第2話傾奇ブルワー、江戸に飛ぶ 其ノ弐
その日も酒問屋「柳や」は、常連客たちでいっぱいだった。
仕事帰りの肉体労働者に、あきらかに堅気ではないような連中。
毛色は違えど「柳やの酒がすき」という点は共通しており、だからいつだって店の中は笑いで満ち溢れている(たまに喧嘩も起こるが)。
「それで、このわけのわからない奴さんを置いてやってるってわけだ。まったくきっちゃんも人がいいねえ」
常連たちは店の隅に転がっている男をみながら、ガハガハと笑った。
この店に集うのは、常に刺激を求めているような人種だ。
変な髪色の、変な服をきた酔っ払いは最高の酒のつまみに違いなかった。
「本当、信じらんないったらありゃしない。こんなおかしな人、外にほっぽっときゃいいのに。はい、熱燗1丁おまたせだよ!」
喜兵寿の妹、つるは男を忌々しげに眺めながら酒を膳の上に置いた。
つるは一見華奢に見えるが、力はそこらの男どもよりも強い。つい力が入りすぎてしまったのだろう、膳の上で徳利がピキッといやな音をたてた。
「そりゃあごもっともだ!でもよ、つるちゃん。店の前におかしなやつがいるってんじゃ、またあの同心がくるかもしんねえだろう?ただでさえこの店、目つけられてるんだからよ、目立たねえことに越したことはないだろ」
「目をつけられてるのは、あなたたちが酔っぱらって外で暴れるからでしょう!今日は飲みすぎないように、ちゃんといっぱい飲んでいきなさいよ!」
「どっちだよ!」
どっと沸く店内を横目に、喜兵寿は黙々と料理を作っていった。マグロの刺身に、きんぴらごぼう、芝海老炒りに、湯豆腐。
店は西の歴史ある酒蔵「柳や」の酒が飲めるだけでなく、つまみもうまい店としても名が通っていた。
「お兄ちゃん、熱燗1丁追加で。あと幸民先生さんがなんかうまいもんをくれって言ってる」
「あいよ」
喜兵寿は大きな鍋を持ち上げると、火にかけた。
今日の一押しはなんといっても「どぶ汁」だ。炒めたあん肝の香ばしい香りを、ぶりぶりとしたあんこうの身にまとわせる。それらを野菜と一緒にじっくりと煮込んだ自信作だ。
どぶ汁の汁が焦げ付くかつかないかのギリギリのところで喜兵寿が蓋を開けると、ふわっという湯気と共に店中にいい香りが広がった。
「おいきっちゃん、こりゃあなんの匂いだ?!」
「あーいいにおいだ!こっちにもおくれ!」
それにつられたように、店内がざわつく。
「大鍋で作ってあんだ、急がなくてもたくさんあるよ」
喜兵寿はどぶ汁を椀によそい、小ねぎをふりかけた。見るからに濃厚そうな、どろりとした汁が黄昏時のひかりに反射し、てかてかと光っている。
「おまち、酒がたんまり飲みたくなるつまみだよ。さあ食べる奴は誰だ?」
盆に椀をいくつか乗せて店に出ていくと、客たちに混じってさっきの銀髪の男が座敷で酒を飲んでいた。
「……!!おい、お前いつ起きたんだ?!」
銀髪男は「おれ?」というように小首を傾げると、小さくおちょこをあげた。
常連客がその肩をがしっと組む。
「あー、こいつね!気づいたら起きててさ。なんだか意気投合いしちまったから一緒に飲んでんだよ」
「なあ!こいつおもしろいんだよ」
銀髪男はおちょこの酒を飲み干すと、「本当にこの酒うまいな!もっとくれ!」と盆に置いてあって徳利を持ち、ぐいぐいと飲み干した。
その様子に大笑いする周りの男たち。喜兵寿はやれやれとため息をついた。
いくら平穏な時代が長く続いているとはいえ、最近は異国のわけのわからない連中が港に来ていたと聞く。
「おいお前、名前は?」
喜兵寿が尋ねると、銀髪男は「あ?」と怪訝そうに顔をしかめた。
「なんだ偉そうに。人に名を訪ねる前に、自分から名乗るもんだってお母さんから習わなかったんですかあ?」
