(13) 結末~エピローグ

 3月26日の昼過ぎ、アーネットとブルーはドーン青年が勤務する駐在所を訪れた。ドーンはあと少しで昼休憩なので、反対側の通りのカフェ・ヴィンテージで待っててくれと言うので、二人はカフェに移動して日当たりのいい席を確保した。

「ショック受けてるかと思ったら普通だったね」とブルー。

「わからん。そう装っているだけかも知れん。人の心はそう簡単じゃない」

 コーヒーを飲んで、アーネットは今回の事件の顛末を振り返った。後味のいい事件なんてものはないが、まだ曖昧なものを残したままの結末は釈然としない。

 そんな事を思っていると、ドーンがやって来た。

「お待たせしてすみません」

「いいさ。どうせ今日はうちの課はヒマだからな」

「うちの駐在所と同じですね」

 ドーンは笑いながら、ウェイターにサンドイッチと紅茶を注文して席についた。

「ひとまず、捜査は終わった。もう新聞であらかた知っていると思うが、載っていない情報もある。色々気になっていると思ってな」

 ドーンの表情が、すこし硬くなった。少し前まで後見人だった、長年の付き合いの人物が殺人で逮捕されたのだ。

「おじさん、どうしてますか」

「…今は拘置所で、取り調べの毎日だ」

「そうですか」

 そう答える表情に温度はなかった。

「おじさんが父のもとで何をしていたのか、自白しましたか」

 ストレートに訊かれて、アーネットは若干うろたえたが落ち着き払って、

「いいや」

 とだけ答えた。嘘は言っていない。少なくとも、ガッサ自身の口からは何も語られていない。阿片の密売に関しては、今はあくまで推測の状況である。

「レッドフィールド刑事は、どう思われますか。おじさんは、何か…良くない事業みたいなものに、手を染めていたと思っているんですか」

「言っていいのか」

 ドーンは、無言でうなずいた。アーネットもうなずいて返す。

「おそらくな。取り調べの最中、その件を質問すると大変な狼狽ぶりを見せたそうだ」

「そうですか…」

「ぼかされても却って釈然としないか。俺たちの推測はこうだ。つまりガッサは、君の父親と組んで何らかの、非合法な商売をしていた。そしてその収益は、どこかに隠されていただろう。通常の収支とは関係ないところにな」

 ドーンは、顎に指を当てて過去を思い起こしてみた。少なくとも表面上は、怪しい事をしていたという記憶はない。アーネットは話を続ける。

「ガッサは、その商売を実際にはほとんど全て引き受けていた。マールベル子爵が手を汚さずに済むようにだ。つまり、一番危険な事を押し付けられていたという事だ」

「……」

「その見返りを受け取る約束を、ガッサは取り付けていただろう。金かも知れないし、何らかの権利かも知れない。しかし、君の父は子爵号剥奪ののち、精神に異常をきたして病棟に入ってしまった」

「つまり、その『見返り』を受け取れなくなった、という事ですか?」

 ドーンは恐ろしく冷静だった。自分の家で起きていたかも知れない「事件」を、真っ正面から推察しようというのだ。こいつは凄い刑事になるかも知れない、とアーネットは思った。

「推測だという事は忘れるなよ。だが、これが一番整合性の取れる推理だ。君の父親は商売の収益を管理していて、ガッサの自由にはならなかった。そのうち、君の父は病死してしまった。このために、ガッサが手にするはずだった利益が泡と消えた、としたら」

「それまで危険な事を引き受けて来たのは何だったのか、と思うでしょうね」

「そうだ。これまで、その気持ちを抱えて生きてきたんだろう。同情するわけにはいかないが、それなりに理解はできる。そして、その直接の原因を作ったのはローバー議員だ、と思うようになってしまった。善悪抜きで言うなら、実際その通りなんだが」

 ちょうどサンドイッチと紅茶が運ばれてきたので、アーネットは話を中断した。ウェイターが去ると、ドーンが代わって話し始める。

「こういう言い方は良くないかも知れませんが、失望するのには慣れてます」

 言葉には淀みがない。

「ガッサおじさんは小さい頃から世話になってました。推理小説を教えてくれたのもおじさんです。母や僕が父に殴られたりしそうな時、庇ってくれたのもおじさんです」

 ドーンが寂しげに語るのを聞いて、アーネットはガッサが最初に現れた時の事を思い出していた。あの時のガッサは、ドーンを本気で庇っていた。自分が犯人であるにも関わらずだ。

 アーネットは、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。

「これは警察官が言ってはいけない事だが…善悪なんてのは、人間社会が定めた物差しの産物でしかない。悪い人間が良い事をする事もあれば、良い人間が、どこかで道を違えたり、あるいは何かに巻き込まれた結果、悪を行ってしまう事もある」

「……」

 ドーンは無言だった。アーネットが続ける。

「ガッサ・ジョージアが少なくない罪を犯したのは事実だ。それは否定する事はできない。だが、もし君が彼の善の側面を記憶しているのなら、やはりそれも否定はできないだろう。君は、その事を忘れないでいてやればいい。俺に言えるのは、それくらいだ」

