(8)経歴
「アダムス先生が?」
ワーロック伯爵デニス・オールドリッチ氏は、アーネットからの捜査の経過を説明されて、少なからず動揺しているようだった。
ここはワーロック伯爵邸、デニス氏の書斎である。いつものように、ブルーも同行していた。
「考えたくはないですが…私は彼を信頼しています。病院で、先生にその事を話されたのですか」
伯爵は、アダムスの病室にアーネット達が訪れたその後の事を知りたいようだった。当事者でもあり、話せる範囲で説明しないわけにもいかない。アーネットは姿勢を正した。
「勝手に情報を探った事をお詫び申し上げます。現段階では、アダムス氏に直接その事を問い質してはおりません。ですが、これが我々の、現在辿り着いた最も可能性の高い推理なのです」
アーネットの言葉に、伯爵は腕組みして唸った。即座に反論してこない所を見ると、それなりに思い当たる所があるらしかった。
「うむ…確かに好事家だというのは知っています。若い頃、従軍医師として海外にいた事もあり、その時に土地の遺跡などを見て、考古学などにも興味を持ったようです」
「なるほど」
その情報もおそらくナタリーの、例の暗号レポートに載っているだろう。アーネットは伯爵の目を見て訊ねた。
「失礼ですが、彼に例の指輪の存在を洩らした事はありませんか」
「もちろん、明白に存在を伝えた事はありません。ただ実のところ、当家に何かがあるという噂話は、当家に近い人達の間で時折、話題に上る事もあるようです。もっとも、真っ赤なダイヤモンドの指輪であるとか、黄金の壺であるとか、見当違いの話になっている事もあるらしいですが」
「見当違いであっても、彼の興味に火をつけた可能性は有り得ますね」
門外不出の、何世紀も前の枢機卿から譲り受けた財宝。普通の人間でも、それなりには興味を持つだろう。常人以上の好事家となれば、それを見たい、あわよくば自分の物にしたい、と考えても不思議はない。
「ですが、仮に彼が犯人だとしても、あの魔法の秘密箱をどうやって開けますか?金庫までは破れたとしても」
そうだ。その謎がまだ残っている。アーネットはそれを素直に認めた。
「おっしゃる通りです。まだその謎は解けてはいません」
「それでも、刑事さんは彼が犯人の可能性がある、と考えておられるのですな?」
しばしの沈黙があった。
「そうです。方法が解けない事と、動機が説明できる事は、厳密には無関係です。あるいは、秘密箱を解く方法を、見つけ出した可能性もある」
「なるほど…」
ワーロック伯爵は、難しい顔をしていた。
「…わかりました。犯罪捜査については、そちらが本職です。今の所は、あなた方を信頼しましょう」
「ありがとうございます。もし彼が犯人でなかった場合、課として個人の名誉を損なった事を正式に謝罪します」
「そこまで仰るのであれば、私は何も言いますまい。お任せします」
そうは言うものの、伯爵の表情は重かった。信頼している医師が、自宅で窃盗をはたらいたとなれば当然ではある。
「しかし、そうなると謎はやはりあの箱を開ける方法ですな…私以外開ける事ができない箱を、どう開けたのか」
すると、会話に入れなかったブルーが口をはさんだ。
「開けてもらったとか。血縁の誰かを口説いて」
「失礼な事言うんじゃない。いや、申し訳ありません」
アーネットはブルーの頭を下げさせたが、何かに思い至ったように考え込んだ。
「どしたの?」
ブルーが横顔をのぞくと、アーネットはいつも見せる「閃いた顔」をしていた。
「…なるほど」
「一人で納得しないでくれる?なんか閃いたんでしょ」
ブルーをよそに、アーネットはおもむろに立ち上がった。
「伯爵、お手間を取らせました。今日のところは一旦失礼します。ほら、行くぞ」
「あーちょっと待ってよ!あ、伯爵さん失礼しまーす」
伯爵邸を出て待たせていた馬車に乗り込むと、アーネットは再び一人で思案を始めた。
「もしもーし」
ブルーが声をかけると、アーネットは振り向いて言った。
「ブルー。伯爵にしか開けられない箱を開けるには、どうすればいいと思う」
「え?」
「難しく考えなくていい。例えば今、あの箱を開けようと思ったら、どうすればいいかだ」
