(5)三者三様

 昨晩、曇り空が晴れかけていたので天気は期待できるかと思いきや、その日は早朝から強めの雨が首都リンドンに降り注いでいた。メイズラントは雨の多い国なので、晴天の期待を裏切られた時の人々の落ち込みは大きい。魔法捜査課の面々も、傘を手に地下室へ出勤した。

「うひゃー」

 雨がはねたスラックスを魔法で乾かしながら、ブルーは一日の天気を思うと憂鬱になった。

「アーネット、聞き込みどうだった?」

 デスクの上に何やら重そうなバッグをドンと載せて、ブルーは尋ねた。アーネットは顎に指を当てて、渋い顔をしている。

「全くそれらしい情報はなかった」

「何軒回ったの?」

「六軒」

 アーネットが聞き込みを行なった中には、宝石の買取そのものを受け付けていない宝石店もあった。

「まだ聞き込みしたというには足りない。それに、リンドン都内だとアシがつく可能性も大きいし、もう少し外れた街の店に持ち込むかも知れないな」

 すると、ナタリーが口をはさんだ。

「宝石店とは限らないんじゃない?骨董商だってあるし、裏ルートの業者だっているわ」

「なるほど」

 ナタリーの言うことも尤もだった。いちばんアシがつきにくい売却先となると、ストレートに宝石店に持ち込むのはリスクが大きいかも知れない。何年も前に訪れたアーネットの顔を覚えているほど、記憶力のいい店主もいる。

「よし。じゃあとりあえず、昨日言った線で今日は動く事にしよう」

「あのさ、その前にちょっと一息つきながら、見て欲しいんだけど」

 ブルーは共用テーブルに、何やら自宅から持ってきた分厚い本を載せた。大きさは新聞の四つ折りくらいある。だいぶ時間の経過を感じさせる表紙には、古めかしい書体で「黒魔法の系譜」と書かれていた。

「なんだこりゃ」

「黒魔法の専門書。めちゃくちゃ古いやつ。僕の先生が貸してくれた」

 ブルーの先生、というのは時々彼の口から聞く、彼に魔法の手ほどきをした人物らしい。魔法捜査課の設立以来、アーネットもナタリーも会った事はなく、名前すら知らなかった。

「黒魔法ってなんだ」アーネットが訊く。

「僕らが普段使ってる魔法は、分類上は『白魔法』と呼ばれる魔法なんだ。ざっくり言うと、1600年くらい前から教会の人間が使い始めた魔法」

「それより古いのがあるのか?」

「そもそも、魔法の起源はハッキリしてない。最新の過激な学説では、少なくとも12000年前には魔法が使われてたっていう学者もいる」

 魔法について語るとき、ブルーの目は真剣になる。

「じゃあ、私達が使ってるのは新しい魔法ってこと?」

「まあ、簡単に言うとね。教会ができる何千年も前の、土着の自然信仰が息づいてた時代の魔法、それが黒魔法と呼ばれるものなんだ」

「ピンとこないわね。何がどう違うのか」

「語るとキリがないけど」

 そう言いながら、ブルーは付箋をはさんであったページを開く。

「文体が古いから難解だけど、ここには黒魔法を用いた封印魔法の詳細が書かれてあるんだ」

「封印魔法って、例の伯爵の箱にかけられてる魔法か」

 アーネットが尋ねると、ナタリーも反応した。

「まさか、あれがその黒魔法だっていうんじゃないでしょうね」

 ブルーはニヤリと笑って、本の一行を指差す。

「読むよ。『ひとたび封印魔法が効果を発揮したのならば、術を施した者がそれを解かぬ限り、またその物体が壊れぬ限り、何千年経とうとその効力は変わらない。封印を解除できる資格者も変わる事はない。この資格者は、術を施したものによって如何ようにも定められる』」

 ブルーが読み上げると、アーネットは目を見開いて腕組みした。

「まるっきり、例の箱にかけられた魔法そのものだな」

「じゃあ、やっぱりあれは黒魔法なの?」

 ナタリーは尋ねる。

「わからない。ただ、白魔法でも同じ事はできる。問題はあれがもし黒魔法だった場合、白魔法では解除できないんだ。原理的にね」

 どういう事だと二人が聞くと、ブルーはごく簡単に答えた。

「ヒンデス語ーメイズラント語の辞典で、プロンス語をノーランド語に翻訳できる?」

「なるほど」

 ナタリーは即座に理解した。

「魔法を構成する言語が違うのね」

「もっと厳密に言うと、黒魔法を構成する言語というのは、白魔法に比べると"歌"に近いんだ。曖昧な感性による部分も大きいから、強大な力を持つかわりに、伝承することが難しい」

「だから、もっと明確な組み立ての言語の魔法が生まれた。それが白魔法だというのね」

 ブルーはうなずいた。重犯罪捜査課のデイモン警部あたりなら、すでに頭を抱えて唸っている所だろう。

「昨日あの秘密箱を見た時に、違和感を感じたんだ。何か、僕らが使っている魔法と異質な感覚というか。断定はできないけど、僕の先生はおそらく黒魔法だろうって言ってる」

「つまり…」

「秘密箱に術を施したティム・サックウェル枢機卿は、教会の人間でありながら、黒魔法にも精通していた可能性が高い。そして、仮にあの術を外部から強制的に解除できるとしても、それは同じ黒魔法の言語でなくてはならないという事なんだ」

