(6)インバネスコートの女

 ブルーとジリアンが川を見ながら一息ついていた間に、何か報告があるかと思ったものの、そうそう短時間に事態が進展を見せるほど犯罪捜査は甘くない。犯行動機の線からの容疑者の洗い出しは、まだ始まったばかりだった。アーネットはいつもの癖で頭を掻きながらため息をつく。

「こりゃ、今日は進展なしで終わりそうだな」

 まあ大体いつもそんな感じだよな、とブルーも思った。

「ジリアン。俺たちの事件に首を突っ込むのはいいとして、今のままだとこれは無報酬の、単なる一般市民としての協力になるぞ。プロの探偵社として、それでいいのか」

 アーネットは、ジリアンを一人の探偵と認識したうえでそう言った。

「うーん、そうだね。所長からも言われてるけど、これは売り込みを兼ねたサービスだと思ってくれればいい。つまり、次からはお金を取る」

「なるほど」

 アーネットは、カミーユの顔を思い出しながらぽつりと言った。そういえば、もう4年か3年近く会っていない。最後に会った時は真っ黒なストレートロングヘアが印象的だった。

「あいつ今、どんな髪型してんだ」

「あー。やっぱり元カノが気になるんだ」

「単に聞いただけだ」

「直に会って確かめたら?仕事するなら顔合わせしなきゃいけないよ、いずれは」

 ジリアンの言う事はその通りではあるが、一度別れた女性と再会するのはなかなか気まずいものがある。できれば今回きりで終わってくれれば、ともアーネットは思っていた。

「まずは、君が…というより、モリゾ探偵社が信用に足るかどうかだ。ただし、無報酬というのは俺のプライドに関わる。といって上に掛け合う手続きも面倒だ。そこで」

「あー、わかった。ポケットマネーから出すから割引しろって言うんでしょ」

「なんでわかるんだよ!」

 アーネットは、そういえばこいつ占いもカミーユから習ったとか言ってたな、と考えながら、腕組みしつつ思案した。

「そっちがサービスでいいっていうなら、通常の相場の四分の一を俺が財布から出す。それでどうだ」

「いいよ。でも、相場がいくらか聞かないの?ぼったくるかもよ」

「カミーユはそんな奴じゃない」

 それはわかってるさ、とアーネットは小さく笑った。

「おーし。商談成立の握手ね」

「ああ」

 10代女子と仕事上の握手を交わすのもアーネットには妙な感覚ではあったが、とりあえずこれで正式に契約は成立である。


 陽がいよいよ傾き始めてきた空を見て、例によって今日は進展なしで終わるかな、とアーネットが思っていた時である。再び、アーネットの杖にナタリーからの着信が入った。

「!」

「きたかな?」

 ブルーも勇んでアーネットの横に立ち、耳をそばだてる。そのブルーにぴたりと張り付いて、ジリアンも聞き漏らすまいと身を乗り出した。ブルーの背中にまた胸が当たって、話に集中できるか不安がよぎる。

『私よ』

「ああ。なんかわかったか」

『私ルートで調べたら、ちょっとばかりヤバイ話が出て来た。いま、周りに誰もいない?』

 何やら不穏な話だったので、アーネットは周囲を見た。すると、ジリアンが「あっち、あっち」と先程ブルーと話をしていた、川沿いのベンチを指差す。3人は足早にそこへ移動した。

「ヤバい話ってなんだ」

『殺害された二人の煙突掃除夫は、15年くらい前に8歳、9歳の少年掃除夫を死なせてる。これは聞いたわね』

「ああ」

『その少年の仲間だった、いまそれぞれ27、26歳になる青年がいるんだけど、そいつらがどうも手配中の脱獄囚らしいの』

「なんだって!?」

 聞いていた三人は、緊張が走って目を見合わせた。

「それで…その、収監された罪状って何なんだ」


『聞いて驚いてちょうだい。昨年末に起きた、アジー通り連続殺人事件の犯人。余罪を絶賛追及中』


 その事件の名を聞いて、3人は改めて周囲に聞いている人がいないか確認した。アジー通り連続殺人事件とは、リンドンの中央南寄りにあるアジー通りで、二人の男性が殺害され金品を強奪された事件である。アーネットは慎重に訊ねる。

