(7)医師アダムス

 リカー・ロード12番地の、潰れた酒屋の隣の古いビル1階奥に、ウッドマンと名乗る闇業者の仕事場があった。ここは自宅ではなく、名義も誤魔化して、何かあればいつでも逃げられるように準備されていた。

 アーネットとブルーはその部屋の前に立ち、年季の入った安っぽいドアをノックした。

『はい』

 ドアも開けず、ボソボソとした声が返ってきた。

「ジャマールから話を聞いてると思うが、警察の者だ」

 ほんの少し間を置いて、鍵を開ける音がした。よく見ると、ドアノブと鍵だけは新しいものに替えてある。

 情けない音を立ててドアが開くと、予想していたよりも小綺麗な風体の男の顔がのぞいて見えた。まだ若いが、口ひげを生やしている。髪は丁寧になでつけてあった。黒いスラックスにグレーのシャツと、あまり明るい印象ではない。

「どうぞ」

 中に入るよう促されたので、アーネットたちは足を踏み入れた。室内は余計なものがなく、がらんとした部屋の奥にデスクがあり、男が座るための椅子以外はテーブルもソファーも何もない。話は手短に終わらせてさっさと帰すための措置だろう。デスクの上には虫眼鏡や顕微鏡など、持ち込まれたものを鑑定するための道具が置いてある。

「俺を逮捕しにきたわけではない事を確認したい」

 ウッドマンは堂々と、自分が逮捕されるような種類の人間だと言ってのけた。

「安心しろ。俺はお前の事なんか何も知らない。単に古物買取なんかをやっている人間だ、という情報しか知らない。聞きたいのは、水晶の指輪を売りに来た人物についてだ」

 アーネットが言うと、ウッドマンは小さくうなずいてデスクに座った。

「ジャマールから聞いたかも知れないが、そいつは顔も隠していたし、コートの下はわざと着ぶくれさせて体型もわからないようにしていた。背丈だけは誤魔化せなかったようだ。あんたより少し低いかな」

「なるほど。持ち込んだ指輪は、確かに水晶だったんだな」

 ウッドマンは再びうなずいた。

「古いものだというのはわかった。だが、それだけだ。デザインからも、考古学的な価値は見受けられない。ただ古いだけの水晶の指輪だ。台座は金だが、指輪としてはわざわざ取り引きするほどの価値はない」

 アーネットはブルーと顔を見合わせて、再びウッドマンを向いた。

「男はそれを持って帰ったんだな」

「ああ。出処も不明だと言うし、台座もカットも大雑把だ。何より様式がどんな系統にも当てはまらない。昔の無名の人間の習作だろう、考古学的価値はないよ、と言ったら残念そうに帰って行ったよ」

「まあ想像はつくが、男は身元については一切言わなかったんだな」

 ウッドマンはうなずく。

「なるほど、わかった。聞きたい事はそれだけだが…お前のような別の業者に持ち込んだとしても、やはり鑑定結果は同じだと思うか?」

「あれに高値をつけるような能無しがいたら、この業界じゃ3日で廃業さ」

 ここでウッドマンは初めて、小さな笑みを見せた。つまり、おそらく指輪は今も盗んだ犯人の手元にある可能性が高い、ということだ。ヤケになって捨てたりしていなければの話だが。

「わかった。邪魔したな」

 それだけ言うと、アーネットはブルーを連れてウッドマンの仕事場を後にしようとしたが、ウッドマンはアーネットを呼び止めた。

「ひとつ言っておくぜ。さっきあんた、そいつを『男』と言ったが、体型は誤魔化していたからな。女の可能性だってある。出土品の鑑定なら大学の先生にも負けないが、変装を見抜く自信はない」

「なるほど。わざわざ助かるよ」



「めちゃくちゃ胡散臭い男だったね」

 古い石畳を歩きながら、ブルーは顔をしかめた。

「まあ、ああいう界隈の人間なんてそんなものだ」

「けど、結局指輪の行方はわからず終いか」

「そうでもない。わかった事はいくつかある。まず盗んだのは成人だということだ。だがウッドマンが言ったように、男か女かはわからん。ただ、聞いた限りの印象からすると、まあ男だろうな」