 そして現在、黒魔法を使える者はほぼいない。例外はブルーの先生のような、ごく限られた特別な魔導師だけであるという。

 要するにワーロック伯爵が言うとおり、彼の先祖ジョン・オールドリッチの血を引く人間が『合言葉』を唱える以外に、あの箱の封印を解除できる方法はない、という事だ。

「ということで、僕の調査はこれでおしまい。聞き込みするなら手伝うよ」

「早すぎるだろ」

 アーネットは口をあんぐりさせて肩を落とした。

「まあ、それならそれでいいって言ったのは俺だからな…」

「なんか他に調べる事があればやるけど」

 ブルーはそう提案したが、聞き込みは頭数がものを言う。

「わかった。じゃあ二手に分かれて聞き込みといくか」

「オッケー」

 デスクを立って外出の準備をする二人を、ナタリーが眺めていた。

「どしたの?」

 とブルー。

「なんでもない」

 素っ気なく返すと、ナタリーもまた外部の機関の知り合いに調査依頼をするために立ち上がった。今日の魔法捜査課は閑散としそうな雰囲気である。


 

 メイズラント警察本庁の裏手の公園を超えて二区画むこう、テレーズ川に接する通りに、様々な政府関連の機関が集まる合同庁舎があった。

 合同庁舎の2階に、かつて魔法捜査課のナタリー・イエローライト巡査が勤務していた政府機関、メイズラント情報局がある。もともとは海外の植民地統治のために生まれた機関だったが、その後植民地の政情が安定して解体され、本国に拠点を置く新たな総合情報機関として発足したものである。


 一度退職した機関ではあるが、ナタリーはそこに今も平然と顔を出す。ナタリーは数年前とある「問題」を起こして上層部に睨まれ、たまたま魔法の知識があった事を口実にされて魔法捜査課に追いやられたのだが、彼女には何の責任もない事を情報局の全員が知っているからである。

「ハロー」

 ナタリーがやって来ると、情報局のオフィスの空気が華やいだ。

「よう、ナタリー。魔法課をクビになったのか」

「あなたのデスクならいつでも準備できるわよ。いつでも戻っていらっしゃい」

 来るたびに冗談を言ってくれる、かつての同僚たちは彼女にとって救いだった。

「残念。今日もケーキの注文で来たの」

「高級なやつか?」

「前回より高級」

 これは彼らの隠語である。翻訳すると、「貴族に関する情報が欲しい。前回より上の階級」という意味になる。

 髪が若干淋しくなりかけている、かつての上司ジェフリーが応接スペースの椅子を勧めた。他の局員が、素早く開いていたドアを全て閉じる。応接テーブルに座ると、ジェフリーに向かってナタリーは小声で単刀直入に言った。

「ワーロック伯爵、デニス・オールドリッチ。彼の、生存している血縁関係者のデータが欲しい」

「ワオ」

 ジェフリーは目を丸くして両手を上げる。

「子爵の次は伯爵か」

「できる?」

「できない筈はないさ。ここは情報局だ。政治家が知らない事も俺たちは知っている。いざとなったら汚職のネタをちらつかせて政治家を手足にもできる」

 ただし、とジェフリーは言った。

「わかってるだろうが、相手が貴族、それも上の階級になるほど調査のハードルは高くなる。時間はかかると思ってくれ」

「もちろん」

「しかし、血縁といっても広いな。条件はまだあるのか」

「財政的な問題を抱えている人間がいないかどうか。伯爵に直接聞いても、答えてもらえないかも知れないから。該当する人間がいたら教えて欲しい。それと血縁かは不明だけど、伯爵家の主治医のアダムスという人物についても」

 ジェフリーの横に控えていたもう一人の若い男が、ナタリーの言う内容を速記でメモすると、全員に回し読みさせた。最後に読んだ女性局員は、それを読み終えると入念に破いてゴミ箱に丸めて放り投げた。秘密厳守で、などという注文は必要なかった。それが情報局員の掟だからである。

「ケーキはいつ出来そう?」

「急ぐんだろう。なんとか明日中には完成させるよ」

 戦争好きな上の連中のための情報収集なんか後回しでいいさ、とジェフリーは意地悪く笑った。

「ありがとう。美味しいケーキを待ってるわ」

 ナタリーは立ち上がると、一人の女性局員のデスクの前に立った。

「マーガレット。この間はありがとう」

 そう言って、ナタリーは少し高級な紅茶の茶葉の袋を、マーガレットと呼ばれた女性に手渡した。マーガレットはナタリーと同じようなボブカットだが、真っ直ぐな黒髪が印象的である。