「…本当なのか」

『嘘言ってどうすんのよ』

「脱獄したってのは、いつの話だ」

『少なくとも10日前』

「なんだって!?」

 アーネットは愕然とした。そんな話、警察内ではひとつも聞いていない。デイモン警部だって初耳だろう。10日も、脱獄した連続殺人犯を放置していたというのか。

「二人揃って脱獄したってのか?どこの監獄だ」

『ヘヴィーゲート監獄よ』

「”名ばかり監獄”か」

 アーネットは舌打ちした。ヘヴィーゲート監獄とはリンドン南東にある、殺人や強盗などの凶悪犯罪者をまとめて収監している巨大な監獄である。ほんの数十年前まで、内部では賄賂や暴行が常態化し、衛生環境も最悪、脱獄も当たり前の杜撰な管理状態で、ヘヴィーゲートとは名ばかりの、最悪の監獄として知られていた。

「それでも、近年はだいぶ改善されてたはずだがな。どうやって脱獄したんだ。壁でもすり抜けたってのか」

『それはわからないわ。でも、その事実がバレたら警察の管理態勢が問われる事になるでしょうね』

「だから上は隠してたんだな。こっそり脱獄囚を追っている事実を。警視総監の耳に入ってない筈はないが、あの男じゃ責任逃れの算段を立てるくらいしか能がない」

 警察も警察だな、とアーネットは悪態をついた。さんざんな言われようではあるが、現在の警視総監は"全知全能の神のうっかりミス"で就任してしまった、と言われるほどの人物で、デイモン警部に言わせると「得意なのは保身と自宅の庭の手入れだけ」だそうである。

「ということは…推測ではあるが、脱獄囚は子供の頃に死んだ仲間の復讐で、彼らを雇っていた煙突掃除夫を殺害したという可能性もあるわけだな」

『動機としては十分あり得るわね』

 さらりとナタリーは言ったが、二人が殺害されたうえに、その容疑者は脱獄囚となると、これは一級の大事件である。

「大捕物だ」

『小説が一本書けそうね。私はどうする?』

「そのまま調査を継続してくれ」

『ええ。わかってるとは思うけど、一応言っておくわね。脱獄囚の名前は、マシュー・アボット26歳にエルマー・フラトン27歳。一昨年まで海外で従軍していて、リンドンに戻っていたようね』

 兵役から戻って早々に殺人事件を起こす人間、というのもなかなか背筋が寒くなる。黙って聞いていたブルーとジリアンは肝が冷える思いだった。

「そうだ、ナタリー。悪いが、その脱獄囚の人相書きを…」

 アーネットが言い切らないうちに、ナタリーの返答があった。

『そう言うと思って、すでに魔法で複製したものを用意してあるわ。二件目の現場にいてちょうだい、届けさせる』

「わかった。ありがとう」

 ナタリーは『それじゃまた連絡する』とだけ言って通話を切った。


「ということだ。どうするね、ジリアン」

 アーネットは改めてジリアンを見た。

「殺人犯を追った経験は?」

「あるよ」

 ジリアンは平然と答える。

「ビビッてないか、っていうんでしょ?ナメないでちょうだい」

 ジリアンの度胸は本物である。それはアーネットには一目でわかった。貧民街で、子供ながらにゴロツキを相手にしてきたのだろう。

「度胸じゃどうにもならない場面だってある。いいんだな」

「もちろん。それに、あたしだって魔女の端くれだってこと、忘れてもらっちゃ困る」

「そうだった。忘れてた」

 そのアーネットの返答は、そこそこジリアンのプライドに触れたようである。しかし、実のところ本当に忘れていたのだ。

「あのね。本気で魔法を使えばそこらの殺人犯なんて、子供みたいなものよ。知ってるでしょ」

「それもそうか」

「ブルーは警察の規則で、魔法が自由には使えないんでしょ。あたしはブルーよりは規則がゆるい」

 その返答に、ブルーは首を傾げた。

「それ、どういう意味?まるで、そっちはそっちで規則があるみたいだ」

「ふふん。秘密」

 再びジリアンは、唇に人差し指を当ててごまかした。

「笑顔でごまかせると思ってるんだろ」

「そのうち話すよ。というか、折を見て説明しろってカミーユから言われてる」

「何だい、それ」

 どうも、ジリアンは最初から何かの目的で、自分達に近付いてきている、とブルーは思った。カミーユという女性からの指示なのだろう。もっとも、隠し事はあっても悪意はなさそうだった。

