(5)ジリアンの昔話

 新たに発見された同一犯による殺人の犠牲者と思われる死体が、メイズラント警視庁の検死・司法解剖のための専用施設に送られたのと同じ頃、ナタリー・イエローライトは本庁の魔法捜査課オフィスの隣室に勝手に作った、記録保管室に籠もっていた。


「ないな」

 魔法の杖を、オーケストラの指揮者よろしく構えたナタリーがひとり呟いた。バインダーが詰まった棚が並ぶ室内には、空中に無数の光る文字列が並んでいる。これはナタリー得意の「検索魔法」である。書物や書類の束を魔法で「検索」にかけ、指定した文字列やテーマが含まれている書類はどれかを瞬時に特定できるのだ。この魔法の扱いに関しては、ブルーはナタリーの足元にも及ばない。元情報局員の強みで、データというものの扱いに関してはナタリーが魔法捜査課の頭脳である。


 現在ナタリーは、過去の魔法犯罪に今回と似たケースがないか、古い事件ファイルを探っていた。

「変死体のケースはいくらでもあるけど」

 誰が聞いているわけでもないが、一人で何か呟くのはナタリーの習慣である。声に出す事で、自分の考えを客観視できるのだと本人は言う。

 検索してみても、なかなか今回のような変死のケースは少なかった。発火魔法による焼死事件はあったが、今回の死体はまだ死因が確定していない。アーネットとジリアンは、焼かれる前に被害者は死亡していたと推測している。

「検死待ちか」

 そういえば、最初に見つかった死体の司法解剖は、そろそろある程度進んだのではないだろうか、とナタリーは考えた。検索魔法を閉じてオフィスに戻り、重犯罪課に電話をかける。


『はい、こちら重犯罪課のウィリスです』

「魔法捜査課のイエローライトです。今朝の事件の検死結果って出てますか?」

『少々お待ちください。 …ええと、1件目の遺体の一次報告が上がった所ですね。まだ完了はしていません』

「見せてもらえる?」

『はい、こちらに来て頂ければ』

 ありがとう、と言ってナタリーは電話を切り、地下室の階段を駆け上がって行った。


 一方で現場の面々は、引き続き現場の検証に当たっていた。

 二件目の現場の死体は一件目ほど隙間なく煙突内に詰められてはおらず、ブルーが魔法で一時的に、死体と煙突内の摩擦力を軽減させたことで、数名の警官たちが引っ張って取り出す事ができた。

 今回は一件目とは少し異なり、多少は衣服が擦られた跡はあったものの、やはり強引に押し込んだような跡は確認できなかった。

「死体が折り畳まれているのは、煙突に詰めて動かなくするためかな」

 ブルーは一件目と同じく、焚き口に頭を突っ込んで煙突内の様子を見ていた。ここの煙突は上部が雨や逆風対策されている。

「ここは上がほとんど塞がってるんだね。これに比べると、一件目は上から死体を入れる事も不可能ではなかったかも知れない」

 ブルーの高い声が煙突内に反響する。

「つまり、焚き口から被害者を煙突内に押し込んだと?」

 アーネットは、よつん這いで首だけマントルピースの奥に入れた状態のブルーに向かって訊ねた。そのままの姿勢でブルーが答える。

「おそらくね。でもそうなると」

 言いながらブルーは頭を引き抜く。

「奇妙なのは、この焚き口の薪や灰が崩れていなかった事だ」

 ブルーは焚き口にある薪や、その下の黒い灰を指差した。現在は、さきほど死体を煙突内から引き出した際に薪が少し崩れてしまっているが、それまでは綺麗に並べられていたのだ。

「被害者は背が低めの人に見えたけど、それにしたって成人男性。さっき、死体回収班の人たちだって、それなりに苦労して運んでたよね。浮遊魔法でも使って軽くしないと、奥さんに気付かれないよう短時間に煙突内に詰めるのは不可能じゃないかな」

