(6)情報屋ジャマール
メイズラント首都リンドンの南部に、ブロクストン通りはある。ここはかつて奴隷として南の大陸から連れてこられた移民の子孫が多く、地元民による差別、迫害などの問題が多い地域である。むろん治安は比較的悪く、犯罪者の温床となっている側面もあった。
やや排外的な思想を持つヘイウッド子爵などは、移民を全て大陸に送り返すべきだ、などと主張しているが、すでにここで生まれ育った者も多く、問題は複雑であった。
とはいえ近年は昔に比べると、まだ治安はいくらか良くなっており、それなりに店や屋台が営業はしていた。もっとも、それらを経営しているのが主に「そっちの方面」の人間だから、というだけの話でもあるが。
馬車を降りたアーネットは、古びたマンションの下に怪しげな露天商が並ぶ一帯を過ぎると、少し開けた公園沿いの道端にあるコーヒー屋台に向かった。看板には「コーヒー店ジャマール」とある。黒人でやや筋肉質な、派手なエプロンをかけた30代前半くらいの店主がおり、エプロンには太い書体のメイズラント語で「私はスパイです」とあった。
「フィッシュアンドチップスをフィッシュ抜きで」
近付くなり、アーネットは注文を言った。
「うちはケバブだけだよ」
「じゃあそれを頼む」
店主は頷いて、大陸式の種なしの薄いパンにチキンを挟んで手渡す。
「何を調べたい」
店主が言うと、アーネットは手短に言った。
「最近水晶の指輪を売りに出した人間がいないかどうかだ。探しているのは指輪の方だが、人間の方だけでもいい」
「急ぎか」
「早い方が助かる」
アーネットは丸めた紙幣をポンと手渡し、コーヒーを受け取った。
「わかった」
男は前金を受け取ると、おもむろに店をたたむ準備を始めた。
彼はジャマールといい、その方面では有名な情報屋である。アーネットは以前所属していた部署の時代に知り合い、秘密の情報ルートとして時折依頼しているのだ。難点は、警視庁として正規に私立探偵に依頼する場合と違って、ポケットマネーからの出費が必要になる事である。ただし依頼料はそれなりだが、法外な料金は決して取らない男でもある。今回は大した依頼でもないので、それほどの額でもないだろう。
「よろしく頼む」
そう言うとアーネットは、ついでの聞き込みも兼ねてブロクストン通りを外れ、横丁の奥へと歩いて行った。
一方、情報局を後にしたナタリーは、自分のできる事がなくなったのでオフィスに戻って、ひとり事件の内容について考えていた。
「数百年前の枢機卿が貴族に贈った指輪か」
それは、贈り物としてはどういう意味を持つのだろう。魔法のロックまでかけて厳重に保管させている指輪に、一体どんな価値があるというのか。枢機卿は、もし伯爵家が立ち行かなくなった時に箱を開けろ、と言い残したという。そう言うからには、箱の中身である指輪には相応の価値がある、と考えるのは自然だ。
そう考えている所へ、くたくたになったブルーが帰ってきた。
「ただいま~」
こういう時のブルーは、何も成果がなかった時だ。へたな労いは嫌うブルーなので、ナタリーはその辺のあしらい方も心得ている。
「お疲れ様」
ごく簡単にそれだけ言うと、ナタリーは手元にある書類の整理を始めた。ブルーは黙ってデスクにつくと、
「はあー」
と、重い溜息をついて突っ伏した。
「やっぱり僕は聞き込みは向いてない」
それはそうだ。もう少し身長が伸びるまでは、向こうが刑事扱いしてくれないだろう。
「だからあんたは今のうちに、試験を受けるだけ受けておくのよ。身長が伸びる頃には、あらかたの資格を持ったエリートよ」
「言い方が誘導的だね」
「刑事だもの」
まったくもってブルーには反論のしようがない。
「動くのがダメなら、頭を活かしなさい。魔法についてなら考える事はできるでしょ」
「だって、あのロックはあの伯爵かその血縁しか開けられないってわかったじゃん」
「あんたに刑事として欠けてるのは、そこね。物事をピンポイントで掘り下げるのは得意だけど、全体を俯瞰して捉える事ができない」
そう言われるとブルーはムッとした。
「俯瞰って?」
「あんた自身が言った事、忘れてない?あの指輪が水晶で出来ているのは、魔法と相性がいい物質だからだ、って」
「あ」
そういえばそうだ、とブルーは気付いた。