 そう言うとアーネットは、残っていたコーヒーを流し込む。

「わかりました」

 ドーンは小さく頷いた。

「レッドフィールド刑事も話しづらいでしょう。これ以上は、お聞きしません」

「そうか」

「僕も一応、警官の端くれです。捜査してると、たくさん辛い事、あるんですよね」

 アーネットには答えようがなかった。話して伝わるものでもないし、言ってしまえば自分だって、刑事人生は10年ちょっとという所である。

「俺には答えられん。俺だってまだ、未熟な半端者さ」

「そうですか」

「こいつなんて、もっと半端者だぞ」

 突然話を振られたブルーは、食べていたパイを喉に詰まらせて、慌てて紅茶を流し込んだ。

「ハンパ者ってなんだよ!」

 いきり立つブルーを見て、ドーンは話題を変える事にした。

「あのさ、君って本当に刑事なの?この間から気になってたんだ」

 ドーンの疑問はもっともである。こう聞かれるたびにアーネットがフォローするのは日常になっていた。

「正確に言うと、正式な刑事じゃない。銃の携帯も許可されていない。逮捕権限は一応ある。魔法が使えるから、うちの課に特別に勤務してるんだ。ま、生まれがちょいと特別な家系でな」

「へえー…?」

「人を珍獣みたいな目で見るなよ!」

 ブルーが噛み付くと、ドーンは笑った。

「ああ、悪い悪い。魔法が使えるんでしょ?やってみせてよ」

「公共の場で捜査でもないのに勝手に使ったら、上の人から怒られるんだよ!」

 案外若者どうしウマが合うらしいのを見て、自分もそれなりに年を食ったものだとアーネットは思った。ドーンはそれなりに気落ちしているだろうが、たぶん立ち直れるだろう、少なくとも今の所は。今後、ガッサにどういう判決が下されるかはわからないが。


 

 本庁のロビーで、アーネットは借りていた書類などをデイモンに返却した。以前は上の階の部署に通勤していたのを、行き交う他の職員を見るたびに思い出す。

「今回は色々と世話になった」

 デイモン・アストンマーティン警部は、アーネットに軽く頭を下げた。

「君たちの力がなければ解決はできなかった。少しだけ、魔法への考えを改めたよ」

「そう言っていただけると、ありがたいです」

 アーネットもまた、デイモン警部に対して頭を下げた。

「ガッサが今後、何かを白状するかはわからん。その前に、上からストップがかかるかも知れんがな」

 十分あり得る話だった。ガッサは何をどこまで知っているのか。もし何かを話せば、それが政治生命に関わりかねない人間もいるかも知れない。

「産業革命などと浮かれていても、偉い人間のやる事は、要するに懐の金勘定だ。槍や剣で突撃していた時代から、何も変わってはおらんよ」

 デイモン警部は、吐き捨てるように言った。 

「魔法の万年筆を売り付けてきたコートの男については、バーで向こうから近付いてきたそうだ。声は低いトーンでハッキリしなかったため、レッドフィールド君の変装も本物だと思ったらしい」

 そう言われると、アーネットはあの夜の緊張を思い出す。あれは全くのあてずっぽうの演技だったので、実際はそこがガッサを騙すうえで、最大の賭けだったのである。

「男が何者なのかは、ガッサには全くわからなかったようだ。販売は完全に向こうからの一方通行で、こちらから接触する方法はないらしい。相当に用意周到な相手と見るべきだろうな」

 とはいえ、今回の事件で魔法の万年筆のバイヤーが存在する事を、確定できたのは大きかった。彼らは何者で、どのようにしてあのペンを作り、どういう基準で売る人間を選定しているのか、まだ不明瞭な点の方が多いが、一歩前進はしたのだ。

「何かわかったら、教えてください」

「約束しよう」

 それでは、と言ってメイズラントヤード庁舎の廊下で二人は別れた。



 地下室に向かう階段は、暗く冷たい。快適に感じるのは夏場だけだ。その階段を降りて、同じように冷たい廊下を左に少し進むと、<13>という意味不明のナンバーが振られたドアがある。ナンバーの下にはこうある。


 【魔法犯罪特別捜査課】


 軋む音を立ててドアを開けると、右手のデスクにボブカットの女性、左手のデスクにショートカットの少年が、いつものように退屈そうに座っている。

「おかえりー」と二人。

「家じゃねえよ」

 いや家みたいなものか、と思いながらアーネットは、奥にある斜めに据えられた自分のデスクに座って、今回の事件をタイプライターでまとめ始めた。ここの部署でも少なくはない事件を片づけてきたが、今回のような後味の悪さを覚える事件は滅多にない。

 だが、ナタリーとブルーと自分、この奇妙な三人組で過ごす時間はそう嫌いではなかった。

「アーネット、きょう事件解決の打ち上げやるよね?」

 ブルーが無邪気にたずねた。

「ああ。ナタリーが全部払ってくれるってさ」

「あなたが払ってくれるなら行ってもいいわよ」

 ブルーは溜息をついて二人を見る。

「あのさ、二人って本当は昔付き合ってた?」

 アーネットとナタリーは一瞬顔を見合わせて、揃って明後日の方を向いた。

「アーネットが付き合ってきた女性の名前なら全部知ってるけど」

「何度も言うが、こういう諜報員みたいな女には関わらん方がいいぞ」

「答えになってねーよ」

 ブルーは呆れて、自分の紅茶を淹れるために立ち上がった。

 明日はまた、何か事件が舞い込んで来るだろうか。


 奇怪な事件は、メイズラントヤード庁舎地下の魔法犯罪特別捜査課まで。


(下院議員殺人事件/完)

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