(2)現場と修羅場

「探偵だと?」

 アーネットはジリアンと名乗る、羽根つきのすかした帽子を被った少女を訝しげに見やった。

「そう。モリゾ探偵社」

 その社名に、アーネットがびくりとして僅かな間硬直したのをナタリーは見逃さなかった。

「…聞かない名前だな」

「そうでしょうね。開業してまだ1年ちょいしか経ってませんから」

「あのな。子供の冗談に付き合ってるヒマはないんだ。野次馬でも度が過ぎれば、公務執行妨害でしょっ引くぞ」

 アーネットが自称探偵だという少女に凄んでみせるものの、少女は一向に動じる様子はなかった。まるでケンカ慣れしているスラム街の男のようだ。そして、よく通る声で次のように言った。


「カミーユ・モリゾ。この名前を言えばアーネット・レッドフィールド刑事は納得するだろう、と所長は仰っていました」


 その名前に、今度こそアーネットは黙り込んでしまった。何も言わず、目の前の少女を見ていた。沈黙を破ったのはナタリーである。

「女性の名前ね。私の知らない」

 ナタリーもまた、突っかかるようにアーネットの背後に迫る。哀れなのは、床に横たえられたまま無視される死体である。

 アーネットはその状況を、それとなく切り抜ける事にした。

「も、モリゾ氏の探偵社か。なるほど、了解した。それで、なぜそこの探偵がこの現場に?」

「なぜって、あなたが当社に協力を要請していると、そちらのオハラ警視監より連絡を頂いたんですよ?」

「なんだって!?」

 そんな要請をした覚えはない。アーネットは訊ねる。

「それで、警視監は?」

「許可したので現場に向かって欲しい、と」

「そんな話は聞いていない!」

「じゃあ後で警視監に確認して下さい」

 何なんだ、この遠慮なくずけずけと言ってくる生意気な少女は。

「じゃあ、社員証を見せてくれ。探偵社の」

「はい」

 間髪入れず、少女は法務局の許可印がついた探偵社のライセンスを取り出してみせた。


 『モリゾ探偵社 ジリアン・アームストロング』


 と、確かに記してある。これが偽造でなければ、どうやら本当にこの少女は探偵であるらしい。

「嘘だろ」

「何言ってるのかしら。そちらにだって、私より二つも年下の刑事がいるじゃない。そっちの方が前代未聞だわ」

 ジリアンは腕組みして、ほくそ笑んで言った。言われたブルーもカチンと来たようで、アーネットの前にズイと歩み出て、ジリアンに対峙する。

「言ってくれるじゃん。そういえばさっき、魔女とか言ってたよね。あれ、どういう意味?魔法が使えるとでも言うの?」

「もちろん」

 ジリアンは胸を張る。

「その話は後にした方がいいんじゃないの?死体、持って行かれちゃうんでしょ。検死に」

 親指で死体をジリアンが指差すと、アーネットはやれやれと溜息をつき、腰に手を当てて死体を見た。

「わかった。話は後回しだ、現場と死体を調べよう」

 アーネットは手袋を履き、杖を取り出して短い呪文を唱えた。

「転写魔法だね」

 横からジリアンが口を挟む。

「わかるのか?」

「もちろん。魔女って言ったじゃん」

 ジリアンは、同じように杖を振って自分も呪文を唱えた。

「『鳥の目のごとく四方より観察し記録せよ』」

 その様子を、ブルーは驚愕の眼で見た。

 この少女が言った事はハッタリではない。これは、光景を写真として記録する「転写魔法」の呪文である。要するに写真撮影の魔法版なのだが、壁でも天井でも、記録した画像は好きなところにスクリーン投影できる。欠点は時間が経つと画像がぼやけて行く事で、長期保存するには結局、印画紙などに焼き付ける必要がある点である。

「君は…」

 ジリアンは、絶句するブルーを向いてニヤリと笑った。


「さあ、画像は杖に記録したよ。次は検証だ」

 そう言うと、魔法捜査課がいる目の前でジリアンは死体の観察を始めた。アーネットは黙って見ている。

「さっきの警部の話を盗み聞きさせてもらったけど、死体は煙突の天辺に詰められていたのね。煙突の上は雨避けが強固に取り付けられていて、上から大人が入る事はできない。といって、マントルピースからであっても煙突自体が狭く、大人は入れない」

 そこまで言って、ジリアンはアーネットを見る。アーネットは小さく頷いて、先を進めるよう促した。

「では、死体の様子はどうか。死体は衣服も肌も、煙突の内壁に擦られた跡がない。これは奇妙だ。無理やり押し込まれたにせよ自分で入ったにせよ、大人が体を擦らずにこの狭い煙突の中を移動はできない」

