第99話老舗酒蔵の次男、麹で覚醒する 其ノ拾
襖の奥から現れた人物を見て、喜兵寿と直は腰を抜かした。必死で口をパクパクしてみるものの、驚きすぎて言葉が出ない。
「お兄ちゃん。おかえり」
そこにいたのは死んだはずのつるだった。
「……っ!あ、足!」
やっとのことで喉から出た言葉は「足」だった。
「どういうことだ?!足がある。せめて幽霊でもいいから出てきてくれ、とは思ったが……どうして足がある?!」
そういってつるの足をむんずと掴む。
「ちょっと!やめてよ。なんで幽霊前提なのよ」
つるはけたけたと笑いながら、喜兵寿の手をとった。
「生きてます!」
「生きて……いる、のか」
喜兵寿はへなへなと崩れ落ちる。
「……そうか。そうか」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、喜兵寿はつるを強く抱きしめた。そこに直も飛びつく。
「まじかよ!つる生きてんじゃん!すげえ。まじか!よかったなあああ」
つるが収容されたあの日の夜。情報を聞きつけた幸民は、こっそりと小伝馬の座敷牢へと向かっていた。牢屋敷の自治制を取り仕切っている長は、昔からの馴染み(正確には幸民が傷害事件を起こし、座敷牢に収容されていた時の知り合いだ)。幸民は風呂敷に包んだ銭と大量の酒、そして発明したばかりのマッチを持って、つるを座敷牢から連れ出したのだった。
「これが噂の発火道具か。こんなもんで火がつくなら放火し放題だ」
マッチ片手ににたにた笑う長を見て、幸民は肩をすくめる。
「相変わらずいけすかん奴だ。売るなりなんなりすればいい。ただ厄介ごとだけには使わないでくれ」
「ははっ。2度も家を燃やしちまった、あんたには言われたくないね」
無視して帰ろうとすると幸民の背中に、座敷牢の長は再び声をかける。
「なあ、もうちょっと何かあってもいいんじゃないか?」
「……がめつい奴だ」
幸民は眉をひそめる。
「逃がしたとなれば、こっちだって責任問題だ」
「どうせ村岡程度、なんとも思ってないんだろ」
「まあな」と座敷牢の長は乾いた笑い声をあげた。
「でもそっちの厄介ごとに手を貸すんだ。この程度の代物じゃあ、なあ」
「……もうすぐ誰も見たことも、飲んだこともない酒ができあがる。この子たちが造るんだ、そうしたらそれを持ってこよう」
「ほぉ。それは興味深い。女が飲んだこともない酒をつくる、か」
座敷牢の長はつるを舐めるように見て、にやりと笑った。
「いいだろう。交渉成立だ。さっさと行け。村岡にはどぶに落ちて流れていった、とでも言っといてやるよ」
こうして幸民とつるは夜の闇に紛れて座敷牢を後にしたのであった。
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