「今は事件が先決でしょ。ほら、どうするの、レッドフィールドさん」

 仁王立ちしてジリアンは急かした。悲しいかな、仁王立ちする側が圧倒的に背が低い。

「アーネットでいい」

「わかった」

「よし、ジリアンにブルー。まず状況を整理するぞ」


 アーネットは、ひとまず今どういう状況で、優先事項が何かを決める事にした。

「まず、一連の殺人事件の被害者については、検死チームに今は任せる。情報が上がれば、ナタリーから連絡が入るはずだ」

 ブルーとジリアンは頷き、アーネットは続けた。

「ジリアンが最初に推測したとおり、容疑者は煙突掃除夫に昔の仲間を死亡させられ、恨みを持つ人間である可能性が高い。最有力候補は、脱獄したマシュー・アボット、エルマー・フラトンの二名。したがって今最優先でやるべき事は、この二名を追跡して身柄を確保することだ」

「つまり、そいつらがまた似たような犯行に出るかも知れないって事だね」

「そうだ。二人を追跡すると同時に、デイモン警部のチームに、狙われる可能性が高い人間を洗い出してもらう。すでに始めているかも知れんがな」

 

 しばらくすると、警察の自動車が爆音を立てて到着した。何度か会っているが名前のわからない若い刑事が飛び降り、アーネットに封筒を持って駆け寄る。

「レッドフィールド刑事、イエローライト刑事から預かってきました」

「ありがとう。そっちはどうなってる?」

「はい、デイモン警部の指示で2チームに分かれています。一方は例の脱獄囚を追跡、もう一方は狙われる可能性が高い、かつて子供を雇っていて死なせた経歴がある、元煙突掃除夫などの洗い出しと保護です」

「わかった。俺たちも、最優先で脱獄囚を追う」

「了解しました!お気を付けて」

 互いに敬礼し、若い刑事はまた車で走り去った。


 アーネットが封筒から取り出した容疑者の人相書きは、3枚ずつ複製されていた。

「ジリアン、お前の事もアテにしてるらしいぞ」

 そう言いながら、ジリアンに容疑者2名の人相書きを手渡す。一人はやせ形で髪は短く刈り上げており、目つきは鋭い。もう一人は癖のある髪で、妙にニヤついた不気味な笑顔が絵からもわかる。

「三手に分かれるってこと?」

 受け取りながらジリアンが答える。

「そうだ。この際、俺もお前を信頼する。いいな」

「そうこなくっちゃ」

「魔法の杖の通話はお前も使えるな?もし容疑者を発見しても、絶対に一人では近付くな。もし今回の事件が魔法犯罪で、こいつらがその犯人だったなら、向こうも何らかの魔法を使える可能性がある」

 アーネットは、ジリアンとブルーそれぞれの目を見ながら言った。

「わかった」とジリアン。だがブルーは、頷きながらも意見を述べた。

「わかったけど、もし気付かれて逃げられそうな時は保証しないよ。僕の判断で相手を捕らえる」

 ブルーは杖を構えてみせる。

「もちろんだ。現場においては臨機応変だ」

「よし。それじゃ受け持ち区域を決めよう」

 すでに空は赤くなっている。やがて暗くなる時間帯の追跡は、追われる側には好都合だが、追う側にとっては不都合の方が多い。

 ブルーは魔法の杖を振るい、大雑把なリンドンの地図を空中に表示した。どこまで正確かはわからない。

「何でもありだな」

 言いながらアーネットは、地図を睨んで思案した。どう3人の行動範囲を振り分けるか。

「よし。俺はテレーズ側を挟んで南側一帯を捜索する。お前たちは北側の東と西をそれぞれ担当してくれ」

「じゃあ、あたし東側」とジリアン。

「え?じゃ、じゃあ僕が西側」ブルーも仕方なくそれに従う。

 決まりだな、とアーネットは財布を取り出して、10代の少年少女に一枚ずつ紙幣を渡す。

「ゆっくり夕食を取る余裕はない。各自、屋台なり何なりで手早く済ませろ」

 二人は頷き、アーネットもそれに応えると、それぞれ担当する区域へと急ぐのだった。



 同じ頃、リンドン中心から少し北に行った教会近くに、一台の辻馬車が止まった。

「ご婦人、悪い事は言わねえ、もうちょっと人通りの多い所まで乗せてって差し上げますよ。その分のお代は要りませんから。こんな人気のないところ、夜に女一人で歩くのは危ねえってもんだ」