 ブルーの推理にアーネットも基本的には同意だったが、いくらか疑問もあるようだった。

「しかし軽くしたところで、あのサイズの物体を、焚き口の中の物を一切崩さずに煙突に入れられるか?」

「やっぱり魔法か」

「魔法だな」

 二人はこの時点で、煙突内に死体を詰める過程で、まだ未確定の魔法が使われているに違いない、という見解で同意した。

「やれやれ、課題が多いな」

 そうアーネットが呟いたところで、胸ポケットの魔法の杖がブルブルと振動を始めた。取り出すと、杖が黄色く光っている。これは、ナタリーからの「着信」のベルである。

「おっと、噂をすればだな。もしもし」

 アーネットは杖を受話器のように耳にあてがうと話し始めた。すると、杖からナタリーの声が返ってくる。

『私よ。とりあえず、最初の遺体の一次検死結果が出た』

「何かわかったか?」

『おそらくだけど十中八九、死因は窒息死らしいわ。毒物反応や致死レベルの外傷はなし』

「一酸化炭素中毒の可能性は?」

『まだ精密な結果は上がってないけど、その可能性はなさそう。単なる窒息よ』

「首を絞めた跡はあるのか?」

『ないみたい』

 アーネットは少しだけ考えて、

「わかった。ありがとう」

 とだけ返した。

『ええ、また連絡するわ。じゃ』

 それだけ言うと、杖の光は消えて通話は終わってしまった。

「だそうだ」

 アーネットはブルーを見る。

「窒息死か。焼ける前に死んでたっていう、最初の推理は当たってたらしいね」

「首を絞めた跡がない、となると」

「これも魔法くさいな」

 うーん、と二人は唸った。

「はーい。聞いて聞いて」

 ここで、また元のノリに戻ったジリアンが挙手した。そういえばいたな、とアーネット達が振り向く。

「犯人が複数いたって可能性はない?」

 そう言われて、アーネットは一応真面目に検討しつつ、

「どうだろうな。検討には値するが」

 とだけ言った。

「頭数が増えれば犯行はやりやすくなるが、同時に目撃されやすくもなる。今回の殺害方法は暗殺に近い」

「単独犯の方がやりやすい?」

「何とも言えないな」

「何よそれ。ハッキリしないな」

 言われたアーネットはムッとしてジリアンと睨み合う。すると、ブルーが口を挟んだ。

「アーネット、あり得るかもよ」

「ほら!あたしの彼氏はわかってるじゃない」とジリアン。

「うん…いや違う!いつ彼氏になった!!」

「またまた照れてー」

 若さって眩しいなと思いながら、若者とおっさんの中間世代の刑事は咳払いをして、推理の話に戻るのだった。

「ブルーは複数犯だと思うのか?」

「普通の犯行では致命的になる欠点を、補えるのが魔法犯罪だ。例えば僕達だって、この間ターゲットを追跡する時には、消音魔法で物音を消してただろ」

「なるほど」

「例えば今回、犯人は3人いたと仮定しよう。一人が殺害して、一人は死体を煙突に詰める。そしてもう一人がその間、物音や姿をごまかす魔法でサポートしていた、としたら」

 再びなるほど、とアーネットは頷いた。今日あと何回、なるほど、と言う事になるだろう。

「考えられるかもな」

「意外と素直なのね、このおじさん」

 ジリアンもさり気なく、アーネットへの攻撃の手を緩めない。

「ブルー、こいつ魔法で縛ってテレーズ川に沈めてこい」

「ひっどぉー」

 何だかんだで仲いいんじゃないのかな、とブルーは思った。親戚のおじさんと姪っ子の感は否めないが。

「ねえ、ちょっと休憩しない?アドニス君だって、午前中の疲労残ってるでしょ」

 ジリアンはそう言ったが、ブルーは少年のカラ元気なのか、

「平気だよ。片付けてからゆっくり休むさ」

 と気張ってみせた。その時、ジリアンが心配そうな顔を見せた事に、ブルー本人は気付かなかった。


 そこへ、デイモン警部の部下の刑事がバタバタと、書類を持って走ってきた。

「レッドフィールド刑事!デイモン警部からです。被害者の身辺調査で、だいぶ昔に事件が起きていました」

「なんだって?」

 その書類には、速記で要点がまとめられていた。それによると、被害者の煙突掃除夫2名のもとで約15年前に、それぞれが雇った8歳と9歳のやはり煙突掃除夫が、労働および生活環境が原因の肺炎によって死亡していたのだ。

