世界の名前

「さて、授業を始めていくが……そうだな。留学生も一人いることだし、今一度心構えを説こう」


 男教師のルアンは、咳払いを一つ。


「——魔法とは奇跡だ」


 凛とした声で断言する。


「魔法とは神が人類に授けた奇跡であり、つまり! ここに集う諸君らは祝福を受けし者たちである!」


 ルアンがパチンと指を鳴らすと、ひとりでにチョークが空を泳ぎ、黒板に文字と図を書き連ねた。


「凡そ200年前と100年前。レゾナは近隣の『鉄鋼世界』グランべオールから二度に渡って侵攻を受けた。だが! 我らはこれを祝福たる魔法をもって返り討ちにせしめた!」


 レゾナの魔法は、他の大世界に世界に比べ著しく進歩している。その研究の密度・幅、深さ。いずれも七強世界に迫ると彼らは自負している。

 その自信は決して慢心や驕りとも言い切れず、事実、同じ大世界であるグランべオールを、レゾナはあしらうように撃退している。


「最早語るまでもないが、! ここ、オールのクラスに集う諸君らは将来レゾナを背負う人材である! 祝福を受けし者として、研鑽を怠ることなきよう」


 教師ルアンの演説のような語り草に、生徒たちは皆真剣に耳を傾け、強く頷いた。


「では、授業を始めよう」


 その様子を、シャロンは澄んだ金色の瞳で観察していた。



◆◆◆



「シャロンさん! 貴女、入学したてでまだ校内のことをよく知らないのですって!?」


 魔法史の授業後、「この後どうするかなー」と席に座ってぼんやりと考えていた俺の元に、騒がしい少女、もといリディアがやってきた。


「そうだな。まだ全然知らん」


「であれば! このリディア・リーン・レイザード! 貴女にオールの学舎を案内して差し上げてもよくってよ!」


 プラチナブロンドの縦ロールをぐわんと揺らし、何故か常備されている扇をもって高らかに笑うリディア。

 皆と同じ制服をちゃんと校則通りに着こなしていることから、その姿には奇妙なミスマッチがあった。


「いいのか? それじゃお願いするよ」


 それはそれとして渡りに船な提案だったため、俺は躊躇いなく乗っかった」


「オ〜ッホッホ! お任せくださいな! それではシャロンさん、着いてきてくださいまし!」


 去り際、後ろから「いいな〜」「ずるーい!」といった声が聞こえてきた。


「シャロンさん、何か要望はあって? わたくし、レイザード家の娘として完璧に案内して差し上げますわ!」


「そうだな……そもそも何があるのかもわかってないから、行く場所はリディアにお任せするよ」


 リディアは「あらそう?」と少しだけ残念そうな顔をして、しかし直後には高笑いを上げた。


「それでは、まずは食堂に参りましょう! 腹が減っては戦はできませんわ! わたくし、髪のセットに時間をかけすぎて朝食を食べ損ねてますの!」


 案内するんじゃなかったんかい。


 俺は心の中でそっとツッコミを入れ、廊下では高笑いを控え、ちゃんと右側通行を心掛けるリディアの後ろをついて歩いて行った。



◆◆◆



 リディアが大盛りカツ丼をペロリと平らげるのを見届けた後、俺は彼女に連れられて広大すぎる校内を日が暮れるまで、隅々まで探検した。


 そう、探検だ。

 何を隠そう、リディアは校内の配置をほとんど覚えていなかったのである。


『確かこっちにありますわ!』

『少々お待ちくださいまし! いま地図を……』

『すみませんそこのそこの貴方! 会議室にはどう行けば……』


 それでも真剣に案内しようと、俺に気取られないよう(めちゃめちゃバレてるけど)に頑張っていたので、俺は割と楽しみながら大体の地形を把握した。


「そういえば、オールは一学年千人って決まりがあるんだよな?」


 粗方探検を終え教室に戻る途中。俺は気になったことを聞いてみた。


「そうですわ。ルージュ以下は試験の結果で配属が決まりますが、オールだけは別ですの。各学年の試験結果の上位千人がオールに選抜されますの。何を隠そう、このリディア・リーン・レイザード! 前回試験の最優秀者ですのよ! オ〜ッホッホ——失礼。廊下ではしゃぐのは淑女らしくありませんわね」