「私も何か引っかかっていたのよ。枢機卿が言い残した言葉の全てを聞いたわけではないけど、例えば指輪そのものに価値があるのではなく…」
「価値のある何かを得るために、あの指輪が必要だ、とか」
なるほど。ナタリーも何だかんだで鋭いな、とブルーは思った。
「そこから先がブルーの出番よ。ここまでは私もたどり着ける。でも、あの指輪がどういう意味を持つのか。それはたぶん、あんたが解くべき謎だと思う」
ブルーは椅子の上に胡坐をかいて、腕組みして思考をめぐらせ始めた。しかし。
「お腹空いた」
今度はナタリーがデスクに突っ伏した。これが育ち盛りの世代か。自分もこれくらいの年齢の頃はそうだったのだろうか、と考える。そこまで食い意地が張っていたとは思わない。
「早いけどお昼にする?」
「あの伯爵の家に行けば美味しい料理食べられるかも知れないね」
「意地汚いこと考えるんじゃないの」
一応そう取り繕ってはおいたが、悪い考えではないな、と内心ではナタリーも思った。事件が解決する時には、期待していいかも知れない。すでに極上のアフタヌーンティーを振舞われたではないか。
そんなやり取りをしていると、聞き慣れた足音が響いてきた。
「おっ、帰って来た」
がちゃりとドアが開いて、アーネットが戻ってきた。何とも言えない表情をしている。
「疲れた」
「アーネット、口調がブルー並みになってきてるわよ」
「そりゃいかん」
言われて憮然とするのはブルーである。
「アーネット、ブルーが何か閃きかけたんだけど、お腹が空いて頭が回らないって」
ナタリーもだんだん冗談抜きで母親じみてきたな、とアーネットは思いながら時計を見た。11時過ぎ。少し早いが、1時間早く昼食を取ってはいけないという法律が制定された記憶はない。
「たまに全員で食べに行くか」
「やった!」
ブルーが勇んで席を立つ。
「といっても、我が国はどうしたものか、まともなレストランが少ない」
言ってはいけない事をアーネットが言うと、あとの二人は首を横に振った。
「産業革命が悪い」とブルー。
「カレーでも食べるか」
アーネットの提案に、他の二人は首を縦に振った。悪くない選択だ。カレーとは、統治下のヒンデスから何十年か前に伝わった、スパイスを効かせた料理である。ただ、メイズラント人はそれを自分達流に改良しているので、ヒンデスで食べるカレーとは別物であるらしい。とりあえず不味くないものを食べたい時には、これを食べるのが無難である。
かくして三人は、調査を外部の人間に任せ、だいぶ早めのランチに繰り出したのだった。
同日、リンドンのさる国立病院で、ちょっとした騒ぎが起きていた。ゆうべ、階段で転倒して精密検査のために入院した患者がいたのだが、医師の診断ではほぼ問題なく、念のため2日間経過を見て退院、という話になった。ところが、病室に戻る際にやはり階段で転倒し、今度こそは左腕を、骨折こそ免れたものの打撲してしまったという。
それを目撃した看護婦によれば、一歩間違えば階段の角で頸部を打っていたらしく、打撲で済んだのは全くもって不幸中の幸い、であるらしい。
アーネットたち三人は、カレーでそこそこ満足のいくランチを取ったのち、本庁裏手の公園を小雨の中通り抜けていた。
「雨で女王様が見えないな」
アーネットが、ビルとビルの間の空を見て言った。
「女王様?」
ブルーが聞き返す。
「クイーンズマウンテンだよ」
ああ、とブルーは同じ方向を見た。有名な北の山、クイーンズマウンテンは市街地からはほとんど見えないが、何箇所か奇跡的に見えるポイントがあるのだ。しかし、今日は雨と濃霧で全く見えなかった。
「なんでそういう名前になったのかな」
「山の裾が、女王様のドレスに見えるからでしょ」
ナタリーはそう言ったが、
「冠雪が女王様のティアラに見えるからじゃなかったか」
とアーネットが言う。
「要するに諸説あってわかんないって事?」
「そんな所だろうな」
そこまで言って、アーネットはふと思い出した。
「そういえば、あの箱を開けるキーワードにも女王様が出て来たな」
「ああ、『暖炉にくつろぐ女王』?」
とブルーは、記憶している一節を披露した。
「お前、よく覚えてるな」
どうでもいい事をよく覚えているのは、少年という生き物の特徴である。アーネットは何かひっかかるようだった。
