煙突掃除夫殺人事件

(1)自称魔女探偵

 例によって朝から小雨がしとしと降る、メイズラント首都リンドン。人々は傘をさし、道路脇に転がる雨で湿った馬糞に、顔をしかめながら歩いていた。

 

 メイズラント警視庁地下、魔法犯罪特別捜査課は、本日も比較的ヒマである。今日は少年刑事ブルーことアドニス・ブルーウィンド13歳による、大人の男女刑事2名への魔法の講義が行われていた。

「これくらいの呪文はソラで唱えられるようになっておくべきだね。呪文を収めた魔法の杖がいつでもあるわけじゃないよ」

 ブルーは共用テーブルに右手をつき、左手に何やら呪文が羅列された本を持って、大学の教授よろしく、デスクで講義を受ける大人たちを文字通り見下ろしていた。

「そんな長ったらしいの、どうやって覚えろっていうんだ」

 自称名刑事アーネット・レッドフィールドは眉間にしわを寄せ、魔法で複製された講義テキストを睨みながらぼやいた。

「私は唱えられるわよ」

 さも自信ありげに胸を張るのは、巻毛をボブカットにした女性刑事ナタリー・イエローライトである。

「ほんとかよ」

「"光よ現れよ、足跡を辿りて彼の元への道しるべとなるべし"」

 それは古代の言葉による、対象を追跡する魔法の呪文であった。一般人が聞いただけでは、何を言っているのかわからない。

「あー、惜しいんだよなあ。”足跡”の前に”彼の”が入らないと、誰の足跡かわからない」

「だとさ、ナタリー」

 半開きの目でほくそ笑むアーネットに、ナタリーは「一行も暗記できてないくせに」とぼやいた。

「まあ確かに、あらかたの呪文は杖に書き込んであるから、呼び出せば一発で使えるんだけどさ。呪文の組み立てを覚えておくと、臨機応変で効果を微妙に調整できたり、そのへんの棒切れを杖にして発動できたりするから、身に付けておいて損はない」

 ブルーはテキストを仕舞いながら言った。講義は終わりか、と他の二人は安堵の溜息をつくのだった。

「杖というか、発動体って必要なの?」

 ナタリーは腕の屈伸をしながら訊ねた。

「端的に言うと必要。どう例えればいいかな…そうだな、たとえば素手で釘を打てる?」

「なるほど」

 ナタリーは、例え話が上手い奴だなとブルーを見て思った。

「僕の先生クラスになると、素手で魔法を発動できるけどね。素手どころか、足からでもお尻からでも」

「尻から!?」

 見てみたい、とアーネットは強く思った。尻から魔法が放たれる光景を。

「まあ、それでも杖を使った方が安定して魔法を放てる。それも、魔法用に選別された素材を、正しい形状に加工したものがベストだ。相性もあるけどね。よし、次回の講義は杖についてだな」

 何やらブルーの講師ぶりも板についてきた。案外、将来は教鞭を執るような事もあるかも知れない、とアーネットは思った。


「発動体といえば、例の黒い魔法のペンだけどな」

 アーネットはデスクの抽斗から、魔法犯罪の実行犯より押収した、魔法の心得がない一般人でも魔法を使える万年筆を取り出した。

 見た目はどこにでもある万年筆で、外見的には分解しても特段変わった所はない。ただ見分けをつけるためなのか、いくぶん太めに作られてはいる。

「このペンは、いわゆる魔法の杖とは別物なんだよな」

 確認するように、アーネットはブルーに訊いた。

「万年筆そのものは単なる容器にすぎない。発動体は封じられているインクだよ」

 ブルーは一本のペンのキャップを開け、紙の上に線を引いた。

「このインクの成分そのものは、どこにでもあるインクと変わらない。魔法がかかってる以外はね」

 

 初めてこの「魔法のペン」が発見されたのは、魔法犯罪特別捜査課が発足する少し前の殺人事件現場である。単なる犯行現場の遺留品だと思われていたが、一応他の物と一緒に保管はされていた。

