(2)下賜されたもの

 メイズラント首都リンドンから東に十数km行くと、リンドンを象徴するテレーズ川に沿ってなだらかな丘陵地帯が開けてくる。その川沿いを見下ろせる高台の上に、ワーロック伯爵邸があった。

 もともとはさらに東に土地があり、海岸の防衛という重要な責務を負っていた家系で、首都からは遠いがその威厳は侯爵にも匹敵する名家である。


 現在は海運貿易などを生業とするが、かつて防衛を担っていた名残りで、その邸宅は城と呼ぶ方が似つかわしい堅固な造りをしていた。華美さには欠けるが厳かな佇まいは、海外からの観光客に好評であった。


 そのワーロック邸に向かって、曇天の中を進む一台の華麗な馬車があった。魔法捜査課の三人を乗せた、ヘイウッド子爵ヘンフリー氏所有の送迎用馬車である。

「これが貴族の送迎用馬車なのか。ふーん」

 上質で、地面の振動もふわりと和らげてくれる座席シートに揺られながら、ブルーは内装を見回した。

「ブルー、いいわね。一にも二にも礼儀」

 すでにブルーの教師か母親じみてきたナタリーが、「わかったわね」という視線を送った。

「作法は間違ってもいいの。いや良くはないけど、礼節を弁えています、っていう態度は伝わるものだから」

「完全に学校の先生だね」

「敬語!今からあの屋敷を出てくるまでは敬語以外禁止!」

「なんだよそれ!」

 ブルーの抗議にキッとナタリーが睨む。

「…わかりました」

「よろしい」

 二人のやり取りを見ながらも、アーネットはブルーに目線を送っていた。

「ブルー。さっきヘイウッド子爵が妙なこと言ってたが、あれはどういう意味だ?」

 アーネットの指摘に、ナタリーもブルーを見る。

「そうね、まるであんたの事、貴族みたいな言い方してたけど」

「僕は貴族なんかじゃないよ。うちに爵位なんてない」

 さっそく敬語を忘れたブルーをナタリーが睨む。

「…うちに爵位はありません」

「お前が神官の家系ってのは知ってる。その関係で小さい頃から、魔法の勉強させられたんだろ。でも、いま昔の神官の家系なんて、言っちゃ失礼だが貴族みたいな権限は持っていない」

「そうだね。…そうですね」

 こんどはナタリーが口を挟む。

「神官の家系ってそこそこあるけど、あの世界はほとんど密教みたいな存在だからね。中世みたいな実権はなくても、実は王家といまだ深い繋がりがあるという話は聞いた事がある。あんたの所もそういう家なんじゃないの?」

 ブルーは、腕組みしてうーんと唸った。

「うち、まあそこそこ余裕はあるけど…ありますが、貴族や富豪のような生活をしているわけではありません。むしろ質素です」

 ブルーはそう言うものの、アーネットから見るとブルーの奔放な性格は、たしかに貴族よりもさらに浮世離れしたものを感じさせるのだ。

 10歳で大学を終えるというのも、一種の天才には違いないが、それを裏付けるものはブルーの家系、血筋に何かあるのではないか。もっとも、当のブルーがマイペースすぎて、自身がその事について全く考えていないようにも見える。


 そんな事を話しているうち、馬車は緩い坂道を登ってワーロック邸の敷地に到着し、話は中断になった。堀を越えて正門をくぐり抜けると、塀の内側の前庭は大きな桜を中心に、案外穏やかな印象であった。


「よく来てくれました、魔法犯罪捜査課の諸君。私がワーロック伯爵デニス・オールドリッチです」

 50代後半くらいか、顔はそこまで老けてはいないものの真っ白になった総髪で、アーネットと同じくらい長身のワーロック伯爵は自らエントランスまで出向いてきた。邸宅と同じく、質実剛健といった印象のスーツをまとっており、ヘンフリーのような若い尊大さはなかった。

 アーネットたち三人は深々とお辞儀をし、

「伯爵にはご機嫌麗しゅう。わざわざのご指名恐縮の至りです」

 と、まずは丁寧な挨拶を述べる事にした。

「うむ。遠路ご苦労でしたな。うちはこの通り、首都から距離がありまして。まずは寛いでください、話はそのまま談話室で聞いていただきましょう」

 ワーロック伯爵はメイドに目線で指示すると、

「私は警察に見せなければならないものを持ってくるので、いったん外す」

 と告げて奥に引っ込んだ。

「皆様方、こちらへどうぞ」

 まだ若いがキリリとした仕草のメイドが、三人を左手の部屋に案内した。重厚なドアを開けると建物の外観よりもだいぶ明るいイメージの、白を基調とした広い談話室になっていた。テーブルには10人ほどが座れそうだ。

