油断。即、死

 紅蓮と名乗った吸血鬼は、胸元から銀の登録証を取り出してみせた。


「そう緊張すんな。先輩として、期待の新星ルーキーに助言をしに来ただけさ」


「銀一級……!」


 俺は、驚きのあまり目を見開いた。


 銀一級冒険者。

 全冒険者たちの憧れであり目標である金級冒険者一歩手前の、正真正銘の猛者。


 「銀三級の壁」、と言われている。


 ただひたすらに異界の攻略実績を積み上げただけでは辿り着けない。

 懸賞金が掛けられるほど危険な魔物の討伐。穿孔度スケール5以上の異界の複数回に渡る踏破など。

 様々な“功績”を上げた者だけが、その壁を越え、金に至る道に踏み込むことができる。


 つまり、目の前の吸血鬼……紅蓮は。俺が目指すべき目標であり、越えるべき指標である。


「助言って?」


「さっき言ったろ? 慣れないうちはあんま深く潜らない方がいい」


「……その心は? ぶっちゃけ、穿孔度スケール3の魔物に負ける気はしないんだが」


 ヘラヘラとした笑みはそのままに、しかし真面目なトーンで紅蓮は言う。


「そうだろうな、弱小世界の出身とは思えねえほどアンタは強い。穿孔度スケール3に出現する魔物に負けることはまずないだろうよ。だが、環境は別だ。異界はそれ自体が生き物みてえなものだからな。侵入者に容赦はねえんだよ」