「そうだな」

 ここでアーネットがようやく口を開いた。

「では、この被害者の―――この際、被害者と断定してしまうが、死因はどう見る?」

「それは検死の報告待ち。でも――」

「でも?」

 アーネットはまた何も言わず促す。探偵と名乗る少女の観察眼を試しているのだ。ほんの少しばかり、ジリアンに緊張の色が窺えた。

「焼けてはいるけれど、致死レベルの火傷には見えない…燃えた、というレベルではない」

「よし。じゃあ、それは何故だ?」

 アーネットがさらに促す。

「え?」

「読み取れる要素があるだろう」

「え!?えっと…」

 ジリアンは急にその先の推理を求められたため、即座の返答に窮したようだった。

「へん、何が探偵さ」とブルー。

「何よ!あんたはわかるっての?」

 何を、と二人が牽制し合うのを横目に、アーネットが推理を続けた。

「わかるだろう。煙突は、この死体で埋まっていたんだぞ」

「え?ええと…」

 ジリアンはアーネットの言葉で、煙突に人間が詰まっている状態を想像してみた。今は消されたが、死体の発見時に下では暖炉が燃えていた。

「あっ」

「気付いたか」

「煙突が塞がれていたら、そもそも死体は酸素が足りなくなって燃えようがない」

「ご明察だ」

 アーネットは部屋をぐるりと見まわして、鼻をくんくんと動かした。

「煙突が塞がれていたために、暖炉からの煙は煙突から出られず部屋に充満して、外にまで漂っていった。一方、煙突の中の死体は、燃えることなく熱されて行った。これが、死体が焦げてはいても燃えてはいない理由だ。さらに、熱で苦しんでいたら悲鳴くらい上げただろう。それなのに、すぐ隣の家の人間が声ひとつ聞いていない」

「なるほど、つまり…」

「そうだ。つまり、被害者は」

 ここで、アーネットとジリアンの声が重なった。


「「焼ける前に死んでいた可能性が高い」」


 ジリアンは、アーネットの顔を窺っていた。どうやら、自分の観察が正解かどうか自信がないらしい。

「正解だ、探偵くん」

「おーし」

 拳でガッツポーズを取ったジリアンは、すぐにその手を引っ込めて咳払いをした。

「ごほん」

 自称探偵は、アーネットの推理になるほどと首を縦に振る。構わずアーネットは続けた。

「そうなると、問題は死因だが…こればかりは君が言ったとおり、死体がこういう状態なので検死に任せるしかない」

 アーネットは頭を掻いた。何しろ死体は焼け焦げているうえ、関節がはずれて全身捻じれてしまっているため、解剖しない限り判断のしようがない。

 そうこうしているうちに、警視庁から死体を引き取る係が到着した。5人のチームのうち一人が、アーネット達に敬礼する。

「ご苦労様です。現場の遺体を検死のため、引き取りに参りました」

 死体など見慣れておりますが何か、といった様子で、係員の警官たちは何一つ動じることなく、死体を移送用の袋に入れて、鮮やかな手並みで現場から運び出してしまった。死体はこれより、専用の警察の施設で検死、司法解剖に回される事になる。


 死体引き取りのチームが去ったあと、アーネットは現場をぐるりと見渡した。

「ナタリー、この状況下で一番の謎は何だと思う?」

「そりゃ、何でわざわざ死体を煙突に詰めたかでしょ」

「それも確かにそうだ」

 ブルーもジリアンも同意した。

「でも、私達の仕事はその理由の追及じゃない。どうやって煙突に詰めたか、よ。どう考えても、魔法を使わないでできる作業じゃないわ」

 ナタリーの言う事はすなわち、魔法犯罪特別捜査課が呼ばれた理由である。

「つまり、煙突に死体を詰める過程で魔法が使われた可能性が高い、という事か」

「仮にそうであれば、どんな魔法が使われたか、という事ね。仮に動機や目撃証言で容疑者を追い詰めたとしても、『あんな所にどうやって死体を詰めるんですか』って言われたら、証拠不十分で逃げられる」

「ブルー、お前はどう思う?」

 アーネットは、とりあえず魔法捜査課いちばんの魔法のエキスパートに振ってみた。

「魔法って言っても色々あるからね。真っ先に考えたのは『縮小魔法』だけど」

「縮小魔法?」

「文字どおり、物体を縮小させる魔法。つまり、被害者を死亡させたあとで縮小魔法をかけて、体を小さくした状態で煙突に詰める。そこで魔法を解除すれば…」

 全員が、狭い煙突の中で小さい体が元の大きさに戻り、レンガに押されて体がぎちぎちに詰まって行く様を想像して背筋を凍らせた。あまり体験したくない最期である。

「ただし、シンプルなようでいて、実はとんでもない高度な魔法だよ。僕だって、使うにはかなりの集中力と体力が要る」

「要するに、魔法の熟練者でないと自由には使えないってことか」

 ブルーはうなずいた。

「例のあれで使われてる魔法は、発火だとか浮遊魔法だとか飛翔魔法だとか、魔法の初歩で習うものがほとんどだよね。もし、縮小魔法みたいな高度な魔法まで用意できるなら、大変な事になる」

