱を帯び、息苦しさが増した。


「全員下がってろ!」


 玉のような汗を吹きこぼしながら辛うじて魔力を制御するラルフの声に、三人は「言われずとも」と各々が通路まで退散した。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!?』


 初めて、クリスタルゴーレムに焦りに似た何かが生まれた。即座に遠心力を伴う右腕を振りかぶり、ラルフを叩き潰さんと必殺の鞭腕を薙ぎ払った。


「——オラァッ!!」


 対するラルフ炎刃の大戦斧を大上段から一閃。

 爆発的な破壊力を持ってゴーレムの腕を半ばから


『〜〜〜〜!?』


 あまりにも想定外の事象にクリスタルゴーレムが驚愕し、たたらを踏むように後退した。

 通路からその様子を窺っていた三人も、あまりの破壊力に絶句する。


 然もありなん。

 この青炎は、今のラルフでは八割の魔力を絞り出さねば使えない魔法。さらに、荒れ狂う炎の制御は困難を極め、乱戦の中で使うには未だ修練不足だ。

 しかし、その分火力は桁違いに高く——エトがフォーラルで対峙した、あのグレーターデーモンにすら有効打を与えうる瞬間出力を誇る。


「お前は逃さん!」


 ゴーレムが初めて見せた逃げ腰の一瞬を見逃さず、ラルフは残存魔力の半分を身体強化魔法に注ぎ込み、大跳躍。

 クリスタルゴーレムの頭上に躍り出る!


 ラルフの気合いに応えるように一層熱と輝きを増した大戦斧が振りかぶられた。


『〜〜〜〜〜〜〜〜!!』


 怒り狂ったゴーレムの左腕が頭上のラルフを強襲する。

 しかし、今のラルフに対してはなんら防御としては見做されず、そも、彼の一撃の方が早い。


「吹きすさべ、『灼華』!」


 魔力制御を手放し、青炎の一切をクリスタルゴーレムに叩きつける!!


 解放された炎はゴーレムに抵抗の暇すら与えず上半身を消し飛ばした。

 が、その反動。

 猛炎の余波に空中のラルフの肉体は堪えきれず吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「がっ……!?」


 ——その不運を予測できたものは、この中に一人としていなかった。


 クリスタルゴーレムの下半身が消失し、魔石と、遺留物ドロップアイテム・透魔結晶が地面に落下した。

 それと同時に、ラルフが叩きつけられた壁に亀裂が走り、砕けた。そこに、落ちていく。


「「「「え——」」」」


 四人全員。思考を止めた。

 ラルフはゆっくりと自分の背後を振り返り——広がる暗闇に呼吸を止めた。


「ちょ、ま——」


 待ても助けても言う暇なく。

 ラルフは異界の闇に呑まれて消えた。




◆◆◆




 その翌日。

 『魔剣世界』レゾナ郊外を通行人が仰天する速度で走る男女のペアがあった。

 エトとイノリ、二人が目指す場所は冒険者ギルド。

 未明、二人のパーティーメンバーであるラルフが異界で遭難した、という情報が舞い込んだ。学園は休日で授業がなかったこともあり、二人は起きてすぐ、朝食を胃に収める暇すら惜しんでギルドに駆けつけた。


「——ラルフが未帰還って本当か!?」


 扉を叩き壊す勢いで開き、ギルドに入ってすぐにエトはカウンターの職員に詰め寄った。


「情報の筋は!? 場所は!? 捜索には出られるか!?」


 鬼気迫る表情のエトの横で、イノリもまた身を乗り出して職員を問い詰める。


「何か手がかりとかありますか!? 目撃証言とかそういうの!」


「お、落ち着いてください! 順を追って説明しますから!」


 いきりたつ二人を職員は必死に宥め、特に、今にも剣を抜きそうなエトの気を落ち着けようと四苦八苦する。


「……あれ? 二人とも何してんだ?」


「「……ん?」」


 なんとも気の抜けた、事態の深刻さをまるでわかっていない声に二人が振り返る。

 そこには、未明、遭難したと連絡が入ったはずのラルフが何食わぬ顔で立っていた。


「ラルフ!? お前なんで!」

「ラルフくんなんで生きて……いや無事なのはよかったけど!」


「しれっと死亡判定してるの、イノリちゃん酷くない?」


「どういうことだ!?」

「どういうことですか!?」


「で、ですから落ち着いてください! 順を追って説明すると言ったではないですか!!」


 職員の必死の訴えに、エトとイノリは渋々心を落ち着けた。




◆◆◆




「つまり、クリスタルゴーレムとやり合ってるパーティーに助太刀に入って、なんとか倒したけど壁に穴が空いて、そこから落っこちたけどなんとか壁をよじ登って生還したと?」