「それだけ?」

 ブルーが言うと、アーネットは腕組みした。

「もうひとつ。こういう、裏の社会にも詳しい人間だという事だ。でなけりゃ、あんな闇業者に辿り着けると思うか?」

「なるほど」

「ナタリーもそろそろ何か得ている頃だ。戻って、情報のすり合わせだな」


 地下室のオフィスに戻ると、ナタリーは情報局から流してもらったレポートを読んで、色々と情報を整理しているところだった。

「おかえりー」

 アーネット達が戻ると、ナタリーがいつもの調子で出迎えた。目は手に持ったレポートから一切動かさない。

「なんかわかったか」

「色々とね」

「こっちは色々というほどではないが、当たりだ。指輪を闇業者に売りつけにきた人物がいた」

 アーネットが言うと、ナタリーが目線を上げてたずねた。

「本当?」

「ああ」

 先程得た、窃盗犯とおぼしき謎の人物についての情報をアーネットは説明した。

「なるほど」

 言いながらナタリーは手元のレポートに、何やら鉛筆でチェックを入れていく。

「なんだそれ」

「例の、ワーロック伯爵の血縁の人物リスト」

「ほう」

 アーネットは横からのぞき込むが、なんだか意味不明の暗号が羅列されている。

「なんだ?この暗号文は」

「情報局の人間しか読めないの。残念でした」

 言いながら、ナタリーは血縁関係者リストから女性と子供を外していった。アーネットの推測を信じて、犯人は成人男性だと当たりをつけたのである。

「でもなあ」

 独り言のようにナタリーがうーんと唸った。

「お金に困ってる人物が怪しい、ってこのあいだ目星をつけたでしょ。でも、情報局の調べでは、そんな人は血縁関係者にはいないみたい」

「まあ、伯爵家だしな…金目で盗みを働く必要はないか」

「そこでね」

 ナタリーは、もう一枚のレポートを取り出した。

「ブルーが怪しいって言った、あの医者。色々考えたけど、私も怪しいと思い始めたの」

「おー、賛同者だ」

 ブルーがパチパチと手を叩いてみせる。

「念のため、あのアダムス医師についても調べてもらったのね。彼が血縁だというデータは、少なくとも今現在手に入る資料からはないらしい。けれど、これを見て」

 ナタリーが二人にレポートを見せた。しかし、

「暗号じゃ俺たちには読めんのだが」

 というアーネットのツッコミが入ったため、ナタリーが咳払いして読み始めた。

「パーシー・アダムス、現在41歳。医師としての経歴は、ざっくり『超優秀』だと言っておく」

 細かく説明してもどうせ二人にはわからないだろう、という配慮である。

「内科、外科、精神医学まで手掛けてる。22歳でふたつ下の女性と結婚、いま18歳の一人娘がいる。国立病院に勤務したのち32歳でリンドン市内に『アダムス医院』を開業。その腕を見込まれて、5年ほど前にワーロック伯爵の主治医となり、定期訪問して診療しているようね」

「立派なもんじゃないか。それこそ金に困ってるとは思えないが」

 アーネットの言う事はもっともだった。

「ところがそうでもない」

「なに?」

「あの真面目そうな外見からイメージわかないけど、どうも軽いギャンブル中毒のようなの」

 アーネットとブルーは顔を見合わせて訝しんだ。

「競馬はもちろん、ダイスゲームにも目がないみたいで、どうも違法賭博にも手を出しているフシがある」

「確かなのか」

「あの人、階段で転んだって言ってたでしょ。実は、自宅とか勤務先ではなくて、違法賭博の疑いがかけられているクラブの、裏手にある階段だったらしいの。目撃者もいる」

 ブルーはさすがに予想外だったようで、目を丸くしていた。

「それで、負けが込んで金に困ってるってのか」

「今の所、そこまで困っている様子はない。けれど、どうもそれ以外にも色々好事家の側面もあるみたいでね。珍しい海外の物品だとかの収集癖もあって、奥さんや娘からも色々言われてるみたいよ」

 だんだん、話の内容が井戸端会議じみてきた。

「稼いでる人物かも知れないけど、お金を求める動機はある、っていう事よ」

 ナタリーがそう言うと、アーネットはいつもの癖で、顎に指をあてて思案した。

「本当に金が目当ての盗みなのかな」

「どういうこと?」とナタリー。

「金が要るなら、直接金を盗むと思わないか」

 ナタリーとブルーは、そう言われると確かに疑問ではある、と思った。

「あんな、まわりくどい合言葉まで使わなきゃならないようなものを狙うくらいなら、普通に金庫から金を盗む方が、話は早いんじゃないか?」

 確かにそうだ、とブルーも思った。何しろ盗みの現場は伯爵家である。現金なり普通の宝石なり、少なくとも魔法のロックを破るよりはまだ容易に、即座に価値がわかる物を盗めたのではないか。