 その後、課が発足して改めて魔法犯罪として現場検証が行われた際、ブルーがこのペンから僅かな魔力を感じ取った。そこでブルーが師匠の助けも借りつつペンを検証した結果、一般人が魔法を使えるペンである事が判明したのだ。


「このインクには、魔法の呪文が封じられている。それを、使用者が名前を書く事で発動する」

 ここにいる全員がわかっている事だが、復習の意味もあってブルーは改めて解説した。

「したがって、インクがなくなれば魔法は使えなくなる」

「偽名を使うとどうなる?」

 アーネットは尋ねた。

「発動する事も稀にある。僕の子供の頃の仇名を書いてみたけど、発動した魔法の効力は弱かった」

「どういう原理なんだ?」

「名前っていうのは、自分の存在を明確にするひとつの手段に過ぎない。その名前をどれだけ自分が、強固に認識しているかが重要なんだ」

 幼い頃から常に呼ばれてきた名前は、その人間自身の意識に固定される。このペンで自分の名前を書くと、それがインクに封じられている魔法に対する「発動命令」になるのだ、とブルーは言う。

「何者がこの仕組みを考えたのかはわからない。ただ、魔法の発動原理を完璧にマスターしている人間なのは間違いない」

 ブルーの目からは、普段の飄々とした色が失せて真剣なものになっていた。アーネットは、ペンをクルクルと回しながら言った。

「明らかなのは、これが犯罪に使われるのを想定して流通させられている事だ。今まで発見された5本のうち、4本は犯人が死亡ないし逃亡していてわからなかったが、この間の事件の犯人は、黒いコートの男が話しかけてきた、と証言している」

 アーネットは、その後の調査をまとめたファイルをペラペラとめくる。だが、進展らしい進展は見られていない。

「これだけの物を用意するのに、個人や少数のグループというのは考えにくい。組織と言っていい規模だろうな」

「流通が向こうからの一方通行なのも不気味ね。どうやって、売る対象を決めているのかしら。しかも、その人がそれをどう使うかはわからないのよ」

 ナタリーの疑問は当然だったが、アーネットにはある程度まとまった推測があるようだった。

「その組織は、ペンの効果をテスト、リサーチしているんじゃないだろうか。購入した男によれば、販売価格はそれほど高価でもない。まるで、新製品の試験をしているように俺には思えるんだ」

「何のために?」

 ナタリーが言うと、全員が黙ってしまった。


 そんな話をしていると、ジリリリと電話のベルが地下室に鳴り響いた。比較的鳴る頻度は低いため、全員が身構える。アーネットが受話器を取り、呼吸を整えて応えた。

「はい、魔法捜査課です」

『私だ』

 そう言ったのは、魔法捜査課の直属の上司にあたる、オハラ警視監であった。

『仕事だ。パットン通り12-5で、住人と思われる人物の遺体が発見された。アストンマーティン警部が既に調査に当たっているが、君を指名してきた』

「つまり…」

『君達の案件の可能性が高い、という事だろうな。詳しくは現場で警部から聞いてくれ』

「了解しました。魔法捜査課、現場に向かいます」

 チン、と受話器を置くと、アーネットは他の二人を見た。

「パットン通り12-5だ。行くぞ」

 ナタリーとブルーは立ち上がり、魔法の杖を確認するとアーネットに続いて、足早にオフィスを後にした。



 パットン通りは小売店は少ないが、石屋だとか配管工、左官屋といった職人が多くいる地域である。事件が起きた番地もまた、引退した煙突掃除夫の事務所を兼ねている家だった。

 アーネットたち3人が到着した時には、すでに野次馬の人だかりができていた。

「おい、警察だ。道を開けてくれ」

 アーネットが警察手帳を示して何度か声を張り上げると、ようやく気付いて群衆が道を開けた。

「殺人事件か!?」

「どうなんだい、お巡りさん」

「それをこれから調べるんだよ。ほら、どいて」

 いつもこれだ、とボヤきながらアーネットが先頭を切り、後にナタリーとブルーが続いて、ようやく建物の玄関に辿り着いた。入口には帽子をかぶった警官が立っている。

「魔法捜査課のレッドフィールドだ。現場は?」

「はっ、玄関を入って左手の居間になります」

「前の現場で会ったか?」

「はい!ローバー邸の事件で」

「そうか。ご苦労」

 アーネットが敬礼し中に入ると、あとの二人も敬礼して続く。ブルーも少しずつ警察内で認識されてきているらしく、少年であってもきちんと敬礼を返してくれる警官が増えてきた。


