写し鏡
片田舎の、さらに山を少し登ったところにある小さなカフェ。パスタが美味しく、小洒落た店内も写真映えがするとSNSで噂が広がり、女性たちの間で人気が出た。普段は家と会社の往復でそのような場所とは縁遠い新田ユミが、一生懸命調べ出した場所だ。会社の後輩の結婚祝い。男性ばかりの職場で、数少ない同年代の女性社員。彼女たちを除けば、あとは子育てを終えた50代の女性社員たちで、みな親切によくしてくれるが、やはり同年代の存在は貴重だった。
「わぁ、ここインスタでよく見るよ~!気になってたんです。ありがとうございます、新田さん」
「ここ、ご飯も美味しいしいいよね!」
「本当?私あまりお店詳しくないから、そう言ってもらえて良かった」
どうやらアヤは来たことがあるようだったが、ハズレではなかったようでユミは胸を撫で下ろした。こういう店選びにはあまり自信がないのだ。
店員に案内されて、3人で窓際の円卓に着く。
「新田さんとリイちゃんこっち荷物置く?」
そう言って4つ目の空いた席を指すアヤに、ありがとうと言って荷物を渡す。店員からメニュー表を受け取り、メインが選べるディナーコースを注文して、ユミとアヤはリイに向き直った。
「野田さん、結婚おめでとう」
「おめでとー!」
「えー!なにこれ、ありがとう!」
アヤと2人で選んだプレゼント。ユミと他の2人は少し年が離れているため好みや流行りも違うのではないかと不安で、合同でプレゼントをしようとユミがアヤに持ち掛けたのだ。快諾してくれたアヤはプレゼントもサクサク選んでくれて、結果リイにも喜んでもらえてホッとする。ユミはプレゼント選びで役に立てなかった分、お店選びで挽回を図ったのだった。
運ばれてきたドリンクや料理の盛り付けもおしゃれで、2人が写真を撮るのを待ってから食べ始める。会話も弾む中、ふとリイが生魚を避けていることに気付き、慌てて謝罪する。
「あれ、野田さん生魚ダメだったっけ?ごめんね」
「えっリイちゃん刺身好きじゃん!」
アヤも驚いているのを見て、やっぱり今までは食べてたよねと思い直す。何年もの付き合いだ、お互いの好き嫌いは把握しているのに。
「あ、うん!好き好き!ただ、実は妊娠してて」
「えっ!そうなの!?おめでとう!」
そうか、だから今日はお酒を飲んでないんだ。注文時のやり取りを思い出して合点がいく。3人とも、自分が運転しない時はお酒を頼むのだが、数分前のリイは珍しくソフトドリンクを注文していた。
「ありがとうございます!なんか妊娠中は生魚食べない方がいいって言われて」
「えーそうなんだ、おめでとう!」
アヤの祝福がワンテンポ遅れて、ユミの頭にはやっぱりアヤも子どもがほしいのだろうかと余計な考えが浮かぶ。アヤとリイは同い年で同期だ。3年前にアヤが10個年上の男性と結婚した。子どもはまだいいかなとずっと言っていて、こちらから話題に出すことはないけれど、もしかしたらとは思っていた。
「予定日はいつ頃なの?」
「4月!まだ2か月とかなんだよね」
「またお祝いしないとだね」
「えーありがとうございますー!でもお気持ちだけで嬉しいですよ~」
妊婦さんてどれくらい動けるんだろ。ご飯より物の方がいいのかな。
周りに妊婦の知り合いがおらず、ユミには全くの未知の世界だ。とにかく無理させないようにしないと。
「2か月かぁー。あんまり詳しいことわかんないけど、これからつわりとか酷くなるのかな?仕事中辛かったらすぐ言ってね」
「新田さん優しい~。でも実は、退職しようと思ってて」
「えっ、会社辞めちゃうの!?」
「そうなの!?」
「うん、旦那さんが辞めていいって」
「えーいいな」
ポロリと本音が出た。素直に羨ましい。今の職場に大きな不満はないが、ユミだって働かなくていいなら働きたくない。
「そっかあ、初めてで大変だもんね。出産して落ち着いたらパートとかでもいいよね」
うーん、と曖昧に笑うリイの反応が鈍くなったことに気付きながら、ユミはアヤの言葉に頷いてみせた。結婚か出産のタイミングで一度退社し、数年後子どもの入園時にパートとして社会復帰するのは、身近ではよくあるパターンだ。
「でも寂しいよ~。それならうちに戻ってきてくれたら嬉しい」
ユミの正直な気持ちに、リイがあっけらかんと答えた。
「ううん、もう働かないんです」
「えっ?」
ユミとアヤ、2人の声が重なる。
「旦那さんお金あるの?」
すぐさま隣から聞こえてきた声に、ユミはぎょっとしてアヤを見た。
「うん、お義父さんが会社やってるんだけど、引退して旦那さんに譲るんだって」
ユミは、確かに、アヤの顔が固まるのを見た。義父が経営しているという会社の話を続けるリイとアヤの会話をどこか遠くに感じながら、先程から頭をもたげる嫌な想像に思考を持っていかれてしまう。
アヤは旦那の稼ぎがいいらしく、毎週素敵なお店へ食事に行き、その様子をインスタにあげている。一方のリイも同い年の彼氏──現旦那からのプレゼントや、旅行先の高そうな旅館やホテルの写真をしょっちゅうインスタにあげていた。
今、リイはアヤの全てを持っているのかもしれない。若い旦那と、子どもと、お金と……。こんなことを考えてしまう自分が嫌で、雑念を払拭するように話題を振る。
「そういえばプロポーズもすごかったよね。インスタ見たよー!どこだったっけ?」
「あ、あのクルーズでしょ。今みんなあそこでやるよね」
すかさずアヤが答えてしまい、ユミは頭を抱えた。リイが主役なのに、楽しい祝いの席だったはずなのに、どうしてこうなったんだろう。
ふと窓の外を見れば、ここの客の車が何台か停まっており、その向こうには道路とガードレール、あとは一面の緑、緑、緑。幼い頃から見慣れた山の中。
社長だか代表取締役だか言われても、ユミにはどちらが上でどう違うのかさえわからない。遠い世界の話だ。本当は、リイやアヤがインスタにあげるものの価値も、ユミにはわからない。高いんだろうな、と思うだけ。
素直に人の幸せを喜べないアヤの姿が、ユミの目にむなしく映る。けれど、どこか自分を見ているような錯覚にも陥って、早く帰りたいなと思った。
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