 メイドは音も立てず椅子を引くと、「どうぞ」と勧める。三人が着席すると、静かにお辞儀をして部屋を出た。

「これが伯爵家の風格というやつだな」

 アーネットは溜息をついた。今まで何度か貴族の邸宅に足を踏み入れた事はあるが、やはり貴族の中でも伯爵、侯爵となると、全ての雰囲気が違ってくる。

「この椅子、何事もなかったみたいにあのメイドが引いてたけど、軽くないぞ。紫檀か何かだな」とアーネット。

「メイドは腕力よ。わたしも一応一通り勉強したもの。掃除、洗濯、料理」

 ナタリーがそう言うと、ブルーはメイド姿のナタリーを想像した。掃除にうるさそうな印象である。

 そうしていると、ドアが開いてワーロック伯爵が入ってきた。手には白い布で包まれた箱状のものを抱えている。

「いや、失礼しました。これがないと説明ができないもので」

 言いながら伯爵は、アーネット達の向かいに座る。丁寧な立ち居振る舞いはいかにも上流階級といった風で、こうして見ると、ヘンフリーのぞんざいな態度はブルーのそれに似ている。

「失礼いたします」

 お茶のカートをメイドが引いてくるタイミングも完璧なものだった。

 紅茶が全員に行き渡るのと平行して、スコーンや小ぶりのサンドイッチが載ったアフタヌーンティースタンドが供された。

 伯爵はティーカップを手で指し示すと、

「当家自慢のブレンドです。こう言っては何だが、リンドンで一番のホテルのブレンドに引けを取らないと思いますよ」

 と胸を張った。全く嫌味のない自慢というものがあるのだな、とアーネットは思ったものであるが、言うだけの事はある上質な香りだった。いつも地下室で飲んでいる、魔法で温め直した紅茶もどきとは違う。

 ナタリーはブルーの作法が気になって仕方なかったが、意外にそこは問題がなかった。カップの持ち手にも指は深く入れず、傾ける角度も完璧である。どうもこの少年は、他人に対する態度や言葉遣いだけがぞんざいであるらしい。


 三人はティータイムとともに、伯爵のしばしの雑談に付き合わされた。ご多分に洩れず、伯爵もまた魔法捜査課の日常などについて興味があるようで、ヘンフリーに話したのと同じ内容をここでも繰り返す事になった。

 さすがに、魔法を使ってみせろと言われた時は全員が焦った。捜査の必要上以外の理由で、無用に魔法を使う事は上から禁止されているのだ。しかし伯爵のたっての希望ということで、魔法でロウソクに一本だけ火を点けてやると、それなりに満足してくれたようだった。

 うっかり本来の目的を忘れそうになるタイミングで、

「さて」

 と伯爵は切り出した。伯爵の合図でティーセットはメイド達によって手早く下げられ、関係者以外が速やかに談話室を退出した。

 まだ紅茶の香りが残る室内が一瞬静かになると、伯爵が先程の白い包みをほどく。中からは金属製の頑丈そうな、丁番のついた箱が現れた。

「改めて、魔法捜査課のみなさんにご依頼があります」

 ようやくか、と三人は身構えた。

「ただし。今から話す事は、口外無用に願います。本来は、わたしの家族以外に話してはならぬ事なのです。あなた方が魔法捜査課、魔法の専門家である事を信頼しての依頼です」

 伯爵はそう強調した。ヘンフリーが言っていたのはこの事らしい。

「わかりました。ここにいる全員、女王陛下に誓います」

「よろしい」

 そう言うと、伯爵は静かに箱を開ける。すると、中には白い布がクッションとして詰められており、布をめくると手のひらより少し大きいくらいの、妙にあちこちが飛び出している木箱が現れた。厚さは眼鏡の収納箱くらいで、スライド式の蓋が開いている。中は指輪のケースのようなクッションが詰められ、真ん中にはそれこそ指輪が収まるようなスリットが見えた。

「これが何か、おわかりですか」

「秘密箱ですか?」

 ブルーが即答すると、他の全員がハッとした。

「よく知っていますね。そう、これは秘密箱と言われるものです。言ってみればパズルになっている箱で、複雑な仕掛けを全て解くとようやく開けられるのです」

 説明しながら、伯爵は手早く仕掛けを閉じていき、全ての仕掛けがきれいな立方体に戻った。操作は慣れているらしい。

「しかし、これ自体は珍しくはあっても、他にないわけでもありません。東洋にはもっと複雑な秘密箱があるようです」

「大変珍しいものですが、その箱がご依頼にどう関わってくるのでしょうか?」

 アーネットはたずねた。

「そうですね。そのために、まずこれを見ていただきたい」

 伯爵が胸元から取り出したのは、全く意外なものだった。

「それは…」

「皆さんもお持ちのものです」

 伯爵が手にするそれは、長さ25cm程度の小さな杖だった。

「呪文を唱えます」

 そう言って杖をふるうと、杖の先端に明るい緑色の光が灯った。

『暖炉に寛ぐ女王、目を細める偏屈老人、 傷を洗う闘士、風に凍える罪人』

 何やら意味ありげな呪文を伯爵が唱えると、杖から放たれた光に箱が包まれて、それまで黒檀のような深いブラウンだった箱が、透明感をたたえたエメラルド色に変化してしまった。