「一位か、凄いんだな、リディア」


「レイザードの娘として当然ですわ! ああ、凄いと言うのであれば、シャロン。わたくし、貴女のことをとても高く評価してますのよ」


 急に真面目に。

 リディアは俺の目を見てそう言った。


「先ほど言った通り、オールは千人という定員がありますわ。ですからシャロン。貴女は千一人目のオールなのですわ」


「……ほんとだ」


「ええ。エスメラルダ学園長が直々に貴女をオールに推薦したのでしょう。それは、貴女の魔法がそれほどまでに優れているということの証明ですわ」


 そう言われるとむず痒く、そして後ろめたい。

 シャロンは、もう随分と昔に天寿を全うした英雄だ。俺は、《英雄叙事オラトリオ》に刻まれた彼女の力を借り受けているにすぎない。


「……シャロン? どうかされましたの?」


 暗い思考を読まれたのか、それとも長く黙りすぎたのか。少しだけ距離を詰めたリディアが心配そうな表情で俺を見つめた。


「——ううん。大丈夫だよ」


 ……口が勝手に動き、合わせて無自覚に体が動いた。

 こちらから一層顔を近づけ、淡く笑う。


「心配してくれてありがと、リディア」


「ちちち近っ……こ、このくらい当然でしてよ! オ〜ッホッホ!」


 リディアが驚きパッと距離を取った瞬間、俺は右足で左足を踏んづけ、痛みで主導権を奪い返した。


「〜〜っ! あ、案内してくれてありがとな、リディア」


「い、いえ! このくらいレイザードの娘として当然ですわ!」


「助かったよ、割とマジで」


 リディアのお陰で、初日のうちに訓練に必要な場所や留意点を確認できた。明日以降、問題なく研鑽が積める。


「お役に立てたのなら本望ですわ!……と、ところでシャロン。この後のご予定は? よろしければ、夕食でも——」


「ああ、ごめん。今日は帰って寮の部屋の整頓をしなきゃいけないんだ。代わりに、明日の昼食を一緒に食べるんじゃダメか?」


 俺の代案に、リディアは首をブンブンと横に振った。


「滅相もございませんわ! ではわたくしは今日の研鑽に参りますわ! ご機嫌よう、シャロン!」


 嬉しそうに駆け足で去っていくリディアを見送った俺は、その背が見えなくなってから足早にトイレに駆け込んだ。

 個室の鍵を閉め、一息つく。

 途端、緊張が切れて限界を迎えた肉体の置換が弾けた。


「…………これ、キッツいなあ」


 ページが弾け、元に戻った本が俺の胸の中に収納される。正真正銘の“エトラヴァルト”の体に戻った俺は、細く長い息を吐いて天井を見上げた。


「シャロン。あんた、女好きなのか……?」


 虚空に問いかけてみるも、当然、答えが返ってくることはなく。


「俺の力じゃ、まだこの程度が限界ってことか」


 半日以上|英雄叙事《オラトリオ》を完全解放したのは今回が初めてだった。

 ゆえに、明確に見えてきた限界点。魔法も闘気も《英雄叙事オラトリオ》なしじゃ使えない俺がこの先に進むには、必然的に、《英雄叙事オラトリオ》を使いこなさなくてはならない。日常会話の一喜一憂程度で主導権を奪われかけてちゃ話にならないのだ。