「いずれも、国外から集団の人身売買で売られてきた少年のようです」

 そう刑事は説明した。

「エグい話だな」

 アーネットは眉をひそめる。実のところ、いまだ児童を対象とした人身売買は無くなっていないのだった。

「ちょっと待ってくれ。集団で連れて来られたって言ったな。ということは、他にも同じように子供を買った掃除夫がいたのか」

「現在、その線で情報を洗っています」

 アーネットは少し考え込んで、刑事に向き直った。

「魔法捜査課の、イエローライトもその調査に加えてくれ。あいつの情報網を利用しろ」

「ええと、しかしそれは…」

「あいつの事だ、正規のルートの情報じゃないかも知れんが、時間がない。次の事件が起きてからじゃ遅いんだ。責任は俺が取る」

 アーネットの言葉に、刑事は力強く敬礼を返した。

「了解しました!そのように手配します」

「デイモン警部には、俺にそう指示されたってちゃんと言えよ」

 刑事が走り去ったあと、ブルーはアーネットに問い質した。

「いま、次の事件って言ったよね。また起きると思ってるの?」

「デイモン警部から、だいぶ以前聞いた話だ。大陸から子供を買い付けてくる、『悪魔』と呼ばれた人身売買業者がいたらしい」

 アーネットが聞いたところによると、その業者は少なくとも10年くらい前までは、まだ商売を続けていた。

 悪魔、と呼ばれたその理由は、買い付けてきた子供たちの多くが死亡してしまい、二度と親元には帰れない事例が多発していたためだという。

「だが結局、その責任はそいつから子供を買い取った、例えば煙突掃除夫だとか炭鉱の監督だとかに行く。自分には責任はない、というわけだ」

「ひどい話だね」

 ブルーは俯いて呟いた。ちらりとジリアンの横顔を見ると、無言で下を向いている。

「つまり、今回の事件の犯人は…そうして死んで行った子供たちと関係があるかも知れない、ってこと?」

「早合点はできないがな。可能性としてはあるだろう」

「だとすれば、もし同じように子供を死なせた掃除夫が…」

「次の被害者になるかも知れないって事だ」

 アーネットがそう言った時、ジリアンがおもむろに踵を返して、外に出て行ってしまった。

 残された二人は一瞬顔を見合わせたが、ブルーがその後を追おうとしたので、アーネットは肩を掴んで止めた。

「ブルー。俺ならそっとしておく」

「……」

「お前はどうしたい」

 アーネットは、自分の考えを押し付けはしなかった。ただ、次のように言った。

「ジリアンの心は、ジリアンのものだ。俺たちが介入する権利も義務もない。せめて、隣にいる事ができるだけだ。それを理解したうえで、あとは自分で決めろ」

 ブルーは、黙って小さく頷いて、ジリアンの後をゆっくりと追った。


 外は、陽が傾く気配がそろそろ感じられる空になっていた。テレーズ川をのぞむ小さなスペースにベンチが置いてあり、ジリアンは一人でそこに座って、川を見つめていた。

 ブルーは、静かにジリアンが座るベンチの脇に立って、ただ黙っていた。

「子供の頃にね。みんなが兄貴みたいに思ってた奴が、貧民街にいたんだ」

 ぽつぽつと、ジリアンは語り始めた。

「ある日、そいつは死んじまった。炭鉱で働かされている最中、岩の上から転落して、頭を岩盤に打ち付けてね。そいつが10歳の時の話さ」

 ただ、淡々と語るジリアンの表情には、何の感情も見えなかった。

「大人達はそいつを、介抱もしなかった。ただ脇に寝かせておいた。仕事の邪魔にならない所に」

 その言葉に、静かな怒気がこもるのをブルーは感じ取った。

「あたし達の命って何なんだろう、って、そいつの亡骸を見て思ったよ。みんな泣いてたし、大人達に怒りを覚えた」

 少しだけ、その声が震えて聞こえた。

「あたしも、あのまま貧民街にいたら、そのうち紡績工場か何かで働かされていたんだと思う。下手すりゃその後、娼婦にでもなってたかもね。カミーユが救い出してくれたんだ。あたしの仲間たちも」