「これは?」

 アーネットは驚いて尋ねた。

「伯爵、あなたも魔法を使えるのですか?」

「いいえ。魔法は、この箱に仕掛けられたものなのです。私は今の呪文、というより合言葉を言うだけです」

 そう言うと、伯爵は箱をブルーに差し出した。

「開けてごらんなさい。まず最初は、左奥の角を上にスライドさせます」

 ブルーが手に取って見ると、確かに左奥の角は直立した柱状で、上下にスライドできそうに見える。しかし。

「ん?」

 言われた通り動かそうと指をかけると、箱が光って謎の力がブルーの指を押し返して、動かす事ができないのだった。

「これ、封印魔法だ」

「ほう。君は相当魔法に詳しいようですな」

 伯爵は感心したようにブルーを見る。アーネットとナタリーは置いてけぼりである。

「それも、相当に高度なやつだ。多分、どんな解除魔法も受け付けない。箱自体、ハンマーで叩こうがノコギリを引こうが傷ひとつつかないはずだ」

 ブルーが説明すると、ナタリーがふーんと頷いた。すでに、敬語を使えという言い付けの事は忘れている。

「そうです。これは私の何代も何代も前、15世紀の先祖が、聖人認定されているティム・サックウェル枢機卿より下賜された秘密箱なのです」

「ティム・サックウェル!?」

 魔法捜査課の三人は声を揃えて驚いた。何しろ、教科書で習う聖人の名前である。非常に優れた人物であったが、時の横暴な王家の政策に最後まで反対を貫き、処刑された数十年後に聖人認定された人物だ。

「私の祖先はサックウェル枢機卿の御代、東海岸の防衛という重大な責務を負っていました。それゆえ見返りに実権は大きかったのですが、当時の当主は慈善事業に熱心で、地元の教会などに支援を惜しまない人物でした。それが枢機卿の目に留まり、その功績に対する主の恩寵という名目で、この秘密箱が当家に下賜されたのです」

 聞けばそれなりに感動的な話ではあるが、ブルーにはいまひとつピンとこない所があった。

「ちょっと待って。いい話だけど、下賜されたのがこの箱だけっていうのは…」

 伯爵の話を遮るという少年の度胸も凄いが、ワーロック伯爵は全く気にも留めていないようである。

「はい、話には続きがあります。当時の枢機卿はこう言われたそうです。『もしあなたの家が立ち行かなくなった時はこの箱を開きなさい』という言葉とともに、さきほど私が唱えた4つのキーワードが伝えられました。封印魔法を箱に施したのは枢機卿です」

 つまり、当時の枢機卿は魔法の心得があったという事になる。ブルーが再び質問した。

「じゃあ、やっぱり箱の中には何か入っていたんだ」

「そうです。中には指輪が収められていました」

「え?でも、さっき見た箱の中には…」

 3人は顔を見合わせた。確か、さっきは何も入っていなかったはずだ。

 すると、ワーロック伯爵はきっぱりと言った。


「はい。指輪が何者かによって盗まれたのです」


 伯爵はさらりと言ったものだが、アーネットは眉間にしわを寄せて尋ねた。

「…それは、重大な窃盗事件なのではないですか」

 全くもってそのとおりだった。歴史の教科書に載る聖人から下賜された指輪、おそらく国宝級と言っていいであろう宝物が盗まれたのだ。呑気にアフタヌーンティーを愉しんでいる場合ではなかったのではなかろうか。

「そのとおりです。が、これは盗まれた物の価値が大きいというだけの問題ではなさそうなのです」

「というのは?」

「枢機卿が箱を下賜された際、ひとつの忠告がなされたそうです。もし万が一邪念を持った者が指輪を使ったなら、指輪の魔力が災いをもたらすであろう。そのため、この箱を呪文とともに開けられるのは当主の血を引く者だけとする。開けたのなら、指輪は何者にも奪われぬように、と」

 それはまた物騒な話だ。何のためにそんな危険な仕様が施されたのかは不明だが、もしその話が本当であれば、盗み出した人間の周囲で何がしかの影響が起きているかも知れない。災い、というものが実際どの程度で、例えば死人が出るようなものなのかはわからないが。

「ちょっと待ってください」

 とうとう、アーネットの言葉遣いもぞんざいになってきた。

「その…今現在、この箱を開ける方法を知っているご家族というのは、何人いらっしゃるのでしょうか」

 それは当然の疑問だった。目の前にいる伯爵はその一人である事は間違いない。伯爵は答えた。

「家族でこの箱を開けるための呪文を知っているのは、現在はわたし一人です。いま、あなた方の前で呪文を披露したのは、仮にあなた方が唱えたところで、当家の血を引いていなければ魔法は発動しないからです。いずれ長男には呪文を伝えるつもりでおりました。私は父親から教わりましたが、父親はすでに他界しております」

 三人は首をひねった。それは話がおかしくないか。

「では…一体誰がこれを開けて、中身を取り出したというのでしょうか」

「はい。それがわからないのです。私は、定期的にこの箱を開けて中身を確認しておりますが、それもせいぜい年に数回というところです。今回、中身が盗まれた事に気付いたのは先週で、この箱を収めたこの鉄の箱の位置がずれている事に気付いたからです」

 三人が黙って聞いていると、伯爵はもう一度言った。

「私以外に開ける事が不可能なはずの箱が、開けられたという事なのです」

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