「ま大体そんな感じだな」


 ことのあらましを聞いたエトとイノリは、特大のため息をついて椅子から滑り落ちるように姿勢を崩した。


「なんつー人騒がせな……」


「ほんとだよもー!」


 なぜ単独で異界に入ったのか。正直問い詰めたい二人であった。が


「とりあえず……無事でよかったよ、ラルフ」


「わりぃ、心配かけた」


 ひとまず無事であったことを素直に安堵した。


「これに懲りたら単独で潜るのはやめてくれ。休日は俺が探索付き合うからさ」


「ありがとな。でも、それはいいや」


 エトの申し出を、ラルフははっきりと断った。


「今回の探索で色々見えてさ、暫くは異界に潜らずに色々やってみるつもりだ」


「ならいいけど……無茶すんなよ」


「それをお前が言うか?」


「うっせー」


 ラルフの無事を確認し肩の力が抜けた二人は、魔法学園で得た情報をラルフに共有し、ラルフもまた街の様子を二人に伝えた。


「やっぱ、剣への差別は根強いのか」


 エトの呟きに、ラルフは「そんなもんじゃねえ」と首を横に振った。


「街中で一度たりとも剣を見なかった。それに類するものも、だ。包丁の一本もないのは、正直狂ってるぜ」


「料理とかどうしてるんだろうね?」


「イノリ、心配するのはそこじゃないぞ」


 多分魔法でなんとかしてるんだろ、と投げやりに答えたエトは、ふと気づいたように周囲を見渡した。


「そういや、前の世界よりも目立たないな」

「そういえばそうかも!」

「またお前は憎たらしいことを……」


 冗談抜きで、今のエトたちは注目の的だ。実力の有無というより、話題性という意味で。

 高速昇級に始まり、大氾濫スタンピードの鎮圧に貢献したことで、必然、情報に明るい者たちに名が知れ渡る。そして、大氾濫スタンピードは異界関連の災害ゆえに、各世界の冒険者ギルドにはいち早く伝えられる。

 結果、多くの冒険者からの視線を集めるのだ。


「……まあ、有名になりたいけど、見られ続けるのはしんどいからこれはこれで良いんだが」

「エトくん、たまに『あれが女に』とか『〈女児〉……』とか囁かれてたもんね」

「…………(´ཀ`)(静かな吐血)」


 イノリから致命の一撃を受けたエトが静かに机の上に撃沈した。


「名声と一緒に痴態も広がっちまったな、エトのやつ」

「フォーラルにいた人たち、嬉々として広めてるみたいだね」

「俺もあっちの立場だったら広めてるなあ」

「身内に敵がいる……」


 その後、いくらか談笑してから、イノリはエトを引きずりながら魔法学園に帰っていった。


「提案した身で言うのもアレだが、エトも災難だな……そろそろ時間か」


 間もなく昼を回る。


「……よし」


 ラルフは息を潜めるように頷き、冒険者ギルドを後にした。



◆◆◆




 レゾナの首都・ガルナタルには、四つ目の区画がある。


 それは地下。

 都市開発の時点では研究施設として考案され、しかし、安全面の問題から建造後に白紙になった計画。

 地下全体は当然、丸々放棄区画となり、結果、お尋ね者や流れ者が集う無法のスラムと化した。


 炎髪の青年ラルフは、大戦斧を背負い、油断ない足取りでスラムを歩く。

 目的の場所は教えてもらっているのか、足取りに迷いはない。


「——3分遅刻だぞ」


「……すまない。パーティーの仲間と会っていた」


 目的の区画は、スラムの中でも一際深い闇に紛れるように暗かった。

 他とは比較にならない重たい空気を、心臓を握りつぶすような殺気を充満させる空間が、ラルフの目的地だった。


 そこは、スラムの住人であっても決して近づこうとしない禁足地。触れてはならない場所アンタッチャブルである。


「言ってないのか?」


「ああ。アイツらに伝える気はない」


「……フン」


 闇の中の声はラルフの発言に最低限嘘はないと判断し、招き入れる。


「酔狂なやつだな。俺たちに『』だなんて」


「なりふり構ってられねえんだよ。置いてかれたくねえ」


「ハッ、立派なこった。……時間がねえ。さっさと始めんぞ」


 ガリ、と醜い音を立てて錆びついたが抜き放たれる。

 最低限の銀が闇の中で揺れた。


「ああ、宜しく頼む」


 大戦斧を構えたラルフと、闇の中から這い出た影が火花を散らした。




 この日、ラルフは。

 『魔剣世界』の“剣”と出会った。

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