自省なき決意

職業に貴賤なしだなんて嘘だ。みんなが俺を見てる。


おしゃれなスーツを着てスマホ片手に電話をしてる男も、これ見よがしにカツカツとヒールを鳴らして胸を張って歩く女も、後輩を連れて偉そうに話してる男も、テラスで朝から唾を飛ばしてる女も、みんながヨシキの悪口を言っている。

こっちを見るな。ヨシキだって、本当はこんな仕事がしたかったわけではない。親ガチャに失敗したのだから仕方がないのだ。


父も母も、昔から兄と弟のことばかりかわいがった。田舎特有の長男教と、1人だけ年の離れたかわいい末っ子。真ん中のヨシキは見向きもされなかった。

兄は空手や野球、水泳、書道、ピアノ、いろいろやらせてもらっていたのに、空手以外は全て途中で辞めた。ヨシキはサッカーがしたかったのに、兄と同じ空手道場にしか通わせてもらえなかった。勉強だってヨシキが1番できたのに、たまにいい点数を取ってくる兄ばかりが褒められて、ヨシキは高得点を取って当たり前な態度だった。その上、兄と弟は塾まで行かせてもらっていたのだ。洋服だってヨシキはいつも兄のおさがりで、甘え上手でかわいい弟は新品の流行り物を着ていた。


そうしてずっと贔屓してきたのに、両親はヨシキと兄弟の出来を比べ続ける。


「マサキは明るくて本当にしっかりしてる」

「コウキはインハイに出てすごかったよなぁ。応援も楽しかった」

「マサキもコウキもちゃんと就職したのに、あんたいつまでふらふらしてるの」


明るくしっかり者と言えば聞こえはいいが、兄は馬鹿なふりをしているだけで、実際は狡猾だ。性格が悪い。だから兄は友達が少ない。ヨシキも何度濡れ衣を着せられたかわからない。弟だって、受験に落ちるほど部活に、大好きなテニスに打ち込めたのだから、インターハイくらい出場したって当然なのだ。

しかも兄が地銀に就職できたのは親戚のコネだった。誰も言わないけれど、ヨシキは知っていた。卑怯だ。弟に至っては就職したと言ったって、試験も何もない地元の工場勤務だ。そして2人共、ずっと実家暮らしだった。ヨシキだけが都会に出て、1人で頑張ってきた。小さい頃からずっと、ずっと1人で。今の仕事だって最終地点ではない。ただ運がなかっただけで、機を見ていつでも転職するつもりでいる。


両親は挙句の果てに、いつになったら結婚するのかと何度もヨシキをせっついた。結婚なんかしたっていいことはない。所詮女は専業主婦になるのが目的で、子どもだってどんな人間が生まれてくるかわからない。頭や四肢が、または機能が欠損してるかもしれないのだ。ヨシキも若い頃はよく友人に誘われて合コンに参加していたが、大した女はいなかった。

兄は紹介された女と結婚したけれど、案の定女は専業主婦になった。久々に会った時、丸々と太っていて誰だかわからなかった。子どもも華がなくパッとしない。弟なんかデキ婚だ。すぐ離婚するだろう。


「あっ」


小さな声が聞こえてヨシキが振り返ると、ベビーカーを押した女が段差につまづいたのか、辺りに荷物を散乱させていた。赤ん坊がぎゃーぎゃーと泣いてうるさい。すぐに通行人が何人か集まってきて、荷物を拾ってあげている。母親はすみませんと頭を下げながらも自分は動かない。どうせ助けてもらえると思っているのが気に入らない。

舌打ちをして作業にもどろうとしたところで、足元に転がるおもちゃが目に入った。彼女の物だろう。母親を見ると目が合う。拾えと。あぁ、これは拾わないとまるでヨシキが悪いかのように映ってしまう。仕事中なのに面倒だなと思いながらも、ため息をついて手を伸ばす。


「あっ、いいです!自分で拾います、すみません!」


息が止まった。まさか、自分に言っているのだろうか。どうして自分だけ。

周りの人間の視線がヨシキに集まるのを感じた。この女は、わざとヨシキに注目を集めたのだ。ふざけている。

もう一度顔を上げると、別の人間がおもちゃを拾いにこちらへと足を踏み出した。ヨシキは荒々しくおもちゃを掴み、母親の元へ向かう。


「あ、すみません」

「なんで俺が触ったらダメなわけ?」


周囲の空気が変わる。え、と漏らした母親の顔が強張っていく。

ヨシキのことを何も言えない弱い人間だと思っていたのに、反抗されたのが予想外だったのだろう。


「なぁ、なんで俺だけ触ったらダメなの?他のやつらはべたべた触って、アンタ偉そうに突っ立ってたじゃん」

「え?いや、そんなつもりじゃないです!お忙しそうだったので……すみません」

「はぁ?嘘つけよ!拾わせようと思ったけど俺が汚ぇから触られたくなかったんだろーが!」

「違います!」


ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです。

馬鹿みたいに謝り続ける女が涙目になっていく。泣けば許されると思っているのが浅はかだ。益々ヨシキが悪いかのような雰囲気が作り上げられていく。


「泣くくらいなら最初から差別すんなよ馬鹿が!」


ヨシキは馬鹿で卑怯な人間が嫌いだった。横から伸びてきた手に抑えられる前に、おもちゃをベビーカーの中に突っ込んで、仕事を再開する。

周囲の視線が背中に刺さる。直接ものも言えないのに、大層うっとうしい。愚鈍な人間は、真実も確かめずよく知りもしないくせに非難だけは一丁前なのだ。

理不尽だ。どうしてヨシキばかりが嫌な思いをしなければならないのだろう。この世は狂っている。もっと痛い目を見るべき人間はたくさんいるのに。

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