(12) 逮捕

「フヒエェ!!!」

 眼鏡の男は冗談でも何でもなく、突然壁から聴こえてきた声に腰を抜かし、ゴミの中へ転んで盛大にホコリを立てた。

「うわっぷ!」

 コートの男は、予期せぬホコリの来襲に慌てて飛びすさった。本当に予想していなかったようである。

 声が鳴った壁には何やら光る円形の文様が浮かび、その中心から少年と女性の会話が聞こえてくる。どうやら、先ほどの声もここから鳴っていたようだった。

『この夜中に晴天なりはないでしょ!もうちょっと他にないの?』若い女の声。

『そんなの何だっていいだろ!おーい、そっちはOK?』

 眼鏡の男は、その少年の声に何か聞いた覚えがあると思った。

「OKだ。自白してくれたよ」

 コートの男はそう言うと、胸元から取り出した杖をサッと一振りした。すると、淡い光とともに黒い衣装は雲散霧消し、グレーのスーツ姿のアーネット・レッドフィールド刑事が現れたのだった。

「ガッサ・ジョージア、ジミー・ローバー下院議員殺害の容疑で逮捕する」

 アーネットが眼鏡の男に向かって警察手帳を示すと同時に、下の階に警官隊が押しかけて、拳銃を構えた。

「な、な、な…」

 眼鏡の男ガッサ・ジョージアはレンズの奥の目を見開いて、必死に状況を理解しようとした。アーネットが畳み掛けるように言う。

「いかんな。小説家志望が変装くらい予想できないようじゃ、出版社も採用は見送るんじゃないのか」

 その言葉で、ガッサはようやく全てを悟ったようだった。アーネットはガッサが黒いコートの男と会っていたという目撃情報から、コートの男に変装してガッサをはめたのだ。

「内心ビクビクだったけどな。何しろお前が会ったっていう男が魔法のペンのバイヤーだという確証もないし、バーのマスターの記憶頼りに再現した変装で、お前を騙せる保証もない、無い無い尽くしだ」

「汚い!!」

「お前の方が1億倍汚えだろ!!」

 アーネットはガッサの抜けた腰を思い切り踏みつけた。

「ぎゃああ!!」

「そのへんにしておけ」

 下から、少ししわがれた威厳のある声がする。デイモン警部だ。

「よくやってくれた、レッドフィールド君」

「こんなハッタリは好きじゃないんですがね。役者は向いてなさそうだ」

「傍目には楽しそうだったがな」

 アーネットはニヤリと笑うと、足をガッサからどけて警官隊に指で指示した。あっという間にガッサは下の階に引きずり降ろされると、手錠をかけられ藁くずの中に叩き込まれたのだった。

「おかしいと思ってたんだ。アパートの隣の男は、お前が起こした音しか聞いてない。お前はこの現場から、狙撃とは別のもう一本の『音響魔法』でアパートの壁を鳴らして、あたかも犯行時刻に在宅していたかのようなアリバイを作っておいたんだ」

「な、何を根拠に…」

 ガッサは腰の抜けた状態で精一杯反論しようとしたが、アーネットは狙撃した窓の右側の床に、ガラクタが崩れて散乱している点を指摘した。

「最初は犯人が姿勢を崩したせいかと思った。でも違う。アパートの隣の部屋に魔法を通じて音を響かせるために、ここの農具やらを壁に打ち付けたんだ。ついでに言うと、実は今お前のアパートには、うちの課の人間がいる。隣の部屋の若い奴にも立ち会ってもらって、お前が実行したと思われる犯行を再現してみせたというわけだ」

 そう言って、アーネットはガラクタを壁の魔法陣に向かってガンガンと打ちつけた。

「どうだ、ブルー」

『聴こえるよ!確かにこれなら、隣の部屋にいれば誰かいるって思うだろうね』

 壁から聴こえたブルーの証言に、ガッサは観念したように黙りこくってしまった。アーネットは狭い空間で何とか手をのばし、ガラクタの山をどかす。すると、その下から達筆な署名が現れた。『ガッサ・ジョージア』と。魔法ペンをここで使った、逃れようのない証拠である。

「お前、事務や会計は得意らしいが、こういう犯行には向いてなかったらしいな。魔法ペンで書いた自分の名前は、隠すだけじゃなく削り取っておけよ。詰めが甘いぞ」

 アーネットはガッサの内ポケットから万年筆を奪い取ると、ガッサの目の前に示してみせる。

「この魔法ペンに関しては、知ってる事ぜんぶ吐いてもらうぜ」

 言いながら、デイモン警部にペンを手渡した。

「これが物証です。上に提出してください。警部の手で」

「わかった」

「ローバー議員殺害については、先程彼が白状したとおりです。過去の余罪については、警部にお任せします」


 ガッサ・ジョージアは警官たちに連行され、あらかじめ待機していた馬車が到着すると、夜の闇の中をメイズラントヤード本庁に向かって護送されていった。その間、憔悴しきった表情でうなだれながら、馬車に揺られていたという。


