(3)刑事と占い館

「殺人事件と思われる現場で話す事じゃない。あとで、昼食でも取りながら話そう」

 アーネットは、改めて現場となった室内を見回す。

「事件が先だ」

 ジリアンは仕方ない、といった体で捜査に協力することにした。

「死体の状態はわかったが、次は犯人だ。まあ間違いなく殺人だろうという前提で見ていくぞ」

 アーネットの見解に、その場の全員が同意した。

「こんな手の込んだ自殺はないわな」

 ブルーがあっけらかんと話す。どうも、ブルーといいジリアンといい、死体を見てもそこまで動じてはいないらしい。

「春とはいえ、まだ朝は冷える。年配の人間なら、暖炉に火をつけるのは当然か」

 火が消えて真っ暗なマントルピースの内側をのぞきながら、アーネットは言った。

「つまり、暖炉に火をつけたのは犯人ではない可能性もあるのね」

 ナタリーは、足元に転がるレンガの破片を見た。被害者の死体を煙突から取り出す際に、上から落ちてきたものだろう。

「わからない。ただ、死体を煙突に詰める作業には、燃える暖炉は厄介かも知れんな」

 とアーネット。

「死体を詰めてから点火したと?」

「普通に考えるならな。もし、魔法が使われているなら話は別だ。離れた所から死体を動かした可能性もある。いや、その可能性の方が高いかもな」

 しかし何の魔法が使われたのか特定できていない以上、いたずらに結論を急ぐべきではない、とアーネットは思った。

「ブルー、煙突の内部を覗いてみてくれ」

「真っ黒になっちゃうじゃん!」

「煤くらい、あとで魔法で取ればいいだろ」

 そういう問題じゃないんだよなとブツブツ言いながら、ブルーは魔法の杖に光を灯し、マントルピースから焚き口に上半身を入れ、煙突を覗き込んだ。

 中は当然煤だらけで、上部を取り壊しているため明かりは十分あり、内壁はくっきり見えた。

「何も変な所はないよ」

「内壁に、被害者の体や服が擦られた跡はあるか?」

「ないね。取り壊したレンガが落ちて、ぶつかって出来たらしい跡はある」

「なるほど。わかった」

 うへー、と言いながらブルーは上半身を暖炉から出して、お気に入りのライトグレーのスーツについた煤を手で払った。しかし繊維に入り込んで取り切れない煤があり、魔法で取り除こうとブルーが杖を取り出すと、横から

「任せて」

 と、ジリアンが杖をひと振るいする。すると、一瞬でスーツからは黒い煤が払われてしまった。

「あ…ありがと」

「どういたしまして」

 柔らかい少女の笑顔は、今のブルーの生活環境ではあまり触れる事がないためか、妙にドキドキしてしまうのだった。

「君、どこまで使えるの?魔法」

 照れ隠しも兼ねて、ブルーは尋ねた。自分で呪文を唱えるには、それ相応の知識と訓練が必要になる。しかしジリアンは意地悪な笑みを浮かべて

「秘密」

 とだけ答えるのだった。気になる。ひょっとしてブルーと互角の力があるのではないか。そして、今までの話と総合すると、おそらく彼女に魔法を教えたのは、アーネットの元恋人だという、探偵社のカミーユなる女性だ。

 魔女。その存在については、ブルーもそれなりに知っている。しかし―――

「ブルー、来てくれ」

 一人で考え込んでいた所へ、アーネットの声がかかって意識は殺人事件の現場へと引き戻された。

「なに?」

「例の魔法で、気流の記録を読み取れるか」

 アーネットが言うのは、以前の殺人事件で使った、過去に遡って一定の範囲内の気流の流れを再現する魔法だ。

「死亡推定時刻は7時間くらい前と想定して、その少し前に当たりをつけてやってみてくれ」

「いいけど、あれ魔力使いまくるからね。その後、午後までは使い物にならないよ、僕」

「いい。やってくれ」

 ブルーは杖を構えて、「静かにしてね」と全員に言った。

「じゃあ…午前4時くらいに時間を定めるよ」

 とてつもなく長い呪文の詠唱ののち、杖の先端から閃光が弾け、室内には星雲のような虹色の霧がかかった。その光景を、ジリアンは感嘆の表情で眺めていた。


 しかし、何分経っても部屋の気流はまるで変化がない。しかも、人や動物がいたならその部分の気流の形でわかるのだが、室内には人がいた様子はなかった。

「煙突の中も見てみたら?」

 ブルーは暗に、今度は自分でのぞいてくれ、とアーネットに促した。女性に煤だらけになれとは言えないので、今度は自分で焚き口に体を入れる。大人は肩幅があるせいで、ほとんど身動きは取れない。これはこれで検証にもなった。

「どう?」

 ブルーが杖を構えたまま訊ねる。

「あるな。午前4時頃の時点で、すでにあの死体は煙突に詰められていたんだ」

 もういいぞ、とブルーに指示すると、部屋を包んでいた虹色の霧は文字通り霧散してしまった。

「うわっ」

 ブルーは魔力を予想外に使った反動で、立ちくらみに襲われてその場に崩れかけた。ナタリーが支えようと一歩踏み出すが、それに先んじてジリアンが歩み出て、ブルーの背中を支えた。