「なんで、あんなややこしいキーワードなんだろうな」
「そりゃあ、簡単に他人に開けられないようにでしょ」とナタリー。
「それはそうだが」
確かにそうだ、どブルーは思った。
「仮に、その合言葉の『女王』があの『クイーンズマウンテン』を意味しているとしたら」
「意味しているとしたら、なんだ」
「うーん…」
他の三つの合言葉は「目を細める偏屈老人」「傷を洗う闘士」「風に凍える罪人」だ。
「まったく意味がわからない」
「ま、あんまり意味はないんじゃないのか。とにかくこっちは、指輪を見つけるなり窃盗犯を捕らえるなりするのが仕事だ。仮に何かあるとしても、そりゃ俺たちの領分じゃないな」
アーネットの言う事は全くその通りである。が、大人ってつまらないなあ、とブルーは思った。もし何らかの秘密が隠されていたら、それを解きたくなるのが推理小説おたく、エルロック・ギョームズシリーズを全巻読破している者の人情である。理解してもらえそうにないので、とりあえず黙っていることにした。
結局その日は何もなく、相変わらず実りのない聞き込みなどを消化して三人は退勤した。
翌日の昼前、ナタリーはマーガレットから電話で呼び出しを受けて、昼食がてら依頼しておいた情報を受け取る事になった。さすがに早いが、情報局の本業はどうなっているのか、頼んだ張本人としても心配になる。
二人は、公園でも人気のない鬱蒼とした一角のベンチに、テイクアウトのサンドイッチを持って座った。雨は降っていないが、今日も曇天で薄ら寒い日である。
「早かったわね」
「まあ、貴族といっても要するにひとつの家庭。むしろ考えようによっては、無名の平民より有名なぶん調査もしやすいとも言える」
「なるほど」
サンドイッチをかじりながらナタリーはうなずく。
「例のオールドリッチ邸に、日常的に出入りしている伯爵の血縁は、伯爵邸に住んでいる母親と彼の長男と孫二人、長女は結婚して家を出ているけれど、時々出入りしている。彼女にも子供が二人いる。次男は現在結婚して家を出ているけれど、これも時々は出入りしているわね。子供はいるけどまだ3歳。それと、伯爵の叔父の息子家族もたまに来ているわ」
これが名前のリスト、とタイプされた紙をマーガレットは手渡した。情報局員にしかわからない暗号で記述されており、外部の人間が読んでも理解できない。リストには名前だけでなく、住所や勤務先まで全て記載されている。
「ただ、あなたが言うような『財政的に困っている人間』というのはいなかった。少なくとも、困窮しているような人間はね」
「そう。犯罪歴のある人は?」
「せいぜい若い頃に酔っぱらって、警察の厄介になってるケースがある程度ね」
「なるほど」
ナタリーはリストに目を通しながら聞いていた。
「それと、例の伯爵の主治医だという人物。彼の経歴がこっち」
マーガレットはもう一枚のレポートを手渡す。
「細かい経歴は自分で読んでちょうだい。いちおう彼のルーツも辿ったけど、今の伯爵家とは繋がってないわね。まあ、何百年も辿ればわからないけど、それを言ったらそこらの平民でもルーツを辿れば、どこかの名家に行き着く事は珍しくもないわ」
「それはそうだわね」
言いながら、ナタリーはアダムス医師の経歴に目を通す。
「あの医師、精神医療も履修してるのね」
「近年、発展著しい医療分野だからね。先を見越して、国家資格を取ってる人も最近多い」
「ふーん」
ざっと見る限り、優秀な医師である。貴族の主治医ともなれば当たり前の話ではあるが。
「ありがとう。この埋め合わせはそのうちするわ」
「気にしないで。いつもの、上のためのくだらない情報分析なんかより楽しいわ。トーマスなんか、ほとんど名探偵気取りで調べてたわよ」
ナタリーは笑った。トーマスは30代、仕事を外れると情報局員とは思えないくらい陽気な、局のムードメーカーである。
「あっそうだ。レポートに打つ時間がなかったけど、そのアダムス医師ね。つい昨日、入院先の国立病院の階段で転んで、左腕を打撲したそうよ」
「は!?」
マーガレットの情報に、ナタリーは面食らった。たしか、精密検査で入院した原因も階段での転倒だったのではなかったか。