アーネットに言われると、ブルーはハッとした。
「なるほど」
ブルーもまた、アーネットの言う意味がわかったようだった。だが、その先の話が見えてこない。
「言ってる意味はわかったけど、ちょっと無理じゃない?それとも、アーネットはそのトリック、もうすでに解いてるの?」
ブルーは半信半疑の目をアーネットに向ける。アーネットは自信ありげに答えた。
「それはお前、いつも通りオフィスに戻って三人で話してるうちに、また何か閃くだろう」
「なにが名刑事だ」
ブルーのツッコミをよそに、馬車はリンドン市街地に差し掛かろうとしていた。
一方でナタリーは、比較的やる事がなくなったため、地下のオフィスで一人紅茶を飲みつつ、事件について考えていた。
「暖炉にくつろぐ女王、目を細める偏屈老人、傷を洗う闘士、風に凍える罪人」
ナタリーが考え込んでいたのは、例の秘密箱の封印魔法を解除するためのキーワードだった。この言葉を正順、または逆順で唱える事により、封印および封印解除ができる。
「意味ありげよね」
つぶやくと、お試しで買ってきたいつもよりはマシな紅茶を一口飲んで、背筋を伸ばす。
「家が立ち行かなくなった時はこの箱を開けろ、か」
それは、何百年も前のティム・サックウェル枢機卿が、オールドリッチ氏の先祖に秘密箱とともに伝えた言葉だ。当然、その中身である指輪は金銭的価値があると思われていた。
しかし捜査の過程でそれは、少なくとも指輪そのものとしては、土産物程度の価値しかないことが判明する。
「枢機卿がウソをついた」
さすがにその可能性はないか、とナタリーは首を横に振った。サックウェル枢機卿は、教科書や童話、演劇にも出てくる聖人である。実際、強権的な時の王政に反発して処刑された正義漢でもあるのだ。
そんな事を思っていると、男二人が帰ってきた。
「ただいまー」
先に入ってきたのはブルーである。続けて入ってきたアーネットは、鼻をひくひくさせていた。
「なんか香りが違う」
「わかる?いつもよりお高い紅茶」
ナタリーはテーブルの上にある、マーガレットに贈ったのと同じ茶葉の包みを指差した。
「いかんな、舌が肥えるのは」
そう言いながらアーネットも、自分のカップに紅茶を注ぐ。
「アーネット、その考えが我が国の食文化を破壊したのよ。貴族が争って質素倹約を追求した時代さえあったの」
「いつから料理文化の研究家になったんだ」
「この間読んだ本にそう書いてた」
そうですか、とアーネットは自分のデスクに座る。そのときナタリーが、何やら紙にペンであれこれ書き散らしているのに気がついた。
「何書いてたんだ?」
「例の、封印を解除するキーワード。なんであんな、意味ありげな文章なんだろうなって思ってたの。何か、謎を解くカギがあるんじゃないのかなって」
「女王がどうのってやつか」
確かに気になるが、事件に直接関係あるようでいて、なさそうである。しかし、思考が行き詰まってきた時に別な事を考えるのは人の常だ。
「そういえば、あれがクイーンズマウンテンを指してるんじゃないか、とかこの間言ってたよな」
「言ってたわね。でも地名を意味してるとしたら、暖炉にくつろぐ、の意味がわからない」
ナタリーの疑問に、ブルーが意見を言った。
「あの山の近くに、なんかそういうのないのかな。暖炉をイメージさせるような」
「ふむ」
アーネットは何気なく観光ガイド用の地図を取り出す。クイーンズマウンテンは、リンドンから見ると北東の方角にあった。標高は1100mと、そこまで高いわけではないが風格のある山だ。
そこでアーネットは、山から南に2kmほど下った所に、「古代製鉄所跡」というチェックを見つけた。
「おい、ブルー。あの山の近くにこんなのがあるぞ」
地図を見せると、ブルーの目が輝いた。
「それだよ!『暖炉』っていうのは、製鉄所を意味していたんだ。やっぱりあのキーワードは意味があったんだ」
「でも、その次は?『目を細める偏屈老人』って何のこと?」とナタリー。
「うーん」
腕組みして考えたのち、ブルーは両手を上げて諦めた。
「事件に関係ないことは考えない事にしよう」