「おっと」

 支えられた瞬間、ジリアンの胸が左肩に当たる。どうやらそれなりにサイズはあるようで、ブルーは立ちくらみも相俟って、何とも間抜けな表情を晒した。

「大丈夫?」

 ジリアンは、暖炉の向かいにあるソファーにブルーを座らせた。

「凄いね。あんな魔法、さすがに私には無理だわ」

 そうなのか。ウソを言ってるんじゃないだろうかと、物事を斜めから見るのに普段慣れてしまっているブルーは思った。

 左肩に胸の感触がまだ残っている。アーネットならこれくらい何も動じないのだろうか、などと13歳の少年は考えた。 

「ご覧の通り、疲労もハンパないけどね」

「まだ13歳だもの。仕方ないわよ」

 魔法は実のところ体力がものを言う事を、どうやらジリアンは知っているらしい。


「被害者は午前4時ごろには既に死亡していて、煙突に詰められていたようです」

 ひとまずわかった事を、アーネットはちょうどオフィスに帰りかけていたデイモン警部に伝える事ができた。

「なるほど。死因については検死待ちだが、その点はハッキリしたわけだな」

「まだ肝心な事はまるっきり、ですがね」

 アーネットは両手を上げてみせた。警部は握り拳で、その肩をぐっと押す。

「まあ、焦るな。できる事はまだまだある」

「そうですね」

「わしは一旦、本庁に戻る。君らは?」

「近くで昼食を取って、午後は聞き込みをしようかと思っています」

 それじゃ何かあったら連絡してくれ、と言ってデイモン警部は、朝から張り付いていた現場を一旦後にして引き上げて行った。

「さて、我々も一旦ランチタイムといくか」

 アーネットが振り返ると、ブルーは先程の疲労がまだ残っているようで、肩を下げてふらついていた。

「おい、大丈夫かよ」

「大丈夫じゃない。アーネットのおごりで美味しいランチを食べれば元気になると思う」

 人に苦労をかけさせた負い目を最大限に利用して、ブルーはアーネットにたかる事にした。こういう話術は誰から学んだのだろう。俺か、とアーネットは多少責任を感じつつ、財布の中身を確認した。

「よし、わかった。3品まで頼んでいい」

「やった!」

 まあ、かつて散財していた時代に比べれば、これくらいささやかなものだろう、とアーネットは自分を納得させるのだった。



 捜査中の刑事の昼食など質素なものだが、それでもアーネットは「安くていちおう食べられる」店には詳しかった。

 ジリアンを入れた4人で席を取ったカフェも、テレーズ川のウナギのパイだとか代わり映えのない物ばかりだが、少なくとも不味いという事はない店である。

「うちの所長はプロンス出身だから、食べ物にうるさいよ」

 すでに「4人目」として溶け込みつつあるジリアンだったが、部外者である事を他の3人はそのセリフで思い出した。

「あたし貧民街出身だから、食べられれば何でも良かったけど、所長の影響で考えがちょっとだけ変わったな」

 ジリアンが何気なく重い身の上話を始めたため、他の3人の手が一瞬止まった。

「ああ、気にしないで。あたしなんて幸せな部類だったから」

 アーネットは、上手く話題を変える事にした。

「所長と…カミーユとは、なぜ知り合ったんだ」

「拾われたの。所長がまだ占い師やってた頃に、通りでケンカしてた所をね」

 そこでナタリーがツッコミを入れた。

「占い師?」

 今度はアーネットを見る。お前は占い師と付き合っていたのか、と目が問い詰めていた。

「所長もよくわかんない人でさ。いきなりやってきて、魔法か何か知らないけど、腕のひと払いであたしにちょっかい出してきたワルガキどもをブッ飛ばしたんだよ」

 それは魔法なのだろうか、とブルーは魚のフライを口に押し込みながら考えた。どうも、話を聞く限りでは只者ではないらしい。

「あんなチンピラあたし一人でダウンできる、余計な手出しすんなって言ったら、あなたはそういう生き方をしちゃいけない、来なさいって言ってね。そのまま連れて行かれた」

 ほとんど人さらいの扱いである。アーネットは訊ねた。

「…それ、何年前だ」

「えーとね、5年くらい前かな」

「…」

 突然、アーネットが何か思い出すように斜め上を睨みはじめた。

「ひょっとして…会ってないか、君と」

「うん、会ってるよ。扉越しに顔を見合わせた程度だけどね」



「言えよ!」

 なんだかブルーとノリが似ている、とアーネットは思った。アーネットがカミーユ・モリゾと知り合ったのも、だいたいその頃だ。

「だって、カミーユしか…所長にしか用なかったでしょ。あたしの事は、なんかいつも裏で洗い物とかしてる女の子ぐらいに見えてたと思うし。あたしも、よく来るからよっぽど悩み事が多い人なんだろうな、ぐらいにしか思ってなかった」