「ありがとう。どういたしまして」

「こんど一緒に食事に行きましょう」

「ええ」

 マーガレットは、局員時代にナタリーとよくコンビを組んでいた女性である。今も交流は続いているが、とある出来事で一度関係がこじれかけた事があった。今では、それも笑い話として語り合っている。

「それじゃあね」

「ナタリー」

 帰ろうとするナタリーを、マーガレットは呼び止めた。

「キャプテン、ちょっと外します」

 ジェフリーにそう言うと、マーガレットは立ち上がってナタリーを伴い廊下に出た。


 誰もいない廊下で、マーガレットとナタリーは雨の降る外の景色を眺めていた。ふいにマーガレットが口を開く。

「彼、どうしてる?」

 言われて、ナタリーは黙っていた。

「信じられない偶然だったわよね、あの人事。正直、あなたがまだ彼と同じ部署でやってるのが奇跡に思える」

 ナタリーは、相変わらず黙ったままだった。話せないナタリーの空気を読むように、マーガレットが続ける。

「まあ、彼は仕事には真面目だったしね」

「…そうね」

 そんな相槌を打つのが、ナタリーには精一杯だった。

「気にしないで。ただ、今のところ何のトラブルもなさそうで安心したの。それだけ」

 それだけよ、と繰り返してマーガレットは立ち去った。雨音のなか一人残されたナタリーの胸には、数年前の様々な出来事が去来していたが、それを振り払うように、踵を返して歩き出した。



 ナタリーが情報局にいる頃、ブルーはリンドンの西側で聞き込みを行っていた。宝石店はもちろん骨董商など、指輪を鑑定してくれそうな可能性がある所はとりあえず入ってみる。

 しかし、ブルーはいかんせん少年である。警察手帳を見せても、冗談だと思って取り合ってくれない場合が多いのだった。

「くそ、仕方ない。捜査のための魔法使用ならいいんだよな」

 一人呟くと、ブルーは人気のない路地裏に身を潜め、魔法の杖を取り出して長めの呪文を唱えた。杖から放たれた光は、旋風のようにブルーの足元から頭までを覆う。

 光が風のように消え去ると、ブルーの背丈はアーネットくらいまですらりと伸びてしまった。これは高度な変身魔法で、非常に精神力を消耗するわりに30分程度しか持続しないのが難点である。

「30分ありゃ聞き込みくらいできるさ」

 見た目は大人、頭脳は子供の刑事は、先程軽くあしらわれた骨董店へのリベンジに向かうのだった。


「あー、失礼。警察の者だが」

 いまいち締まりのない名乗りだなと自分でも思ったが、それでも外見と警察手帳の威力は絶大である。30代後半くらいの骨董店の店主は、背筋をぴんと張って身構えた。

「は、はい!どのようなご用件でしょう」

「これだよ、これ!この反応だよ求めていたのは!」

「は?」

 癖毛が激しい店主は、怪訝そうな顔を向ける。

「あ、いや、ゴホン。ええと、ちょっとした聞き込みでしてね。最近、水晶の指輪を売りに来た人物に心当たりはありませんか」

 アーネットがよく使う言い回しを真似てみるのが、無難であろうとブルーは考えた。

「はあ、水晶の指輪ですか…いや、ちょっとそういう人は覚えがありませんなあ」

「そう言わず頑張って思い出してみて」

「いや、そう言われましてもですね」

 思い出せないものは思い出せません、と店主は言うので、仕方なくブルーは引き下がるのだった。

「くそ」

 貴重な変身している時間を無駄にした、と歩きながらブルーは憤慨したが、そう簡単に行くはずもないだろう、というアーネットの突っ込みが聞こえた気がしたので、気持ちを切り替えて次の店を探す。しかし、そうは言っても宝石店や骨董商が、パン屋やカフェのようにあちこちにあるわけでもない。

 しかし、身長が急に伸びると違和感も半端ではないな、とブルーは思った。せいぜい十数センチの違いなのに、全く違う景色に見える。

「指輪を買い取る店ねえ」

 何かそういう店はあるだろうか、と周囲を見渡してみる。しかし目に入ったのは本屋、床屋、チョコレート専門店などである。さすがに指輪を持ち込むのは無理であろうと思われた。



 同じころ、アーネットはリンドン南側のエリアで聞き込みを行っていた。すでに宝石店、百貨店、骨董店と3軒回ったが、それらしい情報はない。

「どうしたものかな」

 いつもの口癖を呟くと、アーネットは手近なベンチに腰掛けて思案した。

「…ふつうの店でダメなら、狙うべきは”そのスジ”か」

 そう言うと、アーネットは立ち上がった。刑事生活10年、それなりに情報源は色々確保している。いつもナタリーに頼ってばかりいないで、ここはひとつ自分の情報ルートでも他の二人に自慢してやらねば。そんな低次元の欲求もほんの少し手伝いつつ、アーネットは辻馬車を見つけると御者に近付いた。

「頼めるかい」

「はい、どちらまで?」

 退屈そうだった御者は、やれやれと言った顔で走る姿勢を取る。馬車に片足をかけながら、アーネットは言った。


「ブロクストン通りまでやってくれ」


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