第34話泥酔蘭学者、ホップを知る 其ノ漆
翌日。明け六つを待ち幸民の家に向かうと、なんとまったく同じ格好のまま座敷に胡坐をかいていた。積みあがった書物の中で、必死に何かを書きつけている。
「うわあ、まじかよ。徹夜で調べてくれてたのか」
「……そのようだな」
ふたりが家の中に入っても幸民はまったく気づく様子がないので、喜兵寿はつかつかと近づき、
「先生!おはようございます!」
と大きな声で挨拶をした。そこの声にびくりと身を震わせ、幸民は驚いたように目をあげる。
「……ああ。おはよう。いや、しかし眠ったわけではないので『おはよう』という挨拶が適切かどうかは一考する必要があるわけだが、いや、眠った眠らなかったに関わらず、ただ時間による区切りなのかもしれんが……」
すっかり酒は抜けているのだろう。気弱そうな声でぶつぶつと呟きながらまた書物の中へと潜っていく。
「先生!こんなに長い間読み物をしていたのでは、身体に障ります。とりあえず休憩して朝めしでも食ってください」
喜兵寿は持参した握り飯を幸民の前に差し出した。つるが早朝からつくったそれは、緑の笹に包まれてつやつやと輝いている。
「麦湯も持ってきています。さあさ、どんどん食べてください」
喜兵寿に促されるまま、幸民は握り飯を食べ、麦湯を飲んだ。酒だけではなく、食べ方も豪快で、大きな握り飯を3口でがぶがぶとたいらげていく。
4つ程あった握り飯をぺろりとたいらげると、幸民は茶を飲みながら大きく息をついた。
「……うまかった。やはり柳やのものはなにを食ってもうまいな。料理で大事なのは水加減、塩加減だと思うのだが、それが抜群にいい。これは一朝一夕でできることではないからな。しばらくこの飯が食えなくなるのは辛いが、大阪までの往復なら1か月程度か。そのくらいならまあ、我慢できんこともない」
ぶつぶつと話す幸民の言葉を聞くともなしに聞いていた二人だったが、突然でてきた「大阪」という単語に驚いて顔を見合わせる。
「大阪?喜兵寿、大阪に行くのか?」
なおは喜兵寿に問うも、喜兵寿はさっぱり、といった表情で頭を振る。
「おいおっちゃん、どういうことだ?」
なおが顔を近づけて聞くと、幸民は心底嫌そうに顔をしかめた。
「わが弟子は、師匠のことをおっちゃん呼ばわりか。時代が時代なら切り捨てられても不思議ではないぞ、弟子よ。しかしそんな細かいことを気にしない度量が求められる時代なのかもしれないな。時代が変われば人も変わるとはよく言ったもので……」
「だから!おっちゃん、大阪ってなんなんだよ!ホップのことがわかったのか?」
なおの勢いに押され、幸民は蚊の鳴くような小さな声で言った。
「堺の唐物問屋、そこに確実にあるとは言い切れんが、ある可能性は十分にある。ただあくまでもこれは文献の情報から推測したものであって……」
「すげえ!おっちゃんそれを一晩で見つけたのか?!Googleもインスタもなくて、本だけでわかるとかまじすげえじゃん!」
なおは幸民の肩をバンバンと叩く。
「それで?唐物問屋ってなんなんだ?」
「……しばし待て」
幸民は立ち上がると、奥の部屋から大きな徳利を持ってきた。それを黙って一気に飲み干す。ぶはっと息をついた時には、虎モード幸民に変身していた。
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