「……寮までもうひとふんばりするかー」


 俺の言葉に応えるように、胸から一冊の本が飛び出した。


「お前、自己主張強くなったなー」


 さっさと使えとでも言いたげな本を掴み、ページを纏って再び肉体を置換する。

 今一度シャロンに戻った俺は、寮までの(割と長い)道のりを一人で歩いた。


 『魔剣世界』の夜の風は、少し、冷たかった。




◆◆◆




 寮に到着し、寮母さんから一通りの説明を受ける。そのままあてがわれた部屋に案内されると、中には既に先客がいた。


「あ、お疲れ様。シャロンちゃん」


「……ああ。イノリもお疲れ」


 一足先に帰っていたらしいイノリに出迎えられた俺は、鍵を閉めてすぐ置換を解いた。


「これ、思ったよりずっとヤバい。既に一回呑まれかけた」


「知らないところで早速危機が訪れてた……どうやって乗り切ったの?」


「踵で足をおもいきり」


「ち、力技……!」


 慄くイノリが手に持つシーツを受け取り、部屋の整理を始める。

 部屋はリビングとキッチンが一つずつ。風呂トイレ別、個室が二つとめちゃくちゃ豪華である。

 エスメラルダ学園長が用意してくれたものらしいが、明らかにレゾナの貴族階級の子供が暮らすような場所だ。豪華すぎて居心地が悪い。


「イノリは初登校どうだった?」


「超白い目で見られた」


「マジかよ」


「なんかねー、私、エトくんの……シャロンちゃんの腰巾着として見られてるっぽいんだよね」


「ああ……そういう」


 イノリの主な戦闘手段は魔剣と時間魔法。しかし、最近と噂のレゾナで馬鹿正直に「時間魔法使えます!」なんて言えるわけもなく。

 必然的に、使える魔法は少しの炎属性魔法と探知魔法だけになってしまう。


「探知魔法が異界探索で有効なのはみんな知ってるみたいでさ。私、荷物持ち扱いされて……」


「言わせとけ——とはならないよなあ。大丈夫か?」


「うん。先生はすごく親切だったから、たくさん勉強して二週間後の試験で上の色になれるように頑張る」


 イノリは両手の拳を握って「むん!」と気合いを入れた。彼女の覚悟は十分過ぎるほどある。才能だってある。魔法の学習については心配要らないだろう。


「わかった。もしなんかあったら言ってくれ。俺もなるべく手伝う」


「うん。ありがとね、エトくん」


「パーティーだからな。……で。あったか? 


 トーンを落とした俺の確認に、イノリはにわかに表情を曇らせて頷いた。


「……うん。あったよ。ギルドのお兄さんの話、本当だったね」


「“剣”に対する差別……どいつもこいつも、自分たちの世界をレゾナって呼んでた。『




 ◆◆◆



 —— 一週間前。

 俺たちがギルドに留学を打診した時のこと。受付の男性ギルド職員は露骨に困った顔をして、俺たちを奥の応接室へと通した。


「100年以上前から、レゾナでは“魔法”による“剣”の弾圧が激化しているんです」


 声を顰めた職員の言葉に、ラルフが驚き目を見開いた。


「『魔剣世界』、なのにですか?」


「はい。詳しい理由は、レゾナ内にあるギルドでも情報規制があるためわからないのですが……少なくとも、穏健な関係ではないようです」


 俺とラルフの表情が曇る。


「それに、最近はテロ未遂なんかもあったようで。私共としては、あまりお勧めできない、というのが現状です」


「なら、仕方ねえか……」


 現状を聞いたラルフが渋々引き下がろうとして、


「——そこをなんとか、お願いできませんか?」


 遮ったのは、イノリだった。

 真剣な表情で男性ギルド職員の目を見て、イノリは職員に頼み込む。


「この先強くなるために必要なんです! お願いします!」


「……俺からも頼む」


 彼女の真剣な声音と表情に押され、次いで、俺も頭を下げる。


「魔剣世界がきな臭いってことは、そもそも今、レゾナ内の冒険者が少ないってことになりますよね?」


「……確かに、君のいうとおりだが」


 俺はすかさず、交渉を持ちかける。


「魔物の討伐が滞るのは、ギルドも、レゾナも避けたいはずだ。レゾナにいる間、俺たちはギルドからの要請を全て呑む。異界主の定期的な討伐も請け負う。それができるのは、『空洞樹海』を踏破したことが証明になるはずだ」


「……なるほど。」


 職員はしばし熟考し、その後、頷いた。


「わかった。留学の件、こちらからもお願いしたい。君たちがレゾナに滞在する間、定期的な異界探索を条件に、可能な限り我々で君たちを護衛する」


「「いいんですか!?」」


「先行投資だ。フォーラルの大氾濫スタンピードを鎮めたという話は広く伝わっているからね」


 職員の微笑に、俺とイノリは思わずハイタッチした。


「命かけてみるもんだな!」


「無茶してみるものだね!」


「いや、あれはそういう次元じゃなかっただろ」


 ラルフの冷静なツッコミは聞かなかったことにした。




◆◆◆



 そして、現在。


「剣の弾圧、か……」


 俺はベッドの上に寝転がり、シミひとつない天井を見上げる。


「世界の名前を呼ばないって、どんな気分なんだろうな」


 フォーラルが『湖畔』と名付けられたように、悲しいことにリステルが『弱小』と直喩されるように。その名は、世界を表す。


 『魔剣世界』レゾナ。

 “魔”と“剣”、二つの名を冠しながら。剣を捨て、魔法に傾倒する世界。


 戦争の功績の一つや二つで、そこまでパワーバランスが崩れることがあるのだろうか。


「きな臭えなあ……」


「エトく〜ん! 夕飯食べに行こー!」


「おーう!」


 イノリに呼ばれたから、思考はここまで。

 俺は流れるように肉体をシャロンに置換しリビングに出た。


「エトくんが超自然に性転換してる……」


「……自分でも引くくらい抵抗なかったんだけど今」


 俺はさめざめと泣いた。

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