 それはそれで微妙に不名誉な話ではある。現在は、晴れて所長の元カレだと認識してもらえたらしい。

「あ、カミーユは別に人さらいじゃないからね。あたしに料理も読み書きも教えてくれたし、魔法も、占星術も教えてくれた。あたしの恩人だから、悪く言わないでね」

 悪い人どころか、聖人ではないのか。アーネット達がそう思ったタイミングで、ジリアンは話をそのカミーユの"元カレ"に振ってきた。

「それで、あなたもカミーユから魔法を習ったって本当?」

 目がキラキラしている。単なる10代女子の好奇心だ。

「…本当だ」

 あわよくば何も言わずに終われないか、と期待していたアーネットだったが、そう上手くはいかないのが世の常である。当時の事を思い出しながら、アーネットは語り始めた。ナタリーの視線がだんだん鋭くなっているのを気にしつつ。

「当時、スウォード通りにカミーユは占い館を出していた。あの近くで殺人事件が起きて、俺は聞き込みでたまたまあの店に入ったんだ」

「あー、覚えてる。カーテン職人だかの家に強盗が入ったんでしょ」

「そうだ。そして店に入ったら、カミーユが言ったんだ。『お待ちしておりました、アーネット・レッドフィールドさん』ってな」

 背筋が凍った、とアーネットは語った。

「初対面なのにこっちのフルネームを知ってて、来るのを待ち構えてたんだぞ。恐怖以外に何がある」

「じゃ、なんで所長と付き合…魔法を習う事になったの?」

 ナタリーに気を遣い始めたのか、ジリアンは言い方を変えてきた。

「君と同じだ。半強制的に覚えさせられた。基礎的なものだけどな。『あなたには素質がある。いずれ必要になる時がくる』と言って、定期的に会うように言われた。難解な古代のテキストも読まされたよ。覚えられるもんじゃなかったがな」

 それは交際なのだろうか。ちょっと聞いてたのと話が違うが、ジリアンは黙って話を聞いていた。

「まあ実際、そのとおりになってるけどな。その後、俺は警察内で問題を起こして、新設の部署に厄介払いさせられた。魔法の知識があるらしい、という噂を上層部が口実に利用してな」

「ふーん。それで結局、所長と付き合いはあったの?」

 10代女子代表、ジリアンはそっちの方が気になるようだった。隣から、ナタリーの視線が物理的に突き刺さっているような気がする。

「…あった」

 それだけ言うのがアーネットには精一杯であった。尋問される犯人はこういう気持ちなのか。今度からはもう少し穏やかに犯行を問い詰めるようにしよう。

 しかし、10代女子代表は容赦がなかった。

「なんで別れたの?」

 まだ話させる気か。アーネットは恐る恐る、隣のナタリーの顔を伺った。これは、マフィアが銃を突き付けて白状を強いる時の表情だ。

「…ちょっとした出来事があって、俺の方から別れを切り出した」

 それを聞いたブルーは、いつぞやナタリーから聞いた話を思い出していた。とある女性にプロポーズして振られたショックで、付き合っていた女性全員と別れたという話だ。その中の一人だった、ということか。要するに、ナタリーも知っている話だ。

「それで、それで?」

「これ以上は帰ってカミーユに訊け」

「えー」

 アーネットは「黙れ」と視線を送り、ジリアンはしぶしぶ承諾したようだった。

「わかった」

 残念そうに目を閉じて紅茶を飲む。しかし、これだけしつこい聞き込みができるなら、探偵としてはまあ向いているのかも知れない。

「これだけ答えたんだ。いずれ、こっちの質問にも答えてもらうぞ。なぜカミーユは、占い師を辞めて探偵業なんか始めたのか。なぜ、魔法捜査課を調査しているのか」

「…それだけ?」

 ジリアンはアーネットの顔色を窺った。この刑事が、ふたつの質問だけで終わるわけがない。しかし、アーネットのもうひとつの質問は意外なものだった。


「…探偵業でちゃんと食えてるのか?」

 

 その問いに、ジリアンは思わず噴き出した。

「ぷっ、あはははは、なに?元カノの生活を心配してるの?」

「元カノだろうが何だろうが、要するに一人の人間だ。人間として心配して何が悪い」

「あはは、ほんとに聞いてたとおりの人だね。つっけんどんだけど根は優しいって」

「うるさいな」

 カミーユの奴は所員に何を言ってるんだ。

「安心していいよ。ちゃあんと仕事は入ってる。警察の仕事だって何件か引き受けたよ。占い師はやめて探偵に転身するべきだって、自分で占って結論を出したみたい。あたしのファッション見てよ、これ稼げない人の服装だと思う?」

 何だろう、その人生の反則技は、と魔法捜査課の三人は思った。アーネットは眉間にシワを寄せて、コーヒーカップを口に運ぶ。

「ならいい」

「いま言った事、カミーユに伝えておくね」

「やめろ!」

 とても殺人事件の捜査の最中とは思えない談笑の光景であった。


 しかしその日の午後、そんな4人の呑気な語らいをよそに、事件は予想外の方向に大きく動く事になるのだった。

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