その後頭部をつるがバコンとはたいた。
「っ!いってえ!」
「店先に転がってたあんたを助けてくれた、この店の店主だよ!」
「おぉ!あんたが!」
銀髪男はいきなり大きな笑顔になると、頭をさすりながらふらふらと立ち上がった。
「昨日はうっかり飲みすぎちまったみたいで申し訳ない。俺の名前は久我山 直也。なおでいいよ」
そういいながら手を差し出してくる。
「……喜兵寿だ」
喜兵寿はその手をとらず、じろりとなおの全身に目を走らせた。
「一応確認だが、あの黒い船に乗ってきたわけじゃないだろうな?」
「黒い船?なんだそれ」
なおはきょとんとした顔で眉間に皺を寄せる。
「墨田川近くの店で飲んでたんだ、いくら酔っぱらってたとはいえ、船には乗ってないと思うぞ……?」
「そうか」
なおの言葉に喜兵寿は小さく頷くと、差し出された手にどぶ汁のはいった椀を渡した。
「まあとりあえず、お前も食え。話を聞くのはそのあとだ。さっきまで眠ってたんだ、すきっ腹に酒を入れたんじゃ身体もびっくりしちまう」
「まじか!めっちゃうまそうじゃん。ちょうど腹減ってたんだよ」
なおはほくほくとした顔で座敷に戻ると、男たちに混じって「うまい、うまい」と汁を食べ始めた。
「『黒い船』ってついこないだ浦賀に来てたって噂になっていたやつだよな?」
一通りどぶ汁を食べつくすと、店の客たちが口々に『黒い船』について話し始めた。
「あれって結局なんだったんだ?」
「さあ?数日間海の上にいて、またいなくなっちまったんだろう?お上からは何の通達もねえし、おれら庶民には関係のない話かもしんねえけど、やっぱ気持ちは悪いよな」
「おれの従弟のつれが三浦に住んでるんだけどよ、港まで見に行ったっていってたぜ。本当に動く城みたいだって騒いでた」
「まじかよ。城が海に浮かんでるとかやばいな」
そんな男たちの会話を聞きながら、なおはけたけたと笑い出した。
「お上とか、城とかなんの話だよ!時代劇かっつーの。そんな話よりさ、この熱燗といい料理といい、喜兵寿ってまじで腕がいいのな」
そういいながら、おちょこをくいっと飲み干す。その様子をみながら、横の客がどや顔で言った。
「そりゃあそうさ、ここの酒は伊丹の歴史ある酒蔵『柳や』の下り酒だからな。うまいに決まってる!」
「なんでお前が自慢してんだよ」
他の客が笑う中、なおはもう一度酒の味を確かめるようにぺろりと舐めた。
「ふうん?でもたぶんだけど、元の酒の質よりも喜兵寿のお燗の仕方がうまいんだと思うぞ?俺、舌には自信があるんだ。なんてったって売れっ子ブルワーだからな」
「あはは、ぶるわあ?なんだそれ」
「ビール造る人間のことだよ。クラフトビールは飲んだことないか?」
「びいる?なんだそりゃあ」
「は?ビール飲んだことないのか?え、じゃあいつもなに飲んでんだよ」
「なにって、日本酒以外になにがあるんだよ?」
なおと客たちのかみ合わない会話を厨房で聞きながら、喜兵寿は先ほどなおが手渡してきた瓶を眺めていた。
瓶はギザギザとした鉄のようなものでしっかりと封がされており、小さくゆすってみると小さな泡のようなものが動く。
そして瓶のラベルには見たこともない文字でなにかが記されていた。
喜兵寿は江戸中の酒には誰よりも詳しいという自負があった。
問屋がどんな酒を扱っているか、そして近郊の酒蔵がどのような酒を造っているか、日々変わる酒情勢は常に追い続けてきたつもりだ。
それでもこんな酒は見たことも聞いたこともなかった。
見たこともない格好をした男がもっている、見たこともない酒。
一体これはどんな味がするのだろうか。
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