 すると、そこで黙っていたジリアンがブルーに顔を寄せてきた。

「例のあれって何?アドニス君」

「え?」

 いきなり顔面を近づけられて、ブルーは焦ったようだった。今更気付いたが、ジリアンは美少女と言って差し支えない。

「ななな、何だよ!」

「ねえ、例のあれって何の事?」

 ジリアンの追及は執拗だった。例のあれとは、魔法犯罪に使われている魔法の万年筆の事である。まだ信用しきっていないジリアンの前で、その存在を明かすわけには行かないので誤魔化していたのだ。

「そそそれは秘密だよ!」

「顔赤いよ。照れてるの?」

「誰がだよ!」

 顔を真っ赤にするブルーを、俺もあんな頃があったのかなと思いながらアーネットは眺めていた。咳払いし、ジリアンの方を向いて言う。

「ジリアンとか言ったな。悪いが、まだ君の事は信用していない。なので、信用に足ると確信できるまで、教えられない情報もある事は理解してくれ」

「ふーん」

 ジリアンはブルーから顔を離し、アーネットに一歩近寄って胸を指さし、その場を凍り付かせる一言を言い放ったのだった。

 

「冷たいね、所長の元カレは」


 しばしの沈黙ののち、静寂を破ったのはナタリーだった。

「ちょっと署までご同行願えますか」

「勘弁してください」

「さっき慌ててた理由がわかったわ」

 ナタリーから最大級の軽蔑の視線を送られるアーネットを、十代の少年少女が観察している。

「あーあ、今日がアーネットの命日かな」

「ナタリーさんてあの人の何なの?今カノ?」

「今カノではない。ハッキリ言わないからわかんないんだよな。元カノなのかそうでないのか」

 ブルーとジリアンの会話も、すでに刑事と探偵ではなく学生の立ち話である。

「ところで、なんで僕の名前知ってるの?」

 何気なくブルーが尋ねると、ジリアンもサラリと言った。

「接触する相手の最低限の情報は調べてる。探偵の常識」

「ジリアンのところの所長って女の人なの?」

「そう。レッドフィールド刑事の元カノ」

 ジリアンの余計な一言で、ナタリーはアーネットの足を踵で踏みつけた。アーネットは無言で耐える。

「…なんで探偵社なんか開いた?君のとこの所長は」

 観念したのか、アーネットは淡々と訊いた。

「それは秘密です。こっちを信用してくれたら教えてあげる。『アーネットの事だから信用するまでは大事な事は言わないでしょうね』って言ってたよ、カミーユ所長」

 くくく、と笑いながらジリアンは口元を手で押さえる。ブルーはその様を単純に可愛いな、と思って見ていた。

「なるほど。だいたいわかった。警視監の許可をもらったってのはやっぱり嘘だろう」

 アーネットの指摘に、ジリアンは舌を出して明後日の方向を見る。

「バレたか」

「それもカミーユの指示だな?つまり、最初からこの事件の捜査はどうでもいいんだ。君らの目的は、この魔法捜査課の調査だ。違うか」

 そう言われると、ジリアンの表情は少し真面目なものに戻った。

「敵わないな、さすが所長の元カレ。でも、ちょっと違う。事件も観察の対象ではあるんだよ」

「誰に依頼された?探偵社は依頼がなきゃ動かないだろう」

 ここで、ジリアンは言葉を詰まらせた。

「言えない事があるらしいな」

「そっちだって肝心な事を言ってないよ」

 ジリアンの目には、どこかアーネットに対するライバル心のようなものが垣間見えた。

「わかった。では、君が私立探偵として捜査に関わる事を許可する。事件の解決までな」

「やった!」

「信用できると判断した時点で、こちらも必要な情報は開示する。そのかわり、そっちも隠してる事は説明してくれ。それでいいな」

「わかった。そう所長に伝えておく」

 アーネットは、とりあえず仮の契約成立の証に、手袋を脱いで握手を求めた。ジリアンも黒い革手袋を脱いでそれに応じる。

「あのさ。実のところ、元カレっていう話だけは聞いてるんだけど、なんかもっと隠してる気がするんだよね、所長。気になるから教えてくれる?捜査には関係ないでしょ」

 ジリアンは探偵というより、ただの女学生にも思えた。育ちはあまり良さそうでもないが、何となく躾けられているようにも見受けられる。

 アーネットは、ジリアンよりもナタリーの視線が怖いので、諦めて話して楽になる方がいい、と判断した。


「彼女は…カミーユ・モリゾは、俺に魔法の素質がある事を見抜いて、魔法の使い方を教えてくれた『魔女』なんだ」

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