「まあどのみち2日程度入院して経過を見る予定だったらしくて、打撲もそこまで深刻ではないみたい。変な事って起きるものよね」
そうかも知れないが、立て続けに階段で転倒するなどという事が果たしてあるものだろうか、とナタリーは訝しんだ。そういえば、例の指輪は外部の人間が盗み出すと災いが起きる、と言い伝えられていたらしい。
「…呪いにしてはちょっと程度が低すぎる」
「え?」
ナタリーの独り言に、マーガレットは怪訝そうな顔をした。
「いや、何でもない」
「ま、こっちが調べられるのはこの辺までね。あとはそちらの優秀な刑事さんにお任せするわ」
含むような言い方だが、ナタリーは苦笑して流す事にした。
「そういえば、あなたの所に少年の刑事がいたわね。魔法の知識、そんなにすごいの?」
ブルーの存在は、それなりに警察や官公庁でも話題に上るらしかった。確かに、11歳で刑事に採用されるなどというのは前代未聞だろう。しかし本人に言わせれば、児童就労なんか珍しくもないから少年刑事で何が悪い、という理屈である。
「魔法に関してはね。捜査については素人」
「あはは、そりゃそうだわね」
「まあ、アーネットといいコンビよ。互いに足りない部分を補い合ってる」
ナタリーの表情に、羨望が見え隠れするのをマーガレットは見逃さなかったが、親友の事は熟知しているのでこれ以上は何も言わない事にした。
「情報、ありがとうね。それじゃ戻るわ」
ナタリーはバッグに受け取った書類を仕舞うと、パンくずを払って立ち上がった。
「いつでも頼ってちょうだい」とマーガレット。
「迷惑をかけない程度に、また頼むわ」
マーガレットと別れたナタリーは、少し足早に魔法捜査課オフィスへと戻って行った。
同じ頃、アーネットはブルーを伴って、ジャマールの店にやって来た。
「注文の品は?」
「できてるよ」
ケバブの入った袋をジャマールから受け取ると、ジャマールは指を一本立ててみせた。アーネットは丸めた紙幣の束を一つ、カウンターに置く。ジャマールは素早くそれを引っ込めると、ちらりとブルーの方を見た。
「こいつは心配するな、うちの人間だ。顔見せに連れて来た」
ジャマールは頷くと、特に何も言わずに本題に入った。
「あんたの言う指輪と同一の物かはわからんが、確かにいた。不法な盗掘品だとかを売りさばく男に、菱形にカットされた水晶の指輪を持ち込んだ男がいる」
アーネット達は顔を見合わせて、再びジャマールを向いた。
「そいつは?」
ジャマールは無言で、その業者の通称と、商売をしている場所を記したメモを手渡した。
「結局、あまりに安かったせいで買取はしなかったそうだ。顔や体型は入念に隠していて、せいぜい年代が三十から四十代の男、という以外はわからなかったらしい。背丈は中背、ごく普通だ」
「なるほど」
メモの名前を見る。ウッズマンと名乗るその不法な業者は、リカー・ロード12番地にいるらしい。
「ありがとう」
「またどうぞ」
サービスだ、とジャマールはコーヒーの入った紙コップを二人に手渡した。これは、ブルーの事も信用するよ、という合図である。ありがとう、と言いながらブルーは年相応の反応を見せた。
「砂糖ある?」
砂糖入りとブラックのコーヒーをそれぞれ飲みながら、ブルーとアーネットはそこからほど近い、ウッズマンという闇業者の所在を目指していた。
「あっさり見つかったね。あのジャマールって人、何者なの?」
「そういう疑問を追及しない人間には力になってくれる情報屋だ」
「なるほど」
裏の世界とはそういうものか、とブルーは納得した。
「少なくとも、犯罪に関わっている人間ではない。そこは安心していい」
それはそうだ。さすがに、犯罪者の協力を得るのは警察としてはご法度である。
「まあ、裏社会とこっちの境界線にいるような男だな。お前の事も信用してくれたらしい」
「そうなの?」
「あいつの目を見ればわかる」
そういうアーネットも、ブルーからすればちょっと警察の規格からは外れた人間に見える。もっとも、魔法捜査課なんていう部署じたいが規格外の存在ではあったが。
そんな事を考えていると、例の業者がいるというリカー・ロードが見えてきたのだった。
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