 初老の御者は座席に乗ったコートの女性に、心配そうに言った。しかし女性は何のためらいもなく、石畳に降り立った。

「ご心配なく。それよりあなた、戻る時は今来た道を行ってはいけませんよ。車輪が側溝にはまって、立ち往生する事になるでしょう。遠回りですが、西に回って橋を渡って戻るのが安全です」

「はあ?」

 ふふふ、と女性は笑って運賃を差し出した。

「余った分はチップです」

 そう言うとインバネスコートを翻し、男物のハットからのぞく銀色の髪を風になびかせ、小気味よく足音を鳴らして、女性は教会の門の前を颯爽と横切って行ったのだった。


 

 リンドンのテレーズ川をはさんだ南部、比較的治安の良くない一帯を、アーネットは歩いていた。

「ブルーの奴は大丈夫だろうか」

 これは、身の危険を案じているというよりは、刑事として未熟な13歳の少年が何かやらかすのではないか、という類の不安である。課が発足して間もないころ、同じように容疑者を追跡していた事があった。その際、ブルーは魔法で追い詰めた容疑者を吹き飛ばし、高級ブティックの壁と窓ガラスを破壊して警察が弁償する羽目になったのだ。

「一歩間違えれば容疑者が死んでたかも知れないんだよな」

 魔法捜査課は身内にそういう、ちょっとした爆弾を抱えているという事実を思い出して、街中をうろつく連続殺人犯の脱獄囚とどっちが危険だろう、と身震いするのだった。

 そんな事を考えながら、アーネットは周囲に視線を走らせる。繁華街には遠いが、パブやレストランが並び、そこそこ人通りはある。空を見るとすでに夕日はなりを潜め、通りにはガス灯が点き、夜のとばりが訪れようとしていた。昔に比べればだいぶ治安は良くなったが、逆に油断して出歩く人を襲う悪党もいる。やはりジリアンとブルーは組ませておくべきだっただろうか、とアーネットは少し後悔した。


 しばらく歩いて見回してみても、容疑者らしい人間などそう簡単には見当たらない。ナタリーとデイモン警部のチームも散らばって容疑者を捜索しているはずなので、頭数で言えばそっちを当てにして、自分達はあまり散らばらない方が正解だったのではないか、とも考える。

 コートのポケットに手を突っ込んで公園脇の街道を歩いていると、一台の馬車が何やら立ち往生していた。

「おい、大丈夫か」

 アーネットが近付くと、初老の御者が頭を掻いて苦笑して顔を向けた。

「いやあ、占い師さんの言う事は聞いておくべきだった」

「何言ってんだ?いいから、手伝うよ」

「ほんとですかい。恩に着ます」

 それ、と男二人が力を合わせて、どうにか車輪は側溝を外れる事ができた。そこそこの重労働である。

「申し訳ない。お礼に、良ければただで乗せてってやりますよ」

 御者は手を揉みながらそう言ったが、アーネットは辞退した。

「いや、俺はこの辺に用があるんだ。それよりあんた、さっき占い師がどうとか言ってなかったか」

「え?いやね、さっきの話なんですが」

 御者は、少し前にインバネスコートの女を教会の前で降ろした際の出来事を話した。来た道を戻るな、戻れば車輪がはまって立ち往生するぞ、と言われ、その通りになったのだという。

「なんだか普通じゃねえ雰囲気の女でしてね。恰好といえばインバネスコートに男物のハットだし、まだ20代後半くらいに見えるが髪といえば老人みてえな銀髪だし…夜道は危ねえって言ったんだが、あの人が大丈夫って言うんなら大丈夫なんでしょうね」

 御者はアーネットに、礼だと言って紙幣を何枚か手渡して、手綱を握り慎重に来た道を戻って行った。

 アーネットは顎に手を当てて、御者が会ったという女性について考えを巡らせていた。


「普通じゃない雰囲気の女…」

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【WEB版】メイズラントヤード魔法捜査課 塚原春海 @Zkahara13

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