「まるっきりないわけでもないがな」
言いながらアーネットは紅茶を一口飲むと、ナタリーの方を向いた。
「もう一度例の医者に事情聴取に行ってくる。それで、ちょっと細かい経歴を確認したいんだが」
「経歴って、どの?」
「医療に関する経歴や、専門分野についてだ」
リンドン市内にある、パーシー・アダムス医師が入院する国立病院に、再びアーネットとブルーはやって来た。
しかし前回と同じように、アダムス医師への面会を受付で頼んだところ、面会はできないとの事だった。
「どうかされたんですか、アダムスさんは」
アーネットは、ひょっとしたら前回病室で事情聴取をしたことで、病院からブラックリスト指定されているのではと思ったが、帰ってきたのはもっと意外な理由だった。
「アダムスさんはまた階段で転倒して頭を打たれたため、精密検査を受けております」
アーネットとブルーは互いに、口を半開きにして顔を見合わせた。
「数日間のうちに三回も階段で転倒するって、あると思うか」
カフェのテーブルで豆のスープを食べながら、アーネットはブルーにスプーンを向けた。ナタリーがいたら作法はきちんとしろ、と言われただろう。
「まあ、よほど不注意な人間でない限り、ないだろうね」
ブルーはサンドイッチをかじりながら答える。
「よほど不注意な人間でももう少し学習するだろ」
どう考えても不自然極まりない。そういう偶然が人類史上なかったとは言い切れないが。
「指輪の呪い?」
口元にパンくずをつけたブルーが言った。
「呪いというか…魔法なんじゃないのか」
「指輪を盗むとそれが発動するってこと?」
確かに、アダムスが指輪を盗んだ張本人であるとすれば、ワーロック伯爵の話と照らし合わせると辻褄は合う。アーネットは続けた。
「だんだん、エスカレートしてると思わないか」
「呪いが?」
「最初は特にどこも傷めなかったのが、次は腕の打撲。三度目はついに頭だ」
「なるほど」
では、仮に呪いが本物だとして、次があったらどうなるのか。というより、最終的にどうなるのか。
「最後は死ぬんじゃない?頸椎骨折とか」
ブルーはあっさりと言ったものだが、なかなか笑えない話ではある。
「警告のようにも思えるな。最初は大した事はないが、徐々に重くなっていく」
「もう、ストレートに聞いた方がいいんじゃない?お前が盗んだんだろ、って。病院の階段で転んで死ぬ前に」
それしかなさそうだ、とアーネットも思った。仮に窃盗犯だとしても、そこまで凶悪な人間にも思えない。犯罪ではあるが、崇める神様が違うという理由で隣国に攻め込むような暴君に比べたら、かわいいものではないか。
「よし。強引にでも話をさせてもらおう。本人の安全のためだ、といえば病院も納得してくれるだろう」
「あの看護婦さん迫力あったけどなあ」
同じころ、ナタリーは単身でワーロック伯爵邸に来ていた。アーネットに依頼されて、ある事を確認するためだ。
だが、ナタリーは予期せず、他の二人を出し抜いて、伯爵邸のランチという幸運にあずかる事になった。目の前には、豪勢というわけではないが、普段カフェやレストランで食べるものと佇まいが違うメニューが並んでいる。サンドイッチのパンが白い。挟んである肉が、かつて何かの生き物だったであろう謎の素材ではなく、動物の肉だとわかる。
「さあ、どうぞ。良いタイミングでいらっしゃいましたな」
食堂のテーブルを挟んで座る伯爵の勧めで、ナタリーは他の二人に心の中でごく軽い詫びを入れつつ、遠慮なく伯爵邸のランチを口に運んだ。
これが食事というものか、と満ち足りた気分になったところで、伯爵がおもむろに口を開いた。
「それで、確認したい事というのは?」
幸せな気分に浸っていた所へ伯爵から仕事の話を振られたため、ナタリーは現実に引き戻された。さっさと終わらせてランチに戻ろう。
「はい。伯爵、今回の盗難事件に前後して、何か奇妙な感覚に陥った事はありませんか」
ナタリーが問うと、伯爵は首を傾げた。
「はて、奇妙な感覚とは?」
伯爵はたずねた。ナタリーが答える。
「はい。我々の、現在の推理をお話します」