 現場である居間の前にも、警官がひとり立っていた。何やら、不快な匂いが立ち込めている。

「ご苦労」

「ご苦労さまです」

 現場に入ろうとするアーネットに、警官は注意を促した。

「だいぶアレな現状ですので、心してください」

 警官はアーネットではなく、ブルーを見ている。子供にはキツイ何かがある、という事だろう。

「ブルー、どのみち刑事が通過せにゃならん儀式だ。俺はお前も刑事として扱う。覚悟はいいな」

 ブルーはあっけらかんとしたもので、

「うん」

 とだけ答えて、さっさと入るよう促した。なかなか肝の座った少年なのか、単に知らないだけなのか。アーネットは「よし」と言って、まず先に部屋に入った。中には老刑事一歩手前のベテラン、デイモン・アストンマーティン警部が腕組みして立っていた。床にはなぜか、砕けたレンガやその粉が散乱している。皮が焦げたような不快な匂いも充満している。匂いの元はこの部屋らしい。

「警部、遅くなりました」とアーネット。

「来たか」

 デイモン警部は振り向いて、3人に敬礼した。ブルーに対してもきちんと向き合っている。

「遺体は?」

「こっちだ」

 警部が指差した先には、布で覆われた遺体があった。

「拝見します」

 アーネットは一応先輩として、まず一人だけで布をめくって遺体を確認した。うっ、と声を上げたので、ナタリーとブルーは身構えた。

「これは…」

 振り向いて、ナタリーに合図をする。ナタリーは小さく頷いて、OKだと返事をした。バサッと布が取り除かれる。

「何これ?」

 そう言ったのはナタリーだった。ブルーは「うげー!」と大袈裟にジェスチャーしてみせる。大丈夫そうだ。


 その遺体は、年配の男性である事はわかった。問題は、遺体の状態である。

 全身がいくらか焼け焦げているのは、火災の現場で見るそれと同じだった。煤で真っ黒になっていて、髪はチリチリに縮れている。そこまでは、無惨ではあるが、比較的よく見る遺体であった。


 難解なのはその遺体がまるで、型に入れられて焼き上げられたブランデーケーキのように、四角い棒状に固まっていた事である。

 肩の関節は完全に外れており、左肩は胴体の前、右肩は後ろ側に向かって曲げられ、腕や足腰の関節も折り畳まれ、捻じれた状態で熱されたらしく、さながら食欲の湧かないローストビーフといったところである。