「え?」

 ここで、ブルーが初めて声を返した。

「あたしを連れて行ったすぐ後の事さ。あたし達は子供だけのグループで、盗みだとかをやって食いつないでいた。でも、カミーユはみんなに声をかけて、彼女が知ってる床屋だとか、石屋だとかに頼んで、下働きとして雇わせてやったんだ。もちろん、こき使って死なせるような、ろくでもない大人達じゃないよ。みんな今も元気にしてる。その後継ぎになろうっていう奴もいる」

 ここで、ようやくジリアンは笑顔を見せた。

「あたし達は大人や社会を恨んでた。産業革命なんて、岩盤に頭を打って死ぬ子供を量産するだけの、戯れ言だと思ってた。でも、カミーユに会って、そういう大人だけじゃないんだってわかった」

 ブルーには返せる言葉がなかった。彼が育った家は別に裕福ではなかったが、煙突や炭鉱で気管支をやられて倒れるような目に遭った覚えはない。学校にも行かせてもらえた。ジリアンの身の上に比べれば、申し訳ないほど恵まれた幼少時代だっただろう。


 ジリアンは再び語り始めた。

「今回の事件の犯人が、もしそんな過去を持つ人間だったら、あたしはどういう気持ちになるだろう、って思ったんだ。ひょっとして、犯人に同情してしまうんじゃないだろうか、って。それが怖くなった」

 そこまで言ったところで、ブルーはぽつりと呟いた。

「ジリアンがそう思ったのなら、それは善でも悪でもない、本当の気持ちなんだと思う」

 それは何の意図もなく、ブルーの心から発せられた言葉だった。ジリアンは目を少し見開いて、ベンチの脇に立つ少年を見た。

「僕だって犯罪捜査してて、犯人に同情した事はあるよ。被害者なのにあんまりひどい人間で、一体警察の仕事って何なんだよ、何からなにを守ってるんだよ、ってアーネットに突っかかった事もある」

 それは、ブルーが初めて見せた、彼の心の内側だったかも知れない。

「でもアーネットは言ったんだ。『俺達は警察官で、行動は法律に従わなきゃいけない』」

「……」

「『けれど、どうしても心がそう思った時は、自分の心に従え。ただし』」

 ブルーはそこで言葉を途切れさせた。

「ただし?」

 ジリアンが、先を続けるよう促す。ブルーは答えた。


「ただし、俺のように問題を起こして飛ばされてもいいか、十分考えてからにしろ、だってさ」

 

 それを聞いたジリアンは、テレーズ川に反響するくらいの声で笑い出した。

「ぷっ、あはははは!!」

 そこそこいい話をしたつもりだったのに突然笑い出されたので、ブルーは困惑しつつ憤った。

「なんだよ!」

「あははははは、やっぱり面白いね、あなた達!最高」

「そこまで笑うかな」

「ひひひひ、あーお腹痛い…参ったな。なるほどね、所長が好きになったのもわかるわ」

 目尻の涙を指で拭いながら、まだジリアンは腹を抱えている。

「うん、ありがとう。なんか吹っ切れた」

 ブルーを見ながら、ジリアンはまだ涙がにじむ目で言った。

「ふうん。それならいいけど」

「さあ、現場に戻ろう。何か進展あったかも」

「あるかなあ」

 ジリアンはブルーの背中を押し、現場の家へと向かって歩き始めた。アーネットが家の外に出て、風に当たっている。

 ブルーとジリアンが元気そうに戻ってきたのを見て、小さく笑みを浮かべて二人を迎えたのだった。

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