一通りナタリーの説明を聞いて、伯爵はそれなりに理解してくれたようであった。それほど難しい話ではない。問題は、その推理を受け入れられるかどうかである。
「仰る内容はわかりました。理屈も通っていると思います」
しかし、と伯爵は言った。
「今の所、そうした感覚を感じた覚えはありません」
ナタリーは、その回答もそれなりに予測の範囲内であったため、「わかりました」と簡潔に答えた。
「お尋ねしたかった事は、以上です。何度もお手を煩わせて、申し訳ありません」
「いえ、事件を持ち込んだのは私の方です。お気になさらず」
伯爵はそう言ったが、捜査が難航するのはやはり本望ではない。ナタリーは言った。
「いま少しお待ちください。かならず事件を解決して御覧に入れます」
昼食を取ったのち、アーネットとブルーは再び国立病院を訪れた。受付で、今度は警察手帳を提示したうえで、捜査のためアダムス氏と面会をさせて欲しい、氏の生命にも関わる問題だと説明したところ、どうにか短時間ならという条件で、面会を許可されたのだった。
病室を診療室に近い部屋に移されたアダムス氏は、首に支えのコルセットを取り付け、頭には包帯を巻いて、哀れな姿になっていた。会うたびにひどくなっていくな、とブルーは思った。
「何度もすみません」
目の前にいるのは容疑者なのだが、半分本心でそう思うアーネットであった。
「いえ。お話というのは」
コルセットのせいか声帯の筋肉をうまく動かせないらしく、アダムス氏の声は上ずっていた。
「アダムスさん、姿勢もお辛いでしょうから、単刀直入にお訊ねします」
アーネットは軽く咳払いして続けた。
「ワーロック伯爵デニス・オールドリッチ氏の、秘蔵されていた品物を盗まれましたね」
言われて驚いたのはアダムスだけでなく、一緒に来たブルーもだった。単刀直入も直入、軍用ナイフを根本まで挿し込むレベルだ。ストレートにとは言ったが、それにしてももう少し、手順というものがあるのではないか。
「何を仰るのですかな」
アダムス氏は落ち着き払って答えた。
「我々は最初から、その捜査のためにワーロック伯爵邸を訪れていたのです。そして、あらゆる情報を総合した結果、あなたが最も犯人の可能性が高いと判断しました」
そこまで言われても、アダムス氏は動揺の色さえ見せない。実はシロではないのか。ブルーはだんだん不安になってきた。これで違ったら、訴えられるのではないか。
「どういった証拠がおありなのですか?」
アダムスは当然の質問を返した。しかし、アーネットの回答も振るっていた。
「今の所、明確な証拠は全くありません」
「証拠もないのに、私が犯人だと?」
「アダムスさん。その、異常に落ち着き払った態度です」
アーネットが指摘すると、ほんの少し、気付かないほどわずかに、アダムス氏の眉が動いた。
「普通の人間は、たとえ自分に罪がないとしても、警察の人間が現れると警戒して、何らかの動揺を見せるものです。それが、あなたにはほとんど見られない」
「何を仰りたいのでしょうか?」
「あなたの、医師としての経歴を調べさせていただきました。立派なものです。御本人に説明する必要はないでしょう」
言いながらアーネットは、一枚のメモを取り出して、確認しながら話を続けた。
「精神医学にも精通されていらっしゃる」
「近年、発達著しい分野です」
アダムスは答えた。
「ですが、我々はひとつ、少し特殊な経歴を確認しました。あなたは若い頃、その知識と体力を買われて、2年ほど軍医として西の大陸に従軍していますね」
「はい。それは特に珍しい事ではありませんよ」
アダムスの回答に頷いて、アーネットは続ける。
「あなたはそこで精神医学の知識と経験を見込まれ、軍の命令で、ある研究を行っていた。敵の捕虜から情報を聞き出すために。非常に、特殊な研究と言えます」
今度は、アダムスの手が強張るのがはっきりと見えた。しかし、まだ表情では平静を保つアダムスが尋ねる。
「その研究とは?」
アーネットは、メモをパンと叩いて言い放った。
「催眠術です」
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