「見てのとおりだ。長年刑事をやって、一冊の本を書けるくらい様々な死体を見てきたが、こんなのは初めてだ」

 デイモン警部の言い方もなかなかに背筋が寒くなるが、その警部が見たことがないのだから、他の面子が驚くのは当然であった。

「この遺体はどこにあったんです?まるで狭い煙突にでも詰められていたかのようだ」

 アーネットがそう言うと、警部は言った。

「レッドフィールド君、そのまさかだよ」

 警部が指差したのは、暖炉の煙突の上側であった。


「遺体は、煙突のてっぺんに"詰められて"いたんだ」


 警部の案内で、3人はいったん家の外に出た。ぐるりと居間の暖炉側に回ると、煙突に梯子がかけてあり、煙突の天辺は片側が取り壊されている。

「まさか…」

 アーネットは見た瞬間に理解したが、それを受け入れるには時間がかかった。警部が説明した。

「見てのとおりだ。死体はあの部分にあった。腸詰めのように完全に詰められていて、煙突を壊す以外に遺体を外に出す方法がなかったのだ」

 警部はそう言ったが、それは大きな疑問を伴うものだった。

「取り出す事ができなかったという事は…」

 アーネットが訊ねる。警部は答えた。

「そうだ。どうやって入ったのかもわからない、ということだ」

「あの煙突の大きさは?」

「比較的狭いタイプだ。子供の掃除夫でも、体格しだいでは身動きは取りづらいだろうな」

 つまり、大人であれば身動きどころか、入る事じたいが出来ない。

「警部は、これは事故ではないと?」

「うむ。これは殺人事件だ。それも、おそらく…」

「魔法犯罪だと?」

 アーネットに、デイモン警部は頷いて返した。

「わしも長年この稼業をやっている。これは専門家が扱う事件だ。毒殺事件なら、犯行動機などから犯人に近付く事はできても、毒の内容はわからん。それと同じ事だ」

 デイモン警部は、アーネットの目を見て言う。

「容疑者の推定までなら、わしもできるかも知れん。だが、もし容疑者が魔法を使っていたなら、通常の捜査ではその証拠を挙げる事ができない。そこから先が君たちの仕事だ」

「まだ、魔法犯罪だという確証までは至っていませんか?」

「君たちはどう思う?この現場を見て」

 デイモン警部は煙突から、家全体をぐるりと見まわして言った。

「そうですね…まず、こちらも現在の情報を全て知りたいところです」

 アーネットはそう言って、説明を促す。魔法捜査課であっても、要するに犯罪捜査のための課であって、基本は通常の捜査課と変わらない。


「うむ。死体の人物はこれから検死に回す事になるが、身体的特徴からいってこの家の住人で元煙突掃除夫、ロホス・バルテル氏67歳と思われる。」

 デイモン警部の頭には、すでに現在の情報は全て入っているらしかった。

「家族はいない。娘は結婚してベイルランドに嫁いでいる。数年前に、同居していた妻が離婚して出て行って以来、一人で生活していたようだ」

 ベイルランドとは、メイズラントの北部にある連合王国のひとつである。アーネットは訊ねた。

「離婚の原因は?」

「そこまで詳しくは、まだわからん。捜査の進展待ちだ」

「煙突掃除夫といいましたね」

 アーネットはその点が引っかかっていた。煙突掃除夫が、煙突の中で死んでいるというのは何とも因果な話だ。あるいは、事件に関係するのか。すでに、アーネットの脳内では推理が始まっていた。

「死亡推定時刻は?」とアーネット。

「何しろ特殊な状況なので、難しい所だが…死後硬直の様子から、6~7時間といったところだと見ている。」

「第一発見者は?」

「隣の鍛冶屋の奥さんだ。先刻、自宅の二階で洗濯物を干していたら、この家から妙な臭いがするのに気が付いて警察に連絡した。煙突の先に、死体の頭頂部が出ているのが見えていたそうだ」

「なるほど」

 さすがに、これ以上の情報は捜査待ちだろうなとアーネットも思った。

「一応、俺たちなりに現場を見させてもらいます。何かわかったら…」

「うむ。互いに情報交換といこう」

 アーネットは頷いて、「では」と言ってナタリーとブルーを手招きした。

「ということで、放っておくと死体が検死に回されてしまう。その前に入念に見ておこう」

「げー」

 ナタリーとブルーは、揃って舌を出して抗議した。


 ところが、3人が現場の居間に戻ったところ、見覚えのない人影がひとつあった。

 背丈はブルーより少し高い、ニッカポッカをロングブーツに入れた、長い髪の少女であった。

「失礼。ご家族の方ですか」

 アーネットは、死体と思われる人物に家族はいないと聞いていたので訝しんだが、年齢的に言って孫の可能性もあると見て、いちおう訊くことにした。

「え?ああ、違う違う。あたしは探偵」

 凛とした、高い声が返ってきた。その返答内容にアーネットはさらに首を傾げる。

「済まない、聞き違いでなければ…いま探偵と言ったかな」


「聞き間違いじゃないよ!あたしは探偵。モリゾ探偵社の美少女魔女探偵、ジリアン・アームストロング15歳!よろしくね、魔法捜査課のみなさん」


 魔法捜査課の面々は、頭に特大の疑問符を浮かべながら、今すぐ警官に引き渡してこの不審な少女をつまみ出すべきだろうか、と考えた。

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