第106話老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ拾捌

「えっと……どういうことだろ。大麦はこの1種類しかないよ?」


夏の言葉に、直は目の前が真っ暗になった。二条大麦が主に栽培されているのはヨーロッパ。この時代でその存在が知られていないということは、まだ日本に輸入されていないということになる。


「まじかよ。二条大麦の歴史とか、知らないっつーの」


珍しく取り乱している直を、皆は不安げに見つめる。


「一体どういうことだ?俺たちにもわかるように説明してくれ」


喜兵寿の言葉に、直は頭を掻きむしりながらいった。


「この麦じゃ、うまいビールが造れないんだよ。そもそも麦の種類が違ったんだ」


「じゃあ、他の種類の麦を探す必要があるってこと……?」


「探したところで見つかるもんか!」


ホップのように堺に行けば見つかる可能性はあるかもしれない。鎖国をしている時代とはいえ、一部海外からの品も入ってきていたはずだ。しかし再び堺に船で出向き、あるかもわからない二条大麦を探し出し、持ち帰り、それを麦芽にする……


仮に二条大麦があったとしても、時間が足りないことは明白だった。ビールを醸造する前に座敷牢送りだ。直と喜兵寿は捕まり、柳やはなくなる。死んだことになっているつるは、二度と下の町を出歩くことが出来なくなってしまう。


突然目の前の道が崩れ落ち、崖になったかのようだった。麦芽がなければ、どうやったってビールを造ることはできない。


直が説明すると、状況を理解した皆の顔も一気に青ざめていった。


「幸民先生、小西様、直の言っている麦のことを何かご存じないですか?」


「……聞いたこともないな」


「同じく。堺には唐物はあれど、英国からの品はなかなか入ってこないからな。申し訳ない」


「夏、本当に何か知らない?!」


皆の心配そうな声を聞きながら、直は必死で何か他の手立てがないか考えていた。六条大麦でビールを醸造しているブルワリーは事実ある。かつて記事で読んだそのブルワリーは、六条大麦で醸造するための研究を重ね、自家麦芽装置をつくることで六条大麦によるビール醸造を可能にしていた。


しかしここは江戸時代だ。そのブルワリーが何年もかけて開発した装置があるどころか、自然物に頼った麦芽造りをするしかないのだ。どうやったって成功するイメージなんて持てやしない。


「麦芽を使う以外、びいるを造る方法はないのか?」


「ビールってのは、麦芽、ホップ、酵母、水でできてんだよ。麦芽がなけりゃあどうしようもないだ……」


喜兵寿の問いに答えながら、直はハッとした。たしかにビールは麦芽、ホップ、酵母、水からできている。しかしこれはドイツのビール純粋令によって定められたものだ。ホップがなかった時代は薬草を使っていたわけで、麦芽だって他のものを使えないはずは、ないのかもしれない。

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