 本庁前の広場でアーネットを待っていたのは、ブルーとナタリーだった。

「お疲れさまー」

 ブルーが欠伸しながら出迎える。

「お前もな」

「まさか、魔法を二つ使ってるとは考えもしなかったね」

「まっ、そのへんが刑事としての年季の違いってことだ」

 アーネットは得意気に胸を張る。全くその通りなので、ブルーは言い返せなかった。魔法の知識と技量があっても、それと犯罪捜査は別物である。

「二人とも眠いだろう。あとの事は俺がやっておくから、帰っていいぞ」

 もと重犯罪課のアーネットは、夜を押しての捜査など慣れっこであり、眠い様子など全く見せなかった。ナタリーは遠慮なく答える。

「そうさせてもらうわ。お疲れ様」

「ブルー、今日最後の仕事だ。悪いが、ナタリーを家まで送ってやってくれ」

 アーネットがブルーの肩を叩くと、ブルーは手でOKのサインを出した。ようやく難解な事件も終わりが見えてきたので、三人の表情には心からの安堵の色が見えていた。



 後日デイモン警部により、ローバー議員殺害の容疑者ガッサ・ジョージアへの取り調べが行われた。すでに殺害については自白している所を警部含め多数の警官に確認されており、言い逃れはできなかった。

 自供どおり、ガッサの自宅裏の川から犯行に使用した拳銃と、猟師を装うための服と猟銃が発見された。拳銃のグリップにも、魔法を発動させるための魔法のペンによる署名が確認されている。

 証拠が揃ったことから犯行に魔法を使用した事をガッサは認め、改めて魔法特捜課の協力のもと正式に現場検証と再現が行われて、その内容は公式記録として受理される事になったのだった。だが容疑者が口をつぐんだのは、殺害の動機に関してである。


「私が議員を殺害したのは、お慕いしていた子爵夫人が自殺するきっかけを作ったのが彼だったからです」

 ガッサは借りて来た猫のようにおとなしくなり、意外にも落ち着いた様子で語り始めた。モニカ子爵夫人に彼が恋慕の情を抱いていた事もあっさりと明かし、夫人が拳銃自殺を選んだ事が、ローバー議員殺害に拳銃を使用した理由だったという。

 だが、彼が平静を失ったのは、もうひとつの質問がデイモン警部から飛んだ時であった。

「ジョージア、それも殺人の立派な動機だろう。だが、わしにはもうひとつ理由があったように思えてならない」

「…何でしょうか」

「マールベル子爵が子爵の称号を失い、その後精神病棟で彼は病死した。それによって、お前は何かの利益を失う事になったのではないか」

 そう問われて、ガッサ・ジョージアは突然立ち上がり慌てふためいたため、警護の警官二名によって両脇から抑え込まれる事になった。もっとも百戦錬磨のデイモン警部は、その程度で動じる事はなかった。

「この国の裏ルートで、ある品物が闇取引されているという情報を我々は掴んだ。そこでその流通ルートの上流にぼんやりと浮かんでは消えるのが、お前が仕えていたマールベル子爵の名だ」

 ガッサは表面的には、精一杯の平静を保っていたようである。しかし、立て続けの取り調べで疲弊していたせいか、汗が大量ににじんでいた。

「調べても、子爵の手前で情報が途絶えてしまう。これはつまり、何者かが子爵に代わって、その品物の取り引きを仕切っていた可能性があるという事だ」

「……」

「お前は表面的には間抜けだが、銀行員からマールベル子爵の秘書を務め、近年も子爵の息子ドーンの後見人として、丁寧に資産を管理していた。つまり、金や資産を動かすのに長けている人間だ。子爵の周辺で、品物の取り引きを巧妙に隠せる人間はお前以外にあり得ない」

 ガッサの震えはさらに大きくなる。追い打ちをかけるようにデイモン警部は続けた。

「しかしお前が取引を仕切っていながらも、密売の『上がり』を管理する権限は、最終的にはマールベル子爵が取り上げていたのではないか。これはわしの完全な想像だが、お前に対して分け前を与える、口約束のようなものが交わされていた。その分け前がどういう形式だったのかはわからん。が、子爵が死亡した…いや、精神を病んでまともに会話もできなくなった時点で、お前はそれを受け取る事ができなくなった。その逆恨みで、ローバー議員を殺害したのではないのか?」

 ここで、ガッサは取り調べ室の外に聞こえるほどの大声を出した。

「私はローバー議員殺害の犯人で!その動機は子爵夫人への慕情だ!!それでいいじゃないですか!!」

 一人の人間が、ここまで狼狽するのはどんな背景があっての事なのか。想像以上に大きな何かを、彼は知っているらしかった。それが知られれば、死刑は免れないような。

 もっとも、今の時点でも死刑にならないという保証はない。それなら一切合切吐いてしまった方が、むしろ社会の闇の一端を暴く事への協力になり、命だけは助かる道もあるかも知れなかった。だが、この状態ではまともに会話もできそうにない。眉間に手を当てて、デイモン警部は首を横に振った。

「今日はもう無理だな。黒いコートの男についても聞くつもりだったが…もういい、連れていけ」

 警部が右手を振って促すと、警官たちに連れられてガッサは取調室から拘置所へと移送されていった。その間中、何か意味のわからない言葉をブツブツと呟いていたそうである。



 【ローバー議員暗殺犯逮捕さる】


 デイリー・メイズラント紙はじめ各紙が、メイズラントヤードの緊急記者会見での発表内容を号外、および翌日の朝刊で報じた。会見にはデイモン警部が臨み、様々な質問が飛んだ。中でも殺害の動機については注目が集まったが、阿片の密売に関しては一切が触れられず、亡き子爵夫人への容疑者の思慕の情が主な原因、として報道されたのだった。

 魔法が使用された事実はぼかして報道された。それでもデイモン警部はできる範囲でアーネット達の協力が大きかった事を強調し、国民の多くはそれを理解した。


 かくしてこのローバー議員狙撃事件は、大勢では解決を見たように世間的には受け取られたが、事件の背景は謎を含んだままであった。

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