 茶化したり、或いは邪魔をする様子はなく。

 紅蓮は純粋に、俺が死なないように助言をしにきていた。


「つまり、今日はこの辺で大人しく退いておけと?」


「おっ? 意外と物分かりがいいじゃねえか」


 真紅の瞳を爛と輝かせ、紅蓮は「ケヒヒ」と特徴的な笑い声を上げた。


「異界探索に必要なのは力だけじゃねえ。知識と物資も欠かせねえ要素だ。アンタ見たところ、食料の類は殆ど持っちゃいねえな?」


「生憎懐が寂しくてな」


「そんなこったろうとは思ったよ。深く潜るなら栄養補給は大事だぜ? あとはそうだな……人手だ。最低でもアンタともう一人、荷物持てるやつがいるだけでだいぶ変わるぜ」


 そう言って、紅蓮は腰から下げていた小袋を一つ、俺に投げて寄越した。

 受け取るも、中に何かが入っている様子はなく俺は首を傾げる。


「これは?」


「虚空ポケット。使用者次第だけど基本なんでも入る便利グッズだ。それ、アンタにやるよ」


「……いいのか?」


 初対面の俺に貴重な“魔道具”を寄越してきた紅蓮に、俺は警戒心を強めた。が、紅蓮は俺の対応を織り込み済みだったのかまた「ケヒヒ」と笑った。


「別に何も仕掛けてねえよ。アンタをどうこうするつもりはねえ。ただの先行投資……あとちょっとしただ」


「目印……?」


 将来的に有名になったら恩返ししてくれよ、と紅蓮は肩をすくめた。


「ソイツは仕舞ったものの重量を無視して運べる。最短で成り上がりたいんだろ? なら、持ってて損はないぜ」


「…………」


 暫く、俺は紅蓮と虚空ポケットなる“魔道具”を見比べた。


「……わかった。ありがたく貰うよ。あと、今日は助言通り大人しく帰ることにする」


「いいと思うぜ、それで」


 「ケヒッ」と喉を鳴らし、紅蓮はその場から肉体を紅の霧に変えて姿を消す。


『ついでだ。ギルドを出て左、三つ目の角を右に曲がれ。安くて女将が優しい宿があるぜ。——次は、緊張しないで話してくれよ? 期待の新星ルーキー


 空間から声を響かせ、お節介な先輩吸血鬼は去っていった。




◆◆◆




 異界を出ると、既に日が傾きかけていた。


「思ったより時間経ってたな……時間感覚も養わなくちゃいけねえのかよ」


 じっとりと滲む疲労感に、戦闘の手応え以上に疲労が蓄積していたことを知る。


「紅蓮の言ってたことは正しかったわけだ」


 あのまま進んでいれば自分の体力を見誤り大きなミスをしていた、そんな実感が俺を襲う。


「正直舐めてたな」


 自分の実力に胡座をかいていたことを思い知らされ、俺はそっと“虚空ポケット”を触り紅蓮に内心で礼を言った。



「さて、今日の稼ぎを貰いに行きますか!」




◆◆◆




 本日の稼ぎ、危険度1の魔物の魔石×30。

 換金後の手持ち、1800ガロ。


 慎ましく質素に暮らせば3日分、異界探索用の携帯食やらを買えば一日で消し飛ぶ額だ。涙が出るよ。


「普通の冒険者ってどうやって生活してるんだろ」


「真っ当にやってたらまともに稼げないから、無茶やって死ぬやつが後を絶たないのさ。ほら、お食べ!」


「いただきまーす!!」


 紅蓮に紹介された宿(本当に辺鄙な場所にあった)での夕食に舌鼓をうつ。うん、美味い。


「あとはそうさね、魔物が落とす遺留物ドロップアイテムがあればグンと稼ぎが増えるよ」


 夕飯を運んできてくれた女将の言葉に、相槌をうつ。


遺留物ドロップアイテム?」


「魔石とは別に、偶に魔物が自分の一部を残していくことがあるのさ。魔石みたいに必ず手に入るわけじゃないから、低危険度の個体のものでもそれなりの値段で買い取ってもらえるよ」


「なるほどな……パーティーを組めって言われるわけだ。ちなみに女将、この宿一泊400ガロって破格の値段だけど、経営は大丈夫なのか?」


 立地は路地裏だから地代は低いだろう。しかし、丁寧に掃除が行き届いた内装然り、案内された部屋にはちゃんとベッドと机があり、公衆の湯浴み場もある。

 元を取れているとは到底思えない。


 俺の心配を受けた女将は一瞬ぱちくりと瞬きし、直後、「ぷっ、」と吹き出して笑った。


「あっはっは! 何言ってんだいその日暮らしすら危うい新米冒険者が! そういうのは心配する余裕ができてから言うもんさ!」


「……そりゃそうなんだが」


「心配しなくても平気さ! うちは何人かの冒険者から支援を受けてるからね。アンタを招いた紅蓮もそのうちの一人さね」


 あの吸血鬼、柄じゃないことやってんなあ……。


「だから、アンタは安さに甘えて良いんだよ。装備とかに金を回して、とっとと成り上がっておくれ! 金級を目指しているんだろう?」


「……そーだな。その通りだ。暫くお世話になるよ、女将」


「それで良いんだよ! ほら、もっとお食べ!」


 豪快に笑った女将は俺の食いっぷりを気に入ったのか米櫃ごと持ってきて、ガッツリ皿におかわりをよそった。


 ……あの、女将。大皿いっぱいの麦飯は流石に多いっす。




◆◆◆




 夕食後、地下に設けられた湯浴み場で貸し切り状態を楽しんだ俺は、鼻歌混じりに部屋に戻っていた。


「兵舎より断然過ごしやすいなここ……もう任務バックれたい」


 何故だ……どうしてこうなった。

 俺はただ、リステルで平穏無事な余生を過ごせればそれでよかったのに……。弱小世界ゆえにどこからも相手にされないという悲しくも楽な世界だったのに。


「なんで自分から危険に飛び込まなきゃなんねーんだか」


 憂鬱になり、気づけば鼻歌も止まってた。


「あーやめやめ! さっさと寝て明日に備えるか。……っと、そういや、ギルドってパーティーの募集とかあるのかな」


 癪だが、紅蓮の言うことは概ね当たっているような気がする。最速で成り上がるためにもパーティーメンバーは必須だ。

 遅かれ早かれ仲間は必要。懲罰期間中の馬鹿どもがいつ来るかもわからない以上、一人くらい見つけておいた方がいいだろう。


「明日は朝一番にギルドで仲間募集を——」


「——あ、あの!」


「……うん?」


 背後からの声に、部屋のドアノブに手をかけたまま俺は静止した。


「えっと……」


 ノブをもったまま振り向くと、湯浴みをしていたのか。肩口で切り揃えられた黒髪をしっとりと濡らしタオルを首に掛けた少女と目が合った。

 黒水晶を思わせる瞳が一瞬左右に揺らぎ、少女は意を決したように口を開いた。


「あの、パーティーを探してるって言ってたよね?」


「ん……ああ。言ったけど」


「あと、金級を目指してるって、あの……食堂で、シュンさんと話してたよね?」


 シュン……確か女将の名前だったか。


「ああ、大変不本意ながらな」


 俺のギリギリの肯定を聞いた少女は、「むん」と頷き、一歩、俺に詰め寄ってきた。


「あの! 私と、パーティー組みませんか!? 私も金級を……を目指してるの!!」


「……なるほど?」


 これが逆ナンというやつだろうか?

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