「ナタリー、さっきあの医者が好事家だって言ったな。つまり、価値の基準は金ではない、としたらどうだ?」

「趣味人、ってこと?」

「そうだ。ギャンブルも金を得るのが目的なんじゃない。単にスリルを求めての行動だとしたら、どうだ」

 なるほど。アダムス医師が怪しいという所まではナタリー達も行き着いたが、アーネットの推測はその先を行っていた。

「よし。あの医者に事情聴取だ。ナタリー、あの医者が入院してるのは国立病院だったな」

 外套を手にアーネットが外出準備をすると、ナタリーは「待って」と言った。

「あの人、入院中にまた階段で転んで、左腕を打撲したそうよ。行ってもすぐ事情聴取させてもらえるかわからないわ」

「は!?」

 ナタリーと全く同じ反応を見せたアーネットだったが、とりあえず行くだけ行ってみよう、という事になったのだった。



 そのアダムス医師の病室に、一人の来客があった。ワーロック伯爵、デニス・オールドリッチその人である。入院が長引くかも知れず、来週は訪問できないかも知れないと連絡したところ、わざわざ見舞いに訪れたのだった。

 アダムス医師は、入院用の白い薄手のガウンを着て、ベッドに上半身を起こして、伯爵の前でかしこまった。

「いや、伯爵御自らお越し頂くとは恐縮です」

「なんの。先生には世話になってますからな。しかしまた、入院先でも転倒されるとは何とも運がないことで」

「幸い、骨は何ともありませんので、不幸中の幸いでした」

「無理はなさらないで下さいよ」

 ワーロック伯爵の言葉に、アダムス氏は感銘を受けているようであった。

 そうしているうち、病室を誰かがノックした。

「はい、どうぞ」

 アダムス氏が言うと、失礼します、と言って入ってきたのはアーネットとブルーであった。

「おや、魔法捜査課のお二方」

「あれっ、伯爵?」

 ブルーは少々予想外だったようだが、アーネットは落ち着き払って言った。

「これは伯爵。いや、聞き込みの最中なのですが、ご迷惑だったようであれば、出直しますが」

「いや、いや。私もちょうどこれから、秘書と行かなくてはならない所があるんです。キリのいいところで、私はお暇しましょう」

 そう言って立ち上がる伯爵も、悠揚迫らぬ物腰だなとアーネットは思った。本物の金持ちとはこういうものか。

 それではお大事に、とアダムス医師の病室をワーロック伯爵が後にすると、改めてアーネットは手近な椅子を引き、アダムス医師に向き直った。

「この間、伯爵のご自宅でお会いしましたが、医師のパーシー・アダムスさんですね」

「はい。なにか」

「いえ、ちょっとした聞き込みをしておりましてね。怪しい人物を目撃していないか」

「ほう」

 アダムス医師の表情は特に変化がなかった。

「私で協力できる事であれば」

「では、伺います。あなたはワーロック伯爵邸に日常的に出入りしておられるが、誰か見慣れない、不審な人物がここ最近立ち入っていた覚えはありませんか」

「不審な人物、ですか」

 アダムスは肘に手を当てて、目を閉じて考え込んだ。

「うーむ、いや私が覚えている限り、特段変わった人物は見ておりませんねえ」

 アーネットは、アダムスの表情が本当の事を言っていると思えた。ウソをついている人間の表情というのは、優れた刑事にはわかるものである。

「何かあったんですか、伯爵邸で?」

「いえね、最近ああいった裕福な家を狙った、窃盗や詐欺事件が多発していまして。ご家族だけでなく、身の回りの関係者の目撃情報も知っておこうと思いましてね」

「それは伯爵からも伺っておりました。何とも物騒な話ですが、あいにく私は何も見ておりませんので…」

 アーネットは、やはりアダムス医師の表情に落ち着きがある事を見て取った。何か隠し事がある人間は、必ず言葉や表情、仕草のどこかに綻びを見せる。しかし、彼にはそれが全く見られない。

 しかし、アーネットは病室を見回して、一つの物を見てアダムスに質問した。

「いや、わかりました。伯爵邸は今の所安心して良さそうだ。ところでアダムスさん、良い時計をお持ちですね」

 アーネットは、サイドテーブルに置いてある銀色の懐中時計を見て言った。とたんにアダムスの目が輝く。

「おわかりですか。トワイズ国のブラン社製です」

 いいぞ。食い付いてきた、とアーネットは思った。

「ブランはお高いでしょう。いや、お値段は聞かないでおきます。心臓に悪い」

「ははは、どちらをお使いで?」

「ハリスンのを」

「ハリスンもいいメーカーでしょう。我が国でもなかなか海外に引けを取らない」

 何やら時計マニアどうしの会話が始まったので、13歳の少年は全く参加する余地がなかった。

 もっとも、これはアーネットがアダムスの趣味嗜好を判断するため、わざと持ち出した話題である事も勘付いてはいた。どうやら、好事家というのは本当らしい。

 さて、ここからどう指輪の話を振るつもりなのかと、ブルーはアーネットの話術を観察する事にした。

「時計とか宝石とか食器とか、お好きでしょう」

 アーネットはいかにも自然に話を振る。上手い。宝石を他のふたつに挟むことで、それだけを強調しないようにしている。

「いや、わかりますか」

「そういう趣味がある人は、どこか違いますよ。スプーンとかソーサーも、指輪やブレスレット並みにこだわるんじゃないですか」

「いや、妻と娘に溜息をつかれる毎日ですよ」

 ナタリーの情報どおりだ。このぶんだと、ギャンブル中毒というのも多分本当だろう。

「そんないいものを持っていると、それこそ盗難の心配がありますね。伯爵だけじゃない、気をつけてくださいよ。私の知人も最近、たいへん大事にしている指輪が盗難に遭いましてね」

 アーネットの言葉に、アダムスは少し動揺したように見えた。

「盗難届けは出したものの、いかんせん小さなものなので、探すのは難しい。最悪の場合は諦めるらしいですが、大変落ち込んでおりました」

 なるほど。こういう風に話を持っていくのか、とブルーは感心した。警察を辞めても詐欺師か何かで食って行けるんじゃないだろうか。

「アダムスさん、顔色が良くないようですが」

「いや、失礼。少々話しすぎてしまったようです」

 アダムスは、ベッドわきにあるベルの紐を引いた。カランカランとどこかで音がして、ほどなく看護婦が駆け付けてきた。

「どうされました、アダムスさん」

「いや、ちょっと喉が渇きまして。少々体もだるくなってきました」

「起きてるからですよ。いまお水を持ってきますから、安静にしててください。」

 看護婦はアーネット達を見咎めると、眉をひそめて言った。

「病室に長居するのはご遠慮くださいまし」

 看護婦にそう言われると、アーネット達はやりようがない。ここは立ち去るしかなさそうだった。

「アダムスさん、ご協力ありがとうございました。長居して申し訳ない。これで我々は帰ります、どうかお大事に」

「いえ、こちらこそ。お仕事ご苦労様です」

 アーネット達が出ていくと、アダムスはベッドに横になって、ふうと息をついて目を閉じた。


「あとひと押しだったのにな」

 ブルーは病院のエントランスを歩きながら悔しがったが、アーネットはそうでもなかった。

「いや、あそこであれ以上何か聞き出すのは難しいだろう。仕方ないが、ひとまずあれでいい」

「アダムスはクロだと思うの?」

「多分な」

 しかし、アーネットがひとつ気になることは、アダムスがほとんどの場面で平静を保っていた事だった。

「ふつう、隠し事がある人間は、警察の職務質問には始終動揺を見せる。前回の事件の犯人みたいにな。だが、あの医師はひとつの瞬間を除いて、基本的に平静を保っていた」

「そういうの得意なんじゃない?ギャンブル好きなら、文字通りポーカーフェイスもお手の物なんだと思うよ」

 ブルーの言うこともそれなりに理屈は通るが、アーネットには何か引っかかるものがあった。

「何か、ここに事件の鍵があるような気がする」

「鍵って?」

「まだわからん」

 ブルーは肩をすくめて、何のこっちゃと呆れていた。曇り空のまま、リンドンは夕刻を迎えようとしていた。

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