第43話樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ壱

酒を運ぶ船、樽廻船に乗って大阪にホップを探しに行く。


様々な交渉も必要だし、店のこともあるだろうし、行くのは少し先になるのだろうな。そんななおの予想を見事に裏切り、「なお!明日には出発できるぞ!」と喜兵寿が意気込んで帰ってきたのは昨夜のこと。


「明日!?」


素っ頓狂な声をあげるなおとつる、そして夏を横目に、喜兵寿はほくほくだった。


「ちょうど明日、出航する船があってな。ねねが船頭をするらしく、二つ返事で了承してくれた」


「そりゃあ早くいくに越したことはないだろうけどさ、店のこととかいろいろ準備しなくて大丈夫なのか?ほら麦芽のことだってあるし、そんないっぺんに言われたってつるも困るだろ?」


タイムスリップをしてきて根無し草のなおでさえ戸惑うのだ。いろいろなことを一挙に請け負うつるには時間が必要だろう、そう思いつるを振り返るも、つるは覚悟を決めた眼差しで紙と筆を用意していた。


「やるっきゃないでしょ」


腕まくりをするつるを見て、なおは目を丸くする。


「なお、お前はぶっ飛んでいるようで案外生真面目なんだな」


喜兵寿がおかしそうに笑う。ビール造りが進んでいくことが面白くて仕方ないのだろう。いつもよりもテンションが高い。


「必要な時に必要なものは必ず用意されているものだ。明日船が出るというのならば、明日出発せよということだろう」


それから一晩かけて諸々をつるに引継ぎし、早朝喜兵寿となおは柳やを発った。まだ暗いうちからつるが仕込んでくれた握り飯が胸元で温かい。


薄靄のかかる町を抜け、船着き場へと着く。それはちょうど朝日が昇り始めた時間で、水面は美しいオレンジ色に染まっていた。


「さてと、新川屋の船はどれかな」


船着き場には数隻の船が停泊しており、見るからに屈強そうな男たちが酒樽を積み込んでいる。ふんどし一丁で、大きな樽を両肩に担いでいる姿を見て、なおは一歩後ずさった


「やっべ。喜兵寿見てみろよ、あの腕。あんなぶっとい腕で殴られたら一発ノックアウトだろ。それにほら、身体から湯気出てるぜ?」


喜兵寿の影に隠れながらも、興奮した様子で声をあげる。


「あの身体は完全に岩だな。湯気が出てるから、温泉にある岩だ」


「なお!大きな声で変なこと言うんじゃない」


喜兵寿がたしなめるも、なおの声を聞いた男たちがギロリとこちらを睨む。


「おいお前ら!」


その中の一人がドスドスと地を鳴らすようになおと喜兵寿のもとへとやってきた。近くで見るとやはり岩壁のように大きい。すらりと身長の高い喜兵寿も、男の前では風に吹かれる柳のようだ。


「お前ら何者だイ?」


男から発せられる威圧感で、何もされていないのに肌がびりびりと震える。射すくめられるような視線を前に、なおも喜兵寿も咄嗟に口を開くことができなかった。


「ふん、あらかた夜明けを狙った盗人か何かだろう。神聖な船出前を邪魔するとはいい度胸だイ。ここが新川屋の地と知ってのことかイ?!」


男はなおの襟首をつかむと、軽々と持ち上げた。


「海にでも沈んどきなイ」


「うおっ!!!ちょっと落ち着けって!」


なおは慌てて手足をばたつかせたが、男はびくともしない。喜兵寿も止めに入っているようだったが、なおはぶんぶんと振り回された。襟首を持たれているから、首が締まり、目の前がぐるぐると揺れる。


「海に投げるなら……早く……投げろよ!」


猛烈な吐き気に襲われた時、空気をキンっと裂くような声が聞こえた。


「やめな!甚五平」


1人の女性が船から飛び降りてくる。その身のこなしは驚くほどに軽やかで、まるで猫のようにしなやかだった。


「ねねの姉貴、でもこいつら盗人ですぜイ?」


「おい甚五平、どこをどう見て盗人だと思ったんだよ。今回の出航には客人を乗せると昨日言ったばかりだろ?本当にお前は忘れっぽいったらありゃしない」


「客人、客人……あ、ひょっとしてこいつらが客人ですかイ?」


ねねは切れ長の目を、さらに吊り上げて甚五平の耳を掴む。


「だから!早くそいつを降ろしてやんな!死んじまうよ!」


「ああ、こいつが客人でしたかイ」


甚五平はなおをどさりと地面に落とすと、「申し訳ね」と再び襟首をつかんで立たせた。なおはその場でゲホゲホと咳き込む。


「おい、まじで俺みたいなやつ簡単に死ぬからな!自分の怪力考えろっつーの」


「悪かった。甚五平はちょっと不器用でね。わざとじゃないんだ、許しておくれ」


顔をあげると、そこには美しい女性が立っていた。すらりと伸びた手足に、意志の強さを感じる目鼻立ち。肌は小麦色に焼けており、真っ黒な長い髪を無造作に束ねている。


「めっちゃ美人!」


なおがぼんやりと見つめていると、女性は八重歯を見せてにっこりと笑った。


「揺さぶられて頭でもおかしくなっちまったかい?わたしはねね。よろしく」


『ねね』という名前を聞き、なおはハッと我に返った。


「おお、お前があの町中の男たちと関係を持っているって噂のねねか!どうりでいい体だと思った!」


「面と向かっていうやつがあるか!この馬鹿垂れが」


なおが叫ぶと同時に、喜兵寿が思いっきり頭をたたく。その様子を見て、ねねは腹を抱えて笑った。


「あはははは!さすがは喜兵寿の連れだ。頭がおかしい!」


ねねはしばらく笑うと、肩を震わせながら手を差し出してきた。


「あんたたちとは楽しい旅ができそうだよ。さ、もうすぐ出航だ。船に乗りな」

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