いいとこ取り
掃除機の音に負けないようテレビの音量を上げる。週に1回でいいと思うのに、こだわりの強い妻は2日に1度は掃除機をかける。かけるのは勝手だが、時間帯を考えてほしい。
「ね~、ずっとテレビ見てるけどミコ宿題終わったの?」
「お姉ちゃんも早くお風呂入ってって」
「人が目の前で片づけてるのに何も思わないのかなぁ!」
加えてこれだ。家事をしながら大声で娘に注意をする。手を止めてから話せばいいのに、ばたばたと忙しなく落ち着きがない。自分が勝手にやっているくせに、いらいらしてるのを隠しもしない。そそくさと逃げていった長女の不調も、妻の態度に一因がある気がしているがまだ確信はない。
妻とは職場結婚だった。付き合ってる時はこんなに口うるさくなかったのに。騙された。周囲からの結婚の催促が煩わしくて、言われるがまま早まってしまった。当時は独身の先輩たちを見て、取り残されるのも惨めだと思っていたが、今はその気ままさが羨ましい。
妻の職場での言われようは散々で、今月も妻のせいで1人辞めたらしい。更年期だとか言われてるが、ヒステリックなのは今に始まったことじゃない。パワハラの噂も、部署が違う俺のところまで届いている。……まぁ、してるんだろうなぁと思う。性格はキツいし、家での様子を見てても容易に想像がつく。今時の子はすぐパワハラだのセクハラだの言うのによくやる。クビにだけはなってくれるなよ。
掃除機の音が止んで、静寂が訪れる。空気は重い。妻が、俺の背後にいる次女に近付いてくる気配がする。
「ねぇ、ママ何回も聞いてるんだけど。宿題終わったの?」
始まった。手を握って無理矢理目を合わせて、延々と同じ話を繰り返す。こうなったら最後、妻の気が済むまでどんな言葉を返しても納得しない。部下にも同じことしてるのなら、そりゃやられた方はたまったもんじゃないだろう。というかそれっぽい場面を見たことがある。
「……」
「聞いてる?ママそんなに難しいこと聞いてるかな?宿題が終わったか聞いてるだけなんだけど」
「……ちょっと」
「ちょっと?どういうこと?何の宿題があるの?」
「……算数ドリルと、音読」
「どっちも終わってないの?」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃなくて。聞いてるだけでしょ。終わってないの?」
「うん」
「ミコは宿題しないまま学校行くつもりだったの?宿題ってしなくてもいいんだ?」
「……ううん」
「でも終わってないんでしょ?じゃあ宿題しないつもりだったんじゃないの?」
「ごめんなさいっ……」
「ごめんなさいじゃなくて。なんで宿題してないのか聞いてるの。泣いたって宿題終わんないでしょう」
ついに後方からひっくひっくとしゃくり上げる声が聞こえた。あーあ、泣かせた。続いてティッシュを数枚引き抜いた音がする。次女の涙を拭いているんだろう。2日ぶりに出張から帰って来たらこれだ。勘弁してくれ。せっかく楽しみにしてた番組を見てるのに、集中できやしない。
酒を飲もうと持ち上げたグラスは空しく氷の音を響かせた。ため息をついて振り向く。
「ほら、ママの言うこと聞いて。もう宿題するもんな?」
優しく頭を撫でて、次女が黙ってこくりと頷いたのを見てから立ち上がる。
「落ち着いた?」
「うん……」
「泣くくらいなら、宿題しなきゃいけないって思ってたんだよね?」
「うん」
「じゃあ何でやってないの?帰ってから何してたの?」
「漢字はっ、したけど……算数わかんなかったからっ」
「わかんなかったら聞いたらいいでしょう」
「……ごめっ、なさい」
「そうやって何でも後回しにするから、寝るの遅くなって朝起きれなくなるんだよ?ママだって朝から怒りたくないよー。今から宿題やって、歯磨きもしてないでしょう?何時に寝るの?」
「ごめんなさい……」
「もう、ほら宿題持ってきて。ママ見てあげるから」
大きなため息を聞いて、次女がとぼとぼ部屋へと消えていく。かわいそうに。どうせ怒った後は、機嫌を取るかのように気持ち悪いくらい甘い声で優しく接するんだから、最初から要点だけ言えばいいのだ。馬鹿じゃないんだから、それでわかるのに。
「音読は俺聞いてやるから、算数見てやってよ」
「うん。ありがとう」
疲れて帰って来ても1人の時間はないし、休日は家族サービス。なんなら最近は出張を楽しみにしてる自分がいる。小遣い制だけは阻止したが、かと言って自由にできる金も少ない。娘たちはかわいいが、もっと大きくなってバイトでもして自立してくれたらな。下手したら思春期にはシカトされかねないので、適度に好かれておかないといけないし。かわいいのは今だけかもしれないな。肩身が狭い。男はつらいよ。
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