第109話老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ弐拾壱
過去のことを思い出し、喜兵寿は苦い気持ちで煙管の煙を吐き出した。いつだってあの頃のことを思い出すと、肌が泡立つような、舌の根がざらつくような、なんともいえない気持ちになる。
「柳や」という看板を、そして家族、蔵人たちを背負わなくてはならなくなったのは、源蔵が15歳の時だった。まだ年端のいかない子どもに、それはさぞかし重かったであろうことは容易に想像がつく。
喜兵寿は川辺に座り、空に昇っていく煙をぼんやりと見つめた。
歯を食いしばり、必死に頑張る源蔵。しかし大人たちは無情にも、あの手この手を使って喜兵寿を杜氏にしようとしてきた。
『お前が柳やの後を継げ。あいつはだめだ』
『源蔵のままなら、俺たちは蔵を辞める』
『もう皆の意見は固まっている。あとは喜兵寿、お前が心を決めるだけだ』
そんな言葉をかけられるたびに、身体の中に申し訳なさがじりじりと焦げ付くように広がっていく。喜兵寿は父親の代わりに自分を育ててくれた、守ってくれた兄の夢を絶対に邪魔したくはなかった。
だから喜兵寿は酒造りをしないことに決め、造り酒屋の店主として下の町へと出てきたのだ。
「いまさら酒を造れっていわれたって、な」
大きなため息とともに煙管をくゆらせていると、背後から大きな声がした。
「あーーーー喜兵寿みっけ。突然いなくなったと思ったら、こんなところで黄昏てやんの」
直はどさりと喜兵寿の隣に座ると「なあ、なんで日本酒造らないんだよ」と不躾に聞いてきた。
「酒が大好きで、知識もある。本当は酒造りたいんだろ。なんでやらないんだよ。やろうぜ~」
「……しつこい」
喜兵寿は露骨に顔を歪める。
「お前には関係のない話だ」
「はあ?大ありなんですけど。誰かさんが手伝ってくれないとビールはできないし、そうしないと死ぬんですけど」
「……びいるを造るのに、日本酒を造らなければならない、など聞いてない」
「うまいビール造って、村岡をぎゃふんと言わせてやるんだろ」
「……」
「つるの仇を打つんだろ」
「……」
喜兵寿が黙りこくっていると、直は面倒くさそうに「ああ!」と叫んだ。
「なんだかわかんねえけど、暗いんだよ!じめじめじめじめ!じめじめじめじめ!酒が死ぬほど好きなくせに、ふてくされた顔しやがって!」
直はそのままの勢いで喜兵寿の胸ぐらを掴む。
「本当は酒、造りたいんだろ!見てりゃわかんだよ。何があったか知らねえけど、自分の心殺してまで何を守ってるんだよ」
「はあ?お前に俺の何がわかんだよ!」
ガッと頭に血が上り、喜兵寿も直の胸ぐらを掴み返した。
「わかんねえよ!知りたくもねえし、どうでもいい。俺はいまここでビールを造りてえ。だから日本酒を造れ」
「だから俺は造らないって言って……」
「俺はもっとビールが造りたい。まだ使ったことのないホップがたくさんあるし、バーレイワインだって造ったことがない。いろんなコンペティションで賞が取りたいし、自分のブルワリーだって持ちたい。それであわよくばモテたい」
直は鼻息荒く続ける。
「俺のやりたいことをやり続ける。だからまだ死ねない。ここでのビール造りには日本酒の技術が必要なんだ。でもお前以外、ビール造りに協力してくれる頭のおかしな